欲望の人間たち
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   六月六日、午後

 

 サイファーという人間は、実は陽動作戦で囮に使われようが実質先遣隊だろうが、一言一句たがわず、命令通りこなし、命令した上層部の思惑以上の戦果を挙げ続けた。

 ピクシーが彼とコンビを組み始めてから言われた「ルールはちゃんと守るさ」という意味を理解するのに、さほど時間はかからなかった。

 命令違反はしない。ルールの中に収まる。代わりに、その中で最大限の戦果を挙げる。そういう意味。

 戦場の空では律儀過ぎるほどルールを順守しているが、思惑を超えてくるから上にとっては厄介。

 さらに、ルールを守って強さを示し、かといって忠義に厚く従順、というわけでもない。あからさまに理不尽な任務に対しては、穏便な口調で遠回しにボーナスアップを要求する。

 ??下手に忠誠心を求められるより、金で換算して解決するのが一番楽だ。

 上の意図を理解したうえで、金さえ積めば口はつぐむ。やることはやる。なにせずば抜けて強い。とても扱いやすく、扱いにくい。

 サイファーは組織で生きられない人間だと理解するのも、時間はかからなかった。

 一緒に組み始めた頃は、まだそれほど目立たない程度に、だが周囲に評価はされる程度に敵を狩っていた。

 それが変わったのは、最初の円卓を経験したあと。

 おそらく彼は、自らに課していたリミッターのようなものを((外|はず))した。迷いがなくなった。自由気ままに飛んだ。

 時にピクシーを、あるいは自身を囮にして敵機を狩り続けるが、逃げていく敵機は狩らない。それは慈悲があるからではなく、興味がないだけ。

 損傷した機体でも、立ち向かってくるなら容赦なく墜とす。それが彼なりの敵への敬意。命令されたら、もちろん損傷機体でも攻撃する。

 傭兵であり、戦士であり、騎士であり、だがそのすべてでなく、共通するのは敵を倒すこと。自由かつ傲慢。ある意味で気高いが容赦なく、敵にとっては非合理で、味方にとっては頼もしく、まさに力の権化そのもの。

 確かにこれは編成の最低ライン、((二機編隊|エレメント))でなければ無理だとピクシーは分かった。これが三機、四機ともなれば、この無軌道さに付いていけるパイロットをそろえるだけで一苦労。

 最初は、不服だとあからさまに無礼な態度を取るピクシーの手綱を引くため、筋が良くて従順そうなサイファーがあてがわれたと思ったが、実は逆なのではないか。そう思えるほどだった。

 自分らしく飛ぶことへの心境の変化について、ピクシーは詳しく聞いていない。円卓でベルカの名立たるエースを墜として、自信がついたのだろうと思っていた。

 五月二十八日に円卓で起きた大規模な空戦では、円卓の鬼神という異名を得た。神なら確かに人間の都合などなんのその、傍若無人の塊だと納得するに到った。

 そしてピクシーは唐突に気づいた。

 本物と偽物の二つの太陽。乱れる計器。衝撃波でダメージを負う機体。混乱する無線。六月六日のバルトライヒの空。

 鬼神は上の思惑を超えていつも通り、任務を遂行するはずだった。味方の連合軍地上部隊を援護して、予定以上の進軍を可能にさせたはずだった。

 が、核のすべてを止めることはできなかった。

 核を搭載した爆撃機部隊はすべて撃墜したが、ベルカ国内での核の起爆は止められなかった。あとから聞いた話によれば、爆撃機部隊は本来の核を起爆させるための囮だったという。

 なんということか。誰よりも近くにいた自分ですら見誤っていたと、ピクシーは自身を嘲笑った。

 あの強烈な輝きに、無類の強さに、目が焼き潰されかけていた。

 あれは神ではない。ただの人間。

 生身の人間では核を止めることができなかった。強烈な人間がいても、なにかが変わっていっても、結局世界はいつも通り。

 どれほど強くても、ルールを守っていては変わらない。変えられない。

 だからこそこの世界に必要なのは、世界を変える意志がある自分たちなのだと確信する。今がその時なのだと。

 ??いっそ、全部吹き飛ばしてくれたら、戦争なんて終わるのにな。

 作戦が始まる前、何気なく言った言葉は現実になった。

 ただ、全部は吹き飛ばしたが、戦争が終わるかといえば、それは違う。もっと混乱するのは目に見えている。

 ジョシュア・ブリストーたちが吹き飛ばそうとしているものと、核で吹き飛ばされたものは異なる。

 人の醜さと愚かさが炸裂し、おそらく地獄が作り出されている。

 かつてあの地上で、南ベルカとオーシアの境目の小さな紛争で、両親を失ったあの日の自分と同じような子供が、きっと泣き叫んでいる。

 ただ奪われるだけの状況を変えてくれる、なにかはいないのか。

 そんな都合のいい存在など地上にはおらず、弱い者、運がない者は、より強い力に蹂躙されるばかり。

≪ラリー、聞こえるか? シンデレラをお迎えに来たぜ≫

 混乱する状況の中、明らかに目的をもって行動するブリストーの声が飛び込んできた時、ウスティオ側のパイロットは戸惑った。

 だが、たった一人。ホフヌングと同じ。

 動物的勘で、サイファーだけがすばやく察した。

 ブリストーの笑い声が聞こえ、ピクシーとの会話が終わったあと、無線を通して聞こえた「敵か」というサイファーのつぶやき。

 その瞬間に、ブリストーはサイファーの敵になった。機首を向けようとした。

 だから、ピクシーの背後からの攻撃をすぐに避けられた。

 もしあそこでブリストー側からの増援が来なかったら、自分は墜とされていたに違いない。ピクシーはそう思っている。

 皮肉なことにピクシーの運が良かったのは、核起爆の影響で損傷したウスティオ軍機が多かったこと。

 敵は倒し、味方は守る。サイファーは核の空でも、いつも通りに行動した。ぶれることはなかった。

 別れの言葉も止める言葉も、なに一つなかったが、一瞬だけロックオンされた。そこに損傷したウスティオ軍機を狙う敵機が来たから、すぐにそちらの救援に行った。

 行動がなによりも雄弁に語る。

 核ですら、僚機の離反ですら、サイファーという世界を揺るがすことはできず、揺らがないのだと。

 

