少女の航跡 短編集07「暗黒の掟」-1
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 第三紀3393年、トールの月の出来事。

 当時、『リキテインブルグ』の東側の海岸線、別名激動の海岸線は、正に激動とも言える時代にあった。

 20数年前は、『べスティア』『リキテインブルグ』間の戦争があった地域だが、その後、両国の関係が沈静化しても、変わらず勢力を伸ばしている存在があった。

 それが、海賊である。

 『リキテインブルグ』の海域を根城にしている海賊は、組織化された、ある意味で軍隊だった。

 彼らは、統率の取れた部隊として、『リキテインブルグ』の《シレーナ・フォート》から《ハルピュイア》に至るまでの海岸線、さらに『ベスティア』の海岸線全域に対して脅威をもたらしていた。

 海岸線近くの村や町は度海賊の襲撃に遭ってきたし、焼き討ちされて壊滅した村も少なくはなかった。

 この海賊の存在は、ただただ、民の平和を脅かしているだけではなく、『リキテインブルグ』と他国の交易をも妨害している存在でもあった。

 民や、貿易商、そして、船乗り達は、ここ数年で激増した海賊の討伐を、『リキテインブルグ』のピュリアーナ女王、そして『ベスティア』のクローネ大領主に嘆願した。

 海賊掃討作戦は、一度にできるものではない。だが、噂に寄れば、巨大な海賊の大部隊を統率しているのは、一人の女だと言われていた。

 その女は、一箇所に留まる事をせず、常に船で移動しているとの事だ。

その女さえ倒してしまえば海賊の巨大な部隊も、内側から壊滅していく。それが、ピュリアーナ女王の出した結論だった。

 海賊の女首領だという、アンジェリーナをおびき寄せ、海賊の部隊と共に一気に叩くという作戦は、数ヶ月間の海賊の動向をうかがった上で、さらに数ヶ月の準備期間、『ベスティア』との共同作戦と言う形で行なわれる。

 『リキテインブルグ』の激動の海岸線北部の地域にて、その作戦は決行されようとしていた。

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「『リキテインブルグ』南方部隊より、ソフィア・カノーヴァ隊が参られました!」

 《ハルピュイア》近郊にある小さな街が、その作戦のための前哨基地となっていた。すでに多くの兵士達がこの街に集っており、海賊掃討作戦の準備を進めている。

 武装した兵士の中には、まだ若い兵士から、初老の騎士まで老若男女様々だった。大きく分けて、『リキテインブルグ』と『ベスティア』の部隊に分かれている。

 両国間の関係がある程度改善されても、熟練の騎士達は、それぞれお互いの国同士の戦争の経験があった。未だに『リキテインブルグ』も『ベスティア』も、お互いの事をよく思っていなかった。

 そのため、作戦基地も二国の間で、国境でも設けられているかのように分断されている。

 たった今、到着したソフィア・カノーヴァ隊は、『リキテインブルグ』側の部隊だった。

 数日前から続いている豪雨のお陰で、双方の部隊には遅れが現れている。熟練の女騎士によって率いられる、ソフィア隊も例外ではなかった。

 寂れた街、しかし今となっては、兵士達によって要塞のような趣と化されている作戦本部に現れたソフィア隊は、十数名程の部隊になっていた。

「大変遅れました事を、お詫び申し上げる。ソフィア・カノーヴァ。只今到着した」

 凛とした態度を取って、雨避けのために、甲冑の上から被っていたフードを脱いで、隊長であるソフィア・カノーヴァはその顔を露にした。

 作戦本部にいた、『リキテインブルグ』『ベスティア』双方の将校達が、やって来た彼女とその従者達を一瞥する。

 ソフィアが連れている従者達は、非常に若い者達ばかりだった。ソフィア・カノーヴァ自身は40歳にも近付いた歳の熟練した騎士だったものの、彼女は若い兵を育てるのに長けている。

 だから、彼女の従者は皆、騎士になりたての15歳ほどの歳の者達ばかりだったのだ。

「作戦会議は始まっている。さっさと席に付きなさい」

 と、言ったのは、『リキテインブルグ』側で、最も熟練とされている将軍だった。現在の『フェティーネ騎士団』の団長を務めている。

「承知つかまつりました」

 と、ソフィアは言って席に着くのだった。

「それでは、双方の顔が揃った所で、この度の、海賊掃討作戦の作戦について、計画立てましょうか…」

 さっそくと言わんばかりに、『ベスティア』側の作戦参謀を担っている男が言った。彼は全く武装をしておらず、フードを被った怪しげな男だ。彼はこの作戦基地で、自分は作戦を立てるだけと決め込んでいるようである。

 名前は、ビクターと言うらしく、彼は名前以外、自分の素性を明かしていなかった。

「この度、作戦が行なわれるのは、ここから馬で10分ほど行きましたところにある、海岸線沿いの漁村でしてな…。何度も海賊の襲撃に遭っているという…。但し今回はそんな漁村にしっかりと、このような噂を立てておきました。

