少女の航跡 短編集06「ファンタスマ」-1
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 その日、『リキテインブルグ』の《シレーナ・フォート》では、何年かに一度の激しい嵐に襲われていた。

 西域大陸の都市の中でも最南端に位置する《シレーナ・フォート》だったが、その温暖な気候も、時として牙を向くような事もある。そのひとつが嵐だった。

 嵐が訪れると、海は荒れ狂い、大雨が降り、風は『リキテインブルグ』の草原を吹き荒れる。これは一過性のにわか雨とは違い、丸一日、街が嵐に襲われてしまうようなことも少なくはなかったのだ。

 しかも、今年の嵐は普通ではなかった。

 まるで、海の神が怒り狂ったかのように、嵐は吹き荒れており、港に停泊している船さえも次々と転覆して沖へと流されるほどだった。沖合いでは無理な漁を強行した船が転覆し、《シレーナ・フォート》の屈強な城壁にも雨は叩き付けてきていた。

 空は、まだ日中だと言うのに暗闇に覆われてしまい、さながら世界の終わりであるかのような様相を見せていた。

 いつもの嵐ならば、《シレーナ・フォート》の、広大な海上要塞を支えている城壁が全てを守ってくれる。しかし、今年の嵐は違う。港と城下町を仕切る城壁の扉を打ち破って、城下町内部へと雨は浸水してきていたのだ。

 街の中心部。宮殿がある場所は無事だったのだが、港に近い、運河沿いの街はそのように行かなかった。

 大量の雨水と海水が、港近くの建物、そして家々へと襲い掛かってきていた。

「おおーいッ! 早く土嚢だ! 土嚢をくれ! 水が入ってきちまうッ!」

 城下町に響く誰かの声。しかしその声は、激しく打ち付ける雨の音によってかき消されてしまっていた。

 続いて港からやって来た鉄砲水が、そんな誰かの体に叩きつけ、一気に大勢の人々が水によって流されていく。

 城壁内部の港の入り江へと入り込んで来た波は、城下町の家々へも入り込んできてしまっていたのだ。

 特に城下町でも、港の近くの家々の被害は甚大だった。

 誰かの鳴き声が、雨の音の中に混じって響き渡っている。

 子供の泣き声だった。家の屋根の上に取り残されてしまい、一人ぼっちになってしまった子供。

 次々と叩きつけてくる雨と、風は容赦が無かった。だが、その子供は一人ぼっちでただ取り残されていた。

 親も、近所の人も、港から上がってきた波によって流されていってしまい、子供の乗っている屋根を持つ家さえも、土台から海へと流されてしまっていたのだ。

 その子供の泣き声が、一層高らかに響き渡る。激しい雷雲、豪雨だったが、奇妙にその子供の泣き声は大きく響き渡っていた。

 しかも子供の泣き声は一つのものではない。幾つもの、大勢の子供達の声が折り重なって、さらに一層大きく響き渡っていたのだ。

 その子供達の泣き声は、嵐の音よりもさらに大きく響き渡り、天へと舞い上がっていった。

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「ピュリアーナ女王陛下。『セルティオン』から、教皇執政官のイザベラ・コパフィールド殿がやって参りました。お通しても構わないでしょうか?」

 『リキテインブルグ』の《シレーナ・フォート城》の王宮最上層。燦燦と日が照りつけ、ステンドガラスによって、更に落ち着いた色合いへと変えられた光が差し込む、ピュリアーナ女王の居室。

 一人のシレーナが恭しく跪き、椅子に座り、優雅なたたずまいを見せるピュリアーナ女王に報告した。

 ピュリアーナ女王は、背中から生えた大きな白い翼を優雅に動かし、王座に座る姿も優美だった。しかし、どこか顔つきだけは氷のような冷たさがある。彼女は今年で30を過ぎる年齢だったが、その美貌は依然として衰えない。シレーナという種族ゆえだろう。

「構わん。通せ」

 ピュリアーナ女王は側近のシレーナにそれだけ言った。ハープを奏で、歌声を上げる時は、人間の男なら卒倒すると言われるくらいの美しい声を出せる女王だったが、普段の声は低く、また口調も厳しい。