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   六月五日、夜

 

 六月一日深夜の工業都市ホフヌングへの爆撃の護衛任務のあと、ヴァレー空軍基地は殺伐としていた。

 傭兵たちですら、その日のうちに酒に逃げる者が多かった。酔い潰れた兵士たちの面倒を見るのは隊長格の兵士や、酸いも甘いもかみ分けたベテランの兵士だった。

 それも二、三日たてば、表面上は元通りになる。タイミングを見計らって今回はサイファーが音頭を取り、任務終了後のいつものバーベキューパーティをして、気持ちを切り替えるタイミングを作る。

 パーティは、任務で亡くなった仲間への鎮魂を兼ねる。いつものように騒いで飲んで食べて。それが傭兵流の弔い方。

 その中でピクシーは皆の行動に合わせていたが、一人沈んでいった。

 大義があると見せかけて結局欲望で争う、いつもと変わらない戦争。

 いつもと違うのは、古い馴染みのオーシア空軍のジョシュア・ブリストーに、とある組織に誘われていること。

 付き合いの酒はいつもならコントロールしながら飲むのに、勧められるがまま、見境なしに飲んだ。

 そのツケで、吐きたいわけではないが、奇妙な不快感が体を支配する。素直に眠りに落ちることもできない。自室のベッドで横になって目を閉じ、睡魔が来るのをひたすら待つ。

 だがまぶたの裏に浮かぶのは、ホフヌングの光景。焼かれる大地の光景ではなく、空の上。燃え盛る地上の炎をライトの代わりにして踊る、サイファーの軽やかなワルツの機動。

 ウスティオは連合軍に参加したものの、ヴァレーが所持していた機体はいささか時代遅れだったため、オーシアがお情けかつ打算込みな格安で譲ってくれたのは、中古のF-15C。

 サイファーはF-15Cに乗ることになっても、外青の羽のカラーリングはそのままにしていた。独自カラーの塗装費用は天引き扱いだったため、サイファーはそういう無駄な出費をしなかった。

≪ピクシー。まだ強いのがいる≫

 あの時のサイファーの楽しそうな声が忘れられない。

 まるで新しいおもちゃを見つけた幼子のような、あの声。

 炎と煙の向こう、執拗に追ってくる敵機がまだいた。勝負は決まりかけていたが、向こうは諦めてなどいなかった。むしろ、連合軍側を一機でも多く道連れにしようとしていた。

 ホフヌングは、まさに人間が作り上げた劫火の地獄と化していた。味方であるはずの連合軍は、街に無差別爆撃をする。敵であるはずのベルカ軍は、自らの街に火を放って放棄する。

 その中で命令通り爆撃支援をして、味方の無線から聞こえるベルカ人への罵倒や、呪いの言葉を脳内カットすることで精神を保たせる。任務を遂行する機械になる。

 体に染みついた訓練の成果は、こういう時はありがたいものだった。

 それなのになぜ、こんな状況で、サイファーは楽しさを見出すのか。

≪ガルム((2|ツー))。攻撃支援ついでに特殊兵装許可≫

 この声。軽やかな、地上の光景とはあまりにもかけ離れた声。

 ピクシーはなんとか「ガルム2、了解」と答える。

 敵機と踊るサイファーの耳に、墜ちていくパイロットたちの悲鳴も、人々の怒りも、憎しみも、なにも届きはしない。たった一瞬で振り切り、空を飛んだ。

 なんだこいつという、ごろりとした感情が生まれる。

 あの赤く燃える大地になんらかの大きな感情を示さなかった時点で、サイファーが常人とは異なることを理解した。そのヒントは、すでにエクスキャリバーの時に示されていた。

 ガルム隊は首都解放戦でベルカのエース部隊、ゲルプ隊に勝ったことで注目された。

 特にサイファーは化学レーザー兵器、まるで大地に巨大な剣が刺さったかのようなエクスキャリバーを破壊した時に、英雄ともてはやされた。

 当のサイファーはというと、「ガルムの戦果は連合軍の利益になるから、英雄扱いなんだろ」と第三者視点で見ていた。もちろん皆の前では言わず、部屋に帰ったあとだったが。

 「嬉しくないのか」とピクシーが問えば、「不思議な気分だ」と返された。

「飛ぶことを教えてくれた人に、お前は英雄に向かないって言われたんだよな」

 ピクシーがサイファーから、そういう初々しい話を聞くのは初めてだった。超兵器を破壊したことで、少しはサイファーも浮かれているのだろう。

 過去に関してはあまり話をせず、したとしても分かりやすいホラを吹き、のらりくらりとごまかす人間が、その日はよく喋った。

「英雄は誰かの利益にならなきゃいけないけど、エースは実力勝負。エースには悪い癖があって、強い敵がいたら戦いたくなる。相手が全力でこっちに向かってくるなら、全力で応えるのが礼儀。お前は闘争本能が先に来てるから英雄には向かない、だったかな」

