夜摩天料理始末 56
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「魂の試練……か」

 閻魔は、都市王を翻弄する思兼の姿、そして、彼女が気にかけていた、式姫の庭の主だった青年の横たわる姿を見ながら、彼女との語らいをー今日の朝方の話だというのに、既に遠い昔のようなそれをー思い出していた。

 

「……あれが、至宝?」

「至宝たりうる存在、です」

 夜摩天の作る料理は、単なる不味い料理に留まらぬ超自然の代物ではあるが、至宝という言葉の響きと、あの瘴気を帯びた外見は、どうしても閻魔の中では結びつかない。

 怪訝そうな閻魔に、思兼は苦笑気味に一つ、判ると言いたげに頷いた。

「仰りたい事は判ります、現状ではあれは単なる猛毒という認識しか出来ない物ですから」

「そうよね……結局、どうして彼女の料理はあんな姿に成っちゃうの?」

「彼女が料理という行為を愛し、心を配っていたからでしょう、その故に、彼女の思いを最も強く受け止め、そして変質した」

 冥王としての力が強すぎた事と、彼女の集中力の凄さがもたらした、奇跡とも呪いともつかない現象。

「あれは彼女の使役する三尸が変質しつつ、料理に混ざり込み、更に彼女が纏う冥界の瘴気を濃縮して生成される猛毒の塊です……見た目と匂いですべての生き物を遠ざけ、それを超えて口に含んだとしても、鬼の若者すら面子を捨てて全て吐き出さざるを得なかった程の」

 

 完璧な故に、誤って誰かを殺す事はない毒。

 

 それはさながら、見るからに毒々しい姿を取って、捕食される事を避ける生き物。

 あの過剰な程の毒々しさは、一種の警告なのです。

 そう言いながらお茶を啜る思兼に向けて、閻魔は沈思するように目を細めた。

「成程、あれは、迂闊に食べられることを避けるために最高の毒の姿を纏った『何か』という事」

 毒は本質では無く、その本質を覆う擬態。

 その本質こそが、至宝たりうると形容される存在。

 そう呟く閻魔に対し、思兼はその明敏さを称賛するように静かに頷いた。

「そうです、そして、迂闊に摂取される事を拒む外見となった理由は、夜摩天さんの無意識の慈悲心の産物」

 ことりと思兼が湯呑を卓に置く乾いた音が、静かな室内に響く。

「え……ちょっと待って」

 自分の想定と異なる言葉に、閻魔が覚えず反問する。

 あれが毒の姿を取ったのは、それが気安く摂取されるには貴重な物だからだと思ったが、慈悲という事は……。

「つまり、あれは、その本質に触れる事が危険だって事?」

 あの猛毒以上の。

 閻魔の言葉に、思兼は小さく頷いた。

「そうです、特に覚悟無き魂には」

 そう口にした時、思兼の理知的な目が、微かな憂いの色を帯びる。

 それを見た閻魔が、思兼から視線を外し、呟くように平板な声を出した。

「ねぇ」

「……何でしょう?」

 返す思兼の言葉も何処か硬い。

 それを聞いた閻魔が、一つため息を吐いた。

「端的に教えて、あれは一体何なの?」

 ずばりと発せられた閻魔の質問に、思兼が珍しく口籠る。

「あれが、何であるか、という答えは、既に差し上げましたよね」

 夜摩天の料理に、三尸と瘴気が混ざり、彼女の願いによって変質した物である。

「そうだったわね、それじゃ質問を変えるわ。あれを食べるとどうなるの?」

 流石に冥府の裁判長の追及を、口舌一つで躱せるものでは無いか……。

 それと知れぬほどに、軽く息を吐いて、思兼は重い口を開いた。

「纏う毒を乗り越え、あれをその身に収めた存在に与えられるのは……」

 そう、六道世界と輪廻を管理する冥王だけが与えられる、祝福と背中合わせの危機。

 彼女が最も望み、そして怖れていた。

「魂の試練」

 

 君はどうなの、式姫と共に過酷な道を歩いて来た青年よ。

 試練の果てに、その魂をどこに置くの。

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 味噌汁の椀を手に、男は歩いていた。

 目的地どころか、風景も道も、上下左右すら無い、漠たる場所を。

 その空虚に自分の足跡を残すかのように、歩いていた。

「なぁ、味噌汁君よ」

 ナンデショウ?

