夜摩天料理始末 51
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「オイシャさん、ドコ?」

「こっちだ!」

 熊野は既に、少し離れた物陰に纏っていた外套を地面に拡げて待っていた。

「ここに……そっと降ろしてくれたまえ」

「ウン」

 コロボックルと熊野が、鞍馬をその上に静かに横たえた。

 薄く目を開いた鞍馬が、熊野を見て、僅かにほほ笑もうとするが、その口が苦痛に歪む。

 それでも、一度浅く息を吐いてから、改めて鞍馬は口を開いた。

「礼を言うよ、装置の動作の機が完璧だった、あれでなくば、あの化け狐を騙しおおせなかっただろう」

 ほんのわずかな時間差を置き、複数人が連続して射かけているかのように偽装した弩の発射は、流石に本人も一流の戦士として、戦場を熟知した熊野ならでは。

「礼は後で纏めて聞く、これは痛み止めだ、飲め」

 丸薬を数粒鞍馬の口に押し込み、水筒の水をゆっくり流し込む。

「苦いな」

「良薬の証だ、しばらくすれば効いてくる、痛みが引いて来たら教えてくれ」

 熊野の言葉に、鞍馬は目を閉ざし、暫し呼吸を鎮めていたが、ややあってから目を開いた。

「痛みが引いて来たよ、よく効く物だな」

「式姫に処方するのは初だが、効いたようで何よりだ」

「やれやれ、私は実験台かい?」

「自分では試してるよ、第一効いたんだから文句を言うな」

 そう言いながら鞍馬の様子をざっと見た熊野の眉間の皺が深くなる。

「先ず傷を塞ぐ必要がある腕を治療する、翼は骨だけ簡単に継いで後回しだ、こっちは治癒術の得意な式姫に任せた方が良いだろう」

「構わない、任せるよ」

「何が構わないだ、態度のでかい患者め……第一な、ここまで無茶をすると判っていたら、あんな事引き受けなかったぞ」

 ぶつくさ言いながら鞍馬の服の袖を切り、傷口を検める、その熊野の手や服が血に濡れる。

「……汚して済まないね」

「医者の衣が純白など、自慢にもならん」

 骨まで達して居そうな鞍馬の腕の傷を水筒の水で洗い、何やら懐から取り出した油薬を傷口に塗りつけだした。

「クラマ……ダイジョウブ?」

「ああ、コロちゃん……私なら」

「生憎だが大丈夫では無い、式姫でも暫く腕を使うには不自由するぞ」

「何、生きてればなんとかなるさ、こんなのは戦時だけの多少の無茶という奴だ、それに今回は名医が控えていたしな」

「おだててもらって悪い気はしないがね、患者の方で体を大事にしてくれないと、いかに医者が頑張っても、どうにもならないんだよ」

 少しは心したまえ……そう言いながらも、火明かりの中で、極めて鋭利な釣り針のような代物でひょいひょいと傷口を器用に縫っていく熊野の姿を感心したように見ながら、鞍馬は力を抜いた。

「戦が終わったら静かに療養するさ、私だって骨休めはしたいしね」

「成程、戦が終わったら静かにね」

 腕を縫い終わり、糸を切ってから、熊野はコロボックルの方に顔を向けた。

「ところで、えーとコロボックル君だったね、この庭で戦の無い日はどの位あるのかな?」

「コロってよんでネ……エーと、あんまりナイヨ、クラマもご主人サマもコロも、皆でいつもガンバってるんだヨ」

 にぱっと笑うコロボックルに、そうか、偉いねと笑み掛けてから、熊野は嫌味な視線を鞍馬に向けた。

「で、いつ静かに療養してくれるんだね?」

「……コロちゃん」

 まぁ、この辺の腹芸が自然に出来るようなコロちゃんでも困るが……。

「やはりな、まぁ、そんな所だろうと思った」

 ふいと目を反らす鞍馬を見て、熊野は軽く首を振った。

 やれやれだ、矢張りこの庭には無茶を止める主治医が必要だな。

 縫い合わせた傷口を別の薬で覆い、その上から油紙を張って、更に包帯を巻く。

「これで良し、後は、癒しの術が得意な式姫に翼と一緒に見て貰うと良い、金創、骨折なんかは彼女たちの方が得手だからな」

「いや、大した物だな、痛みが殆ど無くなった」

「薬で抑えてるだけだ、まぁ、あいつの爪が鋭くて毒も持ってなかったのが、不幸中の幸いだったな」

「あの陰険狐が身だしなみを気にする輩で良かったよ……さて」

 よっと身を起こそうとする鞍馬を、熊野は慌てて押さえつけた。

「大人しくしていろと言っただろう!こんなのは取り敢えずくっつけただけだ、無理に動かすとまた傷が開くぞ!」

「だから大人しく戦況を見に……行く……だ……け」

 何か抗弁しようとした鞍馬の言葉が途中で途切れ、静かな寝息に変わる。

 それを見た熊野が、ふぅとため息を吐いた。

「……やっと効いたか、式姫は毒への耐性も強いが、薬効もまた然りというのが痛し痒しだな」

 薬は薄めた毒とは、よく言った物だと呟く熊野に、コロボックルは不安そうな目を向けた。

「クラマ、どうしたノ?」

 心配そうなコロボックルに柔らかく笑み返して、熊野は彼女のふわふわの髪を撫でた。

「最初に飲ませた痛み止めには眠り薬の作用もあったんだ、それがようやく効いたのさ」

 寝てないと、こいつは何をするか判らないからね。

 そう言いながら、熊野は鞍馬の折れた翼を暫し探り、安堵した様子で包帯を手にした。

「綺麗に二か所折れているが、砕けてはいないな、これなら正しく継いでおけば、早い内に治るだろう」

「ホント?」

「ああ、心配ない」

 丁寧に骨を継ぎ、添え木を当て、熊野は立ち上がった。

「コロちゃん、ここに居れば大丈夫だとは思うが、傍に居て鞍馬を守ってあげてくれ」

「わかったヨ、オイシャさんは?」

「私か、そうだね」

 睨んだ空には、まだ金色の獣がその身を浮かべている。

「医者の務めだ、世界の病巣を切除してこようかね」

 

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 術は完成した。

 冥府と現世を一時だが繋ぐ道が出来た。

 より強く、あちらの世界の気を感じる。

 大いなる満足に包まれ、陰陽師は微笑んだ。

 これで良い。

 後は、何かが起きるのを、信じて待つしかないが。

 この男と、向うで待つ人の思いはきっと通じる。

 存在その物の残り火が尽きんとしている私には、結果を見る事は叶わないだろうが。

 私は……これで。

 その時、既に感覚の怪しい腕が、強く引かれるのを感じた。

 何事かと思い、顔をそちらに向けようとして、彼の首が力を喪ってがくりと垂れた。

 もう、頭の重さを支える力も、私には残って無いか。

「ええ、どこに逃げろと言うんじゃ!」

 それに続き、傍らの領主が、絶望的な声を上げて、どさりと座り込んだ。

 何だ?

 一体何が。

 弱々しく、そちらに向けようとした頭の重さに引かれ、手を彼の体に描いた種子に掛けたまま、体がねじれる様に倒れた。

 倒れ伏し、そこから上げたぼやけた目に、青黒く禍々しい影が拡がる。

「……何という」

 奴だ。

 高い自尊心故に、野心と嫉妬に狂った心を、あの女狐に付け込まれ、そしてその体を奪われた十王の一人、都市王の成れの果て。

 

 かつての私と同じ、哀れな化け物。

 

 奴が更に一歩を踏み出したのか、彼の上に覆いかぶさるかのように、その蒼黒い陰が、更に巨大さを増す。

 それと共に、奴の放つ明白な害意が、形を取ったように彼を貫くのを感じる。

 殺される。

 私だけでは無い、領主殿も、そして、私が助けたいと願ったこの男も。

 何という皮肉か。

 私が最後に為した事が実る前に、かつての私と同じ存在に叩き潰される。

 その巨躯が更に近寄り、彼の上に掛かる影が更に濃くなり、その心を絶望で塗りつぶす。

 

 その時、影が揺らいだ。

 ぐむぅと低い唸りを上げ、それは膝を付いた。

「貴方の相手は私でしょう……都市王」

 その右足首に、夜摩天の斧が切り込んでいた。

 未だ力が入らず震える手で、冥王としての意地だけを支えに打ちつけた、獄炎も宿さぬ、ただの一撃。

 それで力を使い果たした夜摩天がその場に力なく膝を付く。

 その手のひらも膝も擦り剥け、血に濡れている。

 立てぬまま、何とかここまで這ってきて、ようやく与えた一撃。

 膝を付いた都市王が、一声吼えて、横殴りに剣を振るう。

 それを辛うじて手にした斧で受ける、だが、その一撃で斧は彼女の手から弾き飛ばされ、彼女自身もその剛撃に耐えきれず、受け身を取る力も無く、床を転がる。

 だが、それで態勢を崩した都市王の巨体も、地響きを上げる様に床にその身を横たえた。

 左足首からは未だに獄炎に焼かれる血肉の嫌な匂いが漂いだし、その傷口を焼き続けているのがわかる、そして右足首を深く切りつけられた事で流石の彼も直ぐには立ち上がれない。

 都市王はうずくまった姿勢で、殺意に満ちた目を、夜摩天に向けた。

 それを、彼女はその美しい浄眼で受け止めた。

「そう……それで良いんですよ、貴方が本当に殺したいのは私、貴方の輝かしい未来を奪った憎い私、そうでしょう、都市王」

 その望みを、夜摩天の地位への渇仰を思い出しなさい。

 それを邪魔する、憎い私を殺しなさい。

 そうして、自らの望みを思い出し……自身をあの妖狐から取り戻しなさい。

「だけど、お願いです……」

 そして、その誇り高い魂にかけて。

「せめて、あの三人のヒトの魂は、再び輪廻の輪に還してあげて」

 

 駄目だ!

 声にならない引き攣るような音を喉から発し、陰陽師は身をもがいた。

 そんなのは、駄目だ。

 だが私にはもう、目の前の現実を阻む、何の力も残っていない。

 それを悟り、無力な子供のように、陰陽師は泣いた。

 何故だ、何故私の最後の願いまで踏みにじる。

 確かに私のしてきた事は、これだけの仕打ちを受けても仕方ない物かもしれない。

 多くの人の命と生を踏みにじり、弄んできた私に、似合いの終焉なのかもしれない。

 私はそれでいい、どんな目に遭っても構わない。

 だけど、私の魂を救ってくれた、この人たちだけは。

 どうか……。

 

 都市王の右脚の傷口に肉が盛り上がり、血が止まる。

 彼が身を起こす、鈍い音が冥府の法廷に響く。

 都市王がぎこちなく立ち上がり、剣を杖にゆっくりと夜摩天に向けて歩み出した。

 それに対し、歯を食いしばり、這ってでも動こうとした閻魔の腕が、力が入らず床に倒れる。

 誰も止められない。

 夜摩天の前に立ち、都市王は杖にしていた剣を振り上げた。

 それを静かに見上げながら、夜摩天は僅かにため息をついた。

 客観的に見れば自分の行動は愚かだ。

 目の前の三人の魂の為に、黄龍の魂を封じるというもう一つの自分の職責を放棄してしまった。

 彼ら三人を見殺しにしていれば、自分の体が回復する時間は稼げた……その上で閻魔が回復するまでを何とかしのぎ、彼女と協力すれば、都市王を止め、黄龍の魂の封印を守る事も出来ただろう。

 それが、より多くの存在を守る事に繋がる。

 冥王たる私は、その判断をせねばならなかったのかもしれない。

 だけど自分には……どうしてもそれは出来なかった。

 あの陰陽師を助けた時もそう。

 あの時、彼自身が言ったように、彼を見捨てて、都市王を不意打ちで倒して置けば、本当は良かったのかもしれない。

 私は、そういう損得勘定までは頭で理解できていた筈なのに、それを実行できる類の、賢い存在にはなれなかった。

 私の心と体、そして信念は、こうとしか動いてくれなかった。

 我が事ながら、救い難い頑固さというべきか。

「閻魔、すみません」

「謝んな……馬鹿!」

 夜摩天の言葉に、動けないまま閻魔が怒鳴り返す

 止めてよ、そんなの聞きたくない。

「後は頼みます」

説明
式姫の庭の二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/986572
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タグ
式姫 熊野 鞍馬 コロボックル 夜摩天 閻魔 

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