レッド・メモリアル Ep#.04「罠の連鎖」-2
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「誰か来た!」

 

 突然ログハウスの中に鳴り響いたブザーに、1秒もたたない内に反応したミッシェルが立ち

上がって叫んだ。

 

「誰か来たって?このブザーが?」

 

 アリエルは母が突然立ち上がった理由が分からない。このブザーが警報装置のようなものな

のだろうか?

 

 突然の出来事にどうしたら良いか分からない。

 

 しかしミッシェルは、

 

「あなたはここにいなさい。奴らかもしれないから」

 

 と、言って、ログハウスの屋根裏部屋の窓から外へと顔を覗かせた。すでに手には猟銃が持

たれている。

 

 よほど警戒しているのだろう。

 

「どうして、誰が来たなんて分かるの?」

 

 椅子に座ったままのアリエルが、双眼鏡を持ち、猟銃を窓の外へと向けるミッシェルに向って

尋ねる。

 

「外のセンサーが反応したからよ。この家の半径100m以内に人間が入って来るとセンサー

が反応して警報が鳴るの。あなたの時だってしっかりと鳴っていたわよ。だから来た事が分か

ったの」

 

「でも、だったら、動物かも?」

 

「このセンサーは、人間以外では反応しないのよ」

 

 と言って、ミッシェルは、ログハウスの屋根裏部屋に表示されていた光学画面の内、一つを

手元に呼び寄せた。

 

 ミッシェルの手の動きに合わせて、光学モニターは空間を移動していき、彼女のみ安い位置

で再表示される。

 

 画面は3次元に立体化し、ミッシェルの手元で、ログハウス周辺のミニチュアを作り上げた。

ログハウスから少し離れたところに赤いポイントが現れている。

 

 それがだんだんとミッシェルのログハウスへと迫ってきていた。

 

「この方向ね。北側からやって来ている」

 

 ミッシェルはそう言って、双眼鏡から外を覗き込んだ。

 

「ねえ!どれくらい来ているの?誰がここに?」

 

「たった一人しかやって来ていないわよ。でも、郵便は局留めだし、わたしは新聞も取っていな

いからね。尋ねて来る人なんて、あなたくらいしかいないはず」

 

 ミッシェルはアリエルにそういいつつも、じっと銃を構えたままだ。

 

「でも、たった一人で、なんておかしいよ。もし誰かが私達を捕らえにくるんだったら、こっちは

二人いるんだよ」

 

「分からない。分からないけど、誰かが侵入してきている事には変わりないわ。それと、たった

一人で来ているという事は、むしろ警戒をしなければならない事なのかも」

 

「ど、どうして?」

 

 アリエルが尋ねると、ミッシェルは、3D画面で位置をセンサーが示す位置を確認しつつ答え

る。

 

「それは、送り込んできた刺客が、『能力者』である可能性が高いからよ。『能力者』の中には、

その『力』を発揮すると、周囲の人間をも巻き添えにしてしまう場合がある。そういった『能力』

の場合は、一人で送り込まれることがある」

 

 と言ったミッシェルの言葉に、アリエルは昨日起きた事を思い出していた。

 

 周りを巻き添えにする『能力者』と言ったら、昨日のあの豪雨と共に現れた男はどうだろう

か。

 

 あの男も、通り一つ分を川のように水没させ、アリエルを追い詰めてきていた。あの男に仲間

がいたら、おそらくその仲間も巻き添えになってしまっていただろう。

 

 敵だけではなく、仲間さえも巻き添えにして『力』を発揮してくる『能力者』。アリエルはその存

在に恐怖を感じていた。

 

「おかしいわね。こんなに接近しているのに姿が見えない」

 

 窓の外へと猟銃を構えているミッシェルは、独り言のように呟いた。

 

「見えないって、どういう事?」

 

「センサーにはっきりと写っているのに、やって来ている者の姿が見えないって言う事よ!もう

庭の中に入って来ているのよ」

 

 ミッシェルは、センサーが表示している立体画面と、ログハウスの外を見比べて言った。

 

