Hugged tightly.
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まったく、野良猫みたいな人だな。今日もいつの間にか道場に入り込んでは、我が物顔で居間に居座っている八神さんを見て溜息が出た。憮然とした顔を見れば、草薙さんがいないことに大層ご立腹らしい。草薙さんはさっきマネージャーさんと出掛けたばかりだから、多分すぐには戻らない。そう告げたら諦めて帰ってくれるだろうか、いや、逆に意地になって戻るまで待つ!とか言いそうだ。

「……貴様か」

気配に顔を上げた彼の視線がおれを捉える、しかし目当ての人物ではなかったからか彼の瞳はまたすぐに何処かへ向いてしまった。随分な態度だ、おれだって一応格闘家だし草薙さんの弟子なのに。座卓の対面に座って胡座をかく、彼はうざったいと言わんばかりにわざとらしい舌打ちをくれたけど、とうとう席を立とうとはしなかった。

まるで盗み見るみたいに、正面に座る彼の姿を一度だけ見た。整った横顔、長い睫毛、薄い唇……黙っていたなら本当に綺麗な人だと思う。

草薙さんに異様なくらい執着していたり、口を開けば死ねだの殺すだのと物騒なことを言うのは本当に怖いけど、マネージャーさんには優しかったり野良猫を保護して飼ってたりするからよくわからない。この人は一体何を、どんなことを考えているのだろう。……考えていることの中に、多分おれのことなんてどこにもないことだけはわかってた。

言葉も視線も交わさないままで時間だけが過ぎていく。沈黙に堪えかねてテレビのリモコンに手を伸ばしたおれは、電源を点けて適当なチャンネルを回した。

「喧しい、消せ」

「いいじゃないですか少しくらい」

すぐさま文句を言う八神さんに、それなら普通に日常会話くらいしてくれてもいいんじゃないかと、文句を言いたいのはこっちのほうだ。何度目かのザッピングで現れた情報系クイズ番組を何となく観ていると、今日のテーマは『ストレス』だっていうから何だか笑ってしまった。この状況でそんな話、笑うしかないだろう。

番組は様々な行動からストレス解消に効果があるものを選んでいくクイズをやっていて、その中にあった『ハグ』のパネルがぴこんと光る。どうやらそれは正解の合図だったみたいで、スタジオでは何らかの学者らしき先生がさもそれらしく解説を始めた。

『……――ストレス解消にはハグをするといい、先生これはどういった効果が、というか、体に何が起きてるんでしょう?』

『そうですね、まず親しい人とハグ、抱き締め合うという行為をしますと、脳内に2種類の物質が分泌されます。ひとつはオキシトシン、もうひとつはドーパミン』

『これがストレスに効くんですかぁ?』

『はい、まずオキシトシンは幸せホルモンとも呼ばれていて――……』

へえ、とテレビに向かって相槌を打ってしまった。ちゃんとした効果があるんだな、人間の体って不思議だ。クイズはまた別の話題に切り替わったので、おれはまたチャンネルを変えようとリモコンを持った。

「おい」

「ひゃいっ!!」

そしたら急におっかない声で呼び掛けられて、驚いたおれはリモコンを落としてしまう。ガツンと座卓の端にぶつかって畳の上を転がるリモコンを追い掛けるのを制止するように、彼はまたしてもおっかない声でもっておれを呼びつけた。

「来い」

「は、はい?」

「いいから、来い」

鋭い眼差しと指先でもっておれを呼んでいる、何で、なんて聞かせてももらえない雰囲気だ。恐る恐る膝立ちで対面まで進み出ると、八神さんは指先で卓上をトントンと叩きつつ不機嫌さを顔全体に押し出してはおれをなじってきた。

「俺は今非常に苛立っている。貴様が何とかしろ」

「えっと、あの、それはどういう」

苛立ってるって言ったって、そんなのおれには関係のないことじゃないか。勝手にやってきて草薙さんがいないから勝手に拗ねてるだけで、それをおれにどうにかしろって言われたって困ってしまう。おれにどうにかできるっていうなら、きっともうやってる。

困惑と共にやんわりとした拒絶を示したなら、彼は舌打ちと溜息のコンボを食らわせたあとでつけっぱなしになっているテレビの画面を指差す。

「今そのくだらん番組でやっていただろうが」

番組?テレビの?やっていた?そこまで考えてすぐに察しはついた、ついたけど、それが本当だとしたらとんでもないことを言われているんじゃないかと顔が熱くなる。真偽を問うために、おれはまさかのそれを口に出して問う羽目になった。

「ハグ、しろってこと、です、か?」

テレビと彼の顔とを視線が行き来して、彼と目が合った瞬間にこくんと頷かれる。ウソだろおい。「なんで」と流石に声に出てしまった、だって八神さんがおれにハグしろって言うなんて普通じゃ考えられない。だって、だって八神さんだぞ?八神さんとおれが、ここで今ハグをする。普通じゃない要望に普通じゃない想像が膨らんでいって、一気に心拍数が上がった。本当に何を考えているのかわからない、おれのことなんて絶対に毛ほども考えてないはずなのに、どうして。

ばくばく跳ねる鼓動がうるさくて応えられずにいたら、おれの体が急に前方へ傾く。何かに引っ張られたのか、「わ」と声が出たのと同時におれの体はすっぽりと八神さんの腕の中に収まってしまっていた。

「……えっ、えっ!?」

つまりは、焦れた八神さんがおれをハグしようと引っ張ったらしい。シャツ越しにわかる厚い胸板とか、力強い腕だとか、そういうものにおれはしっかりと包み込まれている。状況を飲み込めず、かといって拒絶もできないまま時間だけが過ぎていった。

……沈黙が続く。だけどさっきと違って、少しだけ気持ちが落ち着いてるような気がする。ぴったりと彼の胸元にくっついた耳に聞こえる鼓動は少し速い、もしかして八神さんもドキドキしてるのかなと思ったら胸の中にドキドキと一緒にモヤモヤしたものが広がる気がして下唇を噛む。何だこの気持ち、ドキドキよりももっと苦しい。苦しくて、おれは彼の背中をぎゅっと握ると今度はおれのほうへと彼を抱き寄せてしまった。

「……あの」

「何だ」

「その、ストレス……なくなりました?」

少なくともおれの心は全く穏やかではない。そういや『親しい人とハグ』って言ってたっけ……じゃあダメじゃん、おれと八神さんは親しくも何ともないしストレスなんかなくなりっこない。ただただドキドキして、苦しいだけだ。

八神さんの腕がぎゅうっとおれを強く抱く。うなじに顔を埋められて驚くやらくすぐったいやらで身を捩ったら、腕の拘束が少しだけ緩くなった。八神さんはおれの耳元で、低く静かな声で告げる。

「……もう少しやってみねば解らん」

「そ、そうですか」

言われるまま、その腕の中で体を預けることになる。彼は彼でおれの肩に顎を乗せたり猫みたいに額を押し付けたりしていて、そんなに落ち着かないなら離れたらいいのにって思ってしまう。離れてって言おうか、だけど言えなかった。鼓動が徐々に落ち着きを取り戻して、おれは彼の体温がようやく心地よく感じられるようになっていた。

「真吾」

「えっ、あっ、ひゃいっ」

突然名前を呼ばれた。初めてじゃないだろうか、いつも貴様とか駄犬とか京の犬とか、そんな調子だったから戸惑って声が上ずる。耳のすぐ傍で感じる声にはいつもの怖い感じなんて全然なくって、どちらかといえばおれと同じように戸惑っているような雰囲気すらある。

「嫌では、ないのか」

ぽつりと溢した言葉はその最たるもので、こんなにも弱気に聞こえる言葉をこの人が口にするなんて思ってもみなかった。いつも人の気持ちなんか考えなくて、自分勝手に振る舞って草薙さんを困らせてばかりいるっていうのに、これじゃあおれが彼を困らせてるみたいじゃないか。おれは何となく彼の背中をさすりながら、まさか宥めているわけじゃないけど……だけど何となく今はそうしていたくてそのままで彼の問いに答えた。

「嫌、って感じでは、ないです……とりあえずは……」

「……そうか」

それならば、とまた彼の腕に力が籠った。おれも仕返ししたくて強く彼を抱き寄せる。気付いたら鼓動はすっかり落ち着いていたから不思議なものだ、一体どうして彼に体を預けようと思ったのか、わからないけれど今はただ本当に何となくこのままでいようって思う。

ストレスが無くなっているかは全然わからない。でも、こんなに近くにいるのに恐怖を抱くことも怯えることもない。ただ彼の温もりだけがじわりと体に染み込んで、この温もりが馴染む頃にはお互い『親しく』なっているものなのだろうかと考えながら彼の肩口に吐息を染み込ませた。

説明
G庵真、お題ガチャより。両片想いのふたりです。
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