「戦神楽」 紅蓮編 (1)珀葵
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 時折、とてつもなく憂鬱なモノが心のどこかから集まってきて、澱(オリ)のように沈み込み、奥底で揺蕩(タユタ)っているのを感じる事がある。

 不足には充足を、不安には安堵を、凶事には幸福を。

 すべてが神によって充たされるというのなら、きっとこれは消化不良なんだろう。

 無条件にすべてを充たした結果、自身では処理しきれなくなってしまうほどの神の施(ギフト)が、身体の中で膨れ上がってはちきれそうになる感覚だ。

 こんな時は、何をするのも億劫だ。

 何もかもを与えられ充たされているのに、何も充たされていない不思議な感覚――まるでこの充たされた神の匣艇(ハコブネ)から自ら零れ墜ちたいとでも切望しているような。

 最近、特にこういう事が多い気がする。

 

「……足りない」

 

 いつの間にか口癖になってしまっている、まったく意味など持たない台詞を窓硝子に向かって吐き出してから、オレは視線を生徒会室内に戻した。

 すると、棚の資料整理をしていた赤いフレームの眼鏡少女がにこりと笑いかけてくる。

 

「お兄ちゃん、そろそろ部活、始まるんじゃない?」

 

「まだいい。ぎりぎりに行くよ」

 

「そう?」

 

 妹であり、生徒会の一年生書記で優秀な補佐でもある九条(クジョウ)里桜(リオ)は、嬉しそうに笑った。高い位置で二つに括った髪がゆらゆらと揺れる。

 里桜(リオ)の笑顔を見ると、これまで圧迫され、もがいていた胸底の澱が、すっと消えるような気がした。

 

「いいの? あたしの方はもうすぐ終わるから大丈夫だよ?」

 

「いいんだ、少しくらい遅れても」

 

「窓なんて見てるくらいなら、早く行って秋原先輩の相手をしてあげたらいいのに」

 

「だからもう少しここでゆっくりしたいんだよ、里桜。生徒会室にはオマエがいるからな」

 

「もう、何言ってるの!」

 

 かぁっと頬を染めた里桜を見て、軽く唇の端をあげる。

 一つ下の、可愛い妹。オレを追いかけて同じ高校に入学した、可愛い可愛い妹。

 

「女の子たちに誰でもそんな事を言ってるから、あたしが苦労するのよ。みんな、お兄ちゃんが本当はこーんなにイジワルだって知らないんだから!」

 

「何だ、苦労してたのか? 自慢の『お兄ちゃん』がいて幸せだろう?」

 

「亜里沙もひとみも加奈子も恵美もヒナも響子も芳枝も、みんな騙されてるわ!」

 

「……その子たちが誰か知らないが、オレはオマエ一人がいれば十分だよ、里桜」

 

「またそんなこと言う!」

 

 そう、冗談だと思ってもらえればいい。女の子とみれば誰にでもそんな軽口を叩いていると思っていればいい。

 オレが冗談めかして秘かに隠した本気になんて、気づかなくて構わない。

 どろどろと胸の奥底で足掻くこんな想いになんて、一生気づかないでいて欲しい。

 一番上の棚に戻そうとして届かなかったらしい書類を里桜の手から取り上げてさっと片づけてやると、感謝するどころか頬を膨らませた。

 その頬を指でつつく。

 

「どこが『あたしの方はもうすぐ終わるから大丈夫』だ。書類一つも片付けられないじゃないか」

 

「もぉっ」

 

 さらに膨れ上がった里桜を笑う。

 こんな風に笑うのは里桜の前でだけだと、どうして彼女が気づこうか。

 

「あたしの邪魔してないで、早く部活いきなよ、お兄ちゃん」

 

「オレがいつ、オマエの邪魔をした?」

 

「……イジワル」

 

 可愛い妹。たった一人の妹。小さい時からずっとオレが守ってきた。

 いつしか独占欲がのさばってくるのなんて、きっと予定調和だ。

 神の意に背く予定調和。

 

「でも、あんまり秋原先輩を苛めちゃだめだよ? それに先輩から、来年は主将になるようにって言われてるんでしょう」

 

「よく知ってるな」

 

「うん、だって秋原先輩によく言われるもの、『九条ときたら、才能があるんだがいかんせんやる気がない。何とかしてくれ!』って」

 

 眉間にしわを寄せ、剣道部主将である秋原(アキハラ)大和(ヤマト)の声真似をしたつもりであろう里桜の額を軽く小突き、彼女の文句を背中で聞き流しながら、生徒会室を後にした。

 

 

 

 

 九条(クジョウ)恭而(キョウジ)17歳、私立頼成高校の生徒会副会長、兼、剣道部主将(予定)。

 両親健在。会社の重役である父親の恩恵で何の苦労もない生活を送り、美人の母親に似て想像を絶する美少女に成長した明るく優しい才色兼備の妹までついてくる。ここ私立頼成高校に入学し、成績はいつも上位、剣道では全珀葵大会出場。妹の里桜(リオ)に言わせれば凶悪な目つきは、しかし、クラスメイトに言わせれば整った顔にはそれなりに似合っているらしい。

 オレの経歴に、何の文句もないだろう?