 センサーには赤いポイントが表れ、それはログハウスの間近に迫っていたが、外の庭には誰

もいない。

 

「そのセンサー。故障しているとか?」

 

「あなたが来たときには作動していたのに、すぐに壊れると思う?」

 

 と、ミッシェルがアリエルの方を振り向いて言った時だった。

 

 空気を切り裂くような音が聞え、窓に何かが当たった。それも2発。一発は窓に当たり、もう

一発はミッシェルの脇を掠めて、屋根裏部屋の天井に突き刺さった。

 

 アリエルはびっくりして、ミッシェルの側で後ろ側に尻餅をついた。ミッシェルも警戒して、窓へ

と覗かせていた顔を引っ込める。

 

「ひ、い、いまの、何?」

 

 アリエルが怯えた声で言った。

 

「やっぱり、誰かが来ているって事よ。今のは武器。天井に刺さったのは、ダーツみたいなもの

で、多分麻酔銃を撃ってきたのね」

 

 ミッシェルは猟銃を抱え、窓枠を背にして答える。

 

「ま、麻酔銃?」

 

「ええ、弾速が遅いし、窓ガラスで一発跳ね返っているから。普通の銃じゃあないのよ。わたし

達を殺す気ではないらしいわ。麻酔銃で眠らせて連れ去るのが目的みたい」

 

「で、でもそれって」

 

 と、アリエルが答えようとする間もなく、ミッシェルは、窓の外へと猟銃を突き出して2発発砲し

た。

 

「ちょ、ちょっと」

 

 いきなりの銃の発砲音に、アリエルは思わず耳を塞ぎ、床に座り込んでしまった。

 

「駄目ね。センサーを見ているだけじゃあ、外の侵入者に命中させる事なんてできないわよ」

 

「つ、つまり、相手の姿が見えていないの?」

 

 アリエルは今起こっている状況を、頭の中で必死に整理しながら言った。

 

「確かに見えていないわ。センサーが無かったら、あっという間に奇襲されていた。そういう『能

力者』よ。多分」

 

 と、ミッシェルが言った時だった。突然、ログハウス内の照明が落ち、屋根裏部屋に表示され

ていたコンピュータデッキの画面も全て消えうせた。センサーを表示していた画面だった。

 

「電源を落とされたのよ。このログハウスは、発電機で電気を保っているから」

 

 あくまでも、自分を落ち着かせようとするような声で話すミッシェル。だが、彼女もアリエルほ

どではないが多少緊張し、息を切らせている。

 

「でも、そんな」

 

「予備電源に切り替わるから安心して。でも予備電源も発電機で動かしているから」

 

 暗い室内でアリエルを落ち着かせるようにミッシェルは言った。銃を抱え、窓から外の狙撃か

ら身を隠しているような姿では、幾ら母の言葉であっても、アリエルは落ち着かなかった。

 

 『ジュール連邦』では高経度のため、夕方になっても昼間と同じくらいの高さの日が出てい

る。そのため、まだ西日も出ずに明るかったが、気候も曇りが多く、今日は日が出ていない。

 

 ログハウスの室内は非常に暗い。そんな中に息を潜めるアリエル。

 

「切り替わらない。ね」

 

「参ったわ。二つともやられたら、センサーも働かないし、相手の姿が見えない分、こっち側が

不利よ」

 

 そうミッシェルが言ったとき、彼女は何かを聞きつけたらしく、素早くアリエルに飛び掛ってき

た。

 

「危ない!」

 

 窓際から、椅子に屈みこんでいるアリエルに飛び掛ってきたミッシェル。彼女と共にアリエル

は倒れこんだ。

 

 ほぼ同時にログハウスの屋根裏部屋の扉が開かれ、そこから矢のようなものが室内に飛び

込んでくる。

 

 それはアリエル達のすぐ脇をかすめた。

 

 すぐさまミッシェルは身を起こした。そして、半分起き上がった姿勢の状態のまま、屋根裏部

屋の開け放たれた扉に向って猟銃を打ち込む。

 

 ミッシェルの放った銃弾は、手ごたえも無く扉の向こう側の壁に命中した。

 

