いずれ天を刺す大賢者 2章 2節
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 いい御者は、旅人の私生活については詮索して来ない。

 これはあたしの勝手なイメージだけど、田舎よりも都会の方がここで言う「いい御者」に知り合う確率は高くなっていて、あたしたちが利用した馬車の御者は、少し寡黙すぎるぐらいに口数の少ない、職人気質の人だった。

 ただ、馬の扱いには本当に長けていて、普通なら激しく揺れそうな道でも、驚くほど軽やかに通過してしまう。

 ……ちなみに、あたしのこの御者のイメージは、実家にいた頃に人伝で聞いて得たものだ。あたし自身は実家から魔法学校へ向かう時の、たった一回だけしか馬車に乗っていないし、その時の御者はアーデントの使用人だったから、この法則の適用外だ。

「なんていうか……ちょっと、実感がないな」

「えっ?」

 屋敷を発って一日。途中の宿で一泊して朝からまた馬車で移動していると、唐突にウィスがそう呟いた。

「俺がこっちに来たのが冬で、もう夏だろ?もう半年、こっちにいることになるんだ。こっちに来た当初は不安もあったけど、もうすっかり馴染んだ気でいるし、俺はただ妙な記憶を持っているだけで、実はこっちの出身なのかもしれない、とすら思える。別世界から来た実感がないな、と思って」

 今まで、何度かウィスには彼の世界のことを聞いていた。だけれど、その時の彼は明確に“別世界の人”として、彼の世界の当たり前を聞かせてくれていたから、未だに彼にとってこの世界は“客土”で、旅をしに来ているような感覚なのだと思っていた。

 だけれど、もうすっかりこの世界に染まっているのだということを言ってくれて、すごく嬉しい。

「ステラさんみたいな、この世界の基準で見ても規格外の人と暮らしているからなのかな。そんな非日常的すぎる体験をしていると、感覚がマヒしてくるのかもしれない。初めは信じられない、いや、信じたくないと思っていた異世界に来たなんてことも、もうすっかり受け入れられていたよ。だからもうきっと、俺はここにずっといるんだろうな」

「……帰りたいとは思わないの?」

「微妙だな。やっぱり俺の世界の方が、誰でも便利な道具が使えるから、間違いなく便利ではある。俺がこっちの魔法を使えるはずもないし。でも、魔法は限られた人のための技術だけど、こっちなら俺の役目……っていうかな。俺が本当に納得できる生き方が見つかる気がするんだ。まあ、今の時点でも満足いく生活ができてると思うけど」

「そう。それは……嬉しいわ。あたしはこの世界における特別な人間でもなんでもないけど、でも、あたしが普通に生きてきた世界を肯定してもらえるのは嬉しい」

 車輪ががたがたと音を立て、馬車は穏やかに道を進む。

 それきり会話は途絶えてしまったけど、この“間”もすごく有意義に感じた。

「ところで、ユリル。体調、大丈夫なのか?」

「ええ……今はきっと単純に、不安定な時期なのよ。そもそも魔法使いが十五歳で修行を始めるのは、ちょうど体が魔法使いとして出来上がるからだそうなの。でも、あたしは魔法の上達も遅かったし、今になってやっと体が整ってきたんじゃないかしら。……だから、しばらくすればきっと自然と治るんだけど、一応、ね。先生を心配させる訳にはいかないから」

「へぇ。ユリルはもう育ち切ってるんだとばかり思ってた」

「……一応聞くけど、どこを見てそう思ったの?」

 あたしが他人。特に男からどう見られているかはわかっているから、胸を隠すように腕を回すと、ウィスは意外なことを言った。

「見るっていうか、声っていうか……ユリルって、すごく落ち着いてるだろ?まあ、意地を張っちゃうのは子どもっぽいかもしれないけど、話し方や声のトーンが大人びているから、もうすっかり大人なんだと思ってた。でも、そうか、まだ十五歳の女の子なんだよな。……俺よりずっと大人びてるよ」

「…………それは言い過ぎでしょ」

「いや。俺なんか体がでかいだけさ。ユリルはしっかりと将来の目標が決まっているし、努力もしている。漫然と生きていた俺より遥かに大人だ。だから、ユリルの傍でユリルを手助けすることで、俺も少しでも近づけたらな、って。そう思うんだ」

 また少し荒れた道に差しかかったのか、車輪ががたがた鳴った。

 褒められていること以上に、ウィスもあたしのことをいやらしい目で見ている“男ども”の同類なんだと、決めつけてかかっていた自分が恥ずかしくて、すごく後悔している。

「ウィスは……あんまり女の子に興味がなかったりするの?」

 でも、そのことに触れられなかったら、それはそれで自分に魅力がないんじゃないか、と考えてしまうのだから、我ながら女心というものはめんどうだと思う。

「いや、まあ……。興味なくはないけど、ユリルもステラさんも奇麗過ぎて、逆に意識するのは難しいって言うか。俺じゃ釣り合わないよな、っていう気持ちが強いから、あんまり意識はしないようにしてるんだと思う」