「それ、まずエースになれるって前提の話か?」

「そうらしい。まあ、闘争本能に寄った考えをする人だったな」

 それがサイファーの根幹を成していると察したピクシーは、教官はどんな人だったのか聞こうとした。そこにクロウ隊や大所帯のフェンリル隊が、祝勝記念に隠し持っている酒を飲ませろと乱入してきたので、話は自然と終わった。

 教官の教訓通りであるならば、ホフヌングでの空の反応はサイファーにとって正しいのだ。おそらく、サイファーの本質と才能を正しく理解した教訓。

 人によっては化け物とも神とも取れる、あの異物感。

 同じ空を飛んでいるはずなのに、サイファーという生き物が見ているものは、自分たちとは違うのだと思い知らされる瞬間。

 サイファーは英雄には向かないエース。彼にとって強い敵と空で戦うのが誇りであり、思想や理想など関係ない。むしろ必要ない。空で戦うために生まれてきた。

 ホフヌングでは、ピクシーを始めとした多くの兵士は地上を見て悲しんだが、サイファーは空を見て楽しんだ。

 すべてを引きちぎって飛ぶ強さ。有無を言わさない圧倒的な力。一人だけ赤黒い戦場にのまれなかった異物。むしろ戦場をのみ込んだ異様さと不可解さがあったから、ウスティオのパイロットたちはなんとか任務を果たせた。

 あらゆる戦場を自分のものにする。自分流に壊す。そこにあるのは己のエゴだけ。

 ??心の中によどみが溜まり、ある日、なにかを成さなければという、訳が分からない衝動が生まれる。それこそが啓示なんだ。

 ブリストーは文学的な言い回しをする人間で、意味が伝わりづらい部分があるか、その時になるとこういう意味だったのかと悟ることもある。

 ホフヌングでの出来事は啓示だったのか。

 今まで渡り歩いてきた戦場。あるいはオーシアが国境を超えて南ベルカに侵攻し、その争いによって両親が亡くなった原体験。自分は生き残れた。今日も生き残ってしまった。いつも矛盾する感情が根底にある。

 あの日、あの時、あの場所で、神も英雄もいないのなら、理不尽なすべてを薙ぎ払える強い力があればという願いを体現する人間が、今、すぐ隣にいる。

 おそらくずっと待っていた。

 敵でも味方でもいい。今の悲惨な目の前の光景を壊してくれるなにか。たとえば突然の自然災害。すべてを奪う呆気なさと巨大過ぎる力。

 いうなれば、神のごとき??。

 そこまで考えて、ドアをノックする音が聞こえた。今のピクシーの脳内にはその音すら響く。

 ひかえめにドアが開くと「ピクシー、いるか?」と馴染みの声が聞こえたが、返事するのも面倒なので放っておくと、ドアが開いて相部屋の人間が入ってきた。

「なんだ。本気で飲んだのか?」

 うっすらと目を開け、手を挙げて返事とする。ベッドの脇にサイファーが座り、「医務室行くか?」と聞いてきたので、ピクシーは「どうせ満員だろ」とかすれた声で答え、続けて「ほかの奴らは」と聞く。

「昨日よりマシ」

「若い奴らは」

「順調に文句を言いながら発散してるな。健康だ」

「お前は」

「付き合いでいい酒を飲み放題」

 ピクシーがサイファーの柔らかく優しい声音を聞くのは、初めてのような気がした。

「強いな」

「なめる程度だよ。あちこちの酒を本気で飲んでたら、お前みたいに潰れる」

「悪かったな」

「寝てろ。目を開けてるより閉じてるほうが、まだマシだ」

 サイファーが「じゃあな」と自分のベッドへ行く気配を見せたので、ピクシーはベッドを無言で叩く。

 「どうした」とサイファーはもう一度ベッドの脇に座り直すと、「吐きたいのか?」と聞いた。ピクシーは「違う」と手をひらひら振ると、「寝るまで付き合え」と言う。

「お休みのための昔話のレパートリーは少ないぞ?」

「嘘つけ。適当に話を作るだろうが」

 サイファーは「ばれたか」と笑った。

 月明かりが頼りだけの部屋で、廊下からは誰かの話し声が聞こえる。明日の食事を賭けてギャンブルをする者たち、猥談、酒や煙草のやり取り。自分たちにとっての日常。心地良い響き。

「また肉を賭けてるのか」

「明日はフライドチキンだからな」

 ようやくピクシーの声に笑いの音が乗る。

 あの酷い任務が終わったあとは荒れても、ヴァレーは戦争の日常として受け入れ、戻っていった。

 無差別爆撃をする味方爆撃機を護衛し、兵器がある可能性があるとして民間施設も攻撃し、放棄が決定されて放火される街を見て、それでもなお腐らず、日常へと帰れる強さがある。

 押し潰される者の面倒を見て、さりげなく助ける。あまりにも暖かく、見捨てない。そこに家のような感覚を覚え、同時にいらだつ。

 連合軍の中で鬼神を擁するヴァレーが特別視されつつあるのは、ブリストーとのやり取りでも実感している。

 特に鬼神はジョーカーのような存在だが、報酬さえ払えばルールを守って仕事をこなし、多大な戦果を挙げる。

 しかし契約先であるウスティオから出てこない、どうにも使いづらい駒であるらしいことも。

 エクスキャリバー攻略では、実質先遣隊の役目だったはずの傭兵たちが、あっというまに剣を折ってしまった。

 実際に攻略の役目を担っていたのは連合軍、いわばオーシア空軍だった。そのための準備をしていたら、サイファーのお陰で計算が狂ったようだとブリストーは面白そうに話していた。