「はい、只今…」

 側近のシレーナがピュリアーナ女王から目線を外し、扉の前に立つシレーナの方を向くと、暗黙の了解のうちに、扉の脇に立つ2人のシレーナは、女王の居室の扉を開くのだった。

 そこに現れたのは、紫色の装束を纏い、独特の形の帽子を被った、一人の女の魔法使いだった。彼女はまるで童女のような風貌を持っており、実際、彼女は背も低く、体格も、人間やシレーナで言ったら、12,3歳くらいのものしかない。

 だがそこに現れたのは、『セルティオン』の教皇執政官の、イザベラ・コパフィールドであるという事は誰しもが知っていた。

「これはこれは、ピュリアーナ女王。ご機嫌麗しゅう…」

 イザベラは、ピュリアーナ女王の前にやってくるなりそう言うのだった。声もとても幼く聞える。

「イザベラ・コパフィールド殿。よくぞ参られた。感謝している…」

 ピュリアーナは、普段側近や部下の前では見せないような恭しさで、目の前の童女のような女に態度を見せた。

「急ぎのご用件という事で、さっそく本題に入らさせて頂きますよ…。この《シレーナ・フォート》の地下で起こっている事件の事ですが…」

 イザベラは早速本題に入りだした。まるで童女のような姿をしているものの、彼女は頭脳明晰で礼儀正しく、しっかりと執政官としての役目は果たしている。事実、『セルティオン』のエドガー王を影で支える存在は、まさに彼女なのだ。

「これは、一般市民から持ち出された話だという事をまず断っておく。それも、港の方、この都市でも末端部に住んでいる者達からの要望だ…」

 そんな彼女を認めているかのように、ピュリアーナ女王はまず断ってきた。確かにイザベラも、一国の執政官という立場にいる以上、末端の市民の要望など、いちいち関わっている暇も無い。時として、ただ国の行なう政治に文句を言ってくるだけの者達さえいる。

 だから、一般市民の意見など、掃いて捨ててしまう。というのが、上流階級や、王族の一般的な考え方。

しかし、ピュリアーナ女王には、そんな末端の一般市民からの要望にも、見逃せない部分を感じたのだろう。

「はい、お聞かせ願えるでしょうか?」

 イザベラはそのように言って、小柄な体ながら、優美な動きで、女王の居室の大きな窓のある部分まで歩いて行った。

 窓は開け放たれており、そこからは大展望の《シレーナ・フォート》の光景を眺めることが出来る。

「ここ数週間ほどになるだろうか。子供達が忽然と姿を消すことがあるそうだ」

 ピュリアーナ女王は、自分は椅子に座りながら、窓の方にいるイザベラにもはっきりと聞える声で話し始めた。

「子供達が?」

 イザベラは聞き返した。

「そう。それも、消えた場所は、この都市の地下にある地下水道だ。地下水道へと通じる道は、しっかりと柵で封じられており、管理組合でないと入れないようになっているのだがな。

 港の方は正直、管理が行き届いているとは言いがたい。子供達が簡単に入れてしまうし、水道の複雑な構造は、子供達にとっても格好の遊び場だろう…」

 イザベラはじっと窓から港の方を見つめた。地下水道は地上からではもちろん見つけることは出来ない。だが、彼女は港の方を見つめることで、何かを感じ取ろうとしていた。

 ピュリアーナ女王は話を続ける。

「その地下水道で、このように子供達が忽然と姿を消してしまうようなことは、今までなかった。だが、ここ数ヶ月、忽然とこのような事が起こるようになった。丁度、嵐があった前後からな…」

 イザベラはそこで初めてピュリアーナ女王の方を振り向いた。

「嵐…、ですか? 10年前のような…?」

「そう、10年前と同じような嵐が、数ヶ月前にも起こった。幸いなことに、10年前に比べれば、城壁も運河も整備されていたから、大した被害にはならなかったのだがな。10年前、私がこの座についたばかりの頃に起きた嵐は、酷いものだった…」

