うつろぶね 第二十七幕
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 大っ嫌い。

 

 静かな海の上を、その言葉が流れていく。

 その言葉が耳に入り、頭が理解し……そして、感情が拒否した。

 大きな顔が、途方に暮れた表情を浮かべた。

「……キラい?」

「そうよ、大嫌い」

 でもね……。

「貴方が悪いわけじゃない」

 理由なんてない。

「貴方が私を好いて下さったように、私は貴方を嫌ったの」

「こんなニ、ワシガ……アイしても?」

「そうよ、どれ程愛して下さっても、私は、貴方が大嫌い」

 感情に理由は付けられない。

 嫌い、どうしても大嫌い。

 どうしても愛してしまう。

 それは表裏一体の心の動き。

 

 それを聞いて、仙狸は静かに頷いた。

 それが世の理なのだ。

 どれ程愛そうが届かぬ思いもある、どれ程冷静に見ようと思っても、嫌ってしまう。

 理と智は、人が己を御するための大事な柱ではあるが。

 それで、己の全てを御せるようには、人は出来てはいないのだ。

 

「……ヒメ……よ」

「納得できるか否かは、どうでもいいわ……私は貴方にお別れを言いに来たの」

「ワカ……れ?」

 大きな顔が途方に暮れた表情を浮かべる。

「ええ」

 対する彼女に、迷いは無かった。

「私は帰るわ」

 ここから。

 この海の上に作られた、偽りと幻の街から。

 海市から、去るわ。

「ドコに?」

「ははさまの所」

 私の魂と想いが最後に帰りたかった所に。

「ねぇ御坊様……」

 澄んだ笑みを浮かべて。

「貴方も帰る時よ」

 もう、全てが終わったの。

 命が果てた事も気が付けなかった二人と、偽りと幻を乗せて彷徨っていた。

 

 うつろぶねの漂流は、終わったの。

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「ワシの……帰る場所?」

「ええ、在る筈よ」

 最後の時に、自分を還したい場所。

 魂の奥津城(おくつき、墓所)を。

「それを思い出して」

 

 姫と、先代の住職だった男が、互いを静かに見交わす。

「姫よ」

「なぁに?」

「儂が、嫌いか」

「ええ、大嫌い」

 不思議な事に、そう言い交わした二人は、笑みを浮かべていた。

「そうか……そうなのじゃな」

 そう呟いて、彼は俯いた。

 小刻みに、大きな顔が震える。

 泣いてるのか……そう一瞬見えたが、そうではなかった。

 くっくっく。

 心底愉快そうに、彼は笑っていた。

 邪気も、皮肉さもなく、心から楽しそうに。

 一しきり笑った後に、あげた顔を見て、仙狸は驚いた。

 別人か……そう思う程に、その顔は端正で落ち着いた物で。

 そうか……これが。

 今の住職が、かつて師と仰いだ、男の顔か。

「姫が、儂にはっきりと物を言うてくれたのは、これが初めてじゃなぁ……」

 いつも曖昧に笑い、確たる答えを返さない。

 相手に答えを想像させるのは、恋の駆け引きの基本ではあるが。

「そうね」

 ふっと、姫がどこかほろ苦い笑みを浮かべた。

「ちゃんと、言葉にして伝えるべきだったわね」

「そうじゃな……いや、判っては居ったのじゃ……だが、それを悟りたくないと、目を閉ざした儂が悪いのじゃが」

 穏やかな笑みを浮かべ。

「良き引導を渡してもろうたよ」

 そう口にした顔が崩れていく。

「さらばじゃ、姫よ」

 ありがとう、儂の蒙を断ってくれて。

「ええ、さようなら」

 姫の見守る中で……真紅に染まった海の中に、白い、蜃の死肉が完全に崩れ落ち……海の底に沈んで行った。

 

 さようなら、彷徨い続けた悲しい人たちよ、今は安らかに。

 わたし……あなた達の事を忘れないよ。

 

 姫が自分の顔に手を伸ばし、ぐっと掴み。

「お主……」

 それを外した。

 おお、と仙狸の口から嘆声が漏れる。

 