「……本当に奥手ね。その消極的さって、美徳ではあるかもしれないけど、あたしからすると、すごくまだるっこしく感じるわ」

「ははっ、そうだな」

 ウィスは自虐的に笑って、照れるように頭をかいていた。

 だけれど、そんな彼のことを嫌ったり、否定したりする訳ではない。それを伝えたかったのだけど、もうそれを言う機会は失われてしまって、時間は流れていく。

 気がつくと、どちらからともなく眠ってしまっていて、目が覚めた時にはもう夜。今日の移動も終わり、そのまま、まどろみのような旅路はルセチカの街に辿り着くまで、崖から落ちるような速度で過ぎ去っていった。

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「へぇ、辺境とは聞いていたけど、割りと栄えてるんだ」

「あたしも初めて来るけど、確かに思っていたより……ね」

 さすがにエルケットの街ほどの大都会ではないものの、あたしが知る街の中でも立派な方に分類される。……そもそも、あたしの見聞が狭すぎるという事実はあるけれども。

 あたしが知るエルケットの街は、あまりにも狭い範囲のそれだけれど、この街はなんというか、空がすごく大きく見えるのが特徴だと思った。つまり、あまり高い建物がなく、空を見上げる時の視界が邪魔されない。今は昼だけれど、きっと夜になれば美しい星空が見えるんだろう、という確信めいた予想をすることができる。

 魔法学校時代を含め、星空に親しんだ記憶はないけれど、無意識にそれを求めるようなことを考えていた辺りからして、真剣に疲れてしまっているのかもしれない。診察を受けた後は、先生の勧め通りにめいっぱい楽しませてもらおうと思う。

「それじゃあ、いきなりだけど病院を探す?」

「ええ。早い内に済ませて、安心しておきたいもの。魔法医者はそう多いものじゃないから、すぐにわかると思うわ。もしも空振りだったら困るけれど、その時はまたなんとかしましょう。どの道、多くお金はもらっているのだから、別の街を当たることもできるわ」

「了解。そういや、俺はこっちに来てから一度も病気してないけど、こういうのって感染症に免疫がなかったりして、困らないんだな。ウイルスとかも全く違うと思うんだけど」

「ウイルスって?」

「ああ。俺の世界で病気の元とされているものだよ。人はある程度、身近なウイルスへの抵抗力を持っているから、いっつも病気をしている訳じゃないんだ。でも、幼い子どもだとそれがないし、外国に行くと、ウイルスの種類が違うから、その土地ならではの病気にかかる危険性がある。それと同じことがこっちでも起きるんじゃないかな、と疑問に思って」

 ウィスはあまり自分の世界についての知識を持っていない、と言うけれど、知っている知識に関してはこうしてきちんと、わかりやすい形で教えてくれるし、彼らの世界で常識とされるような事柄も、あたちの基準では絶対に知り得ないような知識ばかりだから、すごく興味深い。

「なるほど……じゃあ、先生が何か魔法をかけてくれているのかもしれないわ。知っての通り、先生は防御系の魔法に長けているから、病気を退ける魔法を気づかない内に永続的にかけている、というようなことは簡単にできるはずよ」

「へぇ、それはユリルにもわからないものなのか?」

「未熟な魔法使いならまだしも、先生ほどの人の魔法を探知するなんて、あたしには絶対無理よ。下手をすれば一生涯、ね」

「そうか、すごいんだな……。でも、最近ずっとステラさんはあの若い姿でいるけど、それで魔力が低くなっている、っていうことはないのかな?大人の姿の時、ユリルはすごい魔力を感じてたんだろ?」

「それは問題ないわ。先生の今の姿はいわば、魔力を体の内に凝縮しているもの。逆に大人の姿の時は、常に魔力を外にまとっている、という感じなのよ。――これは、先生が言ってたことだから、謙遜か皮肉かもしれないけど、一流の魔法使いなんていうものは、八割方、はったりで生きているんだって。ある種の獣や鳥が、毛や羽を逆立てて自分を大きく見せるように、魔力を外に見せることで自分を偉大に見せる……ステラ先生はもう、人前に姿を見せるということをまずしないし、あたしを圧迫するばかりだから、もうそんなことをしなくなっているけれど」

 話しながら、今思えば、初めて会った時にステラ先生があたしを圧倒したのは、あたしに発破をかけるためだったのだろうか、と思う。

 いかに自分が矮小な存在なのかをわきまえさせて、その悔しさ、あるいは恐怖心をバネに、修行に精を出させる。……そう考えると、あたしは本当にいい師匠を持ったんだと嬉しくなる。これ以上がないほど、理想的な先生だ。いつも優しくて、でも、きっと同世代、同程度の実力の魔法使いの中でも、とびきりシビアで厳しい。そんな先生が、あたしは大好きだ。

