1884年10月13日、アメリカのワシントンで開催された国際子午線会議において、世界の時刻の基準となる子午線は イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線(経度0度)に決定された。それに準じて日本の標準時線は年1886(明治19)年7月12日に決められたそうだ。 日本の標準時が東経135度に選ばれた理由は、”地球の1周360度を24(時間)で割ると15度”になり、経度15度ごとに1時間ずつ 子午線がずれて行くことになる。グリニッジが基準の0度だから、 東京付近は 東経140度になるが、140だと15で割り切れないから9,333333…となり時差が生まれるので都合が悪い。日本の国土で15度の倍数に該当する子午線は 東経120・135・150度の3本があるが、東経120度は最西端の石垣島でも東経124度9分の位置で東経120度に届かず海中になってしまう。北海道の最東端にある納沙布岬は東経145度49分でやはり東経150度は海の中だ。日本の真ん中でちょうど良いのが東経135度だったのでここが日本の時刻の基準になったのだ。石垣島と納沙布岬では南北の気温差は勿論だが、時差も2時間近くあるわけだ。15度で分けてゆくと東経135度÷15=9時で 9時+0時=9時だから日本が9時ならロンドンは0時となるわけだ。これなら すっきりして分かりやすい。東経135度の子午線は12の市を通っている。北から京丹後市、福知山市、豊岡市、丹波市、西脇市、加東市、小野市、三木市、神戸市西区、明石市、淡路市、和歌山市になる。それぞれの町には、子午線を表示する標識やモニュメントが建っているそうだ。しかし12も市があるのに、子午線が市の外れを通っている明石市ばかりが有名になったのは、1910(明治43)年に小学校の先生たちが明石市に日本初の子午線標識を建設したからのようなのだ。標準時子午線の重要性をいち早く認識した明石郡校長会が立てたものだという。その後 東京天文台(現国立天文台)の経度が修正されたため、明石市教育会は標識をより正確な位置に立て替えることにして、1928年に明石中学(現明石高校)で約1カ月かけて天体測量が行われたそうだ。1951年に再び天体測量を行った結果、それに基づいて標識は作られたという。日本地図の東経135度子午線は明石市立天文科学館(日本標準時子午線上に建つ 時と宇宙をテーマとした科学館)の西約370m付近で、GPSなどに対応した「世界測地系」では西約120m付近を通りそれぞれ誤差が出ているが、どれが正しくてどれが間違っているかは あまり気にしていないらしい。明石市の人々の子午線に対する強い関心が、1960年の天文科学館開館につながり、子午線のまちというイメージを定着させているようだ。 アメリカのように広すぎる国土はハワイとアリューシャンも分けると7つの標準時があって、それぞれに時差があるそうだ。アメリカで時差ボケするのも無理はない。 |