 “『リキテインブルグ』の代々伝わる、金銀財宝が眠っており、それを、この村の者達が、長年に渡って、隠し続けている”とね…」

 怪しげな口調でビクターは言っていた。その言葉は危険な響きもあり、裏があるような響きもある。

 とても怪しい男だった。『ベスティア』の騎士団の者と言われているが、本当に騎士なのかと疑いたくなってくるような男。

「そんなありきたりな噂に、アンジェリーナとやらの海賊が飛びつくとでも思っているのか?」

 早速、そんな怪しげな男に対して、『リキテインブルグ』側の男の騎士が言った。

「ええ、ただの噂では、飛びつかんでしょう。ですが、事実であるという確証があったならば、海賊共も飛びつかざるをえないのでは?」

 そんな言葉など、すでにかけられる事を予期していたかのように、ビクターは、再び怪しげな口調を放つ口を開いた。

「何?事実だと?こんな所の漁村に、価値のある財宝が眠っているならば、ピュリアーナ女王陛下に、報告をしなければならなくなる」

 と、また別の騎士が言った。

「その財宝は、村人が不当に隠し持っているものだ。漁村の外には噂は漏れないようにと徹底されていた。だが、この作戦で、海賊が撲滅できるというのならば、その財宝を囮として使うしかない」

 しかしその男の口調を遮るかのように、女の声が響く。それは、ソフィア・カノーヴァの声だった。

 彼女は他の騎士達と同じように席に着き、すでにフードを脱いでいる。雨に濡れた彼女の髪と甲冑が輝いていた。

「そう。囮としては、人質なんかよりも、よっぽど海賊共にとっては、財宝がうってつけなのですよ。何しろ、この作戦を自ら申し立てたのは、あなたなのですからね、ソフィア・カノーヴァ…」

 そんな、40に手が届こうという年齢の割りに、まだ魅力的なソフィアを、まるで物色するように見つめ、ビクターが言った。

「何? ソフィアだと…! お前、どうして、財宝について知っているのだ?」

 声を上げたのは、現『フェティーネ騎士団』団長の、リアムという男だった。

「私が、その漁村の出身だからです」

 ソフィアは、用意しておいた言葉であるかのようにそう言った。

「自分の故郷にある財宝を、海賊に差し出そうというのか?いいや、作戦に使うのだったら、自分の故郷自体をも作戦に使おうというのだな? つまりお前は自分の故郷を囮にするということだ。何て奴だ!」

 次々とリアムは言ってくる。しかしソフィアは、リアムのような騎士将軍でもない、一介の小部隊の隊長に過ぎないから、年齢が近くとも、ソフィアは決して頭を上げられない。はずだった。

「何とでも言われて結構! だが、住民は、私の家族も含めて、すでに避難済みだ。作戦に使うのは、無人の漁村だし、囮の住民役は、兵士達が引き受ける。所詮財宝で、多くの民が海賊から救えるというのならば、やるしかないのです」

 彼女はその場から立ち上がり、自分よりも上官であるリアムにそのように言い放っていた。

 ソフィアの、堂々とした口調、経験のある騎士としての姿は、作戦室にいる皆を注目させる。口を噤み、静まり返らせた。

「ほ、ほう…。覚悟は確かなようだな。だが、民に何かあってみろ、お前の責任になるぞ…」

 だが、ソフィアは、

「私の犠牲で、海賊達が殲滅され、そして、民が守られるというなら、どのような罰でも受けましょう…」

 テーブルを介してソフィアとリアムが対峙した。

 しかしそのような二人の間を伺うようにして、ビクターは口を挟んだ。

「それでは、この作戦の詳細について話し合いましょうか…、こちらが、テリアと呼ばれる、漁村の地図になります」

 ソフィアは、周りの様子をうかがい、自分達に注目が集まっている事を知った。

 今は、このように、周囲の足並みを乱している場合ではない。そう思って、彼女は椅子に座った。

 そして背後を振り向いて、そこに立たせている従者に向かって言った。

「おい、お前達。長くなるから、今の内に体を休めておけ」

 まだ若い従者達は、雨の中を歩いてきたままの姿で、雨具のフードさえ被ったままであった。

「はっ!」

 揃った敬礼と共に、ソフィア・カノーヴァの従者達は作戦室から出て行く。

「お前もだ。カテリーナ」

 一人、ソフィアの横に残ろうとしていた、15歳ほどの歳の少女に、ソフィアは言っていた。

 フードの中から、雨に濡れて刃のような銀色の髪と、冷たく濡れているような青い瞳を持つ少女は、

「失礼致します」

 とだけ言って、ソフィアの元を後にした。

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「ふぅ…」

 まだ15歳になったばかりの、うら若き見習い騎士のカテリーナは、ため息と共に、作戦室外の木箱の上に座っていた。

 まだ兵士として幼い、従者でしかない、カテリーナがその身に付けているのは、革でできた、簡素な防具だった。

 騎士にもなっていない、年端もいかない者は、大抵の場合、身動きしやすく軽いそのような防具を着ている。武装していたとしても、大抵、チェインメイルを着込んでいるだけで、従者皆が同じような格好をしていた。

 だから、木箱に座ったカテリーナを取り囲んで見下ろす、同世代のソフィアの従者達も、簡素な装備しか身に着けていなかった。

「カテリーナ。さっさと立ちな!」

 カテリーナよりも数段は体の大きな女が言った。雨は降り続いており、作戦室として使われている建物の外にも、強い雨が降っている。

 そんな雨を顔に受けながら、カテリーナは顔を上げた。

「ソフィア様が戻られるまでは立っていろよ。いくら気に入られているからって、木箱の上に座っている資格は無いね」

 と言って、その女は、カテリーナが座っている木箱を蹴って、彼女の椅子を壊してしまう。カテリーナは泥の地面へと尻餅をついてしまった。

 だが、カテリーナは表情一つ変えなかった。

「また、わたしに絡んでくるの? 飽きないね…」

 代わりにカテリーナはそのように呟いた。目の前に、自分より体格の大きな相手を前にしても少しも怖気づかない。そしてその場から立ち上がる。

「今日こそ良家の出だから、ソフィア様の側にