真・恋姫†無双異聞〜皇龍剣風譚〜
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                          真・恋姫†無双異聞〜皇龍剣風譚〜

 

                         第九話 コンディション・グリーン 後編

 

 

 

 

 

 

「だぁぁぁぁ!!」蒲公英は、自身の頭上に鋭い殺意が迫っているのをひしひしと感じながら、ヘッド・スライディングの要領で正面の怪物の股の間に滑り込んだ。ヘッド・スライデイングと違う点は、怪物の股の間をすり抜ける為に身体を“縦”にしている事だ。

地面と接している右の手脚が、アドレナリンが噴水の如く湧き出ている今の蒲公英でもはっきりと分かる程、大地によって大きく抉られ、砂や土がめり込んで来た。

 

 しかし、蒲公英はその痛みを意に介さず、すり抜け様に仰向けになって、つい数秒前まで自身の身体があった場所に視線を走らせた。そこには、蒲公英が望んだ通りの光景―――互いの身体にそれぞれの柳葉刀を沈み込ませた、三体の怪物の姿があった。

 蒲公英は、ほぼ完璧とも言える怪物達の連携にある僅かな、しかし、“連携する”と言う行為としては致命的な弱点を、既に見抜いていた。それは、怪物達が『お互いの命を顧みていない』と言う事である。

 

 本来、戦闘に於ける連携には、大きく二つの目的がある。一つ目は勿論、戦闘行為を有利に進める為に、お互いの攻撃を補助し合う事。そして二つ目は、お互いの命を守り合う事である。

 怪物達は、戦闘補助に関しては殆ど完璧だった。蒲公英の攻撃を尽(ことごと)く妨害して決定打を許さず、攻撃の妨害で出来た蒲公英の隙を見逃さず的確に突いて来る―――正しく、歴戦の戦士宛(さなが)らに。

 

だが、怪物達は、後者の互いの命を守り合うと言う事には、完全に無頓着なのだ。それこそ、攻撃補助の完璧さが不釣り合いに思える程に。“連携が深まる”と言う事は、即ち、連携する相手との“絆が深まる”と言う事である。

 己の内に狂気を孕んだ人間ならばいざ知らず、気心の知れた戦友を我が手で殺したいなどと考える人間は居はしないだろう。つまり、怪物達は“戦力としての味方の損耗を押える”事はかなり器用に回避できるが、“自身の攻撃の結果として味方が損耗する”事に関しては、ザルも同然なのだった。

 ある意味では、その味方を傷つける事を恐れない行動は、鉄壁の連携を更に強固なものにしていると言える。

 

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 しかし、それはあくまでも自分達より劣った相手と戦いで、数に於いて上回っている時に限っての事だ。個人として技量の上回る相手、特に蒲公英の様に搦め手を得意とする相手には、付け入るなと言う方がおかしい程の、決定的な隙なのである。

 蒲公英自身、もしも天牛蟲(かみきりむし)が居らず、体力が十分な状態だったら、もっと早く、余裕を持って同士討ちを狙っていた筈だった。

 

「こんのぉぉぉぉ!!」蒲公英は、影閃の穂先が怪物の股ぐらをすり抜けるのと同時に、気合いの籠もった叫びを上げながら、怪物の背中にそれを突き刺した。怪物の身体が、大きくビクンと震える。

 蒲公英は、影閃が怪物に刺さった事で止まった身体を瞬間的に両脚で蹴り上げ、棒高跳びの要領で空中に身を躍らせた。手首が変な角度に曲がったが、鉢巻で巻き付けていたお陰で、影閃はしっかりと握られたままだ。あと数秒ならば、耐えられない痛みではない。

 

「これで―――終わりっ!!」

 

 空中で体勢を整えた蒲公英は、最後の力を振り絞って影閃を振るった。必殺の連撃、“真鍮乱舞”の刃が、暴風の如くに怪物達を鎧ごと切り刻む―――!!

 全てが終わり、蒲公英が地面に着地するのと同時に、怪物達は断末魔の叫び声を上げ、身体中から鮮血を間欠泉の如く噴出させながら、折り重なる様に地面に突っ伏した。

「はあぁぁぁ〜。シンドかったぁ〜」蒲公英がそう言って尻もちを着き、息絶えた怪物達を見ながら、今度こそ本当の『ホッと一息』を吐いていると、遠くから、「おぉ〜い、たんぽぽ!大丈夫か!!」と言う、聴き慣れた従姉の声が聴こえて来た。

 

「あっ、ねえさ―――って、痛った〜!?」蒲公英は、反射的に右手を上げようとして、右手に奔った鈍痛に顔を歪めた。影閃を右手に括り付けたままで、しかも先程、酷く捻っていたのをすっかり忘れていたのである。

 蒲公英は、走って来る従姉達に左手を振って答えると、きつく絞った鉢巻の結び目を口で咥え、左手も一緒に使って解き始めた。身体中の擦り傷や切り傷はどうにもならないにしても、自分が得物を手に巻き付ける程に必死だったなどとは、彼女たちに思われたくなかったのだ。それは、曲がりなりにも武人である蒲公英の意地だった。

 

 翠、恋、誠心そして音々音を抱えた恋の三人が、蒲公英の姿を認めて速度を落としてくれたお陰で、蒲公英はどうにか鉢巻を外して、懐に仕舞い込む事が出来た。ずっと絞めつけていたせいで右手は開かなくなってしまっているが、一度指をこじ開けてしまったら、暫くは槍を握る事は出来ないだろうから、今はこの方が都合が良い。

 

 蒲公英は、いつもの笑顔を作ると、駆け寄って来た一行を迎えた。

「みんな、早かったんだね?」蒲公英がそう言うと、翠が心配そうに蒲公英を見て「まぁな。それよりお前、本当に大丈夫か?酷い恰好だぞ?」と尋ねた。翠がそう言ったのも無理はない。

 

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 実際、髪は炎で焙られてゴワゴワな上に、土埃と煤で汚れ、激しく動いた為に乱れてしまっているし、服も汚れているのは髪と同様で、あちらこちらに斬られた痕や擦り切れた部分がこれでもかと残っている。 加えて、右の手足の側面は、怪物の股をすり抜けた時に付いた傷で広い範囲が血と泥の染みになってしまっていた。

 これでは、いくら豪胆な翠でも、流石に『唾付けときゃ治る』とは言えないだろう。

 