 ピュリアーナ女王の顔を横から見つめるイザベラは、何かを感じ取ったようだった。

「『ディオクレアヌ革命軍』と、何らかの関係があるとお思いでしょうか…?」

「さあな、私には何とも言えん。地下水道に入ったことも無いし、忽然と子供が姿を消すと言った事も、革命軍の仕業としては不自然だ」

 イザベラは、ゆっくりとピュリアーナ女王の方へと歩いていく。

「それを、このわたくしめに調査して欲しいと、そうおっしゃるのですか?」

「ああ、その通りだ。もちろん、貴殿のような、一国の執政官に任せるような仕事でない、という事も分かっている。だが…。この手の事件は、人間では解決できない。我々シレーナでも、場所が場所だけに…、お分かりだろう?」

 ピュリアーナ女王は顔を上げてイザベラに言ってくる。だが彼女は、全て理解しているという事を、その童女のような顔に浮かべて頷いた。

「承知仕りました、女王陛下。このイザベラ・コパフィールドめにお任せ下さいませ」

 ピュリアーナ女王ですら、あっけに取られるかのように、あっさりとイザベラは了解をしてしまうのだった。

「ほう。随分と簡単に容認してくれるのだな?」

 と、ピュリアーナ女王は言うが、イザベラは、まるで子供のような笑みを浮かべたままだ。

「だって、執政官の仕事なんて、私達魔法使いにとっては、ごくごく簡単でつまらないものなんですよ」

 イザベラはそのように言った。

「ほう…、そうか…、では任せたぞ。イザベラ・コパフィールド…」

 ピュリアーナ女王は変わらぬ声でそのように言い、イザベラも代わらぬ笑みで相手に返した。

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「ピュリアーナ女王陛下。『セルティオン』から、教皇執政官のイザベラ・コパフィールド殿がやって参りました。お通しても構わないでしょうか?」

 『リキテインブルグ』の《シレーナ・フォート城》の王宮最上層。燦燦と日が照りつけ、ステンドガラスによって、更に落ち着いた色合いへと変えられた光が差し込む、ピュリアーナ女王の居室。

 一人のシレーナが恭しく跪き、椅子に座り、優雅なたたずまいを見せるピュリアーナ女王に報告した。

 ピュリアーナ女王は、背中から生えた大きな白い翼を優雅に動かし、王座に座る姿も優美だった。しかし、どこか顔つきだけは氷のような冷たさがある。彼女は今年で30を過ぎる年齢だったが、その美貌は依然として衰えない。シレーナという種族ゆえだろう。

「構わん。通せ」

 ピュリアーナ女王は側近のシレーナにそれだけ言った。ハープを奏で、歌声を上げる時は、人間の男なら卒倒すると言われるくらいの美しい声を出せる女王だったが、普段の声は低く、また口調も厳しい。

「はい、只今…」

 側近のシレーナがピュリアーナ女王から目線を外し、扉の前に立つシレーナの方を向くと、暗黙の了解のうちに、扉の脇に立つ2人のシレーナは、女王の居室の扉を開くのだった。

 そこに現れたのは、紫色の装束を纏い、独特の形の帽子を被った、一人の女の魔法使いだった。彼女はまるで童女のような風貌を持っており、実際、彼女は背も低く、体格も、人間やシレーナで言ったら、12,3歳くらいのものしかない。

 だがそこに現れたのは、『セルティオン』の教皇執政官の、イザベラ・コパフィールドであるという事は誰しもが知っていた。

「これはこれは、ピュリアーナ女王。ご機嫌麗しゅう…」

 イザベラは、ピュリアーナ女王の前にやってくるなりそう言うのだった。声もとても幼く聞える。

「イザベラ・コパフィールド殿。よくぞ参られた。感謝している…」

 ピュリアーナは、普段側近や部下の前では見せないような恭しさで、目の前の童女のような女に態度を見せた。

「急ぎのご用件という事で、さっそく本題に入らさせて頂きますよ…。この《シレーナ・フォート》の地下で起こっている事件の事ですが…」

 イザベラは早速本題に入りだした。まるで童女のような姿をしているものの、彼女は頭脳明晰で礼儀正しく、しっかりと執政官としての役目は果たしている。事実、『セルティオン』のエドガー王を影で支える存在は、まさに彼女なのだ。