 ちゃぷりと、濃い紫色の瘴気の汁の中から目玉が顔を出し、暗緑色の葉が手よろしく挙げられる。

 この化け物その物の外見も、慣れてくると何となく愛嬌がある様に見えてくるのだから、人の感性ってのは、何とも不思議なもんだ。

「人の心の置き場所ってのは、元々こんなに殺風景なんかね?」

 イイエ。

「それじゃ、なんで?」

 コレハ、ハクシ。

「白紙?どういう事だ」

 コレハ……。

 そう言いかけて、味噌汁は言葉を切って、その体を軽く揺すった。

 男の手から味噌汁の椀が消え去り、彼の傍らに再び夜摩天の姿が現れる。

「会話するなら、この姿の方が良いですよね」

「ああ、俺も美人の相手の方が嬉しいな」

「ご本人に言ってあげて下さいな、喜ぶと思いますよ」

「そうかねぇ、第一こんな口説きみたいな言葉は、ちょいと畏れ多すぎるんじゃねぇか?」

「地位と、それを獲得した能力に敬意を払うのは良いですが、その人と地位を過剰に結びつけて、遠ざけるのは誤りですよ、もし夜摩天様がその職を退かれたら、貴方はあの方に敬意を払わず、馴れ馴れしく振舞うのですか?」

「……いいや」

 寧ろ俺は、その厳しい役目を受け止め、前に進む彼女自身に、敬意を払ったよ。

 だからこそ……な。

「そうですか」

(夜摩天様もお気の毒に)

 そう、傍らの男にも聞こえない程に低く呟き、三尸はくすりと笑った。

「それで、話を戻すが、ここが真っ白けなのはどういう事なんだ?」

 男の言葉に三尸は笑いを収めて、真面目な顔を男に向けた。

「今の貴方は白紙という事です」

 何にでも成れる、そして、まだ、何でも無い。

「待ってくれ、それは……」

 まるでそう、新たに誕生する命のような。

「……結局、俺は死んだって事か?」

 死んで、生まれ変わる途中なのか。

「貴方が一度死んだのはその通りです、ですが違います」

 貴方だけは違うのです。

 男の言葉を強く否定するように頭を振って、三尸は言葉を継いだ。

「貴方は、一つの輪廻を経て、一つの生と、一つの死を、その魂に刻んだのです」

「輪廻って、生死って……俺はまだ、俺のままだろ?」

「そうです、それこそが、冥王の授けた試練を通り抜けた人だけに許される事」

 その生の裡に、何を思い、何を刻むか。

「それは……さっきの問答なのか、あれが試練?」

 試練ってのは、もっと苦痛とか困難な物を課せられる事では無いのか?

「苦痛や困難、それを達成できなかったときの罰など、所詮他者から与えられる目標に過ぎず、それは知恵や肉体の働きでどうとでもなる物……本当の魂の試練とは、解決無き問題に対した時、どう処すかという事に尽きるのです」

 それこそが冥王が課す試練。

「そしてあの問答の結果次第では、貴方は全ての記憶を失い、新たな命として輪廻の輪に還っていたでしょう」

 他の多くの覚悟無き魂と同様に、私のこの手で。

「あれが正解だったのか?」

 答えた俺自身ですら、そうは思えないんだが。

「正解は最初から求めていません、そもそも私も夜摩天様すら正解を知らないのに、人の答え合わせが出来る訳が無いでしょう?」

 そう言って、三尸はくすくすと笑った。

「ただ、確かめたかったのは、貴方がその問いとどう向き合い、どう己の心に、それを刻み付けて来たか」

 生死とは、正邪善悪とは?

 その問いは、正面から向き合った時、己を傷つける。

 だからこそ過去から連綿と、その問いに対して、納得しやすい答えは幾らでも作られてきて、多くの人は、そこに自分の魂を落ち着かせて生きている。

 だけどそこに逃げずに、己の魂を傷つけながらその答えを求め、その問いを魂に傷と血と共に刻み付けて来た人だけが。

 その強さを示した人だけが……輪廻の忘却という慈悲を拒絶する事が叶う。

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 夜摩天がずっと抱いていた疑問と願い。

 繰り返される輪廻の中で、生命はその前世の記憶を保たない。

 地獄の責苦、修羅の殺戮、餓鬼の飢渇、畜生の彷徨、人の懊悩、神の悔恨。

 その全ては、生の中で仮初に積まれるが、次の生に赴く際には、全てを捨てて行かねばならない。

 死による忘却。

 故に全ての生の営みは、単調に回り続け繰り返される。

 確かに、忘却は慈悲でもある。

 人の生一つですら、無数の忘却を重ねねば、その生はさぞ苦痛に満ちた物となるだろう。

 多くの生命にとって、それは必要な事。

 だが、その慈悲を否定してでも、死を超えて尚、魂に刻み付けたい程の思いと願いを貫くという選択をする人は居る筈なのだ。

 その選択肢は、どれ程困難と破滅を伴う物であれ、用意されるべきでは無いのか。

 

