二重想 第三章 エピローグ
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 「……嘘、でしょ。嘘って言ってよ!恵吾!ねえ、そんなの、そんなことって……。」

 私に、彼女に返す言葉はない。今、目の前にいる耀子、いや、冴には、掛けてやれる言葉なんてないのだ。彼女は、混乱している。予想よりも落ち着いてはいたが、目の前の現象、私に起きている異変を整理することなど出来ないに違いない。

 何故なら本来こんな事有り得る筈が無い。

 「だって、恵吾……、今見ているのは、私じゃないの?私、でしょ。私なんでしょ?お願い、そうなんだよね。ね、ね?」

 お願いされても私だって困る。だが、……彼女のこんな顔を見たくはなかった。

 涙に曇った『彼女』の、顔など。

 しかし、話さないわけには、いかなかった。全てを知ってしまった今となっては、黙っていられない。……いや、こんな重い秘密を、隠し通すことなど無理なのだ。あの抱擁の後、私は、『彼』のプライバシーをいくらか尊重しつつ、現在の私の状況やプロテクトのこと、精神世界での耀子との関係、そしてあの『彼』と『彼女』と私の出来事などについて、ありのままの真実を彼女へと伝えていた。

 その一語一語が、彼女を傷つけていっていると想うと、心にナイフが何度も何度も突き立てられた。だが、話さなければ、私は自我崩壊を免れられなかっただろう。誰かに話すことで、自分の中でも少しずつ整理はついていくもので、そうすうことにより、私は自分の手にした情報を、なんとかキャパシティに収めることが出来たのだ。そのことが、彼女に悪影響を及ぼしたのは言うまでもないが。……冷静でいられる自分が恨めしい。

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 「すまない、冴。私には、……耀子の顔しか映らない。」

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 彼女の顔が強張る。目が赤く腫れ上がり、何かを私に訴えかける。しかし、……私には、それが冴ではなく、耀子の顔で見えるのだ。過去において、そして今現在においても愛している、霧下耀子に。皮肉なものだ。彼女の墓前で、彼女を見ているなんて。だが、彼女には、泣いていて欲しいんじゃない。耀子には、常に笑っていて欲しいんだ。私が、月だとするなら、私は、耀子という太陽の光があってこそ、輝くことができる。だから、……だから、

 私は必死に彼女を抱きしめたい、その衝動を押さえていた。彼女を泣かせたくない一心と、現実世界で二度と触れることが出来なかったはずの、耀子が、ここにいる。その事実が私をその行動に駆り立てようとしていた。たとえ耀子の中身が、私の恋人ではなくても、私を誘惑するには十分であったし、それに私は、……耀子の中にいる冴にも恋をしている。その感情が、誰のものかはわからないが、それが私に内在しているのは、確かなのだ。

……矛盾する思考が、私の中を駆け巡った。

私は、中身の冴に恋をしている。だからこそ、耀子を抱く衝動を押さえ込むことができる。

私は耀子を素直に抱き締めたいと思える。それは、中身が冴であるからこそだ。

この堂々巡りの思考が、やがて辿り着く場所は……。

私が好きなのは、一体、どちらなんだ?

 そういうことだ。私には、判断できない。二者択一なんて、そんなこと出来ない。

 あの世界で、耀子と出会わなければ、この愛を思い出すことさえなければ、迷わずに冴を選ぶことも出来ただろう。耀子と冴には、生と死という絶対的な壁があるから。だが、出会ってしまった。もう逢わないと思っていた彼女に、再び巡り会えた。それが、私の弱さが生み出した幻影だとしても、そのことが私には純粋に嬉しかったのだ。

 その上、『彼』の気持ちも知ってしまった。

 (君が耀子さんを好きになったように、僕は冴ちゃんを好きになった。)

そして、確定された。私の気持ちが偽りであると。

 (あなたの中には、冴を想う気持ちが、……あるけど、それは、もともと、聡志さんが持っていたもの。だから、正確には、……誰が冴を好きになったのかといえば、……それは、あなたじゃない。)

 ……耀子、私はどうすればいいんだ?