「これは、一般市民から持ち出された話だという事をまず断っておく。それも、港の方、この都市でも末端部に住んでいる者達からの要望だ…」

 そんな彼女を認めているかのように、ピュリアーナ女王はまず断ってきた。確かにイザベラも、一国の執政官という立場にいる以上、末端の市民の要望など、いちいち関わっている暇も無い。時として、ただ国の行なう政治に文句を言ってくるだけの者達さえいる。

 だから、一般市民の意見など、掃いて捨ててしまう。というのが、上流階級や、王族の一般的な考え方。

しかし、ピュリアーナ女王には、そんな末端の一般市民からの要望にも、見逃せない部分を感じたのだろう。

「はい、お聞かせ願えるでしょうか?」

 イザベラはそのように言って、小柄な体ながら、優美な動きで、女王の居室の大きな窓のある部分まで歩いて行った。

 窓は開け放たれており、そこからは大展望の《シレーナ・フォート》の光景を眺めることが出来る。

「ここ数週間ほどになるだろうか。子供達が忽然と姿を消すことがあるそうだ」

 ピュリアーナ女王は、自分は椅子に座りながら、窓の方にいるイザベラにもはっきりと聞える声で話し始めた。

「子供達が?」

 イザベラは聞き返した。

「そう。それも、消えた場所は、この都市の地下にある地下水道だ。地下水道へと通じる道は、しっかりと柵で封じられており、管理組合でないと入れないようになっているのだがな。

 港の方は正直、管理が行き届いているとは言いがたい。子供達が簡単に入れてしまうし、水道の複雑な構造は、子供達にとっても格好の遊び場だろう…」

 イザベラはじっと窓から港の方を見つめた。地下水道は地上からではもちろん見つけることは出来ない。だが、彼女は港の方を見つめることで、何かを感じ取ろうとしていた。

 ピュリアーナ女王は話を続ける。

「その地下水道で、このように子供達が忽然と姿を消してしまうようなことは、今までなかった。だが、ここ数ヶ月、忽然とこのような事が起こるようになった。丁度、嵐があった前後からな…」

 イザベラはそこで初めてピュリアーナ女王の方を振り向いた。

「嵐…、ですか? 10年前のような…?」

「そう、10年前と同じような嵐が、数ヶ月前にも起こった。幸いなことに、10年前に比べれば、城壁も運河も整備されていたから、大した被害にはならなかったのだがな。10年前、私がこの座についたばかりの頃に起きた嵐は、酷いものだった…」

 ピュリアーナ女王の顔を横から見つめるイザベラは、何かを感じ取ったようだった。

「『ディオクレアヌ革命軍』と、何らかの関係があるとお思いでしょうか…?」

「さあな、私には何とも言えん。地下水道に入ったことも無いし、忽然と子供が姿を消すと言った事も、革命軍の仕業としては不自然だ」

 イザベラは、ゆっくりとピュリアーナ女王の方へと歩いていく。

「それを、このわたくしめに調査して欲しいと、そうおっしゃるのですか?」

「ああ、その通りだ。もちろん、貴殿のような、一国の執政官に任せるような仕事でない、という事も分かっている。だが…。この手の事件は、人間では解決できない。我々シレーナでも、場所が場所だけに…、お分かりだろう?」

 ピュリアーナ女王は顔を上げてイザベラに言ってくる。だが彼女は、全て理解しているという事を、その童女のような顔に浮かべて頷いた。

「承知仕りました、女王陛下。このイザベラ・コパフィールドめにお任せ下さいませ」

 ピュリアーナ女王ですら、あっけに取られるかのように、あっさりとイザベラは了解をしてしまうのだった。

「ほう。随分と簡単に容認してくれるのだな?」

 と、ピュリアーナ女王は言うが、イザベラは、まるで子供のような笑みを浮かべたままだ。

「だって、執政官の仕事なんて、私達魔法使いにとっては、ごくごく簡単でつまらないものなんですよ」

 イザベラはそのように言った。

「ほう…、そうか…、では任せたぞ。イザベラ・コパフィールド…」

 ピュリアーナ女王は変わらぬ声でそのように言い、イザベラも代わらぬ笑みで相手に返した。

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「イザベラ殿。ここが地下水道の入り口です」

 イザベラの目の前では、錆付いた鉄格子が開かれていた。今まで一度もその口を発せず、まるで物言わぬ人形のようにここまで付いてきたシレーナが、鍵を使って開いてくれたのだ。