「誰なのあなたは!何故わたし達を襲うのか答えなさい!」

 

 ミッシェルは叫ぶ。しかし、何も答えは無い。

 

 相手の姿は全く見ることができない。ログハウスの屋根裏部屋は暗かったが、ただ暗くて視

界が悪いのではなく、全く侵入者の姿を見ることができないのだ。

 

「いるの?部屋の中に?透明人間みたいに?」

 

 息を潜めた声でアリエルは言った。

 

「ええ、いるのよ。わたし達を狙っている。より確実な方法でね」

 

 とミッシェルが言ったとき、何かの留め金を外す金属音が聞えた。すかさずミッシェルは、猟

銃を構えてその方向へと撃ち込む。

 

 屋根裏部屋に銃声が響き渡り、ミッシェルは何発かを発砲していた。

 

 アリエルはその銃声に思わず耳を塞いでいる。あまりに強烈な銃声音は、アリエルも経験し

たことがないほどのものだった。

 

 彼女らに向って、再び矢が発砲されてきた。矢というよりも針に近いそれは、銃弾よりも遅い

スピードでミッシェルに迫った。

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 ミッシェルはその矢の内、2発を視認し、立て続けに猟銃で叩き落した。そして、残りの矢を、

屋根裏部屋の床に転がることでかわしていく。

 

「アリエル!」

 

「大丈夫!私なら!」

 

 ミッシェルは銃を構えながらアリエルに呼びかける。すると、自分は屋根裏部屋の窓の方へ

と移動した。

 

「あなたは、扉からログハウスの外へ逃げなさい!わたしが援護する!」

 

「ええ? 何なの?」

 

 直後、ミッシェルの銃が火を吹く。屋根裏部屋にいる見えない何者かに命中することは無く、

それは屋根裏部屋の壁にめり込むだけだった。

 

「早く扉から外へ逃げなさいって言っているの!」

 

「だって、母さんが!」

 

 とアリエルが言ったとき、彼女の方へと矢が発砲されて、ぎりぎりの所を掠めた。それに恐れ

を成したアリエルは慌てて屋根裏部屋から脱出する。

 

 階段を転げ落ちるようにして外へと飛びだして行ったアリエルは、ログハウスの玄関口から、

息も絶え絶えな様子で外へと飛び出す。

 

「母さん!」

 

 ログハウスの外へと飛び出したアリエルは、屋根裏部屋の方へ向って叫んだ。一人取り残し

て逃げてきてしまったのかと思ったからだ。

 

 だが、ミッシェルはログハウスの屋根裏部屋から、窓を突き破って飛び出してくるではない

か。

 

 身を縮ませてダイブするように窓から飛び出してきたミッシェルは、土の地面の上に転がっ

た。2階から飛び出してきたのだ。ただで済むはずがない。

 

「か、母さん!」

 

 アリエルは慌てて母に駆け寄ったが、

 

「う、だ、大丈夫よ。わたしや、あなたのような『能力者』なら、ね。コンクリートの地面ならマズか

ったけど」

 

 ミッシェルは自分で身を起こしてそう言ってきた。しかし、60歳も間近に迫っているミッシェル

の体だ。アリエルは怪我をしてやいないかと心配になる。

 

 だが、2階の高さから飛び出してきたものの、ミッシェルはほとんど傷も負っていないようだっ

た。

 

 ミッシェルはそれが『能力者』ならば当然と言ったが、あくまで一般的な常識しかないアリエル

にはそれが理解できなかった。

 

「それより、早くしないと、あいつが来るわよ。早いところ、車に乗って逃げないと」

 

 

 

 

 

 

 

「嘘、パンクしているの?」

 

 アリエルは目の前で起こっている事が、信じられないと言ったような様子で言った。

 

「ここに来た時にやられてしまったらしいわ。先手を打たれているわね」

 

 ミッシェルは、自分のジープのタイヤの空気が抜かれてしまっている姿を見て呟いた。この有

様では車は走る事ができないだろう。

 

 その時、ログハウスの玄関が開かれ、姿の見えない追跡者が外へと出てきたようだった。

 