「ねえ、恵吾……。」

いつの間にか、私に彼女がしがみついていた。彼女が買ってくれたスーツに、しっかりと。

「恵吾、私は、……私だよ。どんなに外面が、お姉ちゃんに似てたとしても、……私なんだよ。」

彼女が私の胸に顔を埋めた。耀子が、冴が、二人の姿が、重なり合い、私は混乱していた。

私の好きな人は……。

私の好きな人は……。

私の好きな人は……。

……。

その言葉が何度も心の中で反芻する。

答えが出ないまま、ずっと、ずっと……。

彼女の涙が、胸へと伝わり、私の心にも染み渡っていく。

今までの我慢は、限界に達した。何かが、音を立てて切れる。

次の瞬間、私は、彼女を抱きしめていた。

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だが、一体誰を?

……そんなことはどうでも良かった、のかもしれない。

私は、今、目の前にいる彼女が、どうしようもなく、いとおしく想えた。それでいい。

心の中で、堰を切ったように、恋愛感情が流れ出す。

耀子の顔の冴。

冴が中身の耀子。

どちらでも構わない。

……何故、一人を愛さなければならない?……誰がそんなことを決めた。愛してしまったのだ。二人の人間を。もうこの気持ちに歯止めなんてものは、掛けられない。……そうだ。そんな必要が、何処にあるというのだ。一体何が悪いんだ。私は、私は……二人を愛している。それで構わないじゃないか?

心の中で何かが、急速に集まっていく。すべてを肯定する方向に。全てを、そう、全てを。誰も苦しまない方法を、見つけた……。

そのとき、私の胸に触れているものが、急に、もぞもぞと動いた。

「……恵吾、……ありがとう。」

彼女の身体が、私の中にある彼女の背中が、小刻みに震えている。歓喜の涙に震えている。嬉し涙が……、こぼれている?

……彼女は、喜んで、……喜んで、いる?

私が二人を愛したことを、……喜んでいる?

……そんなわけないじゃないか!

私は自分の過ちにようやく気づく。ちょっと考えてみれば、すぐにわかるようなことじゃないか。

冴が求めるのは、今の私ではない。……誤解しているのだ。私のことを。私は冴を、……冴を包み込んだからといって、それは、冴が望んでいた意味を、持ち合わせているわけではない。私の気持ちは……。

私の中を、真っ黒な罪悪感が塗りつぶす。

私は、また、逃げるつもりだったのか?

目の前にある気持ちから逃げて、いつも自分のことばかり考えて、私は、私は……救いようのない大馬鹿者だ。

「……恵吾、好きだよ。……お姉ちゃんよりも、もっと、もっと好きだから。」

始めて聞く、彼女の『姉より好き』と言う言葉。私はそれを、瞼を下ろし、聞いた。しかし……この気持ち素直に、

(僕の力、君に、与えるよ。全て受け止めるといい。)

ふいに心に響く凛とした言葉。

何かが私と同化していく。

なんで君が……。そう思うと同時に、その想いを私は理解した。

もう何も迷う必要はないのだ。

闇の中で浮かぶ、一輪の花。彼女の姿がそこにはある。冴の姿がそこにはある。耀子の声であるはずのそれを、発する冴の姿が、そこには映る。

「……恵吾。」

彼女が私を呼ぶ。あの微笑みで。柔かい声で。大した時間離れていたわけではないのに、とても長い間、聞いていなかったようだ。彼女だけのこの声を。

彼女は彼女でしかなく、冴は冴でしかなく、耀子は耀子でしかない。つまり、生者は生者でしかなく、死者は死者でしかない。

死者を愛することは、無駄なこと?そんなことはない。ただ、未来へは繋がらないだけだ。

私の想い、今、冴に向かって延びる直線には、その先には、未来がある。だが、私は別に、未来が欲しいんじゃない。

私は、冴が好きなんだ。

理由はそれだけで、事足りる。

想う気持ちは、誰にも測ることなんて出来ない。自分にさえも。だけど、……だけど、愛していることは、感じられる。自分にだけは、感じられる。

さっき彼女を抱いた時の気持ちを、黙っているのは卑怯かもしれないが、でも、今の、今のこの気持ちは本物だ。

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私は目を開いた。

「……愛してるよ、冴。……今までで一番、お前のことが好きだ。私の全てが……、私の心が、身体が、君のことを求めている。」

私は、彼女にキスを与えた。自分から求めた。今いる、目の前にいる、私の瞳に写る、冴の唇を。

それが、全ての真実を告げていた。

(……私は、いつでも側にいるから。)

