新生アザディスタン王国編 第二話@
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新生アザディスタン王国編 第二話

 

「マリナ皇女殿下はここには戻らない。殿下はアザディスタンへ帰られた」

 周囲からミスター・ブシドーと称される仮面の男の台詞に、シーリンもサーミャも絶句してしまう。

 シーリンの脳裏に一瞬だけ、連邦政府による奸計という疑惑が思い浮かぶ。

 だが、国家として体裁すら保てない国の代表を拉致したところで何のメリットがあるだろうか、そしてまた、一週間前からアザディスタン国内の『被災地』への物資援助も始まっているのだ。つまり今回のマリナのパーティへの出席という政治活動と同時並行する形で、アザディスタンの連邦政府属国化は進行している。それらを考えればマリナを拉致する理由はないし、そもそも、そのような計略があるのなら、目の前の連邦のパイロットがわざわざこの場に戻る理由もないのだ。

 シーリンが困惑に思考を巡らす間にも、サーミャは現実的に対処する。

「それでミスター・ブシドー。皇女殿下は何処へ?」

 通信端末を取り出して問う。

「案ずるな。機体データは全て提供しよう」

 応じるミスター・ブシドーも懐から情報端末を取り出す。

 サーミャが使っている端末とリンクさせ認証情報を受け取ると、モビルスーツに搭載された光量子サーバーへのアクセス権を認証情報に付加した。

 すぐさま通信端末を操作しはじめたサーミャは、ほどなくして関係部署へ指示を出しはじめる。

 もちろん、カタロンとは全く関係の無い、サーミャが本来所属する組織に対しての連絡だ。

 この点について、シーリンはあえて深入りしないようにしている。

 これがシーリンの決断だった。

 あの日、マリナがサーミャと7姉妹評議会の支援を受けて、アザディスタン王国の暫定政府に参加すると決めたとき、シーリンはそれらに関する全てをカタロンに口外しないと決めたのだ。

 マリナが暫定政府に参画することによる影響は大きい。彼女を情報源とすれば、連邦軍の内情を探ることもできただろうし、逆にカタロンが有利になるような偽情報を流すこともできる。

 つまり、スパイ行為である。敵勢力下にパイプを持つことは絶大なメリットをもたらす。

 しかし、シーリンが懸念するのは、これらが逆に作用した場合だ。スパイ行為が露呈すればマリナがどのような扱いを受けるか知れたものではない。

「確認しました」

 サーミャがとりあえず報告する。

「皇女殿下はマシュファドへ向かわれているようです」

 アザディスタンの内情を知る者であれば、マシュファドの地名を知らない者はいない。彼の地は併合前のクルジス共和国の首都であった地である。シーリンはマリナの目的が分かったような気がした。

「マリナ……、どうしてそんなに急ぐの?」

 おもわず独り言のようにつぶやいてしまうシーリンであったが、それを受け答えたのは、意外にもミスター・ブシドーであった。

「カタロンと一刻も早く距離を置きたかったのではないかな?」

「たしかにそうでしょうね。連邦政府お墨付きの暫定政権ですもの、反政府組織と関係があったなんて知れるわけにはいかないものね」

 正直、この得体の知れない仮面男がシーリンは苦手である。とはいえ、無視を決め込むほど子供ではないので、突き放すように返答する。

 そこでふと、違和感を感じる。

 そもそも互いにやりとりする間柄にならないだろう、と思っていたので気にも掛けていなかったのだがこの男、当初の印象と少し違ってきている気がした。今のようにシーリンの独り言に絡んでくるような人物ではなかったはずだ。

 などという彼女の思索など思いもよらない仮面男は、しばし黙考して口をひらく。

「むしろ逆だと思わないのか? 皇女殿下はすでにガンダムとの関連性は公然だからな。キミたちの組織とソレスタルビーイングは、似ているが同じではあるまい」

 と、ミスター・ブシドーがさらに弁明する。これである。言い分こそ筋は通っているが、先日の開口一番「殿下に興味ない」などと言い放った彼とは明らかに異なる。

 シーリンは素直に疑問を口にした。

「気のせいかしら。あなた、マリナの肩を持ってない?」

 途端、仮面越しでも分かるほどにミスター・ブシドーの目が見開かれる。

 奇異な衣装に仮面、不可解な言動など、これらは本心を露呈させないための偽装ではないか、と訝しむシーリンであったが、彼女の指摘に動揺する様を隠さない事から、まったくの天然であると気づかさせられる。

「よもや、いやしかし……」

「パーティでなにかあったの?」

 言い募るミスター・ブシドーにシーリンが食い下がると、仮面男は背を向けて空を振り仰いだ。

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***

 

 闇夜の中に壮麗な洋館が華やかに照らし出される。

 連邦政府と繋がりの深い政財界が執り行うパーティ。

 さきほどまで来賓客の出迎えに忙しかった正面口や中庭も、今はすっかり落ち着いて、賑わいは洋館の中に移動している。

 本会場では、パーティの主役と目されるリボンズ・アルマークと、出自こそ知れないが麗しい令嬢とのダンスが場を盛り上げた直後である。

 会場は楽団による穏やかなBGMに満たされ、中央に設えられた演壇では、軍関係者、企業役員などが一人づつ登壇し、出席者に向けた挨拶だか演説だかを披露している。

 それら聴衆の一人として、ミスター・ブシドーの姿があった。

 傍らには旧知の友であるビリー・カタギリ技術大尉もいる。度の低いカクテルをちびちび飲みながら、仮面の男に何か語りかけている。

「意味の無い晩餐会なんてないよ。中流階級の腰巾着が上流階級トップの連中に尻尾振ってゴマをすって、トップの連中が『こういう場は苦手でね』とかいうシチュエーションは、もうキッズビデオの悪役でもやらないよ。まったく逆さ。彼らは資金援助してくれるありがたいお得意様で、僕たちは献金に見合った成果をこの場で報告しなきゃいけないんだ」

 仮面の男はそれに応じない。それどころか酒も飲まず、食べすらしないで演壇を見ている。

 その間もビリーが言うところのスポンサーへの報告が、次々と壇上で行われていく。

 それは、新しい兵器開発についてであったり、武器の増産報告であったり、あるいは平和維持活動の進捗であったりと、どれも血生臭い。

 もちろん、話題に合わせた人選というわけではないのだろうが、総じて壇上に昇るのは官僚や軍の上級仕官、あるいは企業の役員と、だいたいが年配の男性であった。

 だがここへきて、次に現れたのは若い女性であった。会場の空気が少し和やかになる。

「おやおや〜、あれが例のお姫様かい?」

 おどけた風に言うビリーを、憮然とした雰囲気でミスター・ブシドーは応じた。

「まったく、迷惑な話だがな」

 淡いブルーのカクテルドレスを纏ったマリナ・イスマイールは、登壇することなく演台を通り過ぎると、会場のBGMを演奏する楽団にたどり着いた。

 今までの年配男性と異なる華やかな佇まいと、演壇に登らない意外な行動に衆目が注がれるなか、楽団の指揮者と一言、二言やりとりしたマリナは、一礼するとグランド・ピアノまで歩いて、今度はピアノ奏者に一礼して席を空けてもらう。

 いつのまにか、楽団の演奏は止まっていた。

 ほどなくしてピアノだけが、音色を確認するようにいくつかの和音を響かせる。

 ピアノの調子を確認したマリナは、改めて姿勢を正し、そっと目を閉じた。

 脳裏に旋律がイメージされると、鍵盤の上の指が軽やかに走り出した。

 会場に静かな感嘆の声が上がる。それほどにマリナの演奏は巧みなものだった。彼女の略歴を知る者ならば納得もするだろうが、中東の小国の王女に詳しい者などこの場には居なかった。そしてまた、聴きなれない曲自体も新鮮で注目させることになった。

 それはアザディスタン王国の国歌だった。

 マリナにとって馴染み深い曲であったとしても、だがしかし、はるか遠方中東の小国の国歌など知る者がいるだろうか。少なくともパーティ会場の出席者においては、やはり皆無だ。

 それでも、奏でられる曲調の硬さやテンポで、厳粛で整然とした雰囲気を聞く者に無意識に感じさせ、公共向けの楽曲であると感じさせる。曲そのものを知らずとも、奏者の演奏技術で聞く者に感じ取らせるマリナは優れた奏者であるといえた。

 だから聴衆は、その演奏技術に引き込まれてしまう。

 パーティに出席する彼らは総じて社会的地位の高い立場で活躍する人々である。ゆえに、いわゆる本物の音楽にも少なからず造詣もあるだろう。プロの奏者に比べれば、マリナのそれは決して優れていないことも分かる。

 それでも聴衆が引き込まれてしまうのは、このような場で演壇に上るべき立場の人間が、演奏に長けていたという意外性にほかならない。

 そしてまた、聴衆の感性が何処かの国歌であると馴染み始めた頃合を見計らうかのように、曲調が変化する。

 ゆるやかで、つい頬を緩めてしまうような、牧歌的な曲調。

 それは、誰もが心の奥底に持つ、生まれ育った故郷の原風景を想起させる。

 山々に囲まれた小さな村であったり、なだらかな田園であったり、のどかな漁港であったり、人によってさまざまな故郷を思い浮かべさせるのだった。

 

 彼女にとっての原風景は、高い青空とむせ返るほどの草の匂いだった。

 高地特有の澄んだ大気は、空の青さをひときわ鮮烈にさせる。腰の高さにまで育ったホソムギが延々と広がり、その果てに臨むのはチベットの山々。

 幼い頃、曽祖父の住まう地で兄と一緒にすごした数少ない思い出である。

 それこそ、ついぞ忘れていた記憶である。

 王留美は、知らずに涙が頬を伝っているのに気づいた。

 

 広大な敷地には、手入れの行き届いた庭園が広がり、穏やかな午後の日差しに、煎れたての紅茶の香り。白磁の茶器と傍らのバスケットには、母と一緒に作ったパンプキン・スコーンが盛られている。

 いつものように、手の空いた使用人からぽつりぽつりと集まってくる。軽くこちらに頭を下げて見せる彼らは皆、柔らかい笑みに満ちていて、振る舞われた茶やスコーンに舌鼓を打つ。

 父も母もかけがえのない人たちだった。

 使用人たちも皆気さくで、良く働いてくれた。

 その頃はあまりにも当たり前すぎてその価値に気づけなかった、今思えばかけがえのない満ち足りた日々。

 ルイス・ハレヴィは開いた左手を見つめていた。

 チリチリと、痛むくらいの熱風を肌で感じた。

 鼻腔には、何かの焦げる臭い。

 口の中は砂が雑じって、ザラザラと気持ち悪かった。

 今ふたたび瞳をきつく閉じようとも、あの時の光景は決して消えない。

 絶望を怒りに変換する。彼女にとってもはや当たり前の作業。

 殺意すら漂う鋭い視線でマリナを一瞥すると、会場を後にした。

 

「素朴だなぁ……」

 すっかり聞き入った風でアーサー・グッドマン准将が目を閉じながらつぶやいた。

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 万雷とはいわないまでも、出席者の拍手がひとしきり鳴り止んで、マリナは演壇に立っていた。

「ご清聴ありがとうございました。ご挨拶が遅れてすみません。わたくしは、アザディスタン王国第一皇女マリナ・イスマイール。このたびは、アザディスタン暫定政府主席執政官としてみなさまにご挨拶するために参りました。けれどお恥ずかしい事ですが、人前でお話するのは、正直得意ではありません。ですので代わりに子供のころから嗜んでいました楽曲で思いを綴ってみました」

 言葉を区切るマリナは、壇上から出席者の面々を見渡す。

「それは、今は無き祖国の思い出です。私は祖国の再建を決意しました。失ったものを奪い返すのではなく、もう一度作り出すのです。破壊はなにも創りません。人も、資源も――」

 マリナは息を呑んだ。自身の言葉の中で何かに気づく。

「――容易でないことは承知しています。もはや皇族でもない女一人に、と笑われても仕方がありません。しかしながら、今、私がここにいる事こそ実現の証だと思っています。この場にお集まりの方々に感謝申し上げます。皆様のご助力は、たとえるなら、大鷲の翼を借り受けたかのよう。五つの森から吹き上げる風に乗れば、必ず生まれ変わった祖国にたどりつける事でしょう」

 と締めくくり、演壇を降りるマリナの背後で拍手が響いた。

 所詮、このような場の演説などは、その内容に重要な意味はない。この場で演説することに意味があるだけだ。だから聴衆は決められたように拍手を送る。

 

「演奏は素晴らしかったけど、演説は微妙なところだね。特に最後が難解だ」

 などとビリー・カタギリが感想を漏らすと、ようやくミスター・ブシドーが口を開いた。

「カタギリ技術大尉は、やはり技術屋らしい見識だな。彼女は連邦軍の軍門に下ったと見るのが普通であるが、今の演説、いやむしろ宣言といってもいい。とても分かりやすい隠喩が含まれていたのに気づいたかな?」

「ああ、鷲と五つの森、だったかな……」

「そうだ、鷲はアメリカ合衆国だ。軍関係者であればすぐに思い浮かぶシンボルだな」

「なるほどね。じゃあ、森はどうなんだい?」

「これは少々説明が必要になるが?」

「ああ、堅苦しい挨拶やらに、そろそろ飽きていたところさ。知的好奇心を満たしてくれそうな話題なら歓迎だよ」

 

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***

 

「民が信を委ねるを由とさせる、それだけが王の資質ではないということだ」

 そう締めくくると、白い歯を見せる。仮面でわからないが、どうやら笑っているようだ。

 対するシーリンは、額に手をあてて俯いてしまう。

 うすうす分かっていた事なのだ、例え本人が饒舌になろうとも、この男は理解できない。

「では、自分もマシュファドへ向かいます」

 そう言ってサーミャは踵を返そうとする。

「待ちなさい」

 それを引き止めたのはシーリンだった。

「貴女たち、いったいどこまでやるつもりなの?」

 詰問口調で問いかける彼女であれば、サーミャを見つめる視線も厳しい。

 それでもサーミャは平然と応じる。

「わたしの任務はアザディスタン王国の再建、および国力の安定です」

「それが信じられないというのよ。我々が力を取り戻すことで、貴女たちに何のメリットがあるというの?」

 台詞をかぶせるシーリンは、それと同時に右手を持ち上げる。

 まったくさりげない所作であったが、手には拳銃が握られていて、銃口はサーミャの額に向けられている。

「いえ、むしろ貴女たちにはデメリットじゃなくって? 中東全てを敵にまわしている貴女たちなら」

 一瞬にして緊張が走る。

 会話の部外者であるミスター・ブシドーですら、腰を落として、いざというときに備える。

 サーミャも予想外の行動であったせいか驚きに目を見開く。が、シーリンの思惑を察するといつもの無表情で真正面に向き直った。

 ただ、瞳だけは彼女が内包する感情を表していた。

 以前、マリナにも見せた暗い輝き。

「おっしゃるとおり。任務でなければ、誰がイスラムなどに肩入れするものか」

 ミスター・ブシドーもまた、シーリンの意図を理解する。もとより戦場に身を置く者として本物の殺気であるか否かは容易に知ることができた。

 だから彼は興が削がれたように溜息をつく。

「やれやれ、これだからシオニストは」

「あなたたちもだ。ミスター・隣人」

 サーミャの口調はアメリカ人にも容赦がない。

「だからなのよ」

 言いながら、シーリンは銃を降ろす。それでも双眸はサーミャを見つめている。しかしその視線にもはや厳しさは無く、むしろ弱々しい。

「今さら教義の議論をするつもりはない。でもマリナは関係ない。今、彼女が王位にあるのも望んだ結果じゃない。それでも――それでも、彼女は祖国をなんとかしたいと思っている」

 苦渋に顔を歪ませながら、彼女は言葉を継いだ。

「……それを、裏切らないでほしい」

 

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***

 

 南太平洋洋上。

 雲ひとつ無い青空の下、茫洋たる大海に船団の影が見える。幾筋もの航跡が陽光をキラキラと照り返す。

 モビルスーツ輸送空母3隻を中心とする、独立治安維持部隊アロウズの打撃艦隊である。

 1都市を焦土と化すも容易く、いまや地上最強の軍隊を冠するアロウズであろうと、大海ではちっぽけな存在でしかない。

「ねーねー、アタシたち、こんなにのんびりしてて、いーのかなー?」

 などと間延びした物言いをするのは、「ライセンス」持ちとしてアロウズに配属されたヒリング・ケアであった。

 広大な飛行甲板の片隅に、陽射し避け用の紅白パラソルを突き刺してデッキチェアに寝そべりビールなど飲んでいる。日光浴よろしく、当たり前のように水着姿である。

 髪の色にあわせたミント・グリーンの水着が鮮やかであるが、諸事情により露出の少ないワンピースをチョイスせざるえなかったのは、本人も残念に思っている。

 もしかするとスルーしてもよさそうなヒリングの問いかけに答えるのは、リヴァイヴ・リバイバルである。さすがにこちらは水着姿ではないが、制服をゆったり着崩していて文庫本など片手にくつろいでいる。

「仕方が無いね。肝心のソレスタルビーイングを捕捉できなければ作戦も立てられないだろう。カティ・マネキンというのは、策士としては優秀だけど、現状のままではその才能も活かせない」

「いやまぁ、そーなんだろーけど」

 ヒリングは不満げにつぶやいて、缶をかたむける。

 リヴァイヴの言っている事は間違っていない。それは彼女も理解している。

 ただ、彼女の感じている不満はもっと漠然としたものなのだ。ゆえにイメージとしてまとまるほど具体的なものではなかったから、脳量子波を介して伝えることもできなかった。

 

