夜摩天料理始末 65
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 玉藻の前は、自らの前に立つ、人の姿を認めた。

「死にぞこないが」

「人に言えた義理かよ、数百年前に死に損なった化け狐が」

 男の前には、あの領主の姿……だが、男には、その背後に巨大な闇が見えた。

(貴方が、自らの体に戻ろうとする時に直面するのは、殺生石という石に宿した、あの大妖怪の意思の一かけら)

 成程、一かけらでこれか。

 かつて京に都ありし時代に、今とは比較にならない力と人員を持っていたという四院の陰陽師たちが、多くの犠牲を払い、神々の手を借りて、ようやく退けた大妖という話は伊達では無いか。

 その話は、当時を知る天羽々斬やおつの、鈴鹿御前から聞いた事がある。

 その強大無比なる邪悪な意思は、一かけらでも、これ程の力を宿しているのか。

(思兼殿の力を受けた以上、奴が現世で存在し得る時は残り僅かな物でしょう……ですがその力は未だ侮れぬ物があります)

 頷く男に、夜摩天は僅かに気づかわしげな眼を向けた。

(それを、貴方は一人で倒す必要があります)

 私たちも式姫も、誰もその戦いに手を貸せない。

 自らの体を取り戻す為の、彼一人の、魂の戦い。

(どうか、ご武運を)

 

「おっさんは、どうなったんだ」

「ああ、あれか、ようやく消えよったわ」

 虫けらの割には、中々しぶとかったがのう。

 これで、人の器に妾を収める為の抜け殻が出来上がった。

「……そうかよ」

 その答えを聞いた男の目が、冷える。

「面白いのう、貴様を殺し、裏切ったあの男がどうなろうが、貴様にはどうでも良い話じゃろう、第一あの程度の塵芥は……」

「黙れ」

 低い、その言葉に篭められた力に、玉藻の前は僅かにたじろいだ。

 こやつは……。

「もう黙れ……」

 俺の敵とか関係ない、文句を言いたい気持ちは山ほど有るが、おっさんの、あの生を蔑む権利は誰にもねぇ。

「ほう、怒ったか……妾を憎むか?」

「そうだな」

 男は手にした札を大事そうに懐に納めてから、自らを鎮めるようにふぅと大きく息をついた。

「一つ聞きたい」

「何じゃ?」

「お前さんは、そんだけ世界を憎み続け、他の存在を軽蔑して……結局何をしてえんだ?」

「何を……じゃと?」

 自明のことを尋ねられた、何故飯を食うのか、寝るのか、そう聞かれた人のような顔を見て、男は僅かに頭を振った。

「殺戮を積み上げて、最後にあんたは何に成りたいんだ?」

 あの尻尾共もそうだが……そんなに全てを憎んで、こいつらは一体何がしてぇんだ。

 そいつを、どうしても、直接一度聞いてみたかった。

 その男の真剣な顔を見て、愚かな、そう、玉藻の前は上を向き、高笑いを放った。

「貴様らのような虫けらの怨嗟と憎悪で歪めた黄龍を地上に解き放ち、更なる嘆きと苦痛でこの世を満たし、妾はそれを喰らい、再び神々に挑み、妾は新たな世界の神となる」

 この遠大な、神々に挑まんという野心は、日々、地を這いまわる貴様ら虫けらには判るまい。

 そう言い放った玉藻の前の顔をしばし見て、男はどこか白けた顔で、何かを諦めたように肩を竦めた。

「気宇壮大なこった」

「さて、答えてやったぞ、満足したかえ?」

 したなら滅べ、哀れな虫けらよ。

 そう言った口が耳まで裂け、刃のような牙が伸び、赤い舌がべろりと舌なめずりをする。

「ああ、聞きたい事は聞けた」

 男の全身に殺気が漲る。

 人とか獣とか妖とか、そして式姫とか、色々居て、それぞれが勝手に動いていてこそ、この世界は面白いと思うが。

 こいつだけは、この世に在ってはいけない。

 俺が、いつの日かこうめを送り出してやる時……その世界に、こいつだけは居てはならない。

 それは一時燃え盛る、輝くような激情に駆られた怒りの咆哮ではない。

 自らの生を掛けて為すべき仕事を見出した人の、夜闇の中にほのかに光り続ける灯火のような、静かな決意だった。

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 彼女に対峙する男の魂を見て、玉藻の前は再び焦りを覚えた。

 あの男の総身に滾る怒りを感じる。

 だが、その炎はあくまで世界を浄化するそれのような。

 彼女の力にならない、怒りの感情の存在。

 そんな物があってはならない。

 怒りは憎悪となり、人を盲目にし、己の復讐の正しさと正義の殺戮を撒き散らす、世界を血で染めるものでなければならぬ。

 このような……妾を哀れむような怒りなど。

 

 あの小娘も、この男も。

 殺す。

 殺しつくし、その血の一滴、髪の一筋、いや、こやつらの事を知る存在の記憶も記録も、塵ほども残さぬまで、この世から消さねばならぬ。

 手始めにこやつを滅ぼし、そして、我が力が残っているうちに、この体を再び奪い、あの小娘を。

 