「アハハ。見た目ほど酷くないから、大丈夫だよぉ♪」蒲公英は、翠が自分に右手を差し伸べようとしているのを察知して、自分からヒョイと立ち上がった。

 翠は、蒲公英の言葉を聞いて「おう、そうか……」と呟くと、まだ気遣わしげな目をしながらも、出しかけていた手を引っ込めた。一目見れば、蒲公英の傷が“大丈夫”などでない事は明らかだ。だが翠は、従妹が武人としての意地を張り、それを通そうとしているのだと察して、黙認する事にした。

 これ以上の心配は、逆に蒲公英に対しての侮辱になってしまうからだ。

 

「たんぽぽ、お疲れ様……」

「良くやったのですよ、お花」

「ご苦労様でした。流石の武働きですな、馬岱殿」

 恋、音々音、誠心の三人も、翠と蒲公英の会話に一区切りが着いたのを見計らって、労いの言葉をかけた。皆も、蒲公英の意地を感じ取り、敢えて傷を心配する様な言葉は発しない。

 

「やだなぁ、もぉ。たんぽぽ、普段あんまり誉められた事ないから照れちゃうよ」蒲公英が照れ臭そうに頭を掻きながら呟く様にそう言うと、林の遥か向こうから爆音が轟き、木々の間から光と風が溢れて、梢と大地を揺らした。

「何だ何だ!?」翠が驚いて大声を出すと、爆発の起こった方角の空に向かって動物の様に鼻をヒクつかせていた恋が、嬉しそうに言った。

 

「あっちも、終わったみたい……ご主人様が、勝った……」

「ホントか、恋!?そっかぁ、良かったぁ……」翠が、恋の言葉に形の良い胸を撫で下ろし、愛槍“銀閃”に寄りかかって安堵の溜め息を吐いたその時、手を叩く乾いた音が周囲に響いた。

 五人が、一瞬、身を強張らせて音のする方向、距離にして、大凡(おおよそ)五十メートルほど離れた場所の空中を見上げると、今にも夕日の赤から夜空の藍に染まろうとしている空に、“闇”が滲み出した―――。

 

 

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 朧気に空に滲み出した“闇”は、五人の見ている前で徐々に輪郭を持ち始め、やがて優雅な、それでいて、どこか嘲りを含んだ拍手を続ける、藍色の鎧を纏った美女へと実像を結んだ。

「御機嫌よう。蜀の皆さま」美女はそう言って胸に右手を当て、芦色の長髪を揺らしながら五人に対して恭しく礼をした。

 

「誰……?」

「何モンだ!?」

恋と翠が同時にそう言って美女の前に立ちはだかった。その後ろには誠心が続き、剣の柄に手をかけながら、蒲公英と音々音を守る様に仁王立ちする。

 

「おやおや……」美女は、おどけた様子で肩を竦めると、ゆっくりと地上に降り立った。

「確かに、高い所から御無礼を致しましたが、そう邪険になさらずとも宜しいでしょう?しかしまぁ、名乗らずに置くのも失礼でしょうね―――私の名は、檮?(とうこつ)。偉大なる罵苦の支配者、蚩尤(しゆう)様の忠実なる臣下にして、四大魔兵団を束ねる四凶が一……。以後、お見知り置きを」

 

 五人は、再び芝居がかった仕草で頭を下げた美女―――檮?―――を、戦慄の眼差しで見つめた。当然だろう。今、彼女たちの眼前に居る存在は、明らかに今まで見て来た罵苦とは“別物”であったし、檮?の自己紹介を真に受けるならば、十中八九―――。

「上級……罵苦!?」音々音の、全員の胸の内を代弁する様な言葉に、檮?は鮮やかな赤い紅を引いた唇を、妖しく歪めた。

 

「よくご存じですね―――その通り。私は、“上級罵苦”です」

「マジかよ……。パッと見、あたしらと大して変わんないじゃないか……」驚きと戦慄が綯い交ぜになった様な翠の呟きに、檮?は微笑みを崩さずに答える。

「おや、信じて頂けませんか?まぁ、それも仕方ありませんね……そうだ!では、皆さんに、素晴らしい実験結果を収集させて頂いた御礼を兼ねて、その証拠をご覧に入れましょう!例えば、この様な―――」

 檮?はそう言うと、あくまでも優雅にその右手を持ち上げると、五人に掌を向けた。

 

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 翠達は一瞬、グゥンと、見えない縄を打たれて檮?の方に引き寄せられる様な感覚に襲われた。

「これは……だめ。みんな、逃げて……!!」恋の、珍しいを通り越して稀とも言える焦りを帯びた言葉を聞きながら、しかし残りの四人は、成す術なくその場に立ち尽くしていた。

いや、立ち尽くすしかなかった。既に、身体の自由が利かなくなっていたのである。

「さて―――では、“頂く”としましょうか」檮?は、微笑みを崩さすにそう言うと、赤い舌をちろりと出して、小さく唇を嘗めた。

 

 檮?が、一際、右手に力を込めようとしたその時、檮?はハッとした表情を浮かべて、背後を振り向き様に腰に帯びていた剣を引き抜いた。すると、ギィン、と言う金属音と共に、“何か”が刃によって弾かれ、宙で大きく弧を描いて、村と林の境辺りに飛び去った。

「これは残念。時間切れですか」

 

 檮?は、大して残念でもなさそうにそう言うと、“何か”が飛び去った方向を見遣った。そこには、半径50pほどの、内側が空洞になった円盤を手にした、黄金の魔人が立っていた。

「ご主人様……」

「ヘボ主!遅いのです!!」

「御大将!!」

 恋、音々音、誠心の三人が、同時に魔人に向かって声を上げると、翠と蒲公英は言葉に「「へ!?」」と言う、間の抜けた声を上げて、魔人を見つめた。

 

 一刀―――皇龍王―――は、そんな五人に円盤を握った手を軽く上げて答える。

「よう。遅くなっちまった……悪かったな」

「少し―――野暮ではありませんか?本郷一刀。いえ、その姿の時は、皇龍王とお呼びすべきなのですかね?」檮?が拗ねた様にそう言うと、魔人は『やれやれ』とでも言いたげに首を振った。

 

「そりゃまぁ、自由恋愛の邪魔をする気は毛頭ないけどね……動けなくしてから“食べちゃおう”ってのは、少しばかり強引過ぎるんじゃないかい?」皇龍王はそう言いながら、もう片方の手に持っていた同じ円盤を、弄んでいた円盤に近づけた。すると、白い光に包まれた二つの円盤が、光が収まるのと同時に元の刀に変化する。

 

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「ところで―――あんたが、あの“カミキリ”の親玉なんだろ?なら、俺が聞きたい事、解ってる筈だよな?」一刀が神刃を軽く振ってから、峰を肩に担いで仮面の奥の目を檮?に向けると、檮?は、自分の波打つような刀身を持った両刃剣の刀身に指を這わせて弄びながら暫く考える振りをして、「あぁ!」と、まるで難問を解いたかのように晴れやかに笑った。