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 ――などとくつろいでいるのは、実のところ二人だけではない。見渡せば、広い甲板でバーベキューやらキャッチボールに興じる船員や軍人の姿が散見される。

 作戦行動以外でも洋上生活、つまり艦船という限られた空間で生活を強いられる海軍において、こういったレクリエーションの時間が定期的に催される。

 先日の収容施設急襲からカタロン殲滅戦、ソレスタルビーイング追撃戦とタイトな作戦を遂行した慰労の意味もあり、また、リヴァイヴが言うようにソレスタルビーイングの足取りが掴めず作戦レベルも準待機まで引き下げられている現状も開催要因の一つである。

 もちろんギチギチの縦社会である軍隊で、「それ遊べ」と言われて下士官だけが羽を伸ばせるわけもなく、上官クラスが率先するように励行されている現状もある。

 ヒリング達がくつろぐ第一甲板と対になる第二甲板に、それを体現する光景があった。

 この打撃艦隊のみならず、地上におけるアロウズの展開指揮を担うカティ・マネキン大佐である。人だかりでごったがえすバーベキューコーナーから少しはなれた仮設テントにその姿があった。

 もちろん一人というわけではなく、例によってパトリック・コーラサワー少尉の姿があり、またマネキン大佐が呼びつけた、ルイス・ハレヴィ准尉とその直属の上司であるアンドレイ・スミルノフ少尉の姿もあった。

 マネキン大佐以外の3人は立食という光景であるが、大佐の問いかけにルイスが談笑で応じるといった二人の会話が中心で、いたって和やかな空気である。

 女性同士の華やかな会話を眺めれば、自然と男は頬を緩めるものである。

 甲斐甲斐しく給仕するコーラサワー少尉の姿があまりに自然に馴染んでいるのは、もちろん彼が率先してその役回りを担当しているのであり、

(ワンピースなのに、胸元の深いスリットとか過剰なまでに開いた背中とか、ハ、ハイレグ具合とか、とかっ! さすが大佐、分かってらっしゃるぜぇぇっ!)

 などと、俺得的満足感にも浸るわけで、片やスミルノフ少尉においても、

(大佐の黒いワンピースにパーカーという、オトナの余裕がむしろ魅力的なのだが、しかしというか、やはり個人的には、花柄ビキニの健康美のほうが……、なによりもパレオで腰まわりを隠すという、つつましさが准尉らしい……っ)

 と、充足感をかみしめている。

 男同士、このような意識は自然と通じ合うものである。互いにテリトリーを確認した二人は、黙って頷き合った。

 もちろんそのような事情があろうと、金串に刺さるステーキ肉を頬張るルイスが知る由も無い。

「あざでぃふはんおうほふ、でふか?」

「そうだ准尉。だがとりあえず、咀嚼を終えてから話せ」

 軍人というのは基本的に肉体労働なので、よく食う。パイロットとなればなおさらで、アスリートのごとく身体を使い込むから、エネルギー消費も補給も相当なものだ。作戦行動がなければ一日5食が普通であるし、食事量に男女の隔たりはなかった。

 ここぞとばかりに肉に食らいつくパイロット達の事情を大佐も理解はしている。

 なので、ルイスが金串一本分の肉を平らげるのを待って、言葉を継いだ。

「かの国が先日、何者かによって国家機能を壊滅されたのは知っているな?」

 軍人に対して国際情勢など愚問である。アザディスタン王国への何者かによる襲撃は、その規模の大きさと、規模のわりに不明点が多い事から部隊内でも話題になっていた。

「はい、暫定政権を擁立して再建中と聞いていますが、なぜ我々が?」

 そこまで答えて、ルイスは先日の、アロウズの上層部が出席した経済界のパーティを思い出す。

「マリナ・イスマイール王女……」

 パーティの席上でルイスは彼女を見ている。

 流麗な旋律が脳裏をかすめる。

 そうだピアノだ。不愉快な出来事を思い出させるピアノの調べ。

 あのとき、階上からその姿を見下ろしていた。

 ルイスの意識はますます没入していく。そして違和感に気づく。

 ……階上? それはおかしい。

 たしかあのとき、演奏を聴きたくなくなった自分は、中庭に出たはずだ。

(連邦に尻尾を振る野良犬め)

 自分とは違う心の声が響く。

 

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***

 

 記憶の断片が錯綜する。

 久しぶりに袖を通すドレス、タキシード姿のアンドレイ少尉、

 そうだ、あのときリボンズ・アルマークからソーマ・ピーリス中尉のモビルスーツを譲り受けたのだ。

 その後、広間でマリナ・イスマイールを見た。

 

***

 

 同じくその女性の姿に、驚きの声をあげる者がいた。

 女装姿のティエリア・アーデが、ちょうど階段を上がろうかというところで硬直してしまう。

「な!? マリナ・イスマイール、なぜ彼女がこんなところに?」

 それを見咎めたリボンズ・アルマークが階段の上から彼を見下ろす。

 そして、いつもの訳知り顔で口を開いた。

「賢明な女性だよ、我々を支持することで得られる恩恵を理解している」

 口ぶりからして建て前以外のなにものでもなく、彼の内心には嘲りしかない。

(連邦に尻尾を振る野良犬め)

 

***

 

 これはなんだ? ティエリアなどという人物を自分は知らない。

 人? そう、そうだ。あのとき、中庭で懐かしい人物に出会った気がする。

 

***

 

 ティエリアが招き入れられた部屋は、適度に照明が落とされた客室だった。

 一応酒など薦めるリボンズであるが、ティエリアはとりつくしまもない。芝居がかったそぶりで残念そうにして見せるとリボンズは口を開いた。

「イスラム圏には古くから、監督者評議会というものがあってね。はじめの頃は長老会のような権力者の集まりだったという。ただ、イスラム、もしくは中東の情勢は複雑で刻々と変化しているのは分かるだろう? 互いに牽制しあう勢力がせめぎあう地域だ。統治とは無縁な地域で、中央集権的な組織が成立するはずもない」

 そこで一息ついてティエリアを見やる。

「でも、混沌とした情勢でも、唯一、一貫した価値観がある。経済、つまりカネだ」

 ティエリアは黙って先をうながした。

「オイルメジャー、セブン・シスターズとも呼ばれる産油業界のコングロマリットが牛耳る中東は、世界の6割以上を賄う産油地帯だ。太陽光発電が実用化されるまでを支えたエネルギー産業の中心地だったのは知っているだろう? お互いに主義主張を異にする彼らだけど、この地域に外部勢力が介入することだけは許してはならなかったのさ。その一点において、彼らの利害は一致した。近年において、評議会の存在はオイルメジャーとして既得権益を守る組織となった」

 ざっと説明を終えたリボンズは「まぁ、太陽光発電の実用以降は、石油輸出規制もあってその権力は没落しているけどね」などという感想で締めくくった。

「それが5つの木々を象徴とする7姉妹評議会……。アザディスタン王国はアメリカの支援とともに、イスラム圏のバックボーンも押さえたということか」

 ティエリアはつぶやくと黙考する。

(これは、刹那に伝えるべき事柄だろうか。いや、刹那とマリナ・イスマイールを近づけるのは危険だ)

 思い返せば、マリナを収容所から救出した直後、アザディスタンへ帰りたいという彼女の要望を、周囲の状況を省みず受け入れるなど、マリナの存在が刹那の判断をきわどいものにさせている気がしてならなかった。

 情報の秘匿は組織としての判断を狂わせる。ティエリアもそれは理解しているのだが、最近の彼の行動は仲間の安全を優先する傾向にある。それゆえに判断がつけられない。

 ――だが、この後リボンズから聞かされる全く別の事実に、それどころではなくなるティエリア・アーデであった。

 

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***

 

「ルイス・ハレヴィ准尉?」

 マネキン大佐の呼びかけに揺さぶり起される。

「あ、はい、暫定政権そのものは連邦政府主導によるものでしたね」

 眩暈からの揺り戻しを堪えて取り繕う。

「うむ、事情は知っているようだな。アザディスタン王国は今も、保守派と改革派との衝突が続いている。改革派であるマリナ王女は格好の標的であるし、暫定政権の件で連邦政府との結びつきを疎んじる連中にも狙われるようになった」

「それで護衛任務ですか」

「そうだ。マリナ王女は今や我々連邦政府の要人だ。それを守るのは我々軍人の勤めだ」

 大佐の言うことは正しい。軍人とは市民を守るためにある、その考えにも賛同できる。

 だが、ルイスがアロウズに居る理由は少し異なる。

「それは理解できますが、なぜアロウズが? 正規軍でよいのではありませんか。我々にはソレスタルビーイング捜索の任務が……」

「たしかにそのとおりだ。だが、現状ソレスタルビーイングの行方は知れない。むしろすでに宇宙に上がっている可能性が高い。そうなればジェジャン中佐の部隊の領分だ」

 ソレスタルビーイングの追撃は、ソーマ・ピーリス中尉の戦死という後味の悪い結果を招いた追撃戦以降、足取りが掴めていない。

「ならば我々も宇宙へ」

「それにな准尉、マリナ・イスマイール王女はソレスタルビーイングとの関係性が疑われている。可能性の一つとしてソレスタルビーイングとの接触があるかもしれないと考えられないか?」

「はぐらかさないでください。大佐は今、ソレスタルビーイングは宇宙に上がったとおっしゃったじゃないですか」

 あえて強い口調で反論するルイスに、マネキン大佐は沈黙で答えた。

 しばし間を置いて軽く溜息をつく。

「ならば言おう。ハレヴィ家頭首に危険なマネばかりさせるなと上層部から指示があったのだ」

 その場に微妙な空気が流れる。

 コーラサワーはともかく、アンドレイ少尉はそれを察した。それはコーラサワーがKYで、アンドレイが繊細だという理由だけではない。

 さきのパーティでアンドレイは、ルイスの異なる側面を垣間見ている。AEUでは屈指の影響力を誇る財閥の一つであるハレヴィ家の頭首としての側面を。

 彼女の経歴や、若くして頭首となった経緯などは軍のデータベースから容易に知ることができる。すでにアンドレイも知るところであるが、実感が湧かなかったというのが正直なところだった。

 だが、さきのパーティで連邦の要人などと親しげに会話する彼女を見れば改めて納得もした。

 社交界における、淑女としてのたしなみを備えた彼女は、たしかに頭首としてのオーラを纏っていた。

 聞くところによれば、化石燃料輸出量規制監視機構のチェアマンも務めるというし、アザディスタンとも浅からず縁もあるというものだ。

 ともあれ、ルイスの社交的な立ち振る舞いは、彼に強い印象を残した。アンドレイは軍人としてのルイスしか知らなかった。ストイックなまでに任務に打ち込む姿からは想像できなかった。

 今のルイスがまさしくそうで、あからさまに納得いかない表情である。

 その表情を読みとったように、マネキン大佐は小さく笑った。

「不満か? いや不満だろうな」

 そう言ったときの大佐の表情は、ルイスの若さをなだめるような笑みから、なぜか自嘲気味な、歪んだ笑みに変化していた。

「だがアロウズの現状は深刻なのだ。我々は実績を上げなくてはならない。上層部はそれを理解していない。盤上の戦術だけを、したり顔で語っているだけではダメなのだ……。なにが『殲滅戦が好きだ』だ、オマエはドイツの小太りメガネか。なにがメメントモリだ、パンでも焼いていればいいのだ、デブが」

「あ、あの大佐?」

 いつもと様子が違う、戸惑うルイスであるが、マネキン大佐は構わず続ける。

「つまりだ、独立治安維持部隊として業務を怠ってはならないのだ。我々の本来業務は地上全土の治安維持だ。ソレスタルビーイングに執着しているだけではダメなのだ。そもそも思い出してみたまえ、我が軍はそれすらうまくやれていない。クジョウ……いや、ソレスタルビーイングの戦術予報士に、いいように翻弄されている。ハハッ、収容所襲撃などは、まったく豪快なものだったろう? 豪快なのは乳だけにしておけというのだ」

「いや、あの」

「アロウズを運用するにあたって一ヶ月でどれだけの費用がかかっているか、最大の支援者である准尉なら分かるだろう。擬似太陽炉の維持費がどれほどかかるか。それだけではない、トリロバイトなどという運用範囲が狭くて使いどころの難しい機体をどんだけ量産しているか知っているだろう? さらにライセンス持ちのための新型モビルスーツも、私の個人的情報網ですら2機種の生産を確認している」

 マネキン大佐の話は止まらない。ついにはイライラと指でテーブルを叩きはじめた。

「まったく、なんという浪費だ。セルゲイ・スミルノフ大佐がまだ人革連の中佐でおられた頃、ソレスタルビーイングを追い詰めるために人海戦術を用いられた。当時のガンダムと彼我の戦力差では致し方ない戦術だったが、アロウズはあれをまだやっているのだ。予算がいくらあっても足らない」

 マネキン大佐の弁舌に、彼女を取り巻く三人はすでに硬直している。もちろん、三人の状況などおかまいなしに言葉を継ぐ。

「ソレスタルビーイング追撃に進展がない以上、それ以外の分野で我々は実績を示さなくてはならない。ゆえに、キミ達にはなんとしてでも実績を上げてもらう。というか、キミ達はまだマシなのだぞ。私なんかウォール街でマネー・ゲームの片棒を担がにゃならんのだからな」

 と、まくし立てまくったマネキン大佐は、肉串をひったくってカブりついた。

 

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***

 

 アメリカ空軍、中高度長時間滞空無人機システムの実行端末となる無人航空機、通称プレデター。

 流線の少ない安っぽいグライダーのような機体であるが、主翼のパイロンには空対地ミサイルがマウントされ、徹底して静音化された推進装置が真上から静かに死を運び込む。近代戦争を突き詰めた一つの形が、雲ひとつない炎天の空を滑空していた。

 眼下には滑走路2本を有する空港を中心とした市街地が見える。先の襲撃で破壊された街並や、大きな穴がいくつも穿たれた滑走路が生々しい。

 機体下部に装備された複合カメラはそれらの情景とともに、滑走路の脇を並ぶ鉄塔の一つに目標となる人影を捕えた。

 標的を捕捉。

 遠くで聞こえた爆音に、アンドレイ・スミルノフ少尉は振り返った。

 旅客機整備用の巨大な倉庫。閉じきっていないゲートの向こうに陽炎が立ち上る外の光景が伺えるのだが、爆心地は分からなかった。

 その視線の手前では、携帯通信機を片手にする、アラブ系女性――サーミャ・マシュウールとか名乗った女性の姿があった。彼女はアンドレイの視線に気づいた。

「ご心配なく、脅威は排除しました」

 

 カティ・マネキン大佐の下命から数日の準備期間を経て、アンドレイ・スミルノフ少尉とルイス・ハレヴィ准尉の二人はアザディスタン王国に入国した。

 現在のアザディスタン王国に軍機能は存在せず、大小問わず基地設備も完全に破壊されていた。

 そのため、彼らが護衛任務のために持ち込んだモビルスーツも、とりあえず被害の少なかった空港に収容、整備することとなっていた。

 

「お恥ずかしい話ですが、わが国の情勢はこのような有様なのです」

 申し訳なさそうな台詞であるが、本人はいたって事務的な口調である。

 対してアンドレイは確たる自信を滲ませて言う。

「ご安心を、そのために我々が派遣されたのですから」

 その間にも、サーミャは通信機とやりとりを続けている。もはや英語ではなく、アンドレイにも判別できない言語で会話している。

 また爆音が聞こえる。

 強気に言ってみたものの、さきほどからずっとこのような調子で、狙撃者の撃退はすでに3人目だというし自動車爆弾も2台ほど未然に解体されたという。さすがに彼も引き攣った笑みを浮かべる。

「しかし、これでは戦場と変わらない。国連軍は何をやっているんだ」

 これにサーミャは涼しい表情で返す。

「ココはこんなものですよ。外にいる多くの人は情報として知っているけど、実際を理解している人はいませんね」

 言いながら携帯通信機をポケットに片付ける。

「けれど、いつもこのように騒がしいわけではないのですよ。とりあえず機密漏洩には配慮しているのですが、現状の体制で密封は不可能なのです。外出の予定が入ればすぐ保守派に気づかれる」

 心底心外そうにため息をつく。

「まさか、我々がステイツと連携する事になろうとは」

 そういって、サーミャは倉庫内を振り仰いで「まったく、困ったものです」などと愚痴る。その視線の先には、ルイス・ハレヴィ准尉と握手を交わすマリナ・イスマイールの姿があった。

「あらあら、まぁまぁ、なんて可愛い護衛さんなのでしょう」

 妙に高いテンションで腕をぶんぶん振っているマリナが、まさしく標的なのだが本人にその自覚はないようだ。

 ルイスはといえば、困惑を隠しきれない様子である。

「女の子なのにモビルスーツのパイロットだなんて、わたくしなんかとても勤まりません。あ、どちらのご出身なのかしら? 暑さは平気? ここは湿度は低いけれど気温だけは高いので、何かあれば遠慮なく言ってくださいね?」

 困った顔でこちらを見るルイスは、明らかにマリナに圧倒されているようだ。アンドレイは苦笑で返すしかない。

 それでも、彼はマリナの態度を快く思っている。ルイスは軍人である前に女の子なのである。マリナはそれを理解して接している。

 今のルイスに必要なのは、ごく普通にコミュニケートできる相手であると彼は考えるようになっていた。きっかけは、やはり先日のパーティである。

 そういえばパーティの席上でルイスはマリナを見ている。

 あのとき――、これは彼の主観でしかないが、ルイスがマリナに持つ印象はけっして良いものではなかったはずだ。

 理由はよくわからない。なにしろマリナの独奏の最中、突如として豹変したのだ。もちろん悪態をついたりしたわけでもないが、彼女は感情が表に出やすい。不機嫌なオーラだとなおさらだった。

 ともかく中座した二人は会場から中庭に出る。

 そこまで思い出して、アンドレイの心がざわめく。そうだ、あの男と出会ったのだ。

 

-10ページ-

***

 

 著しく気分を害したルイスが会場の外に出て偶然出会った青年。

 二人で話したいというので、最初はどういった間柄なのか気になったものの、しばらく車中から様子をみて杞憂であると安堵した。

 どうやら日本へ留学していた頃に知り合ったようだが、第三者が彼をルイスに紹介したような余所余所しい雰囲気。直接的な知り合いでもないようだった。

 などと。

 中庭の噴水にたたずむ二人から離れ、車中にいるアンドレイが事情を憶測できるのも、彼が独学で習得した読唇術のおかげである。二人の会話が聞こえなくとも概略くらいは把握できた。

 とはいえ、噴水の傍らに並んで座る二人は絵になった。年齢も近いようで似合いのカップルですらあった。

 ――いやいや。

 なにを勝手な思い込みを。二人の仰々しい会話を見れば、そんな関係でないことは一目瞭然ではないか。

 ていうか、そうじゃない。

 さきほどの情緒不安定ぎみなルイスが、軍のコンプライアンスを破ったりしないようにフォローしているだけなのだ。

 と、アンドレイは自身に言い聞かせると、会話の読唇を再開する。

 

(ハレヴィ准尉:どんな仕事?)

(青年:軌道エレベータ関係の)

 軌道エレベータ? どう見てもハイヤーの運転手のようであるが。

 もちろん、軌道エレベータのみならずリニアトレインなどの事業主やオーナーもこのパーティに出席している。そういった人物を送迎すれば、言い様によっては関係者ということになるだろうが、それでもやはり運転手だろう。

 もしや秘書が運転手を兼務しているのだろうか。だが年齢は若いようであるし、まさかアルバイトなどという事もあるまい。

 よくよく考えてみると怪しい。

(ハレヴィ准尉:そう……、ねぇ、彼は元気?)

(青年:彼?)

 彼?

 アンドレイの思考が一時停止する。ハンドルを握る手に力がこもる。

(ハレヴィ准尉:ほら、以前あなたの隣に住んでいた)

(青年:サジ・ク――ドのことか?)

 彼? だれのことだ。……さじ?

 アンドレイは動揺で読唇を乱してしまう。

(青年:以前、仕事先で偶然出会った)

(ハレヴィ准尉:ほんとに?)

(青年:ああ、コロニーで働いていた)

(ハレヴィ准尉:そう、沙慈は宇宙に……夢、かなえたんだね)

 ここでアンドレイの動揺は、さらに増幅されてしまう。

 な、なんだ!? この准尉の和んだ表情は!?

 夢が叶ったとかなんとかって、なぜそのように微笑むことができるのだ? ていうか、あんな笑顔初めて見るぞ! まるで自分の事のようではないか!

(青年:彼と会ったとき、こう思った。彼は今もキミのことを)

 なっ! なにー!

 もはやハンドルに噛りつかんばかりの取り乱しぶりのアンドレイだったが、しかし、直後にルイスはいつもの発作を起してしまう。

 実のところ謎の青年の正体は、ガンダム・マイスターの一人である、刹那・F・セイエイであるのは愚問であるが、アンドレイが知る由もない。

 その彼が手際よく対処し、慌てて駆けつけたアンドレイのフォローもあって、その場は事なきを得る。

 ひととおり落ち着いたところで、刹那は通信端末で呼び出され「あとは頼む」などとぶっきらぼうに言い残して、その場を後にしてしまう。

 終始落ち着いていた刹那に、アンドレイは少なからず圧倒されていた。

 仰向けに横たわらせ気道確保。取り落とした錠剤に気づくと慌てて飲ませず、適量を聞き出す冷静さ。

 突然の発作に苦しむ相手を民間人がこのように処置できるだろうか。ただの運転手にしては場慣れしているというか、怪しさを通り越して謎の多い青年だ。

 

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***

 

(いやいや、何を恐れることがあるのだ。相手はタダのバイト学生じゃないか。社会的地位も収入も比較するまでもない)

 勝手にバイト学生と決め付けて納得したアンドレイは、隣に座るルイスの様子をそっと盗み見る。もちろん気取られるはずもなく、ルイスはといえば配布された情報端末の画面を読みつつ、正面に座るサーミャの説明を聞いている。

 彼が回想している間に、というわけではないがサーミャに引率された二人は一旦マリナと別れ、場所を移動していた。

 そこは瀟洒な応接間。もちろん入国時のパイロットスーツから、この場に合わせて軍服に着替えてもいる。

 応じるサーミャも野戦服からビジネスライクなジャケットとパンツ姿に替えていた。

 

 マリナ・イスマイールがアザディスタンに凱旋してまず取り掛かったのが、旧クルジス共和国の首都マシュファドへの遷都であった。

 併合前のクルジス共和国の首都として都市機能がそのまま維持されていたマシュファドへ移行するのは、行政機能の速やかな立て直しを図る上で大幅な期間短縮を実現した。

 とはいえ、王制と無縁であったクルジス共和国に王宮などないので、マリナの居所は何処かの旧大使館を仮住まいとした。

 アンドレイ・スミルノフ少尉とルイス・ハレヴィ准尉は"暫定"の王宮の客間に招かれていた。

 先の襲撃で首都圏のみならず全域にわたって空港や港などの公共施設、軍警察、行政執行施設が軒並み壊滅され、そのほとんどが応急措置、仮住まいの体裁であれば、軍人相手のブリーフィングですら、場所を取り繕う余裕などないのが現状であった。

 一見豪華な応接間に招かれたのは、なにも接待を受けるためではないのだ。

「早速ですが明日、難民受け入れのためここを離れます」

 手元の情報端末に、今後数日分のマリナ・イスマイール皇女殿下の行動予定がリストアップされている。それに併記する形で、護衛プランも書き込まれていた。

「難民ですか」

 アンドレイの反復にサーミャが応じる。

「先の襲撃以降、住居を破壊され財産を失い避難生活を余儀なくされた国民が大勢います。そのほとんどは隣国のNPOや国連に保護されており、随時彼らを受け入れるのです」

 そこでサーミャはソファに浅く腰掛けなおす。

「そしてまた、難民を受け入れることで保守派によるテロを抑制します」

 アンドレイは軽く息を呑んだ。

 このサーミャという女、皇女殿下の窓口役を取り仕切っているそうだが、終始淡々としていて表情も薄く、とらえどころがない。

 言葉の意味するところを推し量るアンドレイを構わず、サーミャは続ける。

「そうなる前に、保守派は決定的な一撃を下すことを考えるでしょう。そして、明日の難民受け入れは格好の機会となります」

 サーミャが目配せで資料を見るように促す。引渡し場所は国境付近とある。そこで疑問が生じる。

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「バンジクル?」

 パキスタンの地方都市である。

 アザディスタンの国境付近とはいえ、なぜ国外なのか、そもそも陸路である必要すらない。空港はかろうじて機能しているのだから。

 疑問に応じるのはサーミャだ。

「それは相手がカタロンだからです」

 アンドレイは反射的に立ち上がった。

「マシュウール殿、それは正気で申されているのか?」

 困惑の表情に少しばかり怒りが混った面持ちでサーミャを見下ろす。

 世界規模で展開するカタロンは、反政府組織の中でも最大勢力を誇る。アロウズにとってソレスタルビーイングに次ぐ敵対勢力である。先日もオートマトンによる殲滅戦を実施したばかりだ。

 などというのは愚問すぎて説明の必要すらない。それだけに聞き捨てならない台詞であった。

「なるほど、さすがアロウズといったところですね。軍人としては申し分ない」

 サーミャは平然と応じてアンドレイを見上げた。

 終始無表情で、感情の読み取りにくい彼女であるが、この瞬間だけ笑っているように見えた。悪寒すら感じさせる醜悪な笑み。

「まぁ、そうでなければ先のカタロン殲滅戦のような成果は上げられませんよね」

 アンドレイは思わず怯んでしまう。サーミャの表情も理由なのかもしれないが、それ以上にオートマトンを用いた例の殲滅戦は、彼とて割り切れる作戦ではなかったのだ。

 気づけばサーミャの表情は元に戻っていた。

「しかし、ここは了承してもらいたい。全てが白か黒で片付かない。灰色な部分とは必ずあるものなのです」

 抑揚の無い表情のはずだが、さきほどの笑みとのギャップであろうか。穏やかさを感じてしまうのはアンドレイの錯覚である。

「申し訳ありません。軍人であるあなた方に、この領域は決してプラスになりません。軍人とは敵と味方を明確に切り分けていなければならない。迷いはすなわち死に繋がるからです。だから理解する必要はありません。ただ、護衛任務の一端として了承してもらうだけでよいのです」

 ここに至り、アンドレイはようやく溜飲を下げる。

 今回はあくまでもマリナ・イスマイール皇女殿下の護衛任務である。むしろ任務内容からすれば、最優先の脅威は保守派のテロであり、カタロンではない。さらに難民受け入れという今回のケースにおいて、カタロンは難民保護に尽力した人道支援組織という立場になる。

 アンドレイはソファに腰を落とした。

 まるでその所作に呼応するかのように、ルイスが立ち上がった。

 ここまで、アンドレイとサーミャのやりとりを無視する形で情報端末を読みふけっていた彼女であるが、弾かれるように立ち上がり、その表情は険しい。

 さきほどのアンドレイ同様にサーミャを睨みつける。

「馬鹿にしているっ」

 はき捨てるように言うと、ルイスはきびすを返して出口へ向かった。

 アンドレイとサーミャの一連のやりとりに関わろうとしなかった彼女だが、全く無関心でいたわけでもなかった。むしろ、先んじてカタロン殲滅戦を引き合いにだしてアンドレイを動揺させ、やり込める手口に関心してもいたのだ。

 ならばルイスが言わんとする事も予測しているのだろう、この女は。

 だからサーミャへの抗議を断念した。

 有無も言わさずサーミャとアンドレイを引き連れ、廊下をズンズン突き進む。

 SPらしき黒服数名が詰める扉にたどり着くと、SPへの敬礼もそこそこに扉に手をかけた。

 こうなれば、直談判である。

「皇女殿下にお伺いしたい。これはいったいどういうことですか? これでは護衛など出来はしません」

 机に向かって書き物中であったマリナ・イスマイールは、突然の来訪にきょとんとしている。

 ルイスの指摘で、アンドレイは改めて情報端末を読み直した。もとよりサーミャの説明にかかりきりであったため、端末に表示された護衛計画の細かい部分まで目を通していなかったのだ。

 たしかに、と彼も眉をしかめる。

「これはカタロンを意識したということですか? 本体と我々との距離がありすぎる。これでは緊急時の対処に致命的な影響をおよぼしかねない」

 アンドレイの弁をルイスが引き継ぐ。

「あるいは、我々がいなくても敵勢力に対処できるということなのですか?」

 事ここに至り、ルイスの感情が爆発している。

 空港ではいいようにはぐらかされた感があったが、もとよりパーティでの第一印象からマリナには良いイメージを持っていない。それ以前に、アロウズの内部情報を知るルイスであれば、決して友好的に接するなどできない理由があった。

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「皇女殿下はソレスタルビーイングと個人的につながりを持っておられるからではないですか?」

「准尉!?」

「は?」

 アンドレイとマリナが同時に声をあげる。

 アンドレイのそれはデリケートな問題であるから、彼女を咎めようとしたのであり、マリナのそれは全く理解できていないような口ぶりであった。

 そして、もう一人の声がその場に響いた。

「お二人はなにか勘違いをしておられる」

 サーミャであった。

「これは、あまり他者に知られていないことなのですが。先日のアザディスタン王国の襲撃は――」

 彼女の外見は、なんというか印象に残りづらい凡庸さであるが、その声だけは特徴的で声量を抑えていてもよく通る声音である。

「――ガンダムとその一派によるものなのです」

 それだけに慎重な口ぶりで語られ、このように間を貯められると演出効果はてき面であった。

「なっ!?」

 思わぬ告白に絶句するルイスとアンドレイを尻目に、サーミャはマリナに向けて口早に言った。

「ガンダムでしたよね、皇女殿下が目撃されたのはガンダムでしたよね? 上空にいたのはモビルスーツでガンダムでしたよね」

 サーミャの得体の知れないプレッシャーに、ついマリナは肯定してしまう。

「ええ、たしかに赤い色のガ……」

「というわけです。我々アザディスタン王国は、ガンダムによって壊滅されたのです」

 最後まで言わせず、二人に向き直ったサーミャは、そう締めくくった。

 機先を削がれ、落ち着きを取り戻したルイスに合わせる形で、自然と互いの経緯を話す場になった。

 もちろんマリナが立ち話などで済ますはずがない。

 ダイニングに招かれた二人はお茶などを振る舞われつつ、ルイスがアロウズに入隊した経緯を話す。

「そうでしたか。ご家族を……」

 神妙な面持ちで見つめるマリナに、ルイスは伏し目がちに答える。

「アロウズに入ったのも、ソレスタルビーイングに贖罪させるため……」

「それは違うわ、ルイスちゃん!」

「ちゃん!?」

 テーブル越しに身を乗りだしたマリナに手を握られてルイスは動転してしまう。

「復讐を果たしても、何も取り戻せないのは分かっているでしょう?」

 やはりマリナはルイスを軍人ではなく、一個人として接している。アンドレイには違和感でありながら、それとなく納得するところでもあった。しかしてその原因は分からないままだったが、今、その姿こそがルイス本来の姿なのではないかと気づく。

 そして彼は思い出す。

 ルイスと初めて出会ったときの印象を。またそれが間違いではなかったのだと。

 

 乙女に血は似合わない。

 

 ルイスの傍らに立つのは、そのときの感情に起因している。

 彼女の復讐心は本物だ。ゆえにその決意は重い。彼女一人では自らの選択に耐え切れない。だから傍で支えてやりたいと思った。

 しかし、いつのまにか自分は勘違いしていたのだと気づく。

 ルイスの傍らに立つことで、自分は彼女の助けになれているのだと思い込むことで、彼は安心してしまっていたのだ。

 ともすれば恋愛感情と取り違えてしまいそうだが、そうではなかったのだ。もっと単純な事だったのだ。

 弱者はすべからく守るべき、とする衝動。

 それは彼が軍人として持ち合わせる矜持であり、決して相容れる事のなかった父親とも、この衝動だけは、唯一意を同じとする固い志でもあった。

 ――まったくもって自分は何を迷っていたのだろう。バイト学生に感じた黒い感情も今や気恥ずかしく思う反面、爽快に笑い飛ばすこともできる。

 そして今また、ルイス・ハレヴィが悲嘆に暮れてる。

「……」

「ルイスちゃんが今やらなければいけないのは、お父さまやお母さまの思い出を心に刻むこと。思い出を誰かと共有すること。ルイスちゃんに大事な人はいる?」

「えぇ!? いえ、その」

 頬を紅潮させて戸惑うルイスに、マリナは慌ててフォローする。

「ああ、ごめんなさい。そんなつもりではないの。いえ、そうね、そうだわ。ルイスちゃんが良ければ私を姉と思ってもいいのよ?」

「な、何を言い出すんですか!?」

 マリナのフォローは逆効果でしかなかったが、あたかも追い撃ちをかけるようにアンドレイが席を立った。

「ならば自分は兄と呼んでくれてもかまわない!」

「少尉までなにを!?」

 途端に賑わいだした三人のやりとりを、サーミャはティーカップ片手に眺めている。

 軽く紅茶で喉を潤して、そのティーカップを置く。

「分かりました。護衛任務については、そちらにお任せします」

 

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***

 

<バンジクル――パキスタン国境付近>

 現アザディスタン国境付近での引き受けになるのは、相手がカタロンであるからだ。

 もちろん政治的要因でしかないのだが、連邦主導の暫定政権勢力下に反政府組織を引き入れるわけにはいかない。

 サーミャの組織で融通できる要員数では到底賄えない。アロウズのモビルスーツが護衛として使えるのは、実のところ行幸といえた。

『来ました。所属不明のモビルスーツをペルシャ湾沿岸ガナーベーに確認。王宮へ向けて進行中』

 ルイスからの報告がアンドレイの通信に届く。

 半ば予想していただけに、二人とも迅速に反応する。

「数は?」

『確認できているだけでイナクトを6機以上』

 手元のサブモニターにアザディスタン王国を中心とした周辺地図が表示され、現在位置に加えてテロリストと思わしきモビルスーツの出現位置がマークされる。双方のマークは王宮を挟んでちょうど反対方向に位置していた。