 意思と魂を殺意に染めて、爪牙を研ぎ澄まし、その力の巨大さを映した魂の存在が膨れ上がる。

 目の前の人の魂を引き裂き、消すために。

 その力の差を歴然と示すように、気付けば、巨大な狐のような姿をした猛獣と、何も変化の見えないちっぽけな人が対峙していた。

 こやつは確かに脅威じゃ、だが、こうして対峙してみれば、やはり所詮は人の魂でしかない。

「いかに一部なりとて、意思と魂の戦いで、神に等しき大妖たる妾に勝てると思っておったのか?」

 力を誇示するようなその姿を見上げ、彼は恐怖の色も無く首を振った。

「張り子の狐が膨れ上がった所で、虚仮威しに過ぎん」

 確かに、お前の数百年生きた大妖の体と力は、現世でなら俺の肉体を殺す事は出来ようさ。

 だが、魂はそうではない……。

 その男の言葉に、玉藻の前は目を吊り上げた。

「か弱く滅ぶ人が、天地に等しき命を持つ妾に勝つじゃと」

 総身に殺意と力が漲り、手足の爪が長く伸びる。

「ああ、そうだ、か弱い獣よ」

「戯言を!」

 男の胴体ほどもあろうかという腕、その指先から伸びる刃のような爪が振り下ろされる。

 如何なる存在であれ、一打ちで葬りそうな一撃。

「虚勢をそれと気付けぬか」

 自分を計れぬとは、何と哀れな。

 その剛撃を、有ろうことか、男の手が無造作に弾いた。

「ぎぃ!」

 弾いた……いや、その無造作な一撃で、太い腕が叩かれた所からちぎれ飛んだ。

 灼。

 その傷口から、赤熱した鉄を押し付けられたかのような、いやそれ以上の耐え難い灼熱感が走る。

 何事が起きたのか判らず、玉藻の前は、それまで軽んじていた男の姿を、今改めてまじまじと見た。

 目をこらすと、男の体を包む、炎のような物が見える。

 あの炎は。

 それを認めた体がわなわなと震え出す。

 あの炎は見間違えようが無い。

 彼女が冥府を抜け出す事を防ぎ続けている封印の炎。

 

「……獄炎」

 

 冥王だけが操る事の出来る、この世界の一切を、魂すら焼き払う浄化と断罪の炎。

 人如きが……いや、神々ですら纏う事を許されない、それを。

 貴様、一体。

 男がずいと前に出る。

「お前は、弱い」

 だから、この世界に他者が存在する事を、許容できない。

 どれ程の力があっても、尚、何かに怯える。

 お前は、神々に挑もうとしてるんじゃない。

 傷つける他者を求め続け、最後に神々を相手にするしかなくなっただけ。

「表面が強すぎたせいで、お前さん、自分と喧嘩する機会が無かったのかもしれねぇな」

 色々な折に、人は己と対話する機会がある。

 そこから逃げるにせよ、向き合うにせよ、機会は与えられるのだ。

 だが、この大妖怪には、その力故に、己との対話の契機となる挫折も、喪失も無かったのだろう。

 そうして、暴れまわり自他を不幸にするだけの生……。

 思えば哀れな話しかもしれんが。

 男の目に殺意が閃く。

「お前は、一度滅べ」

「ひ……」

 威圧され動かない体に、男が更に近づく。

「お前さん位になっちまうと、もう自分では後戻りも出来ねぇだろうよ」

 大妖としての自尊心も、今までしてきたことも、全てがその存在を縛る。

 こいつも、式姫みたいに生きられりゃ良かったのにな。

 積み重ねた年月を宝物にするか、身を縛る鎖にするかは……結局そいつに依るしかないが。

 刃のような爪を生やした、自分の倍ではきかない程に逞しい腕に男は手を添えた。

 青白い炎を宿した彼の手から、玉藻の前の腕に炎が燃え移る。

「は、離せ、離さぬか!」

 だが、万力のように食い込んだその手は離れない、腕から伸びた炎が全身に伸びていく。

「ようやく一部なりとも現世に戻ったに……このような」

 男を睨もうとした、玉藻の前の目がそれを見て、言葉を失った。

 こちらを見上げる男の目に、青白い炎が映り込む。

 浄眼。

 あの冥王の瞳と同じ色が、そこに宿っていた。

 おのれ、そうか、この力はあやつの加護か。

 全身に獄炎が拡がり、その体を焼いて行く。

 それを見ながら、男はゆっくりと口を開いた。

 

「今はまだ一かけらだが、俺は、いつかお前の全てを滅ぼす」

 その肉体も魂も、その全てをこの世界から焼き払う。

 覚悟しておけ。

 

「無念じゃ……キサマごとき……に!」

 それは何の咆哮だったのか。

 燃え盛る体の中、呪詛と吼え声を上げた口から、紅い塊が飛び出し、砕けて消えた。

 そして、核たる意思を喪った、元は領主の物だった魂の抜け殻も、獄炎の中に溶ける様に消えた。

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 一つの肉体に、一つの魂。

 

 あるべき場所に、あるべき物が納まった。

 ふぅ、と息をつく。

 その時、久しぶりに、自分の胸の中に、世界の気が入ってくるのを感じた。

吸った空気の味を覚えている。

 僅かにふらつき膝と手を付いた……その大地の感触を覚えている。

 そして、耳に聞こえた柔らかい音を覚えて居る。

「お、おぬし……なのか?」

 聞き覚えのある、少女の声の方に目を向ける。

 見慣れた茶色がかった髪と、こちらを見る、期待と不安に揺れる顔。

 それに、落ち着かせるように笑み掛ける。

 

「ただいま、こうめ」

 

 その声に、少女の目から涙が溢れて、小さな体が言葉にならない様子で彼にしがみついてきた。

 小さな頭に手を伸ばし、その髪を指で梳(くしけず)る。

 柔らかな髪の感触を覚えている。

 その温もりも。

 やっぱり、こここそが、俺の渇仰した、ただ一つの場所……。

 

「ありがとうな、帰って来られたぞ」

 その言葉に何度も小さな頭が振られる。

「おかえり……なのじゃ」

説明
式姫の庭の二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/994993
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タグ
式姫 こうめ 

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