 地下水道の入り口は、港の目立たない場所にある、倉庫の奥にあった。この辺りの建物は、皆それぞれ内扉などで繋がっている。一つの建物が幾つもの住居や倉庫などを兼ね揃えてしまっている場合がほとんどだ。

 だから倉庫の中に地下水道の入り口もあったし、その入り口の向こう側には、誰かの家があるはずだった。そんな市民にとっても身近な場所に、子供達がいなくなってしまうような地下水道の入り口がある。

 錆付いた、『リキテインブルグ』王家の刻印が施された門をイザベラは潜り、地下水道へと入っていく。

「申し訳ございません」

 門を潜ったイザベラに、背後からシレーナがそう言った。イザベラは背後を振り返る。

「私共、シレーナは、大空を舞うことは出来ますが、地下や狭いところに入る事はできません。どうしても、耐えられないのです」

 と、人形のように無表情な顔でシレーナは言った。彼女の言った事についてはイザベラも良く知っている。

 シレーナは狭い所、そして暗い所には耐えることができない。人間が長く水中に潜る事ができないのと同じなのだ。

 だから、ここからはイザベラ一人でいかなくてはならなかった。

「もしよろしければ、今からでも遅くはありません。人間か亜人の護衛を付けて差し上げましょうか?」

 と、シレーナは言ってきたが、それはイザベラは断ったはずだった。

「いいんですよ。別に。せっかくの大冒険。一人で行くから楽しいんじゃあないですか」

 軽やかにイザベラは言い、彼女はまるでステップでも踏むかのようにして、《シレーナ・フォート》の地下水道へと入っていった。

 

 

 《シレーナ・フォート》の地下水道は、イザベラが思っていたよりも暗く、そして深かった。《シレーナ・フォート》という四方5キロメートルに及ぶ巨大城塞を支える基盤的な意味もある所だから、その構造も広大だったし、複雑な造りになっている。

 イザベラの目的は、ここに迷い込んだ子供達を救う事。そして、突然、子供達が姿を消した原因を探るという事にあった。

 だが、ここまで地下水道が広大だとは、イザベラも思っていなかったのだ。

 入り口こそ、港の目立たない場所にあった小さな扉でしかなかったが、巨大城塞を支える構造は、人の常識を超えている。

 まるで昔の宮殿のような施設が、《シレーナ・フォート》の土台を支えていた。しかも、イザベラがいるのは、その宮殿のほんの一部分の場所であって、更に下にも四方にも、奥深い構造が広がっているのだ。

 イザベラは、魔法使いだったから、自分の魔力を使って、ランプに火を点し、それを彼女が望む限り長く維持することが出来た。だがその灯りは十分なものだったものの、全てを照らし出すには足り無すぎる。一部分しか見ることができない。

 地下水道として流れている水は、その下の部分を流れているらしかった。

 階段を何段も降りて、イザベラは地下構造を進んで行く。地下水道でも、港周辺の部分の詳細な図面は、ピュリアーナ女王から与えられていたのだが、それがあっても、人間ならば迷ってしまうかもしれない。

 だが、イザベラには、人間にはありえない、超感覚が存在していた。

 この地下水道には、多くのものがいる事を、イザベラは直感してすぐに理解した。多分、人間がこの場所に来ても、長年篭ってしまった匂いや、得体の知れない空気、底の見えない闇しか感じることはできないかもしれない。

 だが彼女ははっきりと、それ以上の気配を感じていたのだ。

「こんにちは。わたしと話をしたいって言う子はいるかしら?」

 地下水道に響き渡るような声でイザベラは言っていた。それは、人が聞いても理解できる意味の言葉で、人間が聞いたならば、ただの言葉でしかない。

 だが彼女の呼びかけは、人だけではなく、それ以外の多くのものに聞えていた。

 多くのものは、彼女の声に驚き、慌てて身を隠すか逃げたりした。それは、ねずみだったり、地下水道に住んでいる様々な生き物だった。

 だが、彼女の呼びかけに興味を示し、近付いてくるものもいた。

 イザベラはその何者かを、近付いてくる空気の気配、そして、人間には理解できない感覚で理解した。

「こんにちは。あなたはどなた?」

 と、イザベラは、近付いてきた気配に尋ねた。

 すると、彼女の足元を流れている水の中から、何かが形成されてきた。何か物体か生き物が姿を見せたのではない。下水が形となって彼女の前へと姿を現したのだ。

 イザベラの体格ほどの大きさまで水は膨れ上がると、そこに、若い娘の姿が現れた。といっても、体の全てが水で出来上がっており、しかも下水から形成されているせいか、かなり濁って見える。イザベラが松明で照らし出す光でも、はっきりとその濁りは現れていた。