 

「それはもしかして、あの“実験体”達の事ですか?まだ試作の段階だったのですがね。思いのほか、出来が良かったもので連れて来て見たのですが……どうです、彼等は“良い子”だったでしょう?」

「さぁて……俺は、あんたの良し悪しの基準なんて検討がつかないんでね。ノーコメントだ」皇龍王が饒舌な檮?の言葉に肩を竦めてそう言うと、檮?はつまらなさそうに小さく頷いた。

 

「成程。ではやはり、“あの子”達の素体の事ですかね、あなたが知りたい事と言うのは?」檮?は、妖しい笑みを湛えて皇龍王に流し眼をくれると、先程、蒲公英が倒した怪物達に視線を移した。

「貴方は……いえ、貴方達は、もう薄々感づいていらっしゃるのではないですか?赤い血、死しても泥へと帰さない強靭な身体、柔軟かつ高度な作戦遂行能力―――そして、ここからが画期的なのですが、彼等は“幻想の摂取”を、ほぼ必要としないのです」

 

「やはり、ヒト……か」一刀が絞り出す様な声でそう言うと、檮?は微笑みながら大きく頷いた。

「正解、です。正確には、五胡の牡の成体から選りすぐった者たちを、低級罵苦の一種、マシラとかけ合わせたモノなんのですよ。マシラは御存じでしょう?ほら、この前、沢山湧いて来て、そこの呂布将軍や貴方に散々蹴散らされた」

 

 檮?の身の毛もよだつ“御高説”を聞いて、誰かが喉を鳴らす音が聴こえた。或いは、全員が同時に鳴らしたのかも知れない―――そうであってもおかしくはない程に、おぞましい話ではあるのだから。

「可能……なのか?そんな事が……」半ば答えを予期していた皇龍王も、思わずそう尋ねてしまった。本当は檮?の答えなど聞きたくもないのだが、それでも聞かねばならなかった。これから戦う事になるであろう、新たな『敵』の情報だから。

 

「勿論ですとも―――まぁ、考えてもみて下さい。そもそも、私たち罵苦と外史の人間と言うのは、根本的には似た者同士なのですよ。両者とも、その存在意義が対極であるが為に見落としがちですがね。元を辿れば、幻想によって生み出されたモノなのです。ですから―――」

「存在として掛けられた“呪(しゅ)”を解いて、呪術的に再結合させた……」皇龍王が、檮?の言葉を引き取ってそう言うと、檮?は嬉しそうな顔で皇龍王を見返した。

 

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「その通りです!どうやら貴方には、魔導理論の初歩くらいは御理解いただいているようですね」

「まったく以て胸クソ悪いことにな」檮?は、そんな皇龍王の言葉など意に介さぬ様子で喋り続けた。

「私はね、“この子”達を仮に『双魔獣』と名付けようかと思っているのですよ。良い名だとは思いませんか?」

「さっきも言ったと思うが、俺にはあんたの良し悪しの基準なんて解らんし、更に付け加えると、解りたくもない。ノーコメントだよ……それよりも、だ。こちらから聞くべき事は全部、聞いた―――で、後に残された問題は一つだけな訳だが?」皇龍王がそう言って神刃を右八双に構えると、檮?は暫く逡巡してから、首を横に振った。

 

「殿方からのお誘いをお断りするのは、誠に心苦しいのですが、今日は遠慮させて頂きましょう。“手駒”も全て失ってしまいましたし、何より―――早く帰って、今日のデータを纏めたいもので。それで……貴方は、黙ってそれを許して下さるのですか?」

「好きにしろ」皇龍王は苦々しげにそう言うと、構えを解いて檮?を見返した。

「今回は手の内を二つも晒しちまったし、これ以上ダラダラやり合って、結局、仕留め損なうよりは幾らかマシだ」

 

「成程。良い“引き際”です。やはり、貴方は侮り難い御仁のようだ―――では、またいずれお逢いしましょう……御機嫌よう」檮?は、全てを見通している様な遠く、深い瞳で皇龍王の仮面の奥を見据えると、現れた時と同じ様に、闇に溶けて消え去ったのだった―――。

 

 

 

 

 

 

 

 一刀は、大きく息を吐いてから“凱装”を解いて刀を納めると、仲間達の所に駆け寄った。

「みんな、無事か?」一刀がそう問いかけると、恋がコクリと頷いた。

「みんな、生きてる……大丈夫」

「なんかまた、豪(えら)く極端な“大丈夫”だなぁ、恋」一刀がそう言い返すと、恋は微笑んだ。

「最後まで、生きてるのが、勝ち……」

「はっはっはっ!正しくその通りですな!」誠心がそう言って豪快に笑うと、一刀は『一本取られた』と言いたげな顔で、ボリボリと頭を掻いた。

 

「全く、今回こそはもうダメだと思ったのです!どうしてお前は、ねね達が危なくならないと出てこないですか?このヘボ主!!」音々音が、頬を膨らませてそんな文句を言うものの、“ちんきゅーきっく”が飛んで来ないところを見ると、それなりに評価してくれてはいるらしい。一刀はそんな音々音の頭を撫でながら謝ると、何故か後ろでモジモジと様子を窺っている翠と、影閃を支えにしてその横に立っている蒲公英に視線を向けた。

 

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「よう。翠、蒲公英、ただいま」一刀が二人に向かってそう言うと、蒲公英が「あっ、そう言えば、まだ挨拶もしてなかったね」と言って、一刀の腕に縋(すが)りついた。

「おかえりなさい♪ご主人様!」

「おう、ただいま、たんぽぽ」一刀は、蒲公英の身体を支えてやれる様に腰に軽く手を回すと、やけに大人しい翠の顔を覗き込んだ。

 

「たんぽぽとは、さっき少し喋れたけど、翠とはまだ殆ど喋れてなかったよな。ただいま、翠」

「お、お、お、おかえり!?ご主人様!!」

「いや、何故に『おかえり』が疑問形なんだ?」一刀が、失笑気味にそう問い返すと、翠は顔を真っ赤にして、更に俯いてしまった。

「あ、あたしにだって分かんないよ!ご主人様に会ったら、言いたい事が山ほどあった筈なのに、こっ、言葉が喉に突っかかっちゃって、で、で、出てこないんだ!あたし、ど、どうしたら―――」一刀は、林檎の様に頬を赤くした翠に微笑みかけると、優しくその肩を抱き寄せた。

 

「!!△■×∀*%!?ご、ご主人様!?」

「まぁ、俺も似た様なもんな訳だが、差し当たり―――」一刀はそこまで言うと、翠を抱きしめていた力を緩め、もう一度、その瞳を見返した。

「俺に、一番言いたかった事だけ、聞かせてもらえるか?」

 

「うぅ、うん。分かった。えぇ、と―――あ、あ、あい…………逢いたかったよぉ!ご主人様ぁぁぁ!!」翠は、大声でそれだけ叫ぶと、再び一刀の胸に顔を埋めて号泣した。一刀は、胸に染みて来る翠の涙の温かさを感じながら、自分も翠のうなじに顔を埋めて、優しく翠の後頭部、ポニーテールの下辺りを撫でた。

「俺も、逢いたかったよ、翠。寂しくさせて、ごめんな?」一刀が、幼子を宥めるように耳元で囁くと、翠はコクコクと頷いて、両手を揃えて、一刀の服の胸の辺りを握り締めた。

 

「えへへ♪良かったね、おね……え……さ、ま―――」蒲公英は、自分も涙ぐみながら、幸せな気持ちと一刀の温もりに包まれて、心地良く意識を手放したのだった―――。

 

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 一刀は、厳顔こと桔梗がいつもぶら下げている徳利ほどもありそうな薬瓶と、一抱えを超える量の包帯を両手に持って、宿の廊下を急いでいた。“急いでいた”とは言っても、薬と包帯が必要な蒲公英の治療はとっくに終わっていて、今、一刀が抱えている大荷物はあくまでも替えの為の物なので、そう急ぐ事もないのだが、どうにも気が競って歩調が速まってしまうのである。

 

 一刀が角を曲がって、蒲公英の部屋のある並びに差しかかると、廊下の中腹に設(しつら)えられた椅子の一つに腰掛ける影が見えた。一刀は、椅子と同様に設えられている卓に片肘をついて夜空を見ている人物の正体をそのシルエットから察すると、歩調を緩めて近づき、話しかけた。

「どうしたんだ、翠。こんな所で」

 

「あ……ご主人様。それ、たんぽぽのか?」翠はそう言いながら、一刀に向き直った。

「あぁ―――しかし、薬屋が被害に遭ってなくてらっき……いや、幸運だったよなぁ」一刀は、務めて明るい口調で翠にそう言うと、翠が肘を着いていた卓に荷物を降ろして、懐からマールボロを取り出し、翠に「煙草良いかい?」と訊いた。

 一刀は、翠が頷いたのを確認すると、卓の上に置いてある行燈に近づけ、火を点けた。

 

 翠は、一刀が夜空に吐き出した紫煙が、ゆっくりと霧散するのを暫く眺めたあと、「あたしって、ダメだよなぁ」、と、呟いた。

 一刀が、問いかける様な視線で翠を見ると、翠は何処とも知れぬ中空に視線を彷徨わせながら、微笑みを浮かべた。

 

「たんぽぽ、さ。あたしが、思いっ切り力入れなきゃ引き離せない位さ、強く槍、握ってた……」

「あぁ」

「昔は、ちょっとシゴいただけで放っぽって逃げ出してたのに、何時の間にか一人前になってたんだな、って思ってさ。本当に、大したもんだよ。あたし、全然、気付かなかった……あいつの師匠面してたのに……」翠は、嬉しそうな、それでいて、どこか寂しそうな声でそう言いながらポリポリと頭を掻いた。

 

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「まぁ、な。ずっと近くに居りゃあ、そんなもんだろ」一刀が、煙草を携帯灰皿に突っ込みながらそう言うと、翠は、「そうかな?」と訊き返して一刀の方に顔を向け、すぐにまた慌てて視線を外した。

「あぁ……俺に妹が居るって話、した事あったっけ?」

「へ!?マジかよ!!?」翠は、驚きを通り越して狼狽した顔で、一刀を見た。

「何だよ。俺って、そんなに兄貴っぽくないか?」わざと拗ねた様な口調で一刀がそう言うと、翠は慌てて両手を振って否定する。

「あ、いや、そう言うんじゃなくて、全然、知らなかったからさ。良く考えてみたら、鈴々とか璃々とか美以達とか、チビどもの扱いが上手いしな。妹が居たからって事なら、何か納得って言うか……」

 

「はは、ありがとう。まぁ、昔は、あんまり自分の家族の話とか、した事なかったしなぁ」一刀は、照れ臭そうにそう言うと、灰皿を懐に仕舞った。あの頃は、口に出す事で元の世界への想いが止められなくなるのが怖かったのだと思う。

『帰りたい』と願ってしまえば、次の日には、本当に学生寮の自分の部屋の天井を見て目を覚ますのではないか、と言う恐怖も。今、こうして当たり前の様に、“捨てて来た”筈の自分の家族の話が出来るのは、やはり、“捨てる”覚悟を許容したから―――自分の意思で、自分の生きるべき場所を定め、そこに立っているからなのだろう。

 

「でな。俺も中学……十五歳まで、ずっと妹と一緒に暮らしてたんだ。それまでは、妹が成長してるなんて、全然実感ないんだよ。絶対、成長してる筈なのにさ」一刀がそこで言葉を切って翠を見ると、翠はしみじみした様子で頷いている。

「でも、寮に入って生活するようになって、たまの休みに実家に帰って久し振りに会うとさ、ビックリする位、大人になった様に感じるんだよなぁ。まぁ、女の子だから、特にそう思ったにかも知れないけどね―――翠は、今までずっとたんぽぽと一緒だったんだから、気付かなくたって当たり前さ。落ち込むような事じゃないって」

 

「それじゃ何だか、あたしがご主人様並みに鈍感だって言われてる気がするなぁ……」黙って一刀の話を聞いていた翠は、肩を竦めて『やれやれ』と言うようなジェスチャーをしてそう言った。

「うわ!お前、人が折角、良い話込みのフォロー入れてやったのに、そう言う事言うのか?」

「ふぉ……何だって?」

 

「あぁ……いや、何でもない。天の言葉さ。昔、都に居た頃は大分、抜けてたのになぁ……。流石に十三年も“あっち”に居たら、戻っちまってさ」一刀が、バツが悪そうに笑うと、翠は、不意に真面目な顔で黙りこくった。

「どうした、翠?」

 

「十三年、か……長いよな」

 

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「うん?そりゃあ、まぁ……産まれたての赤ん坊が生意気盛りになる位の時間だからなぁ」一刀が、翠の言葉の真意を測りかねていると、翠は唐突に立ち上がって、一刀の胸に顔を埋めた。

「す、翠?」一刀は、反射的に飛び込んできた翠の身体を抱きしめながら、少し戸惑った様に翠の名を呼んだ。恥ずかしがり屋のこの少女が、自分から一刀の胸に飛び込んでくる事など、殆ど記憶になかったからだ。

「ありがとな」と、翠がくぐもった声で言う。

「うん?」

「ずっと、あたしたちの事、忘れないで居てくれて」

「そんなの、当たり前だろう。忘れたりするもんか」一刀が、翠の髪を優しく梳きながらそう言うと、翠は、ゆるゆると首を振った。

 

「いや、忘れられた筈だよ―――そうだろ?」

「…………」翠の問いに、一刀は答えられなかった。翠は知っている。故郷を失うと言う事の意味を。

 結果的に三国同盟が成立して魏と和解した事で、翠は故郷を取り戻した。しかし、そうでなければ?翠だけではなく、蒲公英や、西涼の兵士達は、残りの生涯で、故郷の土を再び踏む事が出来ただろうか?

 それは、一刀にも解らない。外史の可能性は無限なのだから。

 

 しかし翠達は、確かに思った筈だ。『二度と故郷には帰れない』と。だから、故郷の記憶は兎も角、『帰りたい』と言う“自分の想い”は、忘れる事が出来ると言う事を知っているのだ。しかも一刀は、“故郷を離れる”のではなく、“二度と帰れない筈の故郷に帰った”のだから。

 十三年と言う月日は、若かりし頃、数年を過ごした土地への仮初めの望郷の念を忘れるには十分だったであろう事も、自身の経験に照らし合わせれば、容易に想像がついたのだろう。

 

 実際、一刀自身、何度そう出来ればと思ったか知れない。いつ訪れるとも知れない迎えを待ち、己を鍛える事しか出来ない、くすんだ毎日の中で……忘れられなかったのではない。その選択肢を考えなかった訳ではないのだ。だから一刀は、ただ翠を抱きしめた。

「忘れたくなかった」一刀は、翠の形の良い耳にそう囁いた。

 

「この匂いも、感触も、温もりも。俺が勝手に“忘れたくなかった”んだ。だから、帰って来た。礼なんて、言われる筋合いじゃないさ」

「よく言うよな。あたしだけじゃないクセにさ」翠は、一刀の胸で苦笑しながら、そう言った。一刀も、翠が笑う吐息を感じて、決まりが悪そうに微笑む。

 

「全く、お前は……そう言う野暮なトコは、直ってないなぁ。折角、良い雰囲気だったのに―――」

「うっさいな!エロエロ魔神のご主人様になんか、言われたく―――!!△■×∀*%!?」翠は、一刀に文句を言いかけて顔を上げると、“ボン”と言う効果音が聴こえてきそうな勢いで顔を真っ赤にして、また俯いてしまった。

 

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「翠、どうした?」一刀は、翠の様子を見て不思議そうに尋ねた。確かに翠は恥ずかしがり屋で、顔を近づけたりするのは苦手な方ではあった。しかし、都で生活していた頃には大分慣れて来て、少なくとも、人前でもなければ、これほど大袈裟に反応するような事はなくなっていた筈だったからだ。

「いや、あの、何て言うか……」

「うん」一刀は、翠を急かさないように気を着けながら相槌を打った。普段ならば、もう少しからかって可愛い反応を引き出してもいいのだが、ここで暴走などされたくない。今は、自分の腕の中の温もりを、そんな風には失いたくなかった。

 

「ご主人様、さ。大人っぽくなったって言うか―――逞しくなったって言うか……だから、その……ああ!もう!!良く分かんないけど、なんか恥ずかしいんだよ!悪いか!」翠は、言うだけ言うと、プイとそっぽを向いた。

「いや、悪いなんてとんでもない。今のを要訳すると、『惚れ直した』って事だろ?光栄の至りだとも」一刀がおどけた口調でそう囁くと、翠は、否定とも肯定ともつかない唸り声を上げて、黙り込んでしまった。一刀は、翠が暴れ出さない事を確認すると、肩を抱いていた右手を彼女の腰に回し、今までよりも少し、翠を抱く手に力を込めた。

 

「ご主人様!?」決して大きくはないが、確かな驚きを含んだ翠の声を、一刀は「シーッ」と、優しく囁く事で遮った。

「少し―――ほんの少しだけ、このままでいさせてくれ……いいだろう?」一刀がそう言うと、翠は照れ臭そうに「しょうがないな、ご主人様は……」と呟いて、一刀の胸に置いていた両手を、おずおずとその背中に回した。

 

―――それから、どれほどの時間が流れたろうか。ぴったりと寄り添っていた二人は、どちらからともなく、自然に身体を離した。

「あのさ、ご主人様」翠は、まだ少し赤い頬を摩りながら、一刀に言った。

「ん?」

「今夜は、たんぽぽに付いてやってくれないか?その、ご主人様も疲れてるのは分かってるんだけど、あいつも頑張ったから、何て言うか、ご褒美って訳でもないけど、さ」

 

「あぁ、勿論。そのつもりだよ」一刀がそう言うと、翠は、今までとは違う、朗らかな笑顔を浮かべて、一刀を見た。

「ありがとう、ご主人様。きっと、たんぽぽも喜ぶよ!じゃあ、おやす―――!!?」一刀の返事を聞いて、手を振ってその場を去ろうとした翠は、不意に伸びて来た一刀の手に二の腕を掴まれ、体勢を崩されて、再び一刀の胸に倒れこんでしまった。訳が分からず、当惑していたのは、一瞬。

 

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 次の瞬間には、優しく顎に添えられた一刀の手が翠の顔を持ち上げ、懐かしい感触が、彼女の唇を塞いでいた。

「!!△■×∀*%!?な、何するんだよ、ご主人様!!」不意打ちの口付けから解放されると、翠は真っ赤になって一刀に言った。

「いや、頑張ったご褒美って言うんなら、翠にも上げないといけないだろ?だけど、今日はたんぽぽと一緒に居る事になってる訳だから、当然、翠とは居られない―――だから、ちょっとだけ、分割前払いって事で」一刀は、悪びれもせずに言う。

 

「そっ、そんな事言ったら、恋やねねや、誠心はどうすんだよ!?」翠が、照れ隠しで睨みつけながらそう言うと、一刀は小さく微笑んで、再び翠の顎に手を添えた。

「おいおい、それじゃまるで、誠心に“そっち”の気があるみたいじゃないか。心配しなくたって、あとでちゃんと報奨の申請をするよ。恋と音々音には、成都に着いたら、財布が空っぽになるまで食べ歩きに付き合うって事で勘弁してもらうさ……今日の所は、な―――」翠は、自分の理屈を粉微塵にしながら迫って来る一刀の唇を、戸惑いながらも、今度はしっかりと受け入れた―――。