「離宮していたのは、むしろこちらにとって好都合だったな」

『どうしますか少尉。旧式のイナクトとはいえ、数がやや多い』

 本来の任務は王女の護衛であるから、自分かルイスのいづれかを残すべきと思案するアンドレイ。

 そこへサーミャが割り込んできた。

『会敵地点を逆算しました。いますぐに転進すれば市街地ギリギリで防ぐ事が出来ます。2機で急行していただき、速やかに撃退してもらいたい』

 さらに同じ回線からマリナの声。

『わたくしからもお願いします。現在のアザディスタンには防空戦力も、モビルスーツに対応する手段もないのです』

「分かりました。では、アンドレイ・スミルノフとルイス・ハレヴィは只今より所属不明機の臨検に向かいます」

 頭上を2機のモビルスーツが軌跡を残して去っていく。

 軍用車両のハンヴィーを降りたマリナの前には、同じくハンヴィーが2台と荷台が幌で覆われた輸送トラックが4台見える。いづれもカタロンの車両だ。

 彼ら以外に目ぼしい物は何も無い。一本の幹線道路だけで、あとはただ茫漠たる荒野が広がっている。

「久しぶり。元気そうね」

 カタロンの車両から表れた人物に、そう声をかけられてマリナは表情を緩めた。

「私は大丈夫よ、シーリン。貴女は少し痩せたのかしらね」

 

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<ガナーベー上空>

 バンジクルから転進して数分後。

 ルイスの機体はソーマ・ピーリスから譲り受けた脳量子波に対応した機体である。索敵能力など基本性能が底上げされている。

『捕捉しました、全てイナクトですね。合計9機』

「わかった。マシュウール殿に確認する」

 国力を削がれてもはや困窮の極みにあるアザディスタン王国であれば、反政府組織の経済状況も似たようなものだろう。活動出来る内容も限られる。

 アンドレイは入国直後の事を思い出す。爆弾テロや狙撃など、雑多な混乱がこの国の状況そのものであり、現状でモビルスーツを持ち出せる体力を持つ組織があるなどと考え付かない。

(何らかの外部の力が介入しているのか?)

 

<いつもの秘密基地>

 いかにもトロピカルな感じでヤシの木が生い茂る、その向こうに流線型を基調とした建物が見える。手前にはプール。世界有数の財閥、王家の数ある私邸の一つである。数年前には、ソレスタルビーイングが地上の活動拠点としていた頃もあった。

 空調の行き届いた室内では、現頭首である王留美が優雅にお茶などしている。

 傍らでは端末操作する紅龍。

 その姿を眺めつつ、王留美は不敵な笑みを浮かべた。

「ソレスタルビーイング、アロウズ、イノベイター。世界の革新にこれ以上の役者はいらない」

「お嬢様、むしろ私が現地に赴いて直接――」

「いえ、それには及ばないわ紅龍。今回の件は露見すればソレスタルビーイングを敵にまわすことになるのよ。それは避けなければならない。我々の痕跡があってはならないのよ」

 紅龍の操作する端末の画面には、横領したモビルスーツのリストが表示されている。

 "AEU-09"とはイナクトの正式名称であるが、その横に表示されているのは、順番もバラバラな製造番号で、それは10機分並んでいた。

 

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<ガナーベー上空>

「10機ですか!?」

 思わず裏返ってしまったアンドレイの声にサーミャが応じる。

『当局で入手した情報です。タンザニアとケニアにあるAEUの駐屯基地から合計10機のイナクトが、ブラックマーケットとは異なるルートでレバノンに持ち込まれた形跡を確認しています』

 レーダーには、識別不明のマークが9つ。まもなく視認できる距離になる。

 そのマークの一つが変化する、と同時にアンドレイは素早く機体を操舵した。

 所属不明機が発砲したのだ。通信をルイス機にも伝わるように設定し、宣言する。

「アンノウン識別をE−01から09に設定、E−02の敵対行動を確認、識別を敵性識別に変更、エンゲージ!」

『これは陽動です。少尉!』

「そうだな、ハレヴィ准尉」

 汗がつたう。アンドレイは即座に判断する。

「ここはボクに任せて、准尉はバンジクルへ――マリナ王女の下へ!」

 が、レーダーにはすでに進路を急転してみるみる遠ざかるルイス機の光点。

 もちろん返事もない。

「そ、そうだ、それでいい……」

 引き攣った笑みを浮かべるアンドレイ少尉。

 この後、9機ものモビルスーツを相手に大立ち回りを演じる彼は、まさに鬼神のごときであったというが、誰も知る由も無い。

 

 テロリスト側は、完全にアザディスタン側の動向を把握していた。

 サーミャが予期したとおり、難民を受け入れた後では、テロ活動そのものが著しく制限されることにテロリスト側は危機感を覚えていた。

 テロリストといえば非人道的な破壊工作をイメージしてしまうが、そもそも民意やバックボーンがなければ活動できない。国内における政治思想の相違によるアザディスタンのような状況であれば、善良な一般国民を犠牲にするような行為は厳禁である。だから、今回のマリナの外出が最後のチャンスだと考えていた。

 しかし、テロリストとはいえ国内に基盤を持つ彼らであるから、資金も戦力も人員も、全てにおいて不十分であった。

 だがそれを後押ししたのが、正体不明のスポンサーだった。

 彼らの情報により、アロウズの介入も事前に知ることができたし、同時にアロウズに対応しうる戦力も提供された。

 あまりにも条件が良すぎてむしろ警戒すべきところであるが、最後のチャンスという時間的制限から、得体の知れないスポンサーについて調べる余裕はなかった。これこそテロリスト側の知るところではないが、王留美の情報力と洞察力による介入タイミングは絶妙であるといえた。

 いづれにしろ、情報面でも物量面でも優位に立ったテロリスト側が磐石といえた。例え正面から攻撃を仕掛けても目的を達することができるだろう。

 それでも彼らは、陽動作戦を展開することでさらに万全を配した。常に最前線に直面しているプロのテロリストならではの慎重さである。

 イナクトの部隊を発見させるタイミング、アロウズとの会敵地点、すべて計算済みだ。

 陽動に気づいて転進して向かおうとも、もちろん間に合う距離ではない。

 そしてまた、マリナたちを急襲するにはモビルスーツ1機で充分事足りるのだ。

 

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<バンジクル>

 難民受け入れ作業はつつがなく進行していた。

 すでに難民を乗せたトラック数台はアザディスタンへ向かって出発している。

 カタロンが用意した名簿と実際の人物照合を確認し順次入国していくといった、簡単な事務手続きをこなしていくだけであった。

 もちろん、そのような作業は専門スタッフが対応するので、マリナ自身はわりと手持ち無沙汰であった。

 そんな彼女を嬉しげに呼ぶ声がする。

「まぁ、あなたたち!」

 振り返ってマリナは喜びの声をあげた。

 カタロンの基地に身を寄せていたときに知り合った子供達であった。

 その姿を遠目に見るサーミャの緊張感は尋常ではなかった。

「付近で展開しているプレデターでいいんです、こちらへ向けてください。それと衛星を……」

 完全に出し抜かれた。

 情報戦においては史上最強を冠する彼女の組織では、ありえないことですらあった。

 そこでサーミャは疑惑の念に駆られる。この展開を組織は知っていたのではないか、折込済みなのではないか? 彼女の知らないところで政治的な方針変更がなされ、アザディスタンを切り捨てる事になっていたとしても、それは珍しいことではない。

 サーミャとて、所詮は現場の要員でしかないし、彼女もそれを弁えている。急な方針変更で彼女の手元まで情報が行き渡らず、混乱する局面も往々にしてある。しかもサーミャは納得づくなのだ。組織の方針は絶対で、それを理解する必要はない。実行するのみなのだ。

 今までそうしてきたように、事態の流れに任せればいい、元より敵対関係にある国の一つなのだ、アザディスタンも。

 しかし――、今の彼女はそのような割り切りに戸惑いを感じている。

 シーリン・バフティヤールの苦悶の表情。

『……それを、裏切らないでほしい』

 シーリンの代わりにマリナの傍らでサポートしてほしいと、彼女はそう言ったのだ。

 敵でありながらも、サーミャに頼らざるをえなかった彼女の苦渋の懇願だった。彼女のプライドを曲げてまでそう言わしめる何かがマリナ・イスマイールという人物にあるのか、あの時は疑問でしかなかった。

 アロウズの二人を迎え入れた時もそうだ。

 マリナは二人を賓客として迎えたいと言い、当初の護衛計画では二人の護衛範囲を狭めたのだ。サーミャには理解できなかった。単なる楽観なのか、あるいは考えあってのことなのか、いづれにしろ指導者としての資質すら問われかねない。

 そのような有様だから、あの時の疑問は今も解けていない。けれど、サーミャ個人としてとにかくこのまま蹂躙させるわけにはいかないと思った。だから今も個人的なルートで付近に駐屯する米軍と支援交渉を続けているのだ。