 これ以上、何を望む。神によって充たされる世界で、いったい何が不足するというのだろう。

 

 最も、一番欲しいモノは手に入らないのだけれど。

 望んではならないコトだから。きっと、神でさえ与えることはできない、決して明かしてはならない想いだから。

 

 

 

「九条! やっと来たか! 遅い!」

 

 剣道場に足を踏み入れるや否や、主将である秋原先輩の声が飛んできた。

 細身ではあるが決して軟弱ではない長身の秋原先輩は、昨年の大会予選でオレに負けてから、目下、オレを倒すことだけを目標にしているようだ。

 

「遅いって言いますけど、秋原先輩、部活が始まるのは30分後ですよ」

 

「誰よりも早く道場に来て稽古するのが主将の務めだ! 覚えておけ、九条!」

 

「オレは生徒会だから早く来るのは無理だって3日前にも言いましたよね」

 

「そうだったか?」

 

 秋原先輩は、後輩の面倒見もよく、教え方もうまいのだが、声が大きいのと人の話を聞かないのがタマに傷。

 それでも後輩には慕われている。

 今も、オレと秋原先輩のやり取りを聞いて道場内からくすくすと押し殺した笑い声がする。

 

「とにかく着替えて来い、九条! 話はそれからだ!」

 

 びしりと竹刀の先をオレに突き付け――確実に武道の心得に反している気がするが――秋原先輩はそう言い切った。

 

 もちろん、部活を終えた時、地に伏していたのは秋原先輩の方だったのだが。

 

 

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 吹奏楽部の練習を終えた里桜を待ち、校門で待ち合わせて二人で帰る。

 頼成高校から家までは徒歩で15分ほど。学校周辺の住宅街を抜け、商店街をこえたところにあるマンションまで、緩やかな下り坂が続いている。

 つい先日入学式を終えたばかりだが少々上着が鬱陶(ウットオ)しくなるこの季節、部活が終わって帰る頃にはちょうど黄昏の時間だった。天頂から少しずつ薄暗くなっていき、高層建築物群の影を朱に映しながら、少しずつ夜の帳(トバリ)が降りてくる。

 隣を歩く里桜の頬に夕焼けの影が落ちている。

 驚くほど憂いを帯びたその表情に釘付けになった自分を戒めて、視線を反らした。

 

「お兄ちゃん、今日の晩御飯、何かなあ?」

 

「ん? 確か午前中に田舎からばあさんが来てたはずだから、また山菜じゃないか?」

 

「わあい、あたし、おばあちゃんの山菜、大好き!」

 

「……高校一年生にもなって夕飯で一喜一憂するな」

 

 しかも山菜。

 いつまでも成長しない妹にため息をつきながら、再び目の前に広がる黄昏の空を見上げた。あと数分も時を刻めば、辺りは真っ暗になるだろう。

 そして、朝には天に張り付いた太陽が再び東から昇ってくる。

 空を見ると、どうでもいい疑問がいくらか浮かび上がってきてしまう。

 なぜ、天は廻るのだろう?

 なぜ、時は進むのだろう?

 なぜ――オレは、この世界に生まれたのだろう。

 答えのない問いをいくつか並べ、自嘲気味に笑う。これが、世に言う思春期というヤツなのだろうか? 自分自身の存在意義を探す、脆弱かつ無意味で無益な人間特有の思考活動を始めてしまうのは、避けられぬ道なのだろうか。

 それとも――

 

「どうしたの? お兄ちゃん、ぼんやりして。置いてっちゃうよ!」

 

 商店街を抜けて、マンションまでは公園を横切るだけ。

 いつの間にか辺りはすっかり夜になっていた。

 子供の姿もない薄暗い公園には、生き物の気配がなかった。

 うるさいくらいの静寂が支配する、不思議な空間。

 普段なら、商店街からマンションに帰る客や子供を迎えに来た親、それにオレたちのような学校帰りの学生なんかが一人くらいいてもおかしくないというのに。

 肌が粟立ち、ざわついた。

 危険な予感はないが、何かが起きる気がする。

 

「里桜」

 

 いつもと違う雰囲気に、オレは思わず里桜の腕を引き寄せていた。

 

「どうしたの? お兄ちゃん」

 

「静かに」

 

 この場所だけ、この公園だけが世界から切り離された感覚。

 何か、来る……?

 オレの感覚が告げている。

 

 

 

 

 世界が狂う。

 完璧なはずの世界が歪む。

 狂おしいほどに欲した何かを授ける使者がやってくる。

 

 

 

 

「目標捕捉しました。現時点を以(モッ)てこの区域を閉鎖します……あーやっと見つかったぜ。苦労させやがって」

 

 唐突に静寂を破る声。

 同時に、目の前の空間がぐにゃりと歪む。

 驚いてしがみついてきた里桜の肩を抱き、背に負っていた竹刀を抜いて突きつけた。

 やがて、歪んだ空間から白い帽子がひょっこりと頭を出した。

 何もなかった空間から、ゆっくりと少女が這い出てくる。

 最初は白い帽子、そして長い金髪と銀髪。右手に小さな本を持ち、服は右半身の白と左半身の黒の二色、水色のスカートの裾をひらりと翻して。

 

「九条(クジョウ)恭而(キョウジ)さんを珀葵(ヒャッキ)における異物と認識、排除を開始します」

 

 意味不明な言葉を口にした。

 

 

説明
 満たされる、充たされる、ミたされる――
 神の嘆きが創り出した平和な世界『珀葵』、そしてそこから零れ堕ちたモノが業を背負う世界『緋檻』。
 珀葵に蕩揺う平和の裏で、緋檻の民は業を重ねていく。

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◆これは、戦略シミュレーションゲーム『戦神楽』の宣伝用に執筆されたものです。
 RPG版のシナリオ原本でもあります。
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