季球妖物語・第二幕「夢織人〜序章」
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† 夢織人 †

 

 

 タンタントントン、タン、トントン。

 

 

 夢織人は、夢を織る。

 

 

 つらつらつらつら、夢を織る。

 

 

 丹精込めて織り上げて、

 

 

 今宵は誰に、見せましょか。

 

 

 タンタントントン、タン、トントン――。

 

 

 

 どうにも、落ちつかない。

 わいわいがやがやと人々の活気に溢れる大通り。絶える事の無い人の流れを見つめながら、種田草雲(たねだそううん)は苦笑いを浮かべていた。

 季球の首都、桜嶺(ろうれい)の中心部に位置する大通り。その通りが見渡せる橋の上から、緩やかな水の流れだけでは無く、人の流れも一緒に見つめながら、草雲は何だか居たたまれない気持ちを抱えて待ち合わせをしているわけである。

「お、先生。きちんと時間通りに来てるたァ、感心だねェ」

 そんな軽い声が後ろから掛かった。クセのある赤毛に黒い着物の見慣れた顔を見、ほっとするやら気合が抜けるやらで、「そんな当たり前の事言わないで下さいよ」と呆れたように言う。

「大事な用があるって呼び出したのは雷封(らいほう)さんじゃないですか。いつまで待っても来ないから、担がれたかと思いましたよ」

「先生騙して何の得があるよ。俺だって暇じゃねェのよ? 遅れたのは悪かったけどさァ、色々やる事もあンのよ」

「いえ、まぁ。私も別に、何か用事があったわけじゃありませんから」

 そう言われると特に反論も出来ない辺り、本当に自分は押しが弱いなぁなどと心の中で苦笑いを浮かべつつ、草雲は本題に入った。

「それで、私に用事とは一体何なのです? 雷封さんから私に用事があるなんて、珍しいじゃないですか」

 それを聞いた雷封が一瞬、複雑な表情を浮かべたように見えたのは草雲の見間違いだろうか。

 ちらり、と嫌な予感が顔を覗かせる。

「ん? ああ。まァ、実際用事があンのは、俺じゃねェんだけどさ」

 先生に、会いたいッてェ人間がいるのよ。

 

 

 突然、きゃあ、と橋の向こうで悲鳴が上がった。それに続いて金属同士がぶつかり合うようなキン、という高い音も聞こえて来る。

「な、何でしょう」

「さァ?」

 ばたばたと逃げて来る町人にぶつからないように気をつけながら、草雲は騒ぎの中心へと目を凝らした。

 どうやら、五、六人の剣客が斬りあっているらしい。ちらちらと見え隠れする赤い袴の小柄な剣客が一人で応戦しているように見えるが、動きが速い為戦い慣れしていない草雲の目にはそれ以上の事ははっきりと見て取れなかった。それでも何とか状況を把握したいと目を細めたりしてみるが、もちろん効果は無い。

 そんな時。

 ちらりと、目の端を掠めた純白の着物。

 戦いから目を逸らし、その着物の人物に目を移した瞬間。

 草雲は、術にでも掛かったかのように相手から目を離せなくなってしまった。

 赤い袴の人物に守られるように佇むその儚げな姿。

 戦いが巻き起こす風になびく、淡い桃色の髪。

「おーおー。昼間っから元気なこったねェ」

 隣から、のん気に野次馬をしている雷封の聞き慣れた声が聞こえ、はっと我に返った。欄干に腕を乗せ、身体を預けるような格好で呆れたように騒ぎを見つめている赤毛の青年に、「落ち着いてる場合ですか!」と思わず怒鳴ってしまう。

「助けなくて、良いんですか!?」

「何でそんな面倒くせェ事する必要があンのよ。関係無いトコロで勝手にやってる喧嘩じゃねェか」

「そんな! だって、どう見たって多勢に無勢じゃないですかっ!」

「まぁ、苦労してるみてェだけど。でも強いぜ、あの子」

「そーゆー事じゃなくて! ほら、女性を守るのはこの世界が出来てから、いや出来る前からもそしてこれからも永遠に男の最も大切な使命だって決まってるというのはこれ以上無いという程常識中の常識じゃないですかッ!!」

「……は?」

 一瞬、時間が凍りついたと思ったのは決して草雲の思い込みでは無いだろう。目を点にして、まるで未確認生物でも見るように自分を凝視している雷封を見、草雲は身体中の血が頭に昇って来たんじゃないかと思う程顔が熱くなるのを感じる。

 ああ、出来るなら、川の水で頭を冷やしたいですよ。

「あ、いや、その、ですね。ほら、やっぱりその……ですね」

「……ツケといてやるよ、先生」

 ポン、と肩に手を置いて。

 奇妙に素直な笑みを残し、傍らに立てかけてあった錫杖を持つと軽い足取りで橋の向こうへと向かった。

 

 

 戦いは、呆気無く決着がついた。

「はい、これで終わり」

 どさりと重たい音を立て、男の身体が地面に崩れ落ちる。ふぅ、と一度大きく息を吐き、草雲の所へ引き返そうとした時だった。

 ――キン。

 辺りに響く冷たい金属音。

「……助けてやったのにさァ。コレは無いンじゃねェの?」

「黙れ。助けてくれなんて頼んだ覚えは無い」

 振り上げた錫杖の柄に、曇りの無い輝きを放つ刀が当たっている。それを握っているのは、まだ年若い少女だった。

 少女は刀を引かぬまま雷封を睨みつけ、強い口調で言う。

「それに、お前も刺客じゃ無いとは言い切れない。敵の敵は仲間だとは言い切れないからな」

「そりゃ、ご尤も。俺も、そう言われると思ってたンだけどさ」

 あンまりに、連れがうるさいモンだからね、と雷封は大袈裟にため息をつくと空いている右手で橋の上を指差した。橋の上には、この展開にわたわたしている草雲が見える。

「だからさ。文句なら、連れに言ってくれる?俺はね、加勢してやってくれッて頼まれただけなんだからさァ」

 連れ?と呟いて橋を見た少女の顔が、驚きの表情に変わる。

「……兄様」

 その一言に、今度は雷封が目を丸くする番だった。

「……兄様、だァ? 先生さっき、そンな事は一言も」

 そこまでぼやき、先程の草雲の様子を思い出して思わず苦笑いを浮かべる。

 あんな状態じゃ、周りなんか見えてなかったンだろうな。

「で。俺の依頼主がアンタの兄さんである事も分かったンだし。俺が真光寺翡翠(しんこうじひすい)の命を狙ってるワケじゃねェってのも分かっただろ? いい加減刀引いてくンねェかな」

「な……っ。どうして、翡翠様のお顔と名前を知っている?」

「あのな……」

「千花(ちか)さん。その人は、嘘を言っていませんよ」

 雷封に皆まで言わせず、少女の後ろから掛けられた柔らかな声。その一言で、千花と呼ばれた少女は渋々ではあるがとりあえず刀を収めた。それを見て、草雲も急いでこちらへやって来る。

「ほ。一応、助かったと礼を言っておくべきなのかな」

「いいえ。それは私の台詞です」

 聞く物皆を安心させるかのような穏やかな声で真光寺翡翠は言い、無駄の無い優雅な動きで一礼した。雷封は面倒臭そうに冷めた顔をしてそれを眺め、イライラした様子でがしがしと頭を掻く。

「悪ィンだけどさ。俺、堅ッ苦しいの嫌いだから」

「雷封さん! 何て事を言うんですかッ! この方に失礼じゃないですかッ!!」

 鼓膜がびりびりと震えそうな程の大声で草雲が抗議した。堪らず耳を押さえ、このセンセ、こんなに大きな声が出せたのねと中々に失礼な事を考えながら、斜め後ろの方で自分をじとーっと冷ややかに眺めている妹も目に入っていない様子の草雲に話を振った。

「だってよ。俺は先生に頼まれて手を貸してやっただけじゃねェか。だからよ、俺が礼言われンのは筋違いだろ?」

「あ、いえ、そんな」

 照れンなよ。

 うっかり突っ込みそうになったトコロをぐっと堪える。ここで先生を凹ませてしまったら、この堅苦しい女にもっと付き合う事になってしまう。

 ……ッたく。

 先生の様子が面白ェからって一寸付き合ってやったら。

 よりにもよって、真光寺翡翠かよ。

 こんな事になるんだったら、もう一寸身を入れて状況を見ておくべきだったと悔やんだところで後の祭りである。てっきり、斬った張ったしている妹の方(その時は妹だと知らなかったのだし)に見惚れているものだとばかり思っていたのだ。

 時間を戻せないのなら、いかにしてこの状況から脱するか、それを考えるのが得策というものだろう。

「そんなワケでさ。礼を言うなら先生に言ってくれ。俺は、この先生に頼まれて渋々手を貸しただけなンでね」

 そう思い、手っ取り早く草雲に押し付ける事にする。真光寺翡翠とは関わりたくない。それが、雷封の本音だった。

「でも、お二方が助けて下さった事に変わりはありません。助かりましたわ」

「いやぁ……。私は何もしていませんが……」

「……ホンットにその通りよね、兄様」

「……へ?」

 目の前の翡翠でも無く。傍らで呆れたように自分を見つめている雷封でも無い。斜め後ろから掛かった全く予期していなかった声に、草雲は一瞬で現実に引き戻された。

 ……な、何で。

「何で、千花がここにいるんですッ!?」

「それはこっちの台詞よ。だらしなく鼻の下伸ばしちゃって、見っとも無いったら」

「み、見っとも無いは、余計です!」

 恥ずかしいやら居心地が悪いやらで顔が赤くなったり青くなったり忙しい。多少むくれている様な、およそ草雲らしくない表情を浮かべ、しらーっと自分を見上げている妹を見る。

「それで。どうして貴女がここにいるんです」

「仕事よ、仕事。あた……私は、翡翠様がお出掛けになる時の用心棒ってわけ」

「翡翠、様? もしかして、……し、しんこうじ、ひすい……ッ!?」

「……気付いて無かったのかよ」

 心底呆れた口調で雷封がぼやく。全く、おめでたいねェと口に出さずに続け、大袈裟に肩を竦めた。

「え、いや、だって、ほら。……ねぇ?」

 真光寺翡翠と言ったら、ここ季球では知らない者はいないだろう。代々、季球を導く神託を授かるという真光寺の娘にして歴代の巫女の中でも特出した能力を持つと言われる、美しい盲目の巫女。

 そんな重要人物とこんな街中であっさり出会っちゃうなんて誰も思わないじゃないですか……ッ。

 ……ももももしやこれは、運命……?

 いやいやいや、そんな、真逆。

 頭の中でごちゃごちゃと色々考えたり程よく脱線したり口ではよく分からない事を口走ったりしながら、結局は気になって遠慮がちにちらちらと翡翠の顔を見てしまう。それを感じたのだろう。翡翠は、自身の髪の色と同じ淡い桜のような笑顔を草雲に向けた。

「千花さんのお兄様?」

「え、あ、はい。草雲と申します。一応、そういう事になるかと……」

「一応って、何なのよ」

 ぼそりと突っ込んだ千花の言葉に翡翠はくすりと笑い。

「初めまして。真光寺翡翠と申します。千花さんには、よくお世話になっておりますわ」

「いや、えと、何だか、こちらこそお世話になっているようで」

「そんな事はありません。千花さんにはお話相手になって頂いたりと、本当に色々とお世話になっているのですから。……そうだわ。千花さん、今日はこの辺りで構いませんから、お兄様と少しお話でもしていらっしゃったらどうかしら」

「……え、でも」

「ここから真光寺は然程遠くありませんし。積もるお話もあるのでしょう?」

 積もるお話なんてあるの? という顔で妹を見たのだろう。千花はバツが悪そうにぷいっと草雲から目を逸らした。お陰で、何となく行き場を失った視線を雷封に合わせてみたりするが、彼の弟ならともかく、この赤毛の青年が助け舟を出してくれるはずも無い。「勝手にしろ」と身体全体で訴えかけられているような気にすら、なる。

 案の定。

「まぁ、先生の好きにしてもらって構わねェけどさ。ただ、何時になっても構わねェから、先生一人にでも今日の用事さえ果たしてもらえりゃアよ」

「確か、私に会いたいという方がいらっしゃるのでしたねぇ」

「ああ。別に迷うような場所でもねェし。先生の名前を言えば、分かるからよ」

「じゃあ……」

 お言葉に、甘えましょうかねぇ、と草雲は呟き。どうやら積もるお話があるらしい妹へと視線を移す。彼女は心配そうな表情を浮かべ、翡翠と倒れている刺客とを交互に見比べていた。

「……やっぱり、心配ですよね」

 こんな昼日中、堂々と街中で襲って来るような連中がいるというのに、一人で真光寺まで帰すなんて。

 じぃーっと、自然に視線が一所に集まる。

 視線の先にいるのは、何とも面倒臭そうな顔をした、黒衣の青年。

「……おい」

「アンタさ……。手を出したからには最後まで責任持ちなさいよね」

「あのなァ……。そりゃむしろ先生に言って欲しい台詞だぜ?」

「雷封さん、お願いしますよ。別に良いじゃないですか、減るもんじゃなし。用事があるという方には、私が一人で会いに行きますから」

「頼んでもいないのに人の喧嘩に手を出せる程、強いんでしょ? だったら、真光寺まで翡翠様を送っていくなんて簡単じゃない」

「……千花。もしかして、根に持ってます?」

「ううん、全ッ然」

「目が、笑ってませんよ……」

 畳み掛ける様に言う兄妹から目を逸らし。儚げに佇む季球の巫女を見やる。

 

 

 よりにもよって。

 真光寺翡翠を、送る?

 しかも、二人っきりで?

 

 

「何で」

 そーなンのよ。

 その台詞は、雷封の心の中でのみ続けられる事となる。

説明
――妖とは、人の心が映し出すもの。
和風な島国、季球を舞台にした物書きの青年種田草雲と、祓い屋を生業とする兄弟の織り成す、少し不思議で少し哀しい物語。
夢織人は、夢を織る。
つらつらつらつら、夢を織る。
丹精込めて織り上げて、
今宵は誰に、見せましょか――
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