 だが、そこで彼女の思考は打ち消される。

 地平線の彼方に光点が見えたのだ。それと同時に感じる禍々しい殺気。彼女とて訓練された戦士であるから感じられる気配だった。

 全て手遅れだ。ミサイルの射程であれば充分だろう。絶望の淵に追いやられる。

「大丈夫、こんなこともあろうかと備えてあるわ」

 いつのまにか傍らに立つのは、シーリン・バフティヤールであった。

 無線端末で誰かに指示をとばすと、1テンポ遅れて2発の爆音が聞こえた。

 振り返ると、離れたところで2箇所、砂柱が立ち上がっている。

「カタロンが何も準備せずにおめおめ現れると思って?」

 サーミャの頭上を2つの巨大な影がよぎる。

 それは2機のティエレンだった。

 カタロンは世界規模で展開する反連邦組織である。旧式とはいえモビルスーツを保有しているし、宇宙戦力もある。そんな彼らが何の兵力も持たずに連邦政府の息の掛かった国に現れるはずがないのだ。

 そしてまた固体戦力も侮れない。咄嗟のことでサーミャは確認できていないが、飛来した2機のティエレンは通常装備よりもチューン・アップされた、いわばカタロン仕様に改良された機体だった。

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『コーカサス・ワン、エンゲージ』

 ティエレンのパイロットが僚機に宣言する。その声に緊張はない。

 それも仕方ないことだ、なにしろ相手はイナクト1機である。

 対する彼我の戦力はティエレン2機、しかもチューニングされて全体性能が2割底上げされているのだ、負ける要素などどこにもない。

 しかし、僚機の応答はそんな過信をいさめるものだった。

『コーカサス・ツー、エンゲージ。1機とはいえ気を抜くな。後方には民間人がいるのだからな。速攻で片付けるぞ!』

 慎重かつ冷静な言葉だった。確かにそのとおり、彼らの任務はあくまで護衛。戦力で圧倒していても民間人に被害を出したとあってはカタロンの沽券にかかわる。コーカサス・ワンのパイロットも改めて気を引き締める。

『そうだなコーカサス・ツー。カタロンの実力を見せてやろう!』

 

『ところがギッチョン!』

 

 それは、通信機からの声だったのか、それとも外部スピーカーによるものなのか、ティエレンのパイロット二人は、まったく理解できなかった。

 いや、その表現は正確ではない。正しくは、理解する前に撃墜されてしまったのだ。

 爆散する2機のティエレンを尻目にホバリングするイナクト。

『クルジスのガキといい、こないだの事といい、アザなんちゃらには因縁めいたものを感じちまうなぁ? ハハァッ!』

 わざわざ外部スピーカーを介して喋るのは、元PMCの傭兵で、いまやイノベイターの私兵となったアリー・アル・サーシェスであった。

 とはいえ、今回の仕事はイノベイターの知るところではない。あくまで個人的に請け負った仕事なのだった。

 そうなのだ。スケジュールの都合が合えば誰の依頼であろうと率先して彼は戦場に赴くのだ。

 そこまでして彼はなぜ戦うのか、それは誰にも分からない。もしかすると以前、身体半分を消し炭にされた時の治療費を返済するためなのかもしれないし、あるいは本質的に戦いを好む種類の生き物であるだけなのかもしれない。

 とはいえ、それだけならただのサイコ野郎で片付けてもよかったのだろうが、そうではない。なによりも厄介なのが、この男はやたらに腕が達つという事である。

 その実力は、ガンダム・マイスターに匹敵する。

 ガンダム・マイスターといえば、一発で何十機ものモビルスーツを消滅させたり、恐るべき射撃精度で何十機ものモビルスーツを狙い撃つような規格外の戦闘力を有している。

 そんな彼らを、あまつさえ二人同時に相手取って互角以上の戦闘どころか、軽く二人を凌駕してしまうのだ、アリー・アル・サーシェスという男は。

 そのようなプロ中のプロの傭兵、というより兵士というカテゴリーを逸脱している彼にしてみれば、旧式モビルスーツ同士の戦闘において、2対1というハンデなどなんら問題にもならない。一瞬にして2機のティエレンが撃破されるのは、むしろ当然ともいえた。

 それは本人も理解していることなのかもしれない。なおも外部スピーカーを介して聞こえる声には、落胆の色がうかがえた。

『なんだよチョロいな。チョロすぎるぜ、今回の仕事はよォ!』

 サーミャやシーリンを含めその周辺は、あまりにあっけない結末に呆然としている。

 その最中でもサーシェスはプロとして仕事を淡々と進める。モニターの望遠機能を使いターゲットを探す。

 ほどなくそれは見つけられる。難民を乗せたトラックでもなく、カタロンでもない、アザディスタン王国第一皇女マリナ・イスマイール。

 その姿は、ちょうど真正面に位置していた。カタロンとの邂逅が終わり、久しぶりに顔を合わせた子供達と談笑していたところであったから、それはまるで周囲から切り離されたような位置取りであった。

 事態を察知したマリナは、子供達を庇うように背を向ける。兵器相手にそれが無意味であろうと、だがそうせざるえなかった。

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 サーシェスにしてみれば、まるで獲物を差し出されたかのようで、思わず口元が醜く歪んでしまう。

『まぁ、こちとら仕事だからよ。恨みっこなしってことでなぁ?』

 開きっぱなしの火気管制システムに照準システムを連動させる。モニターに映るマリナの背中に照準レティクルが重なる。

 あとはトリガーを絞るだけ。しかし、そのときイナクトのコクピットに衝撃が走る。

 咄嗟にコンソールの警告表示に目を走らせる。

 それは、サーミャたちのような、外から見る者であれば明らかだった。突如飛来したエネルギー照射、つまりビーム兵器によってイナクトの頭部が破壊されたのだ。

 サーミャは本能的にそれが頭部を狙ったものではないと気づいた。

 狙撃において、初弾の着弾位置から照準を補正して次弾で必中を狙う。いわゆる予備狙撃。

 テロリストの計画が周到だったのは間違いない。

 連邦軍の主力モビルスーツであるアヘッドの巡航性能からして、到着できる距離ではないのだ。

 だがそれは、あくまで標準的な機体による計算である。そこに誤算があった。

 イナクトの頭部を破壊したビーム残滓の遥か彼方にその機影はあった。ルイス・ハレヴィ准尉のアヘッドだ。擬似GN粒子を盛大に放出させ猛進している。

 コクピット内には、ノーマルスーツのヘルメットをさらに覆うように精密狙撃用ヘッドセットを装着したルイスの姿があった。

 元はソーマ・ピーリス中尉の乗機であるアヘッドの正式名称は、GNX-704T/SPアヘッド脳量子波対応型(アヘッド・スマルトロン)と称される特注機である。

 ルイス・ハレヴィ准尉もまた脳量子波を使えるため、機体性能を充分活かすことができた。つまり通常のアヘッド以上の高速移動が可能だったのだ。これが誤算の1つである。

 もうひとつの誤算は、有効射程距離ギリギリからの狙撃による牽制を思いついたルイスの機転だったといえよう。

 超々距離狙撃システムを介してもブレる照準をルイスは、まさしく息を殺して狙いをつける。

 ヘッドセットで覆われてその顔は見えないが、唯一露出している口元の、歯を食いしばる様が彼女の必死さを表していた。

 

 昨日、マリナの自室に押しかけて、あげくお茶など頂いてしまったあのとき、退室するルイスにマリナは言った。

『ただ、少しだけでいいから考えてほしいのです。ルイスちゃんを突き動かす衝動の本当の姿を。その衝動が誰に向けられているのかを』

 そして、しばし言葉を選ぶように続ける。

『そうですね、なんと言えばいいのかしら。失くした者を"諦めて"しまいそうな自分を恐れているだけなのではないか、もう一度考えてみてください』

 

 復讐を果たしたところで両親が生き返るはずもない。そのようなことは充分承知している。

 マリナの言い分にも突き刺さるものはあった。復讐を諦めることで両親を裏切ってしまうのではないか、という自分への不信はあったのだ。だが――

(復讐を諦めて、それでどうやって、この……、怒りや、憎しみとどうやって……、どうやって、どうやって、どうやって……、折り合いをつけようというのか。その答えを指し示さないうちは……、マリナ・イスマイール、貴女を死なせはしない)

 ルイスが次弾のトリガーを引くのと、サーシェスがコクピットハッチを開いたのは、ほぼ同時だった。

 極限状況下におけるアリー・アル・サーシェスの生存本能は尋常ではない。

『ヤヴェ!』

 直後、エネルギー粒子がイナクトの胸部を貫く。

「マリナ、伏せて!」

 シーリンはその声が届く距離でもないと分かりながらも叫ぶ。

 子供達を抱きかかえるように伏せたマリナの背後で、イナクトが爆散した。

 

― 続 ―

 

 

説明
アザディスタン暫定政府主席執政官、マリナ・イスマイールは、保守派のテロにさらされながらも故国復興に尽力する。シリアス路線。5話構成。 今回は軽くMS戦も。
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