ばいきんまんのバ
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説明
4月26日の記念日は「よい風呂の日」だ。ただ 毎月26日は元々「風呂の日」であり、6月26日は「露天風呂の日」、11月26日は「いい風呂の日」となっている。日本人はつくづく風呂が好きなんだなぁと思う。僕は右足が動かなくなり、風呂桶を跨ぐことが出来ないから、風呂に入れなくなって2年以上もシャワーしか使っていない。当初は何か不都合があると考えていたが、今のところなにも起きない。おかしなことに、逆に健康になったような気がする。最近では全然入浴行為を羨ましいと思わず、逆に無駄なことに金と時間と労力を使って馬鹿だなぁとまで思うようになってきた。実際、東南アジアの人々は水で身体を洗うだけのようだ。 東京都浴場組合によると、身体を洗うという行為は 6世紀に渡来した仏教の影響だという。仏教では沐浴の功徳を説き、汚れを洗うことは仏に仕える者の大切な仕事と考えるそうだ。家々には浴室がなく町湯もなかった時代の寺院の施浴は宗教的な意味があったそうだ。平安時代の末に京都に銭湯のはしりである「湯屋」が登場したそうだ。奈良時代に始まった施浴の習慣は鎌倉時代に入って最も盛んになり、室町時代も施浴の習慣はそのまま幕府や寺院から受けつがれ「功徳風呂」などと呼ばれ庶民にふるまわれたらしい。そして個人にも広まり 風呂のある家では風呂に人を招いて浴後に茶の湯や、酒宴をひらいたことから「風呂ふるまい」と呼ばれたそうだ。地方では村の薬師堂や観音堂に信者が集まって風呂に入り、浴後は宴会をする「風呂講」が行なわれたという。 「慶長見聞録」に、江戸で最初の銭湯の記述があり、徳川家康が江戸入りした翌年、城下町も整っていなかった頃の天正19年(1591年)に、銭瓶橋(ぜにがめばし)のほとりに銭湯風呂が建ったと記録にあるそうだ。慶長年間の終わり(17世紀初頭)になると、「町ごとに風呂あり」といわれるほどに銭湯は広まっていた。江戸最初の銭湯は蒸し風呂だったが、進化して下半身を湯にひたし上半身を湯気で蒸す「戸棚風呂」が登場したそうだ。たっぷりの湯に首までつかる「据(すえ)風呂」もしくは「水(すい)風呂」ができたのは、慶長年間の末頃で、当初は桶に湯を入れていたが、のちに桶の中に煙突を通して湯をわかす方法が発明され「鉄砲風呂」として江戸で広まったらしい。平釜で湯をわかす「五右衛門風呂」は関西に多かったそうだ。 これで 日本人が風呂好きになったきっかけは仏教の伝来によるもので、風呂に入る習慣は江戸時代からのものだとわかった。 「毎日の入浴は健康を “ 害 “ する」と述べる学者がいる。正常な肌は皮脂膜と善玉菌やその他の微生物によって健康に保たれているが、熱いお湯で洗ったりこすったりすると、これらが除去されて 乾燥、炎症、かゆみの原因になるというのだ。さらに乾燥してひび割れた皮膚は、感染症やアレルギー反応を引き起こす可能性もあるとしている。私たちの免疫系は正常な微生物や汚れにさらされるなどの刺激を受けないと感染防御抗体や免疫記憶を作ることができないため、小児科医や皮膚科医のなかには子供が毎日入浴をすることに異を唱えている医者も少なくないという。もっとも、他の多くの医師は皮膚のトラブルを引き起こさない程度での入浴は “ 問題ない “ (積極的に勧めている訳ではないようだ)としているようだ。そして、どの程度洗えば良いのかというと「シャワーなら脇、股間、顔などに集中して3〜5分でよく、泥汚れなどがない限り 全身を “ こする必要はない “ という。洗髪についても、脂性でない限りは “ 週に2、3回でよい “」ということだ。つまり、浴槽に浸かる必要はないようだね。日本人の皆さん残念でした。 僕はこう考える。身体は洗わなくてはいけない。だが入浴の場合、風呂の温度は夏場が38〜39℃で冬場は42℃くらいが快適だといわれているけれど、僕らが入浴して快適に感じる温度は、バイ菌にも最適な温度である。残念ながら「細菌は 30〜40℃で最も増殖しやすい」のだ。つまり風呂に入って、肌をゴシゴシ洗って入浴すると、 大切な肌を守ってくれる常在菌をわざわざ滅してから、身体をバイ菌だらけの湯に浸けるということにな〜る〜の〜だ〜・・・キャー!
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