 だが、実際に誰かが玄関から出てきた事など、相手の姿が見えないと分かっていなければ、

ただ風か何かで扉が開いてしまったとしか思えないだろう。

 

 事実、アリエル達の目には、玄関から出てきた者の姿は見えていなかった。

 

「仕方が無い。森の中に逃げるわよ。スキを見て、あなたのバイクで逃げるしかないわね」

 

 アリエルは頷き、ミッシェルと共に森の中へと逃げ込んでいった。

 

 本当に、何者かが追跡してなど来ているのだろうか。ログハウス周辺の針葉樹林帯に逃げ

込んだアリエルは、土の地面を踏みしめながら思った。

 

「姿が見えない『能力』を持つ者なんて、全く、わたし達を捕らえるにはうってつけじゃあない」

 

 ミッシェルは猟銃を抱えるようにして、森の中を走っていた。彼女はある所で足を止めると、

猟銃の中にポケットに入っている弾を装填し始めた。

 

「弾を持ってきておいて良かったけれども、相手の姿が見えないんじゃあ、銃を撃っても仕方が

無いわ」

 

 弾を装填し終えたミッシェルは、再び猟銃をいつでも撃てる姿勢に構えた。

 

 その姿を見てアリエルは、今まで見たこともない養母の姿を見ていた。まるで、百戦錬磨の

狩人のような養母の姿は、例え初老に歳が差し掛かっていようとも衰えを見せない。

 

 一体、母は過去に何をしていたのか。ずっと一緒に暮らしてきたのに、こんな彼女の姿をアリ

エルは見た事が無かった。

 

 そう。彼女はまるで戦い慣れているかのようだった。元軍人だという事はアリエルも知ってい

たが、確か軍の高官で、戦場とはほぼ無縁な、制服組だったはずなのだ。

 

「ねえ、母さん。前にも襲われた事があるの?その、『能力者』っていう人に?」

 

 母の過去を知るのがどことなく怖い気もしたが、アリエルは意を決して尋ねていた。

 

「ええ、あるわ。今回だけが初めてじゃあない。相手は、『スザム解放軍』のテロリストだったり、

国家安全保安局の人間だったりと、色々ね…」

 

 そう答えつつ、ミッシェルはどんどん森を進んでいった。

 

「だから、その、戦い慣れている、の?」

 

 アリエルもそれに続きながら尋ねた。

 

「戦い慣れている、と言えばそうね。軍で訓練も受けたし。ただあれはわたしがあなたくらいの

歳の頃の話だから。できれば、あなたにわたしのこんな姿を見て欲しくはなかったわ。巻き添え

になって欲しくなかった」

 

 そのミッシェルの言葉が、アリエルには、重く深くのしかかった。自分自身が、まるで罪深い

存在であるかのように思えてくる。

 

「そう、ご、ごめんなさい」

 

「もういいのよ。どうせ、遅かれ早かれ決着はつけないといけなかったんだし」

 

 周囲を警戒しつつも、ミッシェルはアリエルを落ち着かせるようにそう言った。

 

 その時、ミッシェルは何かに気が付いたかのようにすかさずアリエルの手を引いた。

 

 直後、森に空気が抜けるような音が響き渡り、アリエルのすぐ側を、空気を切り裂き何かが

掠めていった。

 

「こっちよ!急いで!」

 

 ミッシェルに手を引っ張られ、アリエルは更に森の奥へと連れて行かれる。そんな2人の背後

から、更に音が聞え、何発かの針が森の木々に突き刺さった。

 

「あいつ?あいつが来ているの?」

 

 アリエルが叫んだ。

 

「ええ、そうよ。今、あなたから5メートルの位置にまで迫ってきていたわ」

 

「どうして?姿が見えないのに、位置が分かるの?」

 

 2人は、森の中の空き地のような場所にやってきていた。そこだけ、木が立っておらず、周囲

の視界が開けた場所となっていた。

 

 ミッシェルはアリエルを引っ張るのを止め、地面にしゃがみこむと、彼女は土の地面を探るよ

うに見つめる。

 