「私は、その厳し過ぎる夜摩天様の願いと、それを否定する慈悲の狭間に生まれてしまった」

 悩みを鎮めるように打ちこんだ料理が、そんな彼女の願いの鏡となってしまった。

「無意識の裡に過酷な試練を与える物として変質してしまい、それが摂取される事を防ぐために誰にも食べられない存在となった、この私」

 だけど。

「それを超えて、私を食べて死に至り、その後、己の魂の裡に入り込んだ三尸に、その生死の意義を問われ、もがきながら自分の答えを見出し、それを掲げ、荒野を行くが如き生を選んだ魂よ」

 彼女は、厳しい表情で、男の顔をじっと見つめた。

「冥王の使いとして、貴方に問います」

 これが、最後の問い。

「この魂の試練を超えた今、その心と記憶を持ったまま、貴方は神々の列に連なる事も出来ます」

「記憶を持って」

「ええ、貴方が懸念していた、式姫やこうめという少女の事を忘れ果てる事もありません」

「俺が、神様ね」

 この出来の悪い人間に、そいつは悪い冗談だ。

「そうですか?ですがそうなれば、貴方の心のままに神の力で彼女たちを助け、妖魅を平らげ、愛する者に恩寵を与える事すらも思うがまま」

「皆が戦で傷つく事も無い、俺の無力でこうめを不幸せにする事もねぇ……か」

 ……そいつは、何とも魅力的だな。

 彼は顔を伏せて、低く呟いた。

「当然ですが、貴方には忘却という道も用意されています、神々の一柱として、全てを忘れ、今背負っている全ての責任と桎梏から解き放たれる事も、人の赤子に戻るも、何なら本能に身を委ねて、畜生になるのも」

「全て、俺の自由……か」

「ええ、全ては貴方の自由」

 この魂の置き場所を、どんな色に染めるのか。

 

 選びなさい。

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 静かな時間が過ぎる。

 男を見守っていた三尸が、微かな違和感に顔を上げた。

「まぁ」

 二人の周囲、真っ白だった世界に色が付き始めた。

 淡く優しい色が、柔らかい光と影を伴い、辺りに拡がっていく。

 風の気配と運ばれて来る花の香り、葉の擦れる音、小川のせせらぎと水の匂い、その間に混じる魚の跳ねる水音、遠くから響く声が、風景に混じる。

「綺麗」

 彼が伏せていた顔を上げた。

 周囲の色が、次第に明確な像を結びだす。

 穏やかで優しい光景。

 それを、暫し凝っと見ていた彼が、その光景の中に歩み出した。

「……良いのですか?」

 三尸の言葉に、男は頷いた。 

「俺は、この世界のちっぽけな一部」

 この光景を外から守護し、愛でる絶対者ではなく。

 この場所を愛し、それを守る為に、あがき、生きて、そしてこの中で死に、忘れられ土に還るだけの一人の人間。

 男は振り向いて、三尸の顔を見ながら、もう一度頷いた。

「それで良い」

 そう口にして前を向き、その光景の中に歩み去る彼を見送りながら、三尸は淡く微笑んだ。

 やはり、貴方の魂はそこに還る事を望むのですね。

「選択はなされました」

「ああ、それじゃな、味噌汁君」

「ええ、さようなら」

 さようなら、私を食べてくれた、この世界でたった一人の人。

 貴方が選んだ、過酷な生に、祝福を。

 男の魂が、風景の中に溶ける。

 その時、それを見送る三尸の耳に。

「ふふ……」

 ーおかえりなさいー

 沢山の声が、聞こえた気がした。

説明
式姫の庭の二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/988457

ようやくタイトルに追いついたという……。
夜摩天料理に関しての見解は完全に私の妄想で、公式様の見解ではありません、一応明記しておきます。
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式姫 閻魔 夜摩天料理 

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