夜摩天料理始末 49
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 コタエヨ。

 そう促す声に、だが男は首を垂れたまま答えられなかった。

 ふいに突き付けられた問いなら、寧ろ答えらしいものを出せたかもしれない。

 だが、それは男が常に胸に抱き、そして出せずにいた問いだった。

 自分が生きる意味。

 自分の中に持っている正邪善悪と、世間に溢れるそれとの乖離。

 自分が殺めて来た命、そしてその上で生きるという事。

 ずっと、悩んでいた。

 自分一人ならどうとでも身を処しても良かろうが、彼は今、数多の式姫と共に戦を生きる身。

 死ねと、殺せと……。

 そう指示を下し、彼はその結果を受け止めねばならない。

 その罪深さを重ねてでも、辿り付きたい場所が確かにある。

 こうめ。

 祖父を失い、彼が庇護したあの少女が、いつか笑顔と共に自らの未来を歩き出す日の為に。

 そして、果たさねばならない約束もある。

 ずっと一人で黄龍の肉体を封じて来た軍神建御雷。

 彼女と約束した。

 この戦を収め、人の手で黄龍の封が守られる世界を作ると。

 

 コタエヨ。

 

 それは確かに俺の生きる意味であり、それを為すのが俺の正しさであり、その為に命を賭すのだと。

 そこに、その思いに偽りは無い。

 

 コタエヨ。

 

 でもそれは、同時に言い訳なのではないかという疑念も付きまとう。

 人の為という時点で、何か、俺の薄汚い我欲を糊塗したお為ごかしになってしまっているのでは無かろうか。

 俺の望みを果たすためには、今、妖怪達に占拠されている土地を開放して行かねばならない。

 だが、それは他者から見た時、俺の領土欲故の行動と見られてしまうのも、間違いない事実。

 事実、あの領主が言っていたではないか、俺のしている事は、式姫を使い領土を平らげ、人々の上に君臨し、実質的に覇者となろうとしているように見えると。

 その野望が、俺の中に全くないと胸を張って言えるのか。

 今は無いとして、後にそう変化する事は無いのか。

 判らない……。

 俺には、どうしても、自分自身が判らない。

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 冥府の法廷で、動けず床にうずくまる三人。

 その中で、最初に動き出したのは。

「くっ……!」

 夜摩天の眼前で、都市王がよろりと立ち上がった。

 閻魔の操る獄炎を宿した斧は、その傷口を焼き続ける……いかにあの妖狐の力たる殺生石を宿して接合した足とて、まだその体の内部を焼く炎は抑えこめていない。

 だが、傷口から煙を上げながらも、奴は動き出した。

 痛み故か、それとも単純に融着が炎に阻まれて進まない故か、歩みも覚束ない様子だが、それでも奴は、剣を杖にして先に動き出した。

 夜摩天と閻魔は、受けた衝撃により体が痺れて、まだ身動きがままならない。

 来るか……そう思って、緊張する夜摩天と閻魔の眼前で、それは横を向いた。

「まさか……!」

 慌てて同じ方向を向いた、その視線の先には、三人の人。

 地方領主と陰陽師と、そして、動かない式姫の庭の主。

 彼らから発せられる、柔らかい祈りの光に、都市王だったそれは、明確な憎悪の視線を向けた。

 何かを呪うような低い唸りが、夜摩天の耳にも届く。

 ずしりと、その膨れ上がった筋肉の重さを示すような重い足音を響かせて、都市王が一歩を踏み出す。

 祈りの光は、人の光。

 あの大妖狐、玉藻の前が最も憎む輝き。

 それを消そうとするように、奴は殺意を漲らせてゆっくりとだが動き出した。

「逃げなさい、早く!」

 閻魔の叫ぶような声に、領主だけが顔を向け、ぎょっとした顔を都市王に、次いで、傍らにいる陰陽師に向けた。

 何かを喚き、陰陽師の手を引こうとするが、彼は座り込んだまま動けない。

 しばし泣きたそうな顔でキョロキョロ辺りを見渡していたが、やがて頭をがりがりと引っ掻き回し……。

「ええ、何処に逃げろってんじゃ!」

 そう大声を上げて、領主もまた、その場に座り込んだ。

「駄目!」

 これ以上、魂の滅びを許すなど。

 それでは、私は何の為に、夜摩天となったのか……。

 何とか斧を支えに身を起こそうとする、だが、手が力を失い、夜摩天は床に再度その身を横たえた。

「無茶よ、立てたとして、もう間に合わない!」

 血を吐くような閻魔の声に、だが、夜摩天は頭を振って、再度床に手を付き、その身を無理やり前に進めた。

「諦めて……たまる物ですか」

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 炎の明かりの中、こうめの手が次の印を結ぶ。

「兵!」

 

(これは、九字切り?)

 その姿を見る蜥蜴丸の眉間に、微かに皺が寄る。

 術にはさほど造詣の無い蜥蜴丸すら知っている、比較的良く見る魔除けの術、九字切り。

 だが、今こうめが行っているこれは……一体何だ。

 更に別の印を結び、こうめの小さな体からは想像も付かない程の、凛とした気合声が発せられる。

 

「闘!」

 

 仏と道教の教えの混淆より生まれた、魔除けや浄めの術、九字護身法。

 通常、刀印を結び、呪言を唱えながら、空間を縦横に切る物。

 そんな、蜥蜴丸も知っているありふれた術と、唱える呪が同じだが、今こうめが行っているそれは、余りにも違う。

 一言一言毎に、複雑な印を結び、気力を込めて呪言を放つ。

 それと同時に主の胸に記された種子に光が灯る。

 

「者!」

 