 仮面。

 

 外れた顔が、白い仮面に変わる。

 豊かにうねる髪も、豊麗な体も、幻のように消える。

 そこに居たのは、見慣れた、小柄な姿。

「カク!」

 鮮烈な赤毛と、同じ色の長い尻尾がふわりと揺れる。

 中空に浮かんでいた体が、支えを失ったように、ぱしゃりと海に落ちた。

「カクよ、大丈夫か!」

 出そうとした声が掠れる……近寄ろうと思うが体がまだ、まともに動かない。

 仙狸の言葉に、ややあって、水音が上がったあたりから、こちらも力ない声が上がった。

「……多分、仙狸さんよりは」

「くっく……言いよる」

「えへへ……」

 暫し、静寂が訪れた海の上で、式姫二人の笑い声が、波の音と共に優しく響いた。

 

 力を使い果たした二人が、月明かりに照らされた海の上にぷかぷかと浮かぶ。

「あの姫がお主だったとはな、見事としか言いようが無かったぞ」

「……お褒めに与り恐縮、と言いたい所だけど、私にも良く判らないんだ」

 あれは確かに自分だった。

 だが、間違いなく、あの時の自分は、自分では無かった。

 姫君が、あそこにいたのだ。

 そして、彼に引導を渡した。

 姫君だったからこそ、彼もまた、引導を受け入れた。

 

 だが、あれが姫君の筈は無い。

 海市の、いや、蛭子珠の破壊によって、姫は確かにあの時解放された。

 もう、この世に魂も存在はしていない。

 私は、それを見届けたんだ。

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「我こそは、海の向こう、唐の国よりはるばる来たりし、客人神なり」

 少女の前で、カクは棍でどんと大地を叩き、大見得を切った。

 その顔が、いつの間にか、真っ赤な顔に金の毛を持つ猿神のそれに変わる。

 それを見上げて、少女が恐る恐る声を掛ける。

「まぁ、貴女はどんな神様なの?」

「よくぞ聞いた」

 そう言って、カクは棍をぐいと構えた。

「我は武神」

 びゅんびゅんと棍を唸らせて、少女の目の前で、力強くも流麗な演武が披露される。

「凄いわ」

 感嘆の吐息と眼差しを受けながら、演武を終えて、カクは棍を構えなおした。

「そして、我は、英雄神の化身にして、この棍の一撃で、全てを破砕する神なり」

「まぁ、怖いわ」

「そうであろう、だが我の破壊は必要な事なのだ」

 世界を終わらせ、そして始める為の。

 再生の前の破壊を司る者なり。

「では手始めに、そなたの大事な、この場所を破砕してくれよう」

 ぶうんと、大きく棍を振り回すカクに、姫君が取りすがった。

「ああ、ああ止めて、ここだけは」

 ここは私の大事な大事な場所なの。

「ならぬぅ、この街は壊さねばならぬのだぁ!」

 

 万座の舞台の隅々まで届くような雷喝と共に、カクの振るった棍が、真紅の光となって海市を一閃した。

 突風と轟音を伴い振るわれた、必殺の一撃。

 万人に、全てを破壊するに足ると思わせるに十分な、大迫力の一撃だった。

 その一撃で、海市が揺らぎ、崩れていく。

 それを見ていた少女の顔に涙が伝った。

 

 海の向こうの、貴方のお父様がいらっしゃる街にはね、毎日毎晩市が立って、人が集まって、賑やかで、楽しくて。

 それはそれは、素敵な場所なのよ。

 いつか、連れて行ってあげるからね。

 

 海市が消え去った。

「さようなら」

 さよなら、ははさまがくれた、私の大事な宝物。

 

 カクが為すべきだった事。

 姫君の幻想を、破壊する事。

 ここには何もないと……彼女に納得させるための。

 そんな芝居を、この世界の神たる姫君に奉納するために、カクはここに来たのだ。

 