「まずは、あなたから名乗って頂けないかな? 礼儀だよ」

 水から泡が出てくるような音と共に、その少女は言ってきた。実際、彼女は肉体を持っているわけではないから、泡の音を巧みに操って音を出しているのだ。

「あらあら、ごめんなさい、私はイザベラ。魔法使い一族の末裔よ。ここには訳あって来たの」

 イザベラは、若い娘同士で話を始めるかのように切り出した。

「魔法…、使い…? よく分かんないけど、あたしと話ができる人なんて珍しい…。誰も相手をしてくれないんだもん。あたしは、水の精のフィーネ…。昔は上の運河に住んでいたんだけど、今はわけあってここに住んでいるの」

 そう言ってくる水の精霊を、イザベラはまじまじと見つめた。

彼女達、精霊と呼ばれる存在は、人間や他の生き物と同じように肉体というものを持っていない。イザベラが炎を作り出すときに使う魔力のような力が集って、意志を持ち、それが水を人の姿にしているだけだ。

 普通、このような精霊が、人間の前に姿を見せることは無い。他の亜人の前でも姿は見せない。イザベラのような魔法使いか、エルフでもなければ、会話すらできないのだ。

 だからイザベラは一人でここにやって来た。人間でも連れて来ようならば、彼女達は怖がって姿を見せてくれないのだ。

 だが、そんな意志も自然界にある水ならばまだしも、こんな地下水道の、人が汚して流したような水を媒体に姿を現す理由は、少し分からなかった。

「ふーん。フィーネちゃんは、ずっとここにいるの?」

 イザベラは相手と目線を同じにして尋ねた。

「ここ10年くらいはずっとだけど…?」

 10年もこんな暗がりにいたのかとイザベラは思った。精霊達は、自分達魔法使いよりも気まぐれなのだという事を、彼女は知っているけれども、このフィーネは例外な部類だろう。

 だが、10年もここにいるのならば話は早かった。

「じゃあ、フィーネちゃんは、この辺りにまで遊びに来た子供達を知っている?」

 イザベラが言うと、彼女はいとも簡単に答えを出してしまった。

「こども…、達? ああ、ときどき来るよ。多分、今もこの暗い場所で遊んでいるはずだよ。ずっと、あっちの方でね…」

 精霊は、地下水道の更に奥の方を指差した。

「あ、あら、そう…? そ、それで、その子達は元気なの…?」

「そりゃあもう! 元気一杯で、いつもうるさいくらい!」

 だが、彼女の言葉をそのまま鵜呑みには出来ない。イザベラは少し不審に思うのだった。

「それじゃあね。教えてくれてありがとう。あたしは先に行かなきゃならないから…」

 と言って、イザベラが更に地下水道の奥へと行こうとした時だった。

「気をつけてね…」

 背後から水の精霊が言ってくる。

「大丈夫だって。あたしはこう見えても立派な大人なんだから」

 そう言ったのだが、

「それも、だけれども…。だからこそ、その子達に気をつけてね、って言ったの」

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 イザベラは更に地下水道を先に進み、 やがて、ある大きな扉の前に辿り着いた。地下水道に突然現れたその扉は、《シレーナ・フォート》の土台を支える塔の一つに備え付けられており、どうやら地下水道を管理する施設の一つらしい。