 

「ふん!ホントにエロエロ魔神なんだから、ご主人様は……」唇を離した翠は、赤いままの頬を少し膨らませて、一刀の胸を小突いた。

「口付け位で、相変わらず酷い言われようだな」一刀は苦笑しながらそう言うと、最後にもう一度だけ、少し力を入れて翠を抱きしめてから、身体を離した。

 

「そう言う事をサラっと言うから、エロエロ魔神なんだよ!」翠は、今度は警戒しているのか、一刀が両手に荷物を持つまで背中を見せようとしないでいた。

「むぅ……。喜んでくれるかと思ったんだがなぁ。もしかして俺、下手になってたか?」

「へ!?いや、そんな事ないって言うか、どっちかって言うと上手くな―――って、なに言わせてるんだよ!!?」

 

「ははは!良かった。それを聞いて安心したよ。じゃ、今度こそお休み、翠」一刀が、翠の拳が届かないところでそう言うと、翠は「うっさい!さっさとたんぽぽのトコに行け!!」と怒鳴って踵を返し、早足で自分の部屋の方へ歩き去って行った。

 一刀は、翠が走って逃げて行かなかった事を、喜んでくれたのだと解釈して、その場を後にした―――。

 

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「ん……あ、ご主人様?」蒲公英が、そう呟いて目を覚ましたのは、一刀が蒲公英の部屋を訪れてから、一刻(約二時間)程してからの事である。一刀は、既に中天を過ぎた月の明かりと、備え付けの小さな行燈で読んでいた本から顔を上げて、蒲公英が眠る寝台の横に行き、そこに浅く腰かけた。

「おはよう、たんぽぽ。良く寝ていたな」一刀がそう言って額を撫でると、蒲公英は、まだトロンとした眼を嬉しそうに細めてから、辺りを見回した。

 

「あれ……?たんぽぽ、どうして……あ」蒲公英は、暫く不思議そうに宿の部屋に視線を彷徨わせていたが、不意に全てを思い出したらしく、目を瞬かせた。

「そっか。たんぽぽ、気絶しちゃってたんだぁ」

「あぁ。みんな、心配していたぞ?」一刀が優しくそう言うと、蒲公英はバツが悪そうに微笑んだ。

「恥ずかしいなぁ。折角、恰好つけたのに、最後の最後で気絶しちゃうだなんて……」

「馬鹿言え。大活躍だったじゃないか。翠も褒めてたぞ? 」

「お姉様が?本当に!?」

 

「あぁ。『もう一人前だ』だってさ」一刀その言葉を聞いた瞬間、蒲公英の顔がパッと明るくなった。

「そっかぁ。お姉様、そんな事言ってくれたんだ♪」蒲公英はそう言いながら、“にへへ”と、嬉しそうに笑って、頬を赤らめた。何だかんだと言って、姉代わりであり、直接の師でもある翠に褒められるのは、格別に嬉しい事なのだろう。

 

 一刀は、そんな蒲公英の様子を微笑ましく見つめながら、「たんぽぽ、腹は減ってないか?」、と、声をかけた。

「あ、うん。そう言えば、お腹ペコペコ……。ご主人様、たんぽぽ、どれくらい寝てたの?」

「そうだな―――大体、三刻って所じゃないか?」一刀は、月の位置を見ながらそう言って腰を上げると、先程まで座っていた卓まで戻って、用意しておいた握り飯に被せてあった濡れ布巾を取り、水を注いだ茶碗と共に盆に乗せて、蒲公英の前に持って帰った。

 

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「本当は、粥でも作ってやりたかったんだが、お前がいつ起きるか分からなかったんでな。こんなので勘弁してくれ」一刀がそう言いいながら、盆を蒲公英の太もも辺りに置いて起きるのを助けてやると、蒲公英は大きく瞬きをしながら一刀に尋ねた。

「“作ってやりたかった”って、もしかしてこのお握り、ご主人様が作ってくれたの?」

「うん?あぁ、そうだよ。何せ、あの大騒ぎの後だからな。住民は皆、大変なんだ。此処にも、素泊まりでいいからって条件で泊めてもらったんだよ」と、一刀は蒲公英に説明したのだが、どうやら、後半は殆ど耳に届いていないらしく、蒲公英は「そっかぁ、ご主人様の手作りかぁ♪」と嬉しそうに呟いて、握り飯を矯(た)めつ眇(すが)めつ鑑賞する事に夢中になっている。

 

「なぁ、たんぽぽ。握り飯如きでそんなに喜んでもらえて恐縮なんだが、そろそろ食べたらどうだ?」一刀が、蒲公英の余りに嬉しそうな様子に、どうにも気恥ずかしくなってそう言うと、蒲公英は漸く頷いて、動く方の左手で、握り飯をそっと掴んだ。

「いっただきまーす♪んぐ、んぐ―――うん、おいしいよ、ご主人様!」

 

「はは。そう言ってもらえて光栄だけど、握り飯なんて、誰が作ってもそんなもんだろう」一刀が、照れ臭そうに頬を掻くと、蒲公英はフルフルと首を振った。

「そんな事ないよぉ♪行軍の時に配られるお握りじゃ、たんぽぽ、こんな気持ちにならないもん。だから、やっぱりご主人様のお握りは美味しいよ♪」

 

「はいはい。分かったから、早く食べちまえ。折角、起きたんだから、それ食い終わったら包帯、替えるからな」一刀が、照れ隠しにそう言って蒲公英の頭をクシャクシャと撫でると、蒲公英は一度、「は〜い」と素直に返事をしてから逡巡し、頭の上に?マークを浮かべて、卓の傍でゴソゴソと薬や包帯の準備を始める一刀を見た。

「ねぇ、ご主人様」

 

「うん?何だ。たんぽぽ」

「その、包帯替えるのって、もしかして、ご主人様がやるの?」

「あぁ。もう、夜も遅いし、翠や恋たちを起こす訳にもいかないだろ?もし嫌なら、明日の朝に誰かに頼むか?」

「ううん、嫌なんかじゃないよ!ただ、気になっただけだから」

 その会話の間、蒲公英に背を向けて手当ての準備をしていた一刀は気付いていなかった。蒲公英の愛らしい唇が、一瞬、艶やかに歪んだ事に―――。

 

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 一刀は、食事を終えた蒲公英を、身体の右側に集中している傷に注意しながら、寝台の中心辺りに座らせると、一言断りを入れてから、静かに寝巻を脱がせた。蒲公英は、外気に触れた身体を、ブルッと小さく震わせる。それを見た一刀が、「寒いか?」と尋ねると、蒲公英は小さく首を振った。

「ううん、大丈夫。今まで暖かかったから、ゾクっとしただけ」

 

「そうか。じゃあ、包帯外すのから始めるぞ」一刀がそう言って、蒲公英の身体に巻かれた包帯を次々に巻き取っていくと、その下に隠された痛々しい傷と共に、蒲公英の成長した身体が徐々に現れて来る。一刀は、敢えてそれを意識しないように努力をした。

 全ての包帯を取り去り、殆ど産まれたままの姿になった蒲公英も、一刀の心中を察しているのか、いつもの様にからかう事も無く、黙って一刀の指の動きを眼で追っているだけだった。

 

 次に一刀は、水に浸した清潔な布で優しく拭うと、薬びんを開けて木箆(きべら)で中身を掬い、「少し染みるぞ」と言って、慎重に蒲公英の傷口に軟膏を垂らして、指で塗り込んでゆく。暫くして、小さな傷に全て包帯を巻き終わり、身体の右側に集中している酷い傷に軟膏を塗り始めると、流石に蒲公英も「んっ……!」と、切なげな声を出して唇を噛んだ。

 

「すまん。痛くしたか?」一刀が顔を上げてそう尋ねると、蒲公英は小さく微笑んで首を振った。

「ううん、平気だよ。ご主人様の指、はぁっ……!優しいもん……」

「そ、そうか……」一刀は、落ち着かない気持ちになりながらも、手早くガーゼ代わりの布を傷口に宛がい、包帯を巻き始めた。だが、思考に架けるカーテンの何処かに穴が空いてしまったかのように、蒲公英の体温や、傷の発する熱のせいで赤みがかった肌が気になって仕方がない。

 

「(顔を見たのが不味かったか……)」一刀は、内心でそうひとりごちて己の失策を後悔したが、もう遅かった。一度意識してしまうと、服を脱がせてすぐ寝台に横たわっている蒲公英の、痛々しくも美しい肢体や(どうして男と言う生き物は、包帯を巻いた女性の姿に、背徳的な欲情を感じるのだろう?)、腕を吊るした三角巾を取り換える時に手の甲を掠った、淡い桜色の蕾の事が、雷を孕んだ夏の雨雲の様に、一刀の思考に広がり出した。

 

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「(頼むから、馬鹿な事を考えるのはよせ!蒲公英は怪我してるんだぞ!?)」一刀は、自分の脳味噌を殴りつけたい気分で自身を叱咤した。蒲公英の太ももを一回りするたびに頼りなくなって行く包帯の厚みだけを、心の支えにしながら。

 

「ねぇ、ご主人様」苦しげな吐息以外に蒲公英が声を発したのは、一刀が甘美な拷問との戦いを終え、後片付けをしていた時の事だった。

「どうした、たんぽぽ。どこか、包帯がキツい所でもあるのか?」大分、平静を取り戻した一刀は、まだ寝巻を着直す気配のない蒲公英の方を振り返って、声に答えた。

 

「どうだった?蒲公英の身体……」

「なっ!?お、お前なぁ―――」一刀は、『勘弁してくれ』と言いかけて、ハッと口を噤(つぐ)んだ。蒲公英の顔には、一刀をからかう時の悪戯っぽい笑みは浮かんでいなかった。

 それどころか、その瞳には不思議な―――なんとも形容し難い妖しい光が揺らめいていて、熾火(おきび)の様にちろちろと燃えている。一刀はその光を見て確信してしまった。

 蒲公英が今、自分を狂おしい程に求めているのだと言う事を。

 

「たんぽぽ、綺麗になったかな?おっぱいの大きさは、もうお姉様にも負けてないと思うんだ」蒲公英は、茶化す様子もなく、どこかしら懇願している様にも感じられる切実な口調でそう言いながら、一刀を見つめる。一刀は、蒲公英の傍に戻ると、再び腰を下ろして、蒲公英の頭を撫でた。

「たんぽぽ。俺が胸の大きさなんか気にしないって、知ってるだろ?でも、まぁ、そうだな。翠にだって負けてないと思うし―――たんぽぽの全部が、凄く綺麗になったとも思うよ」

 

 それは、口説き文句などではなく、一刀の本心だった。蒲公英は、綺麗になった。勿論、昔はそうではなかったと言う意味ではないが。

 一刀の居なかった(こちらの時間の流れでは)三年の間に、蒲公英の身体は、初々しさを残した少女のものから、成熟した女性のそれへと、見事に成長を遂げていた。

 

 蒲公英は、自分の頭を撫でていた一刀の右手に左手を添えると、自分の頬へとそれを導いた。

「じゃあ……ね?」一刀はその言葉に小さく頷くと、左手を蒲公英の腰に回して支えにし、ゆっくりと蒲公英を寝かせて覆い被さりながら、その唇を塞いだ。

 

「ご主人様の“きす”、少し煙草の匂いがするね」

「蒲公英のキスは、お握りの味がするぞ?」二人はそう言い合って互いに微笑むと、最初の啄ばむ様な口付けから、互いの舌を蹂躙し合う濃厚な接吻へと、どちらともなく移行し始める。一刀は、蒲公英の身体を労りながらも、怪我をしていない部分に指を這わせて、彼女の感覚を確かめ、思い出して行く事に没頭した。

 

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 昼間に戦闘をしてい時の血の滾(たぎ)りが再びぶり返して来ていて、そうでもしなければ、蒲公英の艶めかしい声を耳元で聞いているだけで、瞬く間に欲情の手綱を手放し、何もしない内に果ててしまいそうだったのだ。

 一刀は、蒲公英の身体の中に燃える炎の熱が、指によって十二分に彼女の全身に行き渡ったのを感じ取ると、石の様に硬くなった胸の蕾を口に含みながら、ゆっくりと彼女の茂みへと指を潜り込ませた。瞬間、蒲公英の身体がビクン、と震え、嬌声が大きくなる。

「ごめん、たんぽぽ。強くし過ぎた」一刀は優しくそう言うと、もう一度、蒲公英に口づけ、指の動きを緩めた。彼女の身体にも、一刀と同じく昼間の戦闘の滾りが残っていた。それに加えて、傷口が発する熱のせいで、感覚が何倍にも鋭敏になっていたのである。

 

「うん、ご主人様。たんぽぽ、もう……」蒲公英が、熱に浮かされた様に言うと、一刀は「分かってる」と彼女の耳元に囁きながら、傷が痛まないように、彼女の右半身を上向きにして横たえ、背中から抱きしめて、ゆっくりと自身を蒲公英の中へ進ませた。

