小説「深海の天秤」一章 ファーストインパクトの挿絵F
説明
「っ♪」

 そして今、落谷は澤木課長の命令どおり、新人刑事・阿妻と引ったくりの被害者が手当てを受けている病院に来ている。
 乗ってきた車を駐車場に停めると、鼻歌まじりで人差し指にかかった車のキーをグルグル回しながら入口から受付に向かう。
 建物内は、ここら辺では一番大きな総合病院の午前中とあって、来ている患者が多い。そして平日だけあって、待合所に座っている人々は年寄り率が高い。

「どうも−っ♪ここに、引ったくりで怪我した二人が来ているって聞いたんだけど、どこに行けば会えるかなっ?」

 内容に反して、落谷の軽いノリに不信がる受付の女性。落谷はそんな反応に慣れているのか、すぐにジャケットの内ポケットから警察手帳を出して、自分の顔と手帳内の写真の顔を照らし合わせて見せた。
 ニコッと笑う落谷。手帳を見せても、それでも受付の女性の信用度は78%と微妙な上昇で停滞してしまう。
 すると急に訝しがっていた受付の女性の表情が、「あっ」という口の開きとともに一変する。
 「んっ?」と思った落谷は、女性の視線を辿るように振り向いた。


「落谷刑事ですよね?初めまして、阿妻 陽向(あづま ひなた)です」


 受付の女性に聞こえるように、やけに「刑事」のところを強調した言い方。そして、目の前で深々と下げた頭がゆっくり上がる。
 そこには眼鏡と猫のようなつり目が視野に飛び込んできた。

(……澤木課長に聞いた話だと、確か25才だよな?)

 落谷は直立な姿勢の阿妻に歩み寄りながら、あからさまに品定めをするように頭の先から足の先にかけて視線を動かす。
 だが阿妻はそれに動じることなく、落谷の返事をジッと待っているようだった。
 その顔は落谷が疑問符を浮かべるほど童顔。十代だって言っても信じてしまいそうなほどだ。
 髪は色素の薄いブラウン。動きでフワフワ揺れるほどのカールがかっている。仕事上、染めることもパーマをかけることも基本御法度なので、たぶん地毛なんだろう。
 服装は、シャツとパンツが黒。形よく絞められたネクタイは麦藁色。ここまではキッチリしているのだが、何故か羽織っているのはオーバーサイズのクリーム色のカーディガン。これが更に幼さに拍車をかける。
 人のこと言えない落谷だが、服装だけいえば阿妻も刑事には見えない。
 けれど落谷と全く違うのは、その雰囲気。
 強く結ばれた口元に、ピッと伸びた姿勢。顔も減点が見つからないほど、洗練され整っている。
 一言でいえば、誰もが阿妻に持つ第一印象は「生真面目そう」だ。片や落谷は、何もかもが浮草のようにユルユル過ぎる。
 そんなユルユル落谷は「ん"〜〜…」と唸りながら、
上下に動かしていた視線を阿妻の顔の正面で止めた。その整った顔の右頬には5cm × 5cmほどのガーゼが貼られている。
 カーディガンの袖から見える左手にも、白い包帯が微かに見える。
 服も汚れが目立ち、たぶん引ったくりともみ合ったときに全部負ったものなのだろう。
 ここでやっと落谷の口が開く。
 その第一声が…。


   「……陽向というより日陰じゃね?」


 これが小野塚だったら絶対にドデカい怒りマークが点灯し、澤木課長が「要らんことを…」と苦笑いする事例だ。
 が、阿妻はピクリとも表情を変えず…。

「はい。よく言われます」

…と言った。
 声色にも不快や初対面の緊張とかは感じられず、若人特有の感情の揺らぎが無い。
 落谷の戯言を肯定するのもなんだが、「陽向」の名前からくる暖かみを感じられない。どちらかというと、波の無い冷たい湖面…といったイメージだ。

(これが『七光り』で『元悪ガキ』…ねぇ?)