「そういうリアルなことを言っちゃう辺り、ステラさんらしいよな。普通、魔法使いがそんなぶっちゃけた話はしないだろ?」

「確かにね。先生はいつも、既存の常識や定石を疑い、時には規範とされるものさえ、疑った末に否定してしまう。これも、先生が自ら言っていたことなのだけど、生きるということをやめた結果、生者の大切にしているものが一気に色あせて見えて、その結果、今の価値観に至ったんだって。誰よりも生者の世界を俯瞰して見ているから、年齢以上に達観していて、浮世離れして見えるのよ。でも、心の温かい人であることはわかっているから、すごく安心できる」

 つまりは、そこなんだと思う。どれだけ偉大で、教えるのが上手くて、尊敬できる魔法使いでも、そこに温かい血潮を感じることができなければ、不信感が勝ってしまうんだと思う。

 その点でステラ先生は、血の流れる体はもう持っていないけれど、間違いなく温かな人だった。生者を俯瞰して見ているけれど、見下ろしている訳じゃない。

 生者の矜持や誇りに異を唱えるけれど、本気で軽蔑することはなく、罵詈雑言ではなく忠言だけを残す。そんな、今を生きる人を愛してくれている人だ。……それが、死者である自分を蔑ろにすることにもつながっているように見えるから、そこだけが心配なのだけど。

「――ステラ。エルステラ。ずいぶんと懐かしい名前が聞こえるかと思えば、あなた、お弟子さん?」

「えっ――――」

 会話に集中して、こちらに近づいてくる人影には気付いていなかった。

 その声の主は、黒衣を。それも、ローブではなく薄手のコートのような形の特徴的な黒い服を身にまとっている。黒いローブは魔法使いの正装。では、黒いコートは、魔法医者の証だった。その服を着ているということが魔法医者の“記号”であり、そのことは魔法使い以外だって知っている。ただし、ただでさえ医者は普通の人の持たない知識と技術を持っていることから、近寄りがたい存在だとされている。その上で魔法使い専門の医者と来れば、胡散臭さの指数は測定できないぐらい高いものだろう。

「あっ、えっと――」

 彼女は、穏やかそうな笑顔を湛えて、あたしを見つめていた。あたしよりも赤みの強い金髪に、大人の時のステラ先生よりも高い身長。スタイルも抜群な“美女”の代名詞のような、大人っぽい妖艶さの美女だった。そして、同時にステラ先生から聞いていた彼女の評判を思い出して、思わず自らの体を掻き抱いてしまう。

「やれやれ……あなたのお師匠さんはどんな悪評を流してくれたのよ。もう五年も前の印象で語るなんて、酷いわよね?老人ならともかく、若者にとっての五年は丸っきり人が変わってしまうほどの期間だわ。私も少しは大人になるというものよ」

「ご、ごめんなさい。こんな失礼な」

「あなたのお師匠さんの方にツケといてあげるわ。――私はメルカリア・ディランス。メルカと呼んでくれればいいわ。遠路はるばる、私を訪ねてくれてありがとう。その労力に見合うだけの結果を約束するわ。今、ちょうど休憩時間だったのだけど、ステラのお弟子さんを待たせる訳にはいかないから、一緒に診療所に行きましょう」

「い、いえっ、そんな……」

「もうご飯は食べたもの。後はアテもなくふらふらするだけのつもりだったから、気にしないで。……えっと、あなたはステラやお弟子さんの旦那さんには見えないから、お手伝いさんかしら?付き添いなんでしょう、一緒に来て」

「は、はいっ」

 思っていた以上にまともである反面、押しの強いメルカさんに、ウィスもタジタジになっている。ステラ先生相手には落ち着いている彼がこうやって動揺する彼を見るのは、割りと珍しいことで、少し面白い。

「えっと、あたしはユリル……ユリル、です。よろしくお願いします。彼はウィス、お察しの通り、ステラ先生のお家で色々な手伝いをしながら暮らしています」

「ユリルさんに、ウィスくん。二人とも奇麗な名前の響きね。知ってる?名は体を表すとは言うけれど、名前は人の心にも強く作用するの。奇麗な名前であれば、奇麗な心の持ち主に。かつての勇者からいただいた名前ならば、勇敢な人になるというわ。……まあ、実際は親からいただいた名前なのだから、素敵な名前でないはずがないわよね。それに奇麗かどうかなんて完全に私感だわ。……でも、それを意識していると少し自分の名前の感じ方が変わる気がしない?」

「……そうですね。メルカさんの名前も、すごく魅力的だと思います」

「ふふっ、ありがとう。メルカリアの由来は、古の冒険家というわ。今の私は医者だけれど、医学、および魔法という分野で常に挑戦し、世界を広げ続ける冒険者でありたい。……だからこそ、診療所をここに構えたのよ。都会は確かに便利だけど、ここじゃないと見えないものもある。それに、魔法使いは都会に多いけれど、辺境にもいるわ。そういった人たちを見捨てることは、医者としてできないもの」

 メルカさんはそう言って、胸を張って街を歩いていた。

 すれ違う人々が彼女に注目するのはきっと、ネガティブな感情からではない、そう思う。彼女は信頼され、それに応え続ける立派な人だ。よい人の友人もまた、よい人だということなんだろう。あたしはまたひとつ、大切な出会いができた。

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