 一刀は、彼女の吐く吐息の一呼吸すら堪らなく愛おしく感じられ、欲望のままに彼女を貫きたい衝動を必死にねじ伏せた。

 

 一刀は蒲公英の一番奥まで到達すると、蒲公英が自分のリズムを作り易い様に、彼女の腰の下に手を入れて軽く持ち上げてやり、その旋律に合わせて、自分の身体を揺すっていく。すると蒲公英は、たちまち最初の大きな波に呑まれた。

 二人は、暫くぴったりと寄り添ったまま互いの呼吸を聞いていたが、やがて蒲公英の身体が、また一刀を求めているのが感じられた。

 一刀も今度は、ただペースを合わせるだけではなく、蒲公英に導いてもらう為に、二人が繋がっている部分に全ての神経を傾ける。二人は、互いの名を呼び合いながら唇を奪い合い、やがて、互いが作り出した巨大な波のうねりに、深く身を沈めた―――。

 

 それから、どれほど眠っていたのか。蒲公英は、頬を撫でる夜風の感触で、薄っすらと目を覚ました。

 蒲公英が、愛し合った次の日特有の心地良い気だるさを身体に感じながら視線を巡らすと、ぼんやりとした視界に、薄っすらと明け始めた空の広がる窓の外で紫煙を燻らせている、愛しい人の影が映った。蒲公英が暫くまどろみながら、呆然とその影を見ていると、煙草を消した彼が振り向き、静かに窓を開けて入って来た。

 

「ごめん。起こしたか?」一刀が、蒲公英が目を開けている事に気付いてそう言うと、蒲公英は首を振った。

「ううん。ちょっと前から起きてたから」蒲公英は眠たそうにそう言って、一刀が寝台に座るのを眼で追う。良く見ると、彼は上半身裸で、その上から外套を羽織っているだけだった。

「ご主人様、部屋に帰えるの?」蒲公英がそう問いかけると、一刀は、彼女の頭を撫でながら、「いいや」、と答えた。

 

「蒲公英さえ良ければ、このまま一緒に寝たいな」一刀がそう言うと、蒲公英は嬉しそうに笑って、一刀の手に自分の手を重ねた。

 

「嬉しいな♪あのね、御主人さま、お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」

「うん?いいとも、俺に出来る事なら」一刀が、まだ半分夢の中に居る様な口調の蒲公英の頬を摩りながらそう囁くと、蒲公英は、照れ臭そうに言った。

「あのね、さっきとは反対側に来て欲しいの。あれだと、朝起きた時、ご主人様の顔が見えないでしょ?」

「成程、そんな事ならお安い御用だ。俺も、蒲公英の顔が見れて一石二鳥だしな」一刀は、蒲公英の可愛らしい“お願い”に頬を緩めながらそう答えると、外套を脱いで、蒲公英の温もりで暖まった布団に潜り込み、片腕を彼女の頭の下に差し入れてやった。

 蒲公英は嬉しそうに笑ってから目を瞑ると、すぐに安らかな寝息を立て始めた。やがて一刀も、彼女の寝息のしっとりとした温かさを胸に感じながら、穏やかな眠りに落ちていった―――。

 

-19ページ-

 

                                    あとがき

 

 さて、今回のお話、如何でしたか?今回は、漸く怪物の正体を明かす事が出来ました。

 この怪物たちは、ある特撮作品に登場するクリーチャーへのオマージュです。彼等の製造方法や名前を聞いてピン!と来た方は、中々の特撮通ですよwww

 また、一刀達と敵幹部の初対面も盛り込む事が出来ました。本当は饕餮(とうてつ)も一緒に出そうかと考えていたのですが、それをやってしまうと、更に1.5倍位の原稿量になってしまいそうだったので、次に持ち越します。

 因みに、一刀が檮?に使った投擲武器は、チャクラムの一種なのですが、具体的なイメージは、映画『ブレイド』で、ウェズリー・スナイプス演じるブレイドが使っていた物を想像しています。もうちょっと具体的に描写したかったのですが、場面的にテンポ良く進みたかったので、私の文才ではどうにもねじ込む事が出来ず、ここで補足させて頂く事にしました。

 

 後半は、ほぼ完全に翠・蒲公英の拠点フェイズな感じですね。別に、運営さんに戦いを挑んでいる積りは毛頭ないのですが、書いている内に一刀さんの中の種馬が目を覚ましてしまって、私では止められませんでした……。

 クリエイターの方は御存じかも知れませんが、別に冗談ではなく、文章を書いていると、たまにあるんですよ。いや、本当に。問題のシーンには相当な直しを入れていて、具体的な表現や、危険と判断した蒲公英の“最中”のリアクションなどは、全部カットしております。なので、ギリギリO.K.な筈です……多分。いや、きっと。

 それと、今回は蒲公英が頑張ってくましたが、いずれは翠にも頑張って欲しいですねぇ。

 ともあれ、次回は、ようやっと一刀が成都に帰り着きます。どうぞ、お楽しみに。

 

 では、また次回、お会いしましょう!!

 

 

 

 

 

説明
どうも皆さま、YTAでございます。
今回は、二回に分けようかと思った程のボリュームにも関わらず、良いペースで仕上げられました。
敢えて一回に纏めたのは、翠・蒲公英編も、当初の予定より長引いてしまったので、ここでひと思いに終わらせ、次回で成都に到着させねば!!と言う訳であります。

しかし、ここで一つ重大な問題が……。
書いて行く内に、最後の二ページ程が、結構エロくなってしまいました……。表現とかには気を付けたので、大丈夫だとは思いますが……。若干不安です。

では、どうぞ!!
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コメント
はこざき(仮)さん 私は、どっちかになんて決められないよ…!と、一刀さんみたいな事を言ってみますw彼の種馬力については、この先のお話でもちょっと触れたりしておりますので、読み進めてみて頂けると嬉しいです。(YTA)
私は馬超より馬岱の方がゲフンゲフン… 北郷の種馬の力もパワーアップしてそうでなによりですね(はこざき(仮))
西湘カモメさん 成都は居心地良過ぎて、油断してると先に進まなそうなので、さらっと、都まで行きますよ!えぇ、今度こそは……!(YTA)
O-kawaさん そうですよ。副題の元ネタは、あとがきに書いてるので、「ん?」と思ったら確認してみて下さいwwwこの曲、蒲公英のイメージなんです。(YTA)
やっと我らが種馬が成都に凱旋ですか。なんか次回は、一刀が干乾びる姿を想像してしまった。(西湘カモメ)
今気付きましたがもしかして副題パトレイバー?(O-kawa)
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