それが、『彼女』の最後の遺言だ。

いつの間にか、日は暮れ、私たちの、一つに繋がった影は、長く伸びていた。二人が流す、それぞれ違う意味を持つ涙は、コンクリートの地面を黒くぬらした。

鳥の鳴き声も、風の囁きも、夕陽の温度も、……周りの全てが止まっている。私の中にある鼓動だけが動いている。私が触れている、感じているものはそれだけだ。

誰もいない墓地で、私たちは、抱き合った。例えそれが死者を冒?するような行為だったとしても、だけど、私は、進まなければいけない。その方向が正しいとはわからなくても、この気持ちが、私の道標となるのだから。

そして、この時、長い年月を経て、私の中の霧下耀子は、この世を去った。彼女が私を縛っていたんじゃない、私が、彼女を……。

(すまなかったな、耀子……。)

もう見ることのない、彼女の姿に、私は別れを告げた。

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 僕の笑いが止まることはなかった。何故止めることができるというんだ。結局、僕は、僕は……。

 「ははっ、ははっ、ははっ、はははっ、ははははっ、ははははは。」

 狂ったように、僕は笑い続けた。

そう、僕は、歪みの中から生まれた存在。どうして気づかなかったんだろう。最初から、僕はパーツでしかなかったんだ。雪村恵吾という人間の、ほんの一部でしかなかったんだ。

 笑えるだろう、いや、笑わずには、いられないだろう。最初から、報われるはずがない恋だったんだから。……滑稽すぎる。

 外の世界では、いよいよ山場といったところなのかな。果たして、『彼』が逃げるのか、それとも立ち向かうのか、そして克服することが出来るのか。

 まあ、どのみち、僕の結果は見えているんだけど、最終的には、……そういえば、そんなこと考えてみたこともなかったな。こっちに来てから、随分経つけど、彼女に逢いたい、その一心だけで、その後自分がどうなるかなんて、考えもしなかったな。ま、それだけ忠実に、現実に生きた、ということなのかな?

 僕は一人クツクツと笑う。この現実離れした世界で、現実なんて言葉も、また、変だけど。

 「聡志さん……。」

 僕の側で一人時の止められた女性が、声を掛けてきた。悲哀にみちた表情でこちらを眺めている。名前を霧下耀子と言った。僕が愛している女性の姉で、もう一人の僕が愛した女性だった。

 彼女が、僕を後ろから包み込む。体温もなにも感じないのに、確かにその感触はあった。

 「僕をその名前で、呼ぶ必要はないよ。僕は、……僕は、雪村恵吾でしかないんだ。」

「いいえ、聡志さんは、聡志さんですよ。」

彼女の慈愛に富んだ声。こんな、カウンセラーがいたら世の中、幸せになるだろうに。

「ありがとう。」

彼女は人の心が読める。というか、感じることができる。僕は自分の未来を知っている。彼女もそれに然りだ。よく考えてみれば、彼女も、同じ運命なんだよな。

「ちがいますよ、聡志さんには、聡志さんだけの、生き方があるんです。」

「僕、なりの……?」

「ええ。」

「君は、どうするの……。ああ、そうか。さっき、想い出になってもいいって言ってたよね。……自分が『彼』と繋がっていられるならって。」

「はい。消えることは問題じゃない。言ってしまうなら、要は気の持ち方次第です。」

「そうか……。」

僕はゆっくりと言葉を紡ぐ。外の世界では、『彼』が、また逃げ出そうとしていた。

「僕は、どうすればいいんだろう?どうしたらいいと思う?」

僕は後ろから、回されていた彼女の腕に触れた。白く決めこまやかな肌が、柔かい弾力で、僕の指を押し返そうとしている。

「それは、聡志さんが決めなきゃ。……私の意見なんて参考にしても、意味がないから。」

「……そうか、そうだよね。それじゃあ、『彼』と同じで逃げてるだけだ。」

彼女の体がぴくっと反応した。

僕は、結局どうしたいんだろう。もう一回彼女に逢いたい、これはいつだって根底にある気持ち。でも、それは……無理なんだよね。

外界で『彼』は、なにやら変な結論に達していた。『二人を愛して誰に迷惑をかけると言うんだ』だって。ほんとに、救いようがないな、『彼』は。

ふと、僕は、思い立った。

「ねえ、彼女の顔、見るぐらいは出来るよね。」

「……出来るけど、それでいいの?」

「うん、もう、いいんだ。ここで意地張っても、しょうがないから。」

彼女が心配そうな声で呟く。どんな顔しているのかは、何となく予想がつく。だって、彼女は冴ちゃんの姉なんだから。

「でも……、」

「いいんだよ。森羅万象、報われる想いばっかりじゃないだろう。それに比べたら、僕は幾分ましかもしれない。……あ、ごめんね。今、謝っておくよ。僕がこうすることで、君は、……死ぬかもしれないから。」

「そんなことはどうでもいいの。……確かにあなたが、それでいいなら構わないけど。ホントに……。」

「ああ、最後に一言、言えれば、僕はもう満足だから。」

それ以上彼女はもう何も言わなかった。

いや、もう言えなかったのかもしれない。

彼の視界を通して、僕は、彼女を見ることが出来る。そういうことらしい。どういう仕組みなのかはよくわからないけど、重要なのはそこじゃないから。

僕の目前で、視界が開け、彼の見ている景色が映し出される。

心の中はいつでもわかるのに、外のことは全くわからないという、いつもと逆の構造。つい笑みを浮かべてしまう。

どうやら、彼もようやく自分が、大馬鹿者であることに気付いたみたいだ。何となくだけど、わかり始めたんだろう、『彼』も、きっと。

冴ちゃんが呟いた。

『……恵吾、好きだよ。……お姉ちゃんよりも、もっと、もっと好きだから。』

それでも彼の心から迷いが、なかなか消えない。本当に弱っちい人間だな、お前は。

僕は彼に一言述べてやる。

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「僕の力、君に、与えるよ。全て受け止めるといい。」

その瞬間、僕の意識が彼と同化する。

何となく、そう感じた。いや、周囲がそう感じさせている。

……もう、僕は雪村恵吾なんだね。

「ええ。だから、私はもう……。」

心象世界の中の彼女は、僕の視界から消えていった。僕が見ているのは、『彼』が見ているものと同一化したのだ。

僕の腕は彼女の身体を、捕らえていた。もう二度と逢うことが、出来ないと思っていた。ただ、消えいくだけだと、思っていた。

僕の時間は、残り少ない。いつだって、僕は、影でなければならないから。『彼』を支える強さでなければならないから。

報われない想い。でも、それでも僕は……。

『彼』に気付かせればいい。そうすれば、……いや、最初からこうしていればよかったのかもしれない。

(……やっと、逢えた。ねえ、冴ちゃん。……僕はね、好きだったんだ。……雪村聡志は、君のことを、冴ちゃんをずっと、愛していた。……君が『彼』を好きなのは知っている。こんなこと言っても困らせるだけかもしれないけど、僕の最後の我儘だから許して、ね……。)

僕の心の言葉は彼女に、届かないだろう。だけど、その代わりに『彼』いや、僕が代弁してくれる。全てを手にした僕が。

「……愛してるよ、冴。……今までで一番、お前のことが好きだ。私の全てが……、私の心が、身体が、君のことを求めている。」

最後の感触。それは、彼女の唇だった。

……冴ちゃん、安心していいよ。

……僕の心は、永遠だから。

……この愛は、永遠だから。

……ずっと、ずっと、冴ちゃんが幸せでありますように。

安らかな最後の一時。

何も聞こえはしない。耀子さんも、もう……。

一つの気掛かりも、やがて、静かなる時の流れにより、終息を迎える。

もうすぐ、この意識も消えるんだろうな。

漠然とそんなことを思った。

それにしても、……僕は、やっと僕の心を手に入れた。

意識なくとも、僕の心は僕だけのもの、だ。

ずっ、と……。

えい、え、ん……に。

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〜君が…には必要だから〜

君を忘れるのが辛かったんじゃない。

そう、君を忘れる自分が、嫌なだけなんだ。

だから、君を、現世に縛った。

それが私の弱さ。

 

僕は所詮、歪でしかなかった。

もとから存在すべきものじゃなかった。

でも、君を愛することが出来た。

それが僕の強さ。

 

逃げること。

目をそらすこと。

私はそればかりを担当してきた。

 

立ち向かうこと。

見つめあうこと。

僕は、それを実行してきた。

 

人は弱さと強さを共存させて生きている。

 

僕らもまた、それに例外じゃない。

私達は二人で一人。その心が共有されなくとも、

僕達は二人でなければ、一人になれない。

 

想い人が二人いようと

必ずどちらかは、切り捨てなきゃいけない。

 

それが私達の運命というならば、

受け入れようじゃないか。

何かを得るには

何らかの代償が必要だ、

そういうものだろう?

 

僕は

私は

……生きているのだから。

それが、

雪村の選択。

 

説明
ついに最終話です。
完結してるんで、とりあえず、安心して呼んでください。
二次創作のほうもよろしくお願いします

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