「こうめ殿……一体どういう意図が?」

「なるほど、考えましたね」

「な!?」

 急に傍らから響いた涼やかな声に、蜥蜴丸は咄嗟に刀の束に手を掛け、そちらを振り向こうとした。

 その束に伸ばした蜥蜴丸の手にたおやかな手が重なり、そのまま、刀を抜くのを封じるように抑え込まれた。

「驚かせてすみません、信じて頂けないかもしれませんが、怪しい者ではありませんよ」

 外套で全身をすっぽり覆った姿は怪しい所では無い。

 まして、一切の気配を悟らせず、蜥蜴丸の傍らに立ち、しかも鍛え上げた彼女の腕が、その繊手に抑え込まれ動かせないとは。

「あの妖狐に気が付かれると色々面倒なので、こそこそ動いている事はご容赦を」

 

「皆!」

 

「貴女は一体?」

「すみません、年若き式姫よ、私は現世で軽々に名乗る事を許されておりませんので……そうですね、こんな怪しいのが来たと、天羽々斬さんに、後で確認してください」

 私の名前は兎も角、一応、身分の保証はしてくれる筈です。

「天羽々斬殿に……そうですか」

 神代より伝わる伝説の刀に宿る、式姫の中でも古参の一人、天羽々斬。

 低く呟いた蜥蜴丸が、刀の束から手を外す。

 彼女の名で納得した訳では無い、当然疑問も疑惑も有る、だが彼女に害意が無い事は判る。

 そもそも今の蜥蜴丸では彼女の相手にもなれない。

 彼女がその気なら、今頃蜥蜴丸もこうめも、殺されていた。

 悔しいが……それが現実だと、冷厳な現実主義者である、戦士としての彼女には理解できた。

 

 極度の集中故か、こうめは新たな来訪者の事にも気が付いた様子も無い。

 印を結び、汗を光らせながら次の呪を放つ。

 

「陣!」

 

「一つ尋ねても?」

「どうぞ、私に答えられる事でしたら」

 軽く頷く、その時の外套の揺れや布の動きから、その下に隠された彼女のたおやかな姿が蜥蜴丸には把握できた。

 華奢な体、だがその手に私をすら凌ぐ力を秘めている。

「貴女はこうめ殿が何をしようとしているのか、ご存じなのですか?」

「理解しているつもりです……そもそも、私はこの呪に召喚(よ)ばれたのですから」

「この呪に?」

 九字切りに、そんな力ある存在を召喚する力があるなど、聞いた事はない。

 その蜥蜴丸の表情をみて、彼女は外套の奥の口を、微かに綻ばせた。

「正確には、この呪を形作る為に、私の力が必要とされた、という事です」

 普段なら、自分の力の一部を召喚されようが関与しないのですが、今回は好奇心に負けて、私自身も顔を出してしまいました。

「一部」

 やはり、この身近にいるだけで感じる、絶大な力は……。

 蜥蜴丸の内心に気付いているのかいないのか、彼女は静かに言葉を続けた。

「九字切りには、魔除けや浄め以外に、本来の意味があるのです」

 臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前。

 様々な解釈が為されてきた、この九つの文字には、それぞれの解釈に伴う意味と力が生じる。

 その中の一つの意味。

「兵(いくさ)に臨む闘う者、皆、前に在りし陣を」

 

「烈!」

 

「烈(やぶ)るべし」

「陣を破る……」

「そう、陣は戦陣の意味に取られがちですが、その本質は、空間を区切り隔て、互いの行き来を妨げる物、その境界を切る事が、九字切りの持つ意味の一つ」

 故に、神域を区切る結界に立ち入る際に、それを切る為に、九字は使われてきた。

 その真の意味が失伝し、修行の浅い陰陽師や、拝み屋の間に、良く判らぬままに、神域に立ち入る際の魔除けや清めのおまじないの形で残った術。

「では、こうめ殿が今やろうとしているのは?」

「こうめさんにそこまでの知見があるかは判りませんが、この呪を仕掛けたもう一人の誰かは、現世と冥府の垣根を切ろうとしているのです」

 その為には、早九字と呼ばれる簡易的な術では力が足りない。

 故に、その九字に神の力を宿す種子を用い、その神仏を示す印を結び、更なる力をその呪に与える必要が有る。

 冥府の誰かが仕掛け、こうめがそれを現世で正しく受け取った。

 どちらかだけでは、この大がかりな呪は成立しなかっただろう。

(本当に、人とは不思議な……)

 

「在!」

 

「そして、貴女様は、その特殊な九字切りの術に呼ばれた」

「ええ、まぁ『そういう事』です」

 

 こうめが、二人が見守る中、最後の印を結び、気力を振り絞って、最後の呪を口にした。

 

「前!」

 

 術が完成した。

 気力も体力も使い果たしたこうめの意識が遠くなり、小さな体が、男に寄り掛かるようにその場に倒れる。

 その時、こうめの耳に微かな声が聞こえた。

 遠い、遠い。

 遥か彼方、空間と時間を幾重にも隔てた遠い場所から、その声は確かに、こうめの耳に届いた。

 ありがとう。

 薄れ行く意識の中で、こうめは微笑んだ。

「……こちらこそ……じゃ」

 

 種子が、男の胸の上で、夜闇を切り裂く様に強く鋭い輝きを宿す。

「何という……」

「凄まじいですね、人の身が、仮初(かりそめ)とはいえ冥府門を開くとは」

 九字神降、ここに成就せり。

説明
式姫の庭の二次創作小説になります。

前話:http://www.tinami.com/view/986119

九字切りの解釈に関しては、私のでっち上げの部分が多々ありますが、異界への扉を開く術という解釈に関しては、岡野玲子氏の陰陽師コミックの一巻のパクリであると明言しておきます。
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式姫 夜摩天 閻魔 こうめ 蜥蜴丸 謎の眼鏡 

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