「足跡よ、あと音を聞くの。この『能力者』は姿は消せるけれども、音は消せないし、透明なだけ

で形は持っている。足跡は残るのよ。でも、まずいわね。すでに、先回りされているわ」

 

 その時、ミッシェルは突然、何かに掴まれたかのように身動きが取れなくなった。

 

 そして軽い、すぽんと抜けるような音がかすかに響く。その瞬間、ミッシェルは目を見開いた。

 

「足跡を見る、か。いくら透明になってもそれは弱点になる。だが、すでに足跡を沢山つけてお

けば、どこから俺が来るかを見分けることはできまい。幾ら、見晴らしが良いところに出ようとも

な」

 

 誰かの声。男の声だけが響き渡った。

 

「母さん、う、わああ」

 

 見えない何かに掴まれている母の姿を見て、アリエルはどうしようもないくらいに怖気づい

た。

 

「アリエル!逃げなさい!逃げて!」

 

 力が抜けていくような声でミッシェルが言った。彼女の腕はだらりと垂れ下がり、まるで見えな

い糸で宙に吊られているようである。

 

「安心しろ。これは麻酔銃だからな。そもそも、殺すためにここに来たんじゃあない。お前達を

捕らえるためだ」

 

 と見えない男の声が森にかすかに聞える。アリエルは、目の前で見えない者に捕らえられた

母の姿を見て、頭が上手く働かなかった。

 

 しかし、再び森の中に空気が抜けるかのような音が響いたとき、アリエルは目の前に迫って

来る細かい針のようなものに向って、手を伸ばしていた。

 

 銃から発射されたはずのその針が、アリエルには、スローモーションのような動きで自分に迫

ってくるのを見ていた。

 

 彼女の腕からは、無意識の内に刃が現れた。彼女の皮膚が、金属のように硬くなり、事実金

属と同じような質感を持つそれは、迫ってくる針を弾き、その軌道を大きく変えた。

 

 アリエルは、そのようにして相手の攻撃を防ぐことが出来たものの、そこからどうして良いか

は全く分からなかった。

 

 どうして良いか分からなくなってしまった彼女は、目に見えない相手の前に、怖気づいてその

場から逃げていくしかなかった。

 

 彼女の背後から、目に見えない追跡者は何発か、麻酔銃の銃弾を放ったが、それはアリエ

ルに当たる事が無かった。

 

 正確に狙いは定めたはずだったが、麻酔銃の銃弾はアリエルには当たらなかった。おかげ

で追跡者にとっては、アリエルをこの場から逃がすことになってしまった。

 

 しかし、

 

「まあいいさ。すぐに追い詰められる。どこに逃げようともすぐにな。こいつらはおれの前では何

もできなかった」

 

 そう森の中に、追跡者の呟く声がかすかに響く。

 

 彼はミッシェルの体をその場に置き、森の土の上に足跡だけを残し、アリエルを追跡しようと

した。

 

 その時、彼の足をしっかりと掴む者がいた。

 

「何!」

 

 追跡者の声だけが響き、彼は背後を振り向く。

 

「確かに、あんたは土の上じゃあ、足跡無しで移動できるわけじゃあないんだね、完全な透明

人間にはなれないようだわ」

 

 それはミッシェルだった。たった今、麻酔銃の前に気を失ったはずの彼女だったが、地面か

ら倒れた姿勢のまま、男の足へと手を伸ばしていた。

 

 彼女は、負傷した状態から起きたかのように、体を立ち上がらせる事はできないようだった

が、確かに麻酔からは目が覚めている。

 

「馬鹿な!その麻酔銃を食らったからには、熊でも2時間は眠っているはずだ!すぐに起きる

ことなどできん!」

 

 森の中に響く男の声。声は聞えていても、その姿を見ることはできない。

 

「さあ、当たったように見えて、実は当たっていなかったんじゃあない?」

 

 足元が震えつつも、ミッシェルはその場から立ち上がった。

 

「そうか?じゃあ、もう一発撃ち込むまでだ」

 

 ミッシェルは目もうつろで、目の前の視界もぼやけているようだった。見えない男が麻酔銃を

撃ち込もうと思えば、目をつぶってでも撃ち込むことができただろう。

 

 しかしその時、背後から何かが迫ってくる事に男は気が付いたようだった。

 

 彼が反応する暇も無い、突如として、森の木の陰から飛び出してきた、バイクに跨ったアリエ

ルが、ミッシェルの目の前を通過する。

 

 その時、何も無い場所で、バイクと何かが接触する音が森に響き渡った。

 

 アリエルは、バイクが見えない何かとぶつかった事によって森の地面へと投げ出され、頭か

ら木にぶつかった。

 

 すかさずミッシェルは、地面に落ちていた自分の銃を拾い上げ、それに取り付けられていた

レバーを引いた。

 

 すると、あっという間に銃は分解し、そのボディの中から細い針のような剣が現れる。ミッシェ

ルは、それをアリエルのバイクのすぐ側の地面へと突き立てた。

 

 彼女は地面へと剣を突き立てたのではなかった。真っ赤な色のインクのようなものが、森の

地面へと広がっていく。

 

 バイクは、透明な何かに持ち上げられたような姿となっており、見えない男の位置を見つける

のは、ミッシェルにとっても容易な事だったのだ。

 

 その真っ赤な色が森の地面をあるところまで染め上げたとき、バイクのボディの下敷きとなっ

た、一人の男の姿が現れた。

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「母さん、どうして?」

 

 アリエルは、男にぶつけたバイクを起こしながらミッシェルに尋ねていた。

 

 ミッシェルは身を起こして、たった今、剣を突き刺したばかりの男の体を探っていた。

 

「ああ、この剣の事?さっきは猟銃の姿をしていたでしょう?でも、銃としても、剣としても使える

ように私が二つを組み合わせて改造しておいたの」

 

 男の体に突き立てられたばかりの剣は、その針のような刃先に血が付いたままになってい

る。

 

 かなり深々と刺さったらしく、刃の中ほどまで血に濡れていた。

 

「そうじゃあなくって、母さん、麻酔銃で撃たれたはずでしょう。なのに、どうして」

 

 アリエルはミッシェルの姿を見つめてそう尋ねた。彼女は倒れた男から目線を上げ、アリエル

の姿を見てくる。

 

 そうして見上げてきた母の姿が、アリエルにとっては何だか恐ろしい存在のように見えてい

た。

 

「わたしもあなたも『能力者』。そうでしょう?」

 

 その養母の答えが、アリエルにとっては何だか謎かけのようにも聞えていた。

 

「じゃあ、私も、麻酔銃で撃たれても平気なの?」

 

「いえ、そういう訳じゃあないの。あなたはこの麻酔銃に入っている弾で撃たれたら、多分明後

日まで寝ていたでしょうね」

 

 と言いつつ、ミッシェルは男が持っていた麻酔銃を持ち上げた。

 

 それは銃の姿をしていたが少し小型で、ミッシェルが引き抜いたカートリッジの中には、ずら

りと麻酔の入った針が入っているようだった。

 

「じゃあ、どうして?」

 

「それは後で話すとして、この麻酔銃。『タレス公国』の軍用品ね。とても良い性能をしているわ

よ。この国ではこんなに性能の良い麻酔銃は軍用にも使われていない」

 

 ミッシェルはその銃をアリエルに見せ付けるようにして、そう言ってきた。

 

「そういう事って、私は分からないんだけど」

 

 ミッシェルはようやくその場から立ち上がった。アリエルが見たところ、どこも体に負傷した気

配は無いようである。しかも麻酔銃の麻酔からは完全に覚め切っているらしく、首筋に入った

麻酔の針の痕もほとんど残っていないようだった。

 

「こいつは、『ジュール連邦』の『国家安全保安局』の人間じゃあないって事よ。あいつらだった

ら、外国産であっても、自分達の国の軍のロゴを入れた麻酔銃を使おうとするもの」

 

 ミッシェルが、アリエルに麻酔銃を見せてそう言った。

 

「じゃあ、この人は、一体?」

 