 サイファーは敵だけでなく、味方の思惑も壊してしまうが、行動は作戦通り。はみ出していない。

 ウスティオにとって鬼神は大国と勝負できる貴重なカードなため、引き抜かれまいと徹底的に守っている。サイファーも動く気はないので、それもウスティオ側に有利に働いていた。

 話のネタで、今の名前は偽名とホラを吹く傭兵はいる。本当かもしれないし、そうでないかもしれない。突っ込んで聞かないのは暗黙の了解だった。

 サイファーはピクシーと同い年と言っているが、言葉通りとは限らない。

 真偽は分からないが、戦果という確かなものを持ち帰るサイファーに、基地にいる者たちもなにかを見出し始めた。ここにいるのは人間のようで特別ななにか。目に見えぬなにかから加護を受けている場所。信仰のようなもの。

 当のサイファーは、戦果に応じて肉とデザートは増やしてくれと言うが、過重になっていく期待に対して、これといった反応は示さない。そういうふうにピクシーは見えた。

 考え事をしていると、眠気がいつのまにか近寄ってきた。まぶたが下がってくる。それを察したサイファーは今度こそベッドから立とうしたので、ピクシーはとっさに腕をつかんだ。

 サイファーは少し驚いた表情をしたが、腕をつかんできた手を振りほどかず、浮かせた腰を下ろす。

「どうした」

 行かないことを確認すると、ピクシーは腕をつかむ手の力をゆるめたが、軽くつかんだままだった。無意識の思いがけない行動に、ピクシー自身もどうしたらいいか分からない。

 が、手を離せない。

「お前は、世界が悲しくないのか」

「ポエムか?」

「酔っ払いが真面目に聞いてるんだ。付き合え」

 サイファーは「絡み酒か」と困ったように笑ったが、「悲しくないといえば嘘になるけど、悲しくはないな」と付き合ってくれた。

「なぜだ」

「あれは俺の悲しみじゃない」

 酔いが覚める答え。そして気持ち悪さが、よりクリアになる。「お前はそうやって」と、ピクシーの指にわずかに力がこもる。

「お前のものでないものは、全部切り捨ててきたのか」

「そうでもない。世界に同調したら潰れるから、せいぜい潰れない程度に範囲をしぼってるだけさ」

 腕をつかまれたまま体の向きを変えると、腕をつかまれていないほうの手で、サイファーはピクシーの頭に手を置いた。

「ま、俺ができる範囲は、せいぜい隣にいてやることぐらいだ」

「敵は倒して味方は守る、だったか?」

「やれる範囲でな。あと操縦桿を握って、ミサイルが届く範囲くらいか」

「お前は、分かってるのか」

「いいや。分からないことばかりだ」

「……ああ違う。俺だ。俺が、分からない」

「分かるまで離さない気か?」

「空では自由気ままに飛ぶだろ? 着いてくこっちは大変なんだ。地上では我慢しろ」

 サイファーは楽しそうに笑い、ピクシーの頭をあやすように軽く叩いた。

 ピクシーはブリストーから、世界を根底から変える組織に来ないかと何度も誘われていた。力によってしか世界は変わらないのなら、自分たちで変えようと。

 さらにブリストーとひそかに同志であり、ウスティオ正規空軍の数少ない生き残りのパイロットが、彼からのメッセージをピクシーにそれとなく伝え、追い打ちをかける。

 この戦争にこそ大義はあるとほのかに期待し、結局裏切られ、いつも通りの戦争になり、そのたびにピクシーの心は((倦|う))んでいく。

 裏切られると分かっていて、なぜ期待するのか。

 両親が亡くなり、頼れる親族もなく、孤児院に入れられてから、幼いなりに国境の争いの原因を調べてみた。

 その歴史は古く、かつては違う国名、あるいは違う民族と、支配者が変わるたびに境目は引き直され、混乱を極めた。法によって論点を整理しようにも、歴史という積み重ねによって論点が分散する始末。

 発端はベルカ、いやオーシアだという、尽きることのない言葉と武力による争い。その土地に生き続けるごく普通の人々は、ただ巻き込まれていく。

 正しい戦闘だったから両親は死んだ。一度はそうやって納得しようとしたが、できなかった。

 戦闘の勝利に大いに貢献した者は英雄と呼ばれ、勲章を与えられることを知り、その定義をひっくり返したかったのかもしれない。自分から両親を奪い、正しくないと思える戦闘で英雄になる者に、唾を吐きたかったのかもしれない。