 姫君の想いが解放され、外部からも一撃を受けていた蛭子珠が完全に砕けた。

 その裡に封じられた、様々な力や、人の魂が解放されていく。

 その中で。

「ありがとう……えっと」

 カクをじっと見つめる、姫君の姿が消えて行く。

「カクだよ……私の名前はカク」

「そう……ありがとう、カク」

 私、やっとははさまの許に行けるわ。

「さよなら、もう、迷わないでね」

「ええ」

 最後に姫君は、少女だった頃のような笑みを浮かべて。

「さよなら、カク……楽しいお芝居をありがとう」

 姫君の笑顔が、光の中に消えた。

「……どういたしまして、楽しんでくれてありがとうね」

 

 その光が完全に消えるまで、カクはじっと見送っていた。

 魂が、自ら望んで輪廻の輪に還った。

 私はそれを見届けたんだ。

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「……良く、判んないよ」

 あの時の私は、私で、だけど、姫さんで。

 思い返すだけで、頭がぐるぐるする。

 

「左様か」

 カクの述懐を聞きながら、仙狸は内心で頷いた。

 役者とは、突き詰めれば自分以外の何かになる事。

 仮面を付けた時、人は己以外の何かになる。

 姫君の魂と直接言葉を交わし、その生の喜び、涙、怒り、そして悲しみを刻んだカクの心の中に。

 姫の仮面が作られたのだ。

 だから、その仮面を被ったあの時のカクの行動も、言葉も、いや魂すらも、姫君その物となった。

 芯から、役者なのじゃな……お主は。

 

 姫君の身に起きた事を、客観的に見るだけだった自分と、彼女の魂と言葉を直接交わしたカク。

 それは、冷静に一歩引いて物事を見極める自分と、只中に飛び込み、感情を共にするカクの違い。

 別に、今日この状況を想定していた訳ではないが……此度の調査の同伴者が彼女で本当に良かった。

 自分だけでは、二人を救う事は出来なかった。

 カクよ……お主と共に戦えて、わっちは、幸せ者じゃよ。

 

「大したもんじゃな、お主は」

「え……何が?」

 自分が成し遂げた事がいかに凄い事か、まるで判っていない様子のカクの声に、仙狸は淡く微笑んだ。

 いや、だからこそ、か。

「ふふ……何でもない、お互い無事で良かったと思っただけじゃ」

 その真っ直ぐな魂よ、願わくばそのままで。

 その、至純の芸道を貫いてくれ。

「ほんとにね、あー、お腹空いた」 

「全くじゃな、さて、食事にありつくには、どうにかして生きて帰らねばならぬが」

 そう言って見上げた月を横切る影がいくつか見えた。

 翼持つ人の姿。

 それを認めた仙狸とカクが手を振ると、その人影もこちらに気が付いたのか手を振り返した。

 そこから声が降ってくる。

 海を揺るがす天狗声。

「仙狸さんとカクちゃんはっけーん、みんなー二人とも無事だよー、おーい、二人ともーおつのちゃん達が加勢に来たよー、気をしっかり持てー、というか、浜を飲みつくすかもしれない馬鹿でっかい敵ってのはどこー、蛤ならお吸い物とか焼いたりして料理してやるぞー!」

 おつのの言葉を聞いた、仙狸とカクが、何とも言えない顔を見合わせて、僅かにため息をついた。

「あれあれ、何よーその態度はー、これでも仙狸さんのお手紙貰ってから、動ける式姫全員で助けに来たんだよー、そういう態度はいただけないなー」

 ぷーっと膨れるおつのの可愛い顔に、仙狸とカクは苦笑を向けて、頭を軽く下げた。

「すまんすまん、おつの殿」

「ごめんよ、おつの姉ちゃん……けど」

 人の願いと欲と野望が絡み合って生まれた、海市と。

「ちと、遅かったのう」

「えー、何それ、どういうことー?」

 それを巡る、二つの悲しい魂のお話は。

「もう、幕は下りちゃったのさ」

 

説明
式姫プロジェクトの二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/962862
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タグ
カク 仙狸 式姫 

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