オリジナル小説「深海の天秤」一章 ファーストインパクトの挿絵G
説明
 誘導するように前を歩いていた阿妻に、落谷は横に並ぶ。
 病院内は人が多いはずなのに、遠くで打ち寄せる細波程度の音量しか周囲の雑音は入ってこない。代わりに、薬剤や除菌アルコールなどの混じった独特の匂いが鼻につく。
 落谷たちは長く白い廊下を歩きながら、受付の前から始まった会話を続ける。

「まあ、資料見て知ってると思うけど一応自己紹介ねっ♪俺、落谷 皐(おちや さつき)、ピチピチの35歳。丁度、ヒナちゃんとは10歳差だねっ」

「ご丁寧にありがとうございます。でも、35はピチピチとは言わないんじゃないですか?」

 阿妻は眼鏡越しに、横目で落谷を見ながら歩く。どうやら阿妻は、話す相手をガン見する癖があるらしい。

「気持ちが若々しければ言うでしょ」

 おどけたように首をすくめる落谷。

「「若々しい」と言っている時点でアウトでは?」

「ヒナちゃんてば、初対面でもハッキリ言うね〜〜ぇ」

「その点に関しては、あまり周りから注意されたことがありませんでしたから」

(……いや、たぶん遠回しにイヤミ混じりに言われてるとおもんだけど。)
「ん〜〜っ、『官房長の息子』だから言われない?」

「でしょうね。」

(やっぱり。気づいてないのか、流しているのか…)
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 淡々と喋る阿妻。
 先ほどもそうだが、自分が『七光り』だということに、まったく優越感も劣等感も感じていないようだ。
 ただただ『七光り』という利点を、ハサミやペンのように「そこにあるから使う」「必要だから使う」といった感じだ。
 だが、感じてないということに関しては落谷も負けてない。
 落谷の視線が、阿妻の頭の天辺にいった。

「俺、身長188cmだけど、ヒナちゃん低いよねーぇ。175ってところ?」

 普通なら、背の低い男性はこのての話は嫌がるのでタブーとされているが、落谷はあえてする。
 阿妻の反応は…?

「いいえ、171cmです。」

…と、何の感情の含みもなく、更に低い実身長をサラと答えた。

「へーぇ、そうなだー。そうすると、その着ているカーディガンもオーバーサイズに見えるけどM?ってか、何でシャツの上にカーディガン?」

「朝、考えごとしていたら、部屋着で羽織っていたカーディガンのままで家を出てしまいました。あとこれは、元々オーバーサイズで売られていたものです」

「アハッ…天然かッ!」

 吹き出して笑う落谷が、裏手で阿妻の肩にでツッコむ。阿妻は、また淡々と「それも、よく言われます」と返した。

「でもそうだよね。ヒナちゃんて、ヒョロく見えるけど、さっき触った感じ結構筋肉質でガッチリしてるよね。何か運動でもやってんの?」

「運動というほどではありませんが、刑事ですからそれなりに体は鍛えてます」

「何か武術系もやってるんじゃない?」

「はい。少々」

「少々?それにしては引ったくりたちから受けた怪我も、しっかりガードしたうえでの急所を外したモノだよね?それなりに経験が無いとできないよ」

 覗き込むように聞く落谷。だが「そうですか」と返した阿妻の目は、まったく揺れない。

「落谷さんの話し方は、まるで取り調べみたいですね」

「そう?」

「いや、合コンかな。そんなにグイグイ行くのが、お持ち帰りのコツなんですか?」

 そう言った阿妻の視線が、ここでやっと少し斜め下にずれた。

「んっ?」

 小首を傾げる落谷。どうやらその視線は、落谷の首筋に止まっているようだ。

「ああっ、コレっ?言っておくけど、キスマークじゃないから。昔からあるアザだから」

 落谷はそう言って、自分の首筋を触る。
 その首筋には、蚊に刺されて腫れた程度の大きさの赤紫のモノが見える。場所は落谷がクセでよく掻く場所だ。
 確かに見ようによってはキスマークに見える。というか、落谷のチャランポランな性格がそう見せているともいえる。
 それもそのアザ、見ればハートのような形をしていた。

「つーぅか、なに合コンに行きまくっている定になってんの、俺?資料で既婚者じゃないって知っているだろうけど、それでもただ彼女とラブラブ〜〜ゥ♪ってだけかもしれないじゃんっ。良くないな〜〜、そういう片寄った見方」

「そうですか?さっきの受付の女性の対応もそうですが、落谷さん、あえて特定の人間関係を作るのを避けている振る舞いをしているように見えたので」

「……へえーっ、ヒナちゃんてはよく見てる〜。それこそ、俺が取り調べでもされているようだっ♪」

 ニコッと笑う落谷。

「…………。」

 足を止め、ジッと見返す阿妻。その手が真横のドアを指す。

「着きました。ここに引ったくりにあった女性がいます」

「んでもって、今回の殺人事件に関連してる…ってぇ子?」

「はい」

 返事をすると、阿妻は引戸をゆっくりと開けた。
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