「境目はただの区切り線なのにな」

 ピクシーのつぶやきに、サイファーは「そうだな」と答える。

「でもなくならない」

「そうだな」

「どっちだよ!」

 ピクシーはサイファーのつかんでいる腕をバシッと叩き、また手を置く。サイファーは「言ったのはお前だろ」と楽しそうに笑った。

「なかったらなかったで争いが起きるし、あったらあったで争いが起きるし、面倒だな」

 そう言うサイファーの表情は軽やかで、深刻ではない。

「国境なんて、全部なくなればいいのにな」

「じゃあ俺たちは廃業だな」

 ピクシーは「本当にそう思ってるか?」と笑い飛ばす。

「戦争が内戦扱いになったら傭兵って単語が消えて、違う単語が生まれるかも」

 サイファーはピクシーの頭から手を離す。ぬくもりはあっというまに消えた。

 この人間は分かっているのだとピクシーは理解する。

 国境がなくなれば、対外的な戦争はすべて内戦の扱いになる。変わらないようで変わり、変わったようで変わらない。

 民族の次は領土が、領土の次は資源が、資源の次は経済が、次々と支配形態は変わり、争いは絶えない。そのたびに強く新しい力が求められ、時代を動かす。

「結局、戦争も傭兵も、言葉を変えてなくならないってことか」

「国境がなくなったって、国境がないっていう新しい境目だしな」

 一瞬、ピクシーの呼吸が止まる。

「彼らは彼らの集団を作って、それ以外と境目を作る。うまくやってるうちはいいが、永遠に続くとは限らない。新しい飯の種だ」

 塊のようなものが、ピクシーの心の中に転がる。これはおそらく、ブリストーの言っていることとは違うこと。

 こいつはと、ピクシーの中でなにかが広がる。

「まあ、境目がどれだけ変わろうが、そこをどうやって生き抜くかは永遠のテーマで……って、なんだか哲学みたいだな」

 ブリストーは誘う人間を慎重に選んでいた。真っ先に金で動く人間は金で裏切る。金の切れ目が縁の切れ目になるからと避けていた。

 なぜ自分は誘われ、サイファーは誘われないのか。

 答えは明確に出ている。さっき言葉にして言われた。世界に同調していない。サイファーは世界に動かされない。世界のためにサイファーは動かない。

 なぜならサイファーが世界だから。

 ブリストーの言い回しは難しい時があり、流して聞くこともあるが、「自分たちが世界になる」と言った。それだと思った。

 今の世界のルールに反旗をひるがえし、世界のルールを新しく定義しようとしているブリストーたち。

 サイファーは傭兵という戦場を渡り歩く職業。だからそれに根ざした価値観で語っているが、それは有史以来、脈々と受け継がれる世界のルール。

 国境に翻弄されたからなくしたい。なくしたら、なくした集団が新しい境目を作り、いずれ同じ穴のムジナになると、サイファーは遠回しに言っている。

「集団に属さない人間がいたら、どうする」

「なんだ? 哲学の時間か?」

「そう思っとけ」

「くだの巻き方が斜め上だな」

「哲学の本を読んだ影響だ」

「さすが読書家は違う」

「反対する人間がいない世界を作るには、どうすればいい」

「そりゃ、属さない人間の皆殺しだろう」

 ああこの人間はと、ピクシーは思わず笑う。なにかを明確に理解して、それでもなお、矛盾だらけのここにいることを選んでいる。

 トップクラスの戦果を挙げるものの、作戦命令を無視して独自に行動するため、上からけむたがられる正規兵のブリストー。

 実は捨て駒扱いだが、名目上の作戦命令を文字通りやってのけてしまうので、上から逆に困惑される傭兵のサイファー。

 ブリストーは世界を変えようと動き、サイファーは世界を在るがままにして動かない。理想と現実。正義と力。二人はまったく異なるが、実際に周囲を動かしているのはサイファーのほうという、この矛盾。

「お前の答えは単純だな」

「頑張って哲学的に返したつもりだぞ? 及第点は欲しいところだ」

「哲学だったら、もうちょっと屁理屈こねるから駄目だ」

「さりげなく哲学のこと馬鹿にしてない?」

 ピクシーの「するわけないだろ」という答えに、サイファーは鼻で笑い飛ばす。

「なんでお前の答え、いつもそんなに単純なんだ」

 渋い顔をしたサイファーは、「単純じゃないぞ?」と反論する。

「俺からすれば単純だ」

「欲望に忠実に。そうすると単純になる…と思う」

「そこは言い切れよ」

「欲望に忠実に生きると、生き方が単純になる。これでどうよ」

「かっこつけても無駄だ」

 ハハッとサイファーは笑う。

「強い奴と戦うのは楽しいから、いろいろな奴と戦いたい。飛行機の操縦は得意だから、それで稼ぎたい。そのへんの欲望を突き詰めると、傭兵稼業に行き着く」

「それがお前の思想ってやつか」

「ああ……言われるとそうだな」

「円卓の制空戦、今までにないくらい生き生きしてたもんな」

「そりゃどうも」

 円卓での大規模な空戦は、まさに戦場荒らし。その結果が円卓の鬼神という異名。

 なににも縛られることなく、強い相手と戦いたいという単純な理由は一点の曇りなく、ゆえに強く、揺るがない。

「褒めてない。付き合わされたこっちは大変だった」

 棒読みでサイファーは「すいませんねー」と言うので、ピクシーはサイファーの腕を軽く叩いた。

「ったく、これだから英雄に向かないエースは」

「お前だってそうだろ。だから傭兵やってんじゃないのか?」

 ピクシーはサイファーを見た。月明かりのせいなのか、灰色の目が人ならざる銀の輝きに満ちている。異物の異物たる由縁。

 英雄にならない人間は、動かずともその強さゆえに周囲を動かし、一体どこへ行き着くのか。世界はどこに到るのか。

 自分が望む通りに世界を救わず、動かないことを頭では分かりながら、間違っているこの状況を動かしてくれとすがるように願い、願った先でひらめきが走る。

 この基地でサイファーの隣を飛べる力量があるのは自分だけという自負が、ピクシーの中にあった。

 では、強い相手と戦いたいから傭兵稼業を選び、希望を意味する街の名前通り、ホフヌングの空で欲望に忠実に希望を見出した人間が、最後に戦う相手は誰なのかと。

 それは、誰であるべきなのか。

「じゃあ……次の契約先で敵同士になったら、戦えるか」

「敵だからな」

 迷いのない秒速の答えの切れ味の鋭さは、笑ってしまうほどだった。

 畏怖。敬意。嫉妬。そのすべてが混ざり、絡み合い、なにがどうなっているのか分からない。近くにい過ぎて、光が強過ぎて、根本的なものにたどり着けない。

 それでも一番近くで見ていたい、選ばれた敵でありたいという矛盾した望みを、こんな辺境の山奥で、どこにでもあるような兵舎の部屋で、天啓のように得る。

 厳粛さも、神聖さも、なにもない。

 両親の死と同じように、それは理不尽さにも似て、ある日突然やってくる。

「そこは少しくらい迷え」

「強い敵とはいつだって戦いたいんでね。先約だ」

「はいはい」

 ピクシーの二度返事にサイファーは鼻で笑う。ピクシーはサイファーの腕から手を離すと、「ん」と差し出した。

「なに」

「先約の握手」

 「こりゃどうも」とサイファーは笑顔で握手する。

「それまで死ぬなよ、相棒」

「もちろん。そう言うお前もな」

 二人は笑い合った。

 