 だが、長年使われていないことは目に見えて明らかだった。扉は錆付いており、ところどころに苔がむしている。

 鍵はかけられていないらしかった。イザベラはその扉を押してみたが、どうも開くという気配がない。

 どうやら、相当錆びてしまっているらしい、しかも何かが、扉の反対側から突っかかってきているらしく、それが扉にかんぬきをかける形になってしまっているようだ。

 これではとても開くことが出来ない。

 だが、イザベラは感じていた。この扉の向こうに、確かに何かがあるという事を。

 そして、彼女は、重たい鉄の扉越しに、その先にあるものこそ、自分が探しているものに違いないと言う事も分かっていた。

 何とか開ける方法は無いかと、イザベラは考えた。この重たい鉄の扉は、彼女が持っている魔法の力をもってしても開くことはできないだろう。

 もしこの扉に、何か、例えばさっきのフィーネのような精霊が住み着いているならば、お願いして扉を開かせてもらう事もできる。

 だが、この扉のように、厚い無機質な扉には、何者も住んでいなさそうだった。

 イザベラにとっては、硬く閉じられたこの扉を開くことが出来ないだろうと思い途方にくれる。

 さっき、水の精霊が言っていた、子供達の遊び場とは、多分ここの事だ。この扉を開けることが出来なければ、子供達と会うこともできない。

 しかしその時、

「ねえ…、何をそんなに困っているの…?」

 突然聞えてきた声に、イザベラは驚かされた。どこから聞えてきたのだろう? 扉の方からか?

 イザベラは再び扉に手を当てて、そこから何かを感じ取ろうとした。さっきとは違う、別の気配が扉から流れてきている。

「この扉の中に入りたいの…、ねえ?」

 今度はイザベラの後ろからその声が聞えて来る。彼女は思わず振り返り松明でかざした。すると、そこには、地下水道の暗闇の中に一人の男の子が佇んでいるではないか、

「あ、あなたは…?」

 何故こんな所に、男の子が一人でいるのか。もしかしたら、行方不明になっていた子の一人ではないのか。イザベラはすぐにそう思った。

 しかし、どうも様子がおかしい。

「君も、一緒に遊びたいの?」

 イザベラの前に現れた男の子は、向こう側の景色が透けて見えていた。はっきりとした実体があるわけではなく、まるで空気のような存在のようだ。

 だが、さっきのフォーネのような存在とは精霊とは違う。それをイザベラははっきりと感じていた。この男の子はどことなく虚ろな表情をしていて、まるで夢でも見ているかのようである。

「あなた…、もしかして…」

 男の子に近付いてみて、はっきりと理解できた。この子は、地下水道に住み着いている精霊では無かった。かといって、生きている人間の子供でもない。

 この男の子の存在が何であるのか、イザベラもよく知っていた。

「ねえ、どうしたの…?」

 うつろな目で見てくる男の子。この存在は、人間の言葉で言えば、すでに生きていない存在、つまり幽霊と言うだろう。

 生きていないにもかかわらず、この世界にいたままの存在となっている、生者と死者の間の存在。

 イザベラ達の間では、霊体と言われている存在に他ならない。

 イザベラの目の前に現れた男の子は、現代の西域大陸南方地方の衣服を着ている事からして、ごく最近霊体になったのだろうという事が分かる。

 それも、どうも、肉体が死んだから霊体になったわけではないようだ。イザベラにはそれが何と無く理解できた。

「こっちに来て、一緒に遊ぼうよ」

 そう男の子は言って、イザベラの手を掴んだ。彼らは姿こそ透けてはいるものの、彼ら自身にはっきりとした握るという意志があれば、どんなものでも掴むことができるし、逆に通り抜けようとすれば、どんなものでも通過できる。

