YS―11
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説明
戦後日本が ようやくアメリカから航空機の製造を許可されて 初めて設計制作した国産旅客機がYS―11だ。 1957年(昭和32年)5月、 財団法人 輸送機設計研究協会、通称「輸研」が東京大学内に設立され、戦後初めての小型旅客機の設計が始まったそうだ。輸研に参加したメーカーは数多くの複数企業提携となり 設計者たちには、零式艦上戦闘機 「ゼロ戦」 を設計した堀越二郎、中島飛行機で一式戦闘機「隼」を設計した太田稔、川西航空機で 「紫電改」 を設計した菊原静男、三式戦闘機 「飛燕」 を設計した土井武夫といった そうそうたる面々が集結し、製作に携わっていた木村秀政も加わり「五人のサムライ」と呼ばれたそうだ。ただ「五人のサムライ」は設計のみで実機製作には携わらないと宣言していたという。1959年(昭和34年)官民共同の特殊法人として日本航空機製造(NAMC)が設立され、輸研は解散した。1960年(昭和35年)からの実機製作は三菱から出向してきた東條輝雄 技術部長に任せられたそうだ。東條は、かつて堀越と共に「零戦」の設計に携わっていた一人だ。1962年(昭和37年)7月11日に試作1号機(1001)が三菱小牧工場で公開試験が開始された。1か月に渡る各種検査、試験を経て、8月14日にエンジンに初点火し、8月25日から滑走路での地上試験、ブレーキテストを行い、8月30日に200人以上の報道関係者を招き初飛行を行った。「YS-11 PROP-JET」と描かれた機体は、名古屋空港から伊勢湾上空を56分間にわたって飛行し、各種試験、および報道関係者へのお披露目を無事終えたという。 YS―11は1965年3月30日から運用が開始され、182機が生産されている。2006年になると、日本国内では 旅客機としての役目は終えたが、海上保安庁は2011年まで使用し、航空自衛隊では2025年の今でも運用している。航空保安無線施設の機能状態を点検する飛行点検機として2029年の2月ごろまでは飛ばすつもりらしい。 自衛隊が60年以上も大切に使い続ける気持ちが解る気がする。YS―11には純日本製としての誇りや夢などがつまっていると思うのだ。
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