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   六月六日、朝

 

 ピクシーはまだ両親が生きていた頃の夢を見た。どこかの飛行場で、空では飛行機が曲芸飛行をしている。

 家族とはぐれ、涙目になっている小さなピクシーの手を、同い年らしき男の子が突然握ってきた。笑顔で「こっち」と引っ張る。灰色の目の男の子の握る手の力は強く、歩みは迷いがなく、小さなピクシーは言われるがままに付いていった。

 男の子は空を飛ぶ飛行機を指差すと「あれママ!」と言い、小さなピクシーが「ママ?」と聞き返すと、「ママ!」と返ってくる。

 二人で空を見上げ、「ママー!」と一緒に呼びかけていると、少年たちの名前を呼ぶ大人たちの声が近くから聞こえてきた。

 保護者たちが迷子になった少年たちを見つけると、抱き締めて喜び、その後はしかり、そして相手の保護者に謝り、その間も少年たちは空を見てはしゃいでいた。

 そのうち曲芸飛行は終わり、飛行機が地上に降りてくる。男の子はそわそわと落ち着かず、保護者らしき男性に「まだですよ」と止められた。

 パイロットが機体から降りると、「さあどうぞ」と保護者にうながされた男の子は、小さなピクシーの手をパッと離して駆け出していく。そのあとを保護者が見守るように追った。

 小さなピクシーは手を離されたことに寂しさを覚えたが、うまく言葉にできない。ただ無性に悲しく、あの手が恋しかった。

 男の子はパイロットに向かって「ママ!」と呼び、パイロットは男の子の名前を嬉しそうに呼ぶと抱き締めた。

 一人残された小さなピクシーは明らかに気落ちしたが、それぞれの手を両親が握り、「帰ろう」と言われる。

 自分には、まだこの手がある。

 すぐに気持ちは晴れやかになり、父親に髪の毛をぐしゃぐしゃといじられた。

 と思ったら??。

「…さーん、ラリーさーん、朝ですよー。ピクシーさーん?」

 誰かが体を軽く揺すっている。

 まだ半分しか起きていない頭で、ピクシーは今いる場所を確認する。子供部屋などではなく、質実剛健な部屋で、起こしたのは母親ではなく、同い年に見える男性だった。

「どこ」

 男性は少し驚いた表情をしたあと、「ここは、ウスティオ共和国のヴァレー空軍基地の兵舎だ」と言う。ピクシーは視線を男性に合わせて、「サイファー」とつぶやいた。

「そうですよ。サイファーさんですよ」

 幼子を相手にするような口調で、ピクシーは軽く頭を叩かれる。

「ほら起きろ。飯、食いっぱぐれるぞ」

 ようやく脳が起き始めて、現在の記録や記憶とリンクしていく。

 なぜあんな夢を見たのか。今の今まで忘れていた思い出。

 そもそも、そんな思い出があったかもあやしい。別の思い出が混ざっているかもしれないが、小さい頃に曲芸飛行をする飛行機を見たのは覚えている。

 あれは誰かが練習していたのか。基地のイベントだったのか。そこまでは思い出せない。

 夢の中の男の子は灰色の目だった。サイファーの目の色も灰色だった。

 なんだこの夢と、ピクシーの中に言語化できない感情が残ったが、小さい時にサイファーと会ったことがあるというのか。

 着替えをしながら、ピクシーは「なあ」と問いかける。

「小さい時、南ベルカにいたことあるか?」

「南ベルカ?」

「旅行でもいい。オーシアとの国境に近い所」

 サイファーはさほど((間|ま))を置かず、「ないな」と答えた。

「そうか」

「なに」

「故郷の夢を見た、気がする」

「それで?」

「お前と似た子が出てきたと思う」

「は?」

「でもクソガキじゃなかった」

 顔をしかめると、「そりゃすいませんね」とサイファーは口をへの字にする。

「じゃ、飯食ってくる」

 言うだけ言うと、着替えを終えたピクシーは部屋を出ていった。

 一人残ったサイファーの顔から笑顔は消え、無機質なものに変わる。

「南ベルカ、ねえ」

 小さい時、ベルカ屈指の貴人の秘密の恋人である母親と隠し子であるサイファーは、首都ディンズマルクから遠く離れた場所で暮らしたことがある。

 パイロットだった母親は腕を鈍らせないため、田舎の飛行場で飛行機を飛ばすことがあった。それを見た記憶はあるが、誰と会った会わないの記憶は、さすがに幼少期では曖昧。

 ピクシーはベルカ出身と聞いていたが、今までその手の話題をいっさい出したことがない。

 しかし今、口にしたということは、そういう繊細な話題について気を許し始めたのか。鎌をかけたのか。

 それとも片羽の妖精はどこかの工作員か、ただの傭兵か。

 旅行記を読むのが趣味で、ロッカーにも何冊かある。それに暗号が織りまぜられていてもおかしくないが、スパイができるほど精神的に器用には見えない。自分のことを探るなら、もう少しうまくやって情報を引き出すはず。