 落谷は、阿妻の顔を覗き込む姿勢から状態を伸ばし、一歩引いた。

「いきなり、ゴメンっ♪ゴメンっ♪君が『阿妻官房長の息子さん』?」

「はい」

(……反応無しかぁ)
「いいなーぁ。お父さんが偉い人だと、色々と得することも多いでしょ?」

「得かどうかは分かりませんが、父の親しい方々には良くしてもらってます」

(…スゴいな〜ぁ。自分で『七光り』のコネを、有効活用しちゃってますって言っちゃってるよ、この子っ)

 それでいて落谷の頭半分低いところから見上げる阿妻の目には、上位に立つ優越感といったものも一切無い。

「俺も、ヒナちゃんのお父様の恩恵にあやかりたいものだよっ」

 両手を胸の前で開いて、軽口を続ける落谷。ここで初めて、阿妻の表情が微かにピクッと反応した。

「………『ヒナちゃん』?」

 「おっ?」と思いながらも落谷は続ける。

「うん。陽向だからヒナちゃんっ。それに刑事になりたてだって聞いたから、ヒヨコでヒナちゃんっ」

 今までジッと落谷を見ていた阿妻の目が、斜め下に流れる。

「……………恩恵のほうは、落谷さんには不必要ではないですか?」

「えっ?何でっ?」

 小首を傾げる落谷。

「昇進とか興味無いでしょ?貴方を動かす原動力は、ただの『正義感』ですよね」

「プ…っ!」

 新人らしからぬ阿妻の言葉に、思わず噴いてしまった落谷。刑事ではあるが、『正義感』なんて自分には程遠い言葉だろう。

「ククク…ッ。ヒナちゃんてば表情筋死んでるのに、言うことは面白いねっ」

そう言うと落谷は阿妻の横に回りこんで、馴れ馴れしく肩に腕を回して体を揺さぶる。

「それもよく言われます。あと、負傷しているところが痛いです」

「あっ、ゴメン」

 ハッと離れる落谷。阿妻は左腕をカーディガンの上から擦った。

「少なくとも昇進目的で仕事をしているのなら、上の命令を無視して、警視庁が追っている犯罪組織【ブラッディ・ヴィーナス】のドラッグ製造工場を単身で潰したりしないでしょ?」

 ここでまた横に立つ落谷の顔をジッと見上げる阿妻。
 落谷は「ヴッ」と唸る。
 阿妻が言っているのは、約半年前。落谷たちの署管轄内で、大量殺人が起きたことから始まる。
 ここではそこまでの経緯の説明を省くが、最終的にその殺人には犯罪組織【ブラッディ・ヴィーナス】のドラッグ製造工場が関係していることが判った。
 落谷はそれを阿妻が言ったとおり、警視庁からの制止を振り切って一人で潰してしまったのだ。
 いくら落谷でも、この後の責任問題に発展するのは覚悟した。でも不思議なことに、澤木課長含めた多数の上司にコッテリお説教食らったぐらいで、後は大したお咎めは無かった。
 「まあ、日頃の行いが良かったんだろうっ♪」と、一課の部屋で呟いた落谷に、周りの人間は全員「それは絶対に無いッ!」と心のなかで叫んだものだ。

「……ヒナちゃんてば、よく知ってるねー。」

 なんとも言えない顔で阿妻を見返す落谷。

「はい。これから組むバディの人となりを知るのも仕事の一環と思い、事前に澤木課長から落谷さんの資料をいただきました」

 それを聞いた落谷は、勢いよく阿妻がいる側とは反対方向を向く。

(やっぱ澤木さんッ。初めからヒナちゃんと組ませる気だったじゃないかよッ。それも要らんことまで教えてッ)

 ここにはいない澤木課長に向かって、口を尖らす落谷。でもすぐに顔を戻し「まっ、いいや」と投げた。

「で、澤木課長に聞いたんだけど「引ったくりにあった被害者が、今回の殺人事件に関係している」って、進言したんだって?」

「はい」

「その心は?」

「引ったくりの被害者に会っていただいてからお話します」

 そう言うと阿妻は受付の女性に「お世話になりました」とばかりに軽く一礼をし、方向を変えると落谷に「こちらに」と促して歩き始める。
 頭を下げられた受付の女性は阿妻の紳士的な対応に頬をうっすら桃色に染めた。が、次に落谷が「じゃねー♪」とチャラく片手を振ると、一気に冷めたようにゲンナリとした。
 どうやらこの受付の女性の好みは、誠実な男性のようだ。
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