「『スザム解放軍』の一員。あなたとわたしを狙ってくる連中なんて、他には考えられないわ。ど

うやら、奴らも本気でわたし達を捕らえたいみたいね。『能力者』をけしかけて来ている事から、

相手も相当に焦っている。すぐに行動しないと」

 

 と、口にしたミッシェルは、じっと、たった今、自分が倒した男を見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「マクニコフが動き出した?」

 

 暗い倉庫の中にシャーリの声が響いた。

 

「うん。ピコーンピコーンって、発信機が動いているよ」

 

 コンピュータデッキの前に座っているレーシーが、シャーリの顔を見上げてそのように答えて

きた。

 

 シャーリも目の前に表示されている、『ジュール連邦』西部の地図に赤いポイントが表れ、そ

れが移動しているのを目にしていた。

 

「って事は、アリエル達を捕らえた。だから引き返して来ている?」

 

 腕組をした彼女は、光学モニターに表示されているポイントを見つめ、そう呟く。そのポイント

は、少しずつだがゆっくりと彼女達の方へと近付いてきていた。

 

「でも、連絡も何も無いよ?」

 

 頭を指で撃つ素振りを見せ、レーシーが答えるのだった。

 

「もう少し待ってみるわ。だけれども、マクニコフは、敗れたのかもしれない。あの親子を捕らえ

にいったけれども、逆に返り討ちに遭った。あいつの持っていた携帯電話を、アリエルかミッシ

ェルかが奪ったから、発信機が動いている。それもこちらの方に」

 

 まるでレーシーに再確認するかのようにシャーリは呟く。

 

「予定通りっていう事?」

 

「そう。まさにその通り。あの親子はわたし達が張った罠にまんまと引っかかってくれたのよ」

 

 と言うと、シャーリはショットガンを取り出して、それを手に持つと、倉庫の奥の方へと向って

いった。

 

「じゃあ、あいつはもう用済みなの?」

 

 レーシーが、倉庫の奥の方へと向うシャーリの背中に言葉を投げかける。

 

「いいえ、まだ使い道はあるわ」

 

 シャーリは冷たく、倉庫に響き渡るような声で、ただそれだけ答えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 国道77号線 8:14 P.M.

 

 

 

 

 

 

 

 アリエルは夕闇に落ちそうで落ちない、白夜の国道を疾走していた。前方には養母の運転す

るジープが走っている。タイヤはパンクさせられてしまっていたが、それをミッシェルは手早くタ

イヤを交換して、再び走る事ができるようにしていたのだ。

 

 アリエルは自分のバイクに乗り、母と共に、《ボルベルブイリ》を目指していた。

 

 

 

 

 

 

 

 1時間前

 

 

 

 

 

 

 

「《ボルベルブイリ》に来るようにって言っているの?その人は?」

 

 アリエルがログハウスの中でミッシェルに尋ねていた。発電機が故障してログハウスの中は

真っ暗だったが、ミッシェルは充電済みの携帯端末を使う事によって、ネットワークと通信をす

ることが出来ていた。

 

 ミッシェルに言わせれば、その携帯端末を使っても、外部に情報を読み取られる事は決して

無いという。

 

 しかしアリエルは、不審げにミッシェルの方を見上げていた。

 

「正確に言うと、《ボルベルブイリ》の《チャコフ港》ね。明日の朝8時にそこで待ち合わせをする

そうだわ」

 

 それは自分が荷物配達のアルバイトをしていた所だと、アリエルはすぐに分かった。

 

 その港に再び養母と一緒に行くという事は、何だか、過去の過ちを思い起こさせられている

ようで、とても嫌な気分ではあった。

 

 だが、

 

「明日の朝8時にそこに行けば、本当にその人が、私達を助けてくれるの?」

 

 と、アリエルは呟いて養母に尋ねた。

 

「ええ、彼はそう言っているもの」

 

 ミッシェルは、携帯端末が表示している画面に見入っている。暗いログハウスの屋根裏部屋

の中で、その画面はぼうっと光り、文字を表示していた。

 