 僚機としてはとても優秀。力量も判断も申し分なく、サイファーがどれだけ自由に飛んでも付いてこられる。さすが片羽で帰ってきただけのことはあると、サイファーは掛け値なしに称賛している。

 ピクシーはもともと思想的に斜に構えている部分があったが、昨晩の会話から察するに、なにかが大きく揺らいでいる。

 おそらくすがる思いで腕をつかまれたが、結局のところ、最後に自分を救うのは自分自身。

 他人のサイファーがやれるのは、話し相手になることぐらい。どれほどすがられても、相手が望む通りに救えはしない。

 サイファーは大きなため息を一つつくと、「よっしゃ!」と気合いを入れる。

 開戦から二か月弱。核査察という名の逆侵攻が始まった。工業都市を焼き払い、戦争の長期化も見えてきたが、いつも通り契約が終わったら即座に消えるのがベスト。

 問題は、プライドが世界最高峰の山よりも遥かに高いベルカが、良くて休戦、悪くて降伏をできるかどうか。

 それにより消えるタイミングは変わるが、まだそのタイミングがつかめないため、今は考えるのをやめる。

 だが強い敵が現れれば、それはまた別の話。

「さーて、今日も稼ぐとしますか」

 ベルカの核の情報がもたらされたのは、その日の午後におこなわれた本来の作戦、連合軍地上部隊の援護の任務が始まってからだった。

 

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   十二月三十一日、午後

 

 十二月二十五日、停戦条約が結ばれた都市ルーメンへの爆撃から始まった『国境無き世界』のクーデターは、十二月三十一日に呆気なく終わりを迎えた。

 鎮圧の主役となったのはもちろん、ウスティオの傭兵航空部隊のガルム隊だった。この時のガルム隊の二番機はピクシーではなく、クロウ隊の三番機だったPJ。

 ピクシーはバルトライヒの空で裏切って離脱し、クーデター組織『国境無き世界』へと転じた。

 三機編成のクロウ隊は、一番機と二番機が核起爆の影響で負傷し、治療回復に専念することになった。残ったPJは腕の良さと度胸を買われてガルム隊に異動。ピクシーの穴を埋め、そのまま終戦に到る。

 戦後、サイファーとPJは契約を続行し、ウスティオに残った。オーシアやユークトバニアといった大国の誘いを蹴り、サイファーはヴァレー空軍基地から動かなかった。けして表に出ないサイファーを、ウスティオは秘宝のごとく扱った。

 ああやっぱりとピクシーは思った。バルトライヒの空でブリストーを敵として認定し、自分と戦う約束をしたサイファーがウスティオから動くはずがないと、ピクシーには謎の確信があった。

 動かないという動き。政治で動かない彼が動くのは、強い相手を見出した時。

 サイファーは新兵の訓練もしたので、人に絶対に会わないわけではない。他国も顔の特徴はつかんでいるものの、一枚も写真が出てこない。ウスティオの検閲は厳しく、ヴァレーで写真を撮れる場所もタイミングも厳しく制限されていた。

 もともと国の存亡を賭け、腕さえ良ければ過去は不問にして、金を積んで死に物狂いで集めた者たちだった。ウスティオは必要最低限の個人情報しか外には出さず、傭兵たちで表に出られる人間は、過去が身綺麗な人間ばかり。

 プライベートの写真でも避ける傭兵たちはいて、単純に写真が嫌いな人間、訳ありの人間といろいろいたが、サイファーもその一人だった。

 PJはクーデター事件でもガルム隊二番機として見事に務めを果たしたが、ピクシーが乗る新型機が突然現れ、レーザー兵器によって撃墜された。

 ピクシー自身にとっては予想外の出来事だったが、それで覚悟が決まった。

 ここぞという時に救わない英雄にはなりたくないという、ねじれた望み。

 誰よりも強いエースと戦いたいという夢。

 そのエースの隣を飛べるのは自分だけのはずという妬み。

 表には出さないようにしている想いをジョシュア・ブリストー以上に、組織を立ち上げた一人であるアントン・カプチェンコには見抜かれていた。

 このベルカ人将校は聖職者のような振る舞いで、導きを与えるように、「答えを得てくるといい」とピクシーに言った。

「国や人種を超えて人が集まるヴァレーは、ここに近いものがあるのだろう? 世界の矛盾を許容する彼らと、許せぬ私たち。どちらが勝つだろうな」

 組織の中心人物でありながら、どこか他人事のように語る人間だった。

「私は好きにした。君も好きにするといい。モルガンは手助けになる」

 ブリストーと同じように、遠回しに謎かけのようなことを言う人間でもあった。

「人々が見て見ぬ振りをしていたものや気づかなかったものを、V((2|ツー))ならきっと……世界から答えを引き出してくれる」

 「カプチェンコは、どうやらお前に共感する部分があるらしい」とブリストーに言われたが、ピクシーにはついぞ理解できなかった。

 鬼神とともに飛べたのなら扱えるだろうと任された機体、ADFX-02。組織が南ベルカ国営兵器((産業廠|さんぎょうしょう))から接収した試験開発機。カプチェンコが開発に携わったという。

 メインカラーが白の機体だったが、右の翼を赤く塗装したいと申し出たら、カプチェンコは「エースだな」と笑って許可した。

「空を支配するための機体だ。貪欲で我の強いエース以外には乗れない化け物だよ」

 その機体で、アヴァロンダム上空での二人きりの最後の決闘。世界中の多くの人があずかり知らぬ所で、破壊と維持、どちらかを決定する。

 死ぬか。生きるか。殺すか。殺されるか。

 心の片隅で組織のやり方が間違っていると分かっていても、それでもこの世界への((倦|う))んだ感情が上回り、それと同じくらいに、サイファーと戦いたいという感情が上回る。