「ちょっと、どこに連れて行くの」

 イザベラが慌てると、男の子は、2人の側にある、大きな扉の前に立った。

「ねえみんな! 新しい子だよ! 女の子だよ!」

 と、男の子は叫んだ。すると、扉の向こう側で、幾つもの気配が動くのをイザベラは感じることが出来た。

 一つ、二つ。最終的には十以上の気配が動くのを彼女は感じた。

 すると、今まで塞がれていた、地下水道の扉が、音を立てて開きだしたではないか。それも、誰かに動かされるわけではなく、一人でに動いていく。

 イザベラは、この扉のように重い扉を動かす、魔法の力を幾つか知っていたが、彼女自身には出来なかったし、イザベラが知っている、どんな魔法の力とも違うようだった。

 扉が開いた先には、広い施設が広がっていた。

 どうやら、地上の《シレーナ・フォート》の大きな施設の下水を海に流すためにある施設らしく、太い水道管は下へと伸びている。

 煉瓦によって塗り固められた壁は、さながら分厚い城壁のようになっている。まるで一つの城か砦であるかのようにも見えた。

 そして、そんな地下施設に、子供達はいた。

「わーい! 女の子だよ!」

 何人かの子供達が、イザベラの方へと近付いてきていた。

「でも、何だか、変わった格好をした女の子だな〜? 変な帽子!」

 と口々に言ってくる子供達。イザベラは思わずため息をついた。

 何故なら、彼女の前に現れた子供達は、全員が霊体だったからだ。つまり肉体を持っていない。空気のような存在だったのだ。

 生きているわけではない、かといって死んでいるわけではない子供達が、ここには大勢いたのだ。

「みんな、どうしてこんな所へ?」

 と、イザベラが言った。

「どうしてって? ここが、あたし達の新しい遊び場だからよ」

 霊体になっている子供の内、一人の女の子が、そのように言ってくる。

「遊び場…?」

 イザベラはその場所で見上げた。こんな所が遊び場なんて…。

 とても無機質な姿の場所だ。門こそ硬く閉じられていたが、地下水道としてはきちんと機能しているらしく、滝のような下水が上から下へと流れて行っている。その音だけでも凄いものがあった。

 硬く閉ざされた門。日も差さない暗い地下の洞窟のような施設。子供達がこんな場所にいるだけでもあまりに不自然だった。

 イザベラは、地下施設を歩いていく。ちょうどその施設の中央までやって来たとき、突然、地下の下水の音が激しくなった。

 しぶきが激しく上がり、まるで、その下水に、何か巨大な生き物でも紛れ込んだのかと思えるほどに荒れていく。

 何だろうと、イザベラが滝のように流れ落ちている下水を見上げたとき、そこから飛び出すかのようにして、一人の人間が姿を現した。

 その人間もまた、子供だった。

 イザベラと同じくらいの年頃に見える子供だ。その子供も、体は持っておらず、霊体だった。

 その男の子は、下水から飛び出してくると、イザベラのすぐ目の前に着地して彼女を見上げた。

「やあ、こんにちは。君が新しい子だね…?」

「新しい…、子…?」

 イザベラは聞き返す。この子供達にも、やはり彼女は10歳ほどの年頃の娘にしか見えないようだった。

 イザベラの実年齢が100歳を超えているなんて知ったら、どれだけ驚くだろうか?

「魔法使いの子なんて、珍しいよ。でも、僕らの仲間になったら、もう怖がる必要なんて無いんだ。この場所ならば、僕達はいつまでも子供のまま、いつまでだって楽しく過ごしていけるんだよ?」

「あ、ああ…、そう」

 イザベラは少し戸惑ったが、取りあえず、この子供達に調子を合わせていくことにした。

「僕はビアンコっていうんだ。君は?」

 その男の子は名乗り、イザベラの方へと手を伸ばしてきた。

「イザベラよ…、よろしく…」

 とイザベラは言って、そのビアンコと名乗った、男の子へと手を伸ばそうとした。しかし男の子は、イザベラの目をじっと見つめ、とても子供が立つような声とは思えないほどの、不気味な口調で言うのだった。

「僕達の仲間になったからには、もっと自由にならなきゃあいけないね…」

 イザベラは、そう言って差し出してきたビアンコの手を握る事を躊躇う。しかし、まるで吸い寄せられるようにイザベラの手は相手に掴まれた。

 すると、彼女の体は一気に引っ張られた。だが、体が引っ張られたのではない。彼女自身の肉体から、何かが引きずり出されたのだ。

 それも、イザベラ自身の意識、感覚は、全て引きずり出された方に移っていた。

 彼女は、まるで重い荷物を降ろされ、解放されたかのような感覚を味わう。彼女にとっては、体のほとんどの重さという概念が抜けてしまったくらいに、体が軽くなってしまった。

「おめでとう。これで君も、僕達の仲間だよ」

 そうビアンコはイザベラに言っていた。

説明
少女の航跡の番外編第6話では、子供たちが次々と行方不明になるという怪事件に、魔法使いである、イザベラが調査に乗り出します。イザベラは、フレアーの母親です。
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