 ミッシェルは端末のボードを使って、文字を打ち込み返信する。

 

「でも、本当にその人が信用できるの? 私、もう母さん以外、誰も信用したくないよ」

 

 アリエルは屋根裏部屋の端で身を縮め、そのように呟く。

 

 ミッシェルはそんな彼女の方を振り向いた。

 

 幼い頃から、今に至るまで、ずっと快活で前向きだった彼女が、そのように身を縮めて何か

に怯えている。無理も無い。

 

 ここ2日間で起きた出来事は、アリエルにとってあまりに刺激が強すぎる。

 

 だから、ミッシェルはそんな彼女を何としてでも守ってあげたかった。

 

「大丈夫。大丈夫だから。この人は信用できる。もう何十年も前からわたしの知り合いなんだか

ら」

 

 アリエルの側に寄り、彼女と同じ目線になってミッシェルは答えていた。

 

 ミッシェルの口から出てきた言葉は、アリエルを安心させる目的で言ったもの。しかし彼女は

自分自身で、それは自分に対しても言い聞かせたもののように聞えていた。

 

 信用できると自分で言っておきながら、自分達の身を全て委ねるほど安心はできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし1時間後、ミッシェルは、ジープを運転し、アリエルと共に《ボルベルブイリ》へと向って

いた。

 

 例え何十年も前から自分に仕えてきて、今も情報を提供してくれる、信頼できる相手だったと

しても、油断はならない。

 

 考えられる最悪のパターンは幾らでもあった。

 

 だが、ミッシェルは自分自身が、まだ若いアリエルを守るため、いなくてはならない人間だと

自分で言い聞かせる。

 

 これから何が待ち構えていようとも、ミッシェルにとってアリエルは、今の生きがいなのだか

ら。

 

 

 

 

 

 

 

「さてと、あなたの元上官は、まんまとわたし達の罠に引っかかってくれるみたいよ?」

 

 暗い倉庫の奥の部屋で、シャーリが自信も露にそのように言い放っていた。肩にはショットガ

ンを片手で担いでいる。

 

 シャーリと対していたのは、ソファーへと縛り付けられた男。

 

 ショットガンを構えた相手が目の前にいるのに、男は怯える様子も命乞いをする様子も見せ

ていなかった。

 

 どうやらもう自分を死んだものとして、開き直ってしまっているようだった。

 

「わたしの元上官は、お前達テロリストの手に落ちたりはしない。罠に引っかかるはずも無い」

 

 と、その男はシャーリに向って言ってくる。テロリスト、と言う言葉が、シャーリの気に触れた。

 

「また言ったな?テロリストって!」

 

 シャーリはショットガンをその男に向けると、引き金に指を当てた。

 

 彼女にとっては自分の感情を抑える必要などもう無かった。こいつは既に用済みなんだか

ら、どうしてやろうと何も問題は無い。

 

 倉庫の中には、耳をつんざくような音が響き渡り、シャーリの顔には血痕が飛んできた。

 

 不思議だった。自分の感情を激しく揺さぶるような怒りも、自分の手にかけて、ショットガンの

弾を撃ち込んでやれば、奇妙な喪失感に襲われてしまう。

 

 怒りをぶつける前は、あれだけショットガンを撃ち込んでやりたい。そう思っていたのに、もう

怒りをぶつける対象がいなくなってしまうと分かると、どうしていいのか、やるせない気持ちに襲

われる。

 

 シャーリはショットガンを構えた姿勢のまま、ただ呆然と目の前の男を見つめていた。

 

 だが、次の獲物は、そんな怒りをぶつけるのにうってつけな相手だった。多分、ショットガンを

一発撃ち込んでやる以上の解放感を味わうことが出来るだろう。

 

 アリエル。待っているから。早くわたしの元に来て。

 

 

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―Ep#.05 『グリーン・カバー』―

説明
東側の国で、アリエルはテロリスト達から逃れるために、自分の養母の助けを得ようとするのですが、そこにもテロリスト達は襲い掛かってくるのでした。テロリストの中には、アリエルと幼馴染のシャーリもおり―。

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