 崇高なものを求めて、自分の中の浅ましさを直視するのをそむけて、大義に繋げる。

 だがピクシーは、組織にいる半年の中で気づいてしまった。これは戦争をしている国々と同じ論理ではないかと。欲望を大義で包み、正義をおこなっていると掲げるが、言葉の端々からにじみ出るものは、国も自分も変わらないと。

 その思いはサイファーとの直接対決で、この段階になって、ようやく確信へと到った。

 これは社会と自身に絶望して、世界を巻き込んだ壮大な自決行為。祖国ベルカと変わらない行動をあざける。

 自身への小さな絶望は、操縦桿を通じて機体の動きに微かなブレを生じさせた。

 わずかな隙をサイファーが見逃すはずがなく、直撃すればひとたまりもない戦略レーザーシステムと広域を制圧する多用途炸裂弾頭ミサイルを擁していながら、モルガンは少しずつ力が削られ、ダメージが蓄積された。

 自分が怒り、憎み、諦め、嫌い、さげすんだものと同じ存在であると自覚し、ならばとすがる。

 結局、国と同じ論理で動くピクシーが正しいのか。欲望を隠さず、命じられた任務を遂行し、『国境無き世界』を倒そうとするサイファーが正しいのか。

 ピクシーが勝ったのなら、あの鬼神より強いからこそ、新しい世界が作られるのは当然。

 サイファーが勝ったのなら、鬼神だからこそピクシーは敗れ、世界が維持されるのは当然。

 すべてをサイファーに丸投げにして、そして答えを得る。

 モルガンのエアインテークに機銃が撃ち込まれ、異物を吸い込んだことでエンジンに致命的なダメージが起きた。試験機とはいえ、開発者に化け物だといわせたモルガンは、ありふれたF-15Cに負けた。

 F-15Cと高速で真正面からすれ違った瞬間、ピクシーはコックピットを撃たれることを覚悟したが、そんなことはなかった。

 あっさり通り過ぎたあと、機体が爆発する前に、アヴァロンダムから離れた地域で瞬間的に、叩き込まれた経験で、噴き出した本能で、ピクシーは緊急脱出用のレバーを引いた。

 死にたい。殺されたい。

 そういう思考よりもはるかに強く、体は正直に、生き残りたいほうを迷うことなく選び、ベイルアウトした。

 生きたい。死にたくない。嫌だ。怖い。死なないで。置いていかないで。連れていって。

 両親を失った戦いでの、あの時の感情の爆発が甦る。湧き上がる。本能の叫び。バラバラで矛盾だらけ。異なる塊が渦巻いていた。

 自分だけが生き残ったという負い目から、原始的な欲望を否定することで、ここまで来た。

 サイファーに戦う理由は見つかったかと聞けば、先に撃墜されたPJのことは一切口にせず、「年越しの肉とケーキは食いたいんだよ!」とよどみなく言われ、最後まで思想や政治とは無縁だった。

 ずっとそういう人間だった。仲間が墜とされても、劣勢でも、口にするのは日々の小さなこと。目の前のこと。欲望のこと。それに対していつも真剣で真面目だった。

 どちらが希望を見失わずにいたのか。人の繋がりを信じていたのか。

 他者の憎しみ、悲しみ、憧れ、尊敬。人が集めるにはあまりにも大き過ぎる光。それらを自分の手に持てるぶんだけ享受し、それ以外を切り捨てる。

 己の範囲だけという徹底した揺るぎなさは、あまりにも強過ぎた。普通の人間ならばできないが、この人間はできた。

 そうなった経緯を、サイファーから一度も聞いたことがない。

 俺たちはまともに話したことがなかったなと、ここでもようやく気づく。

 ピクシーはこの段階になって、やっと分かった。この執着は強欲な恋に似たものなのか。歪曲した愛に似たものなのか。鋭敏過ぎる信仰に似たものなのか。

 あれは星。

 夜になれば消える太陽の光ではない。

 あまりにも人過ぎて神ではなく、星。

 昼間は見えない。暗い夜、濁った空で、ひときわ輝く星。

 あの星が見えたからクーデター集団のところにまで来て、来てしまって、それでも大丈夫と思えたのは、あれがけして墜ちることのない星だから。

 ずっと星が欲しかった。

 いつ現れるかも分からない神や英雄でなく、暗い中でも輝き続ける自分だけの星。

 『国境無き世界』のように、花火を打ち上げて大きく輝いたあとで、流れ落ちる星ではない。あれは天の北極に最も近い輝星。

 成すべきことを成し、過度に主張することなく、だが空に輝き続け、矛盾をかかえて道に迷う者たちを導く不動の星。

 あの星が答えを指し示す。

 今の境目をまだなくすなという、一つの答え。

 内なる願いの声に耳を傾けよ。己の内なる欲望に忠実であれ。

 おとぎ話で魔女に望みを叶えてもらうのと引き換えに、声を失う異形の存在のように、妖精は翼を代償にする。

 そして、自分だけの輝ける星を胸にいだいて人間となり、地上へと墜ちていった。

 

END

 

-5ページ-

   後書き

 

サイファーとピクシーが、小さい時にすでに出会っていたら面白いなと思いました。先に手を離したのはどちらだったのか。ピクシーのサイファーに向けた巨大な感情は「You're My Only Shinin' Star」だと思います。

説明
ZEROのサイファーとピクシーの話。時期はM11ホフヌング爆撃後中心。ネタバレと捏造だらけなのでお気をつけて。コックピットを撃たれなかった理由→http://www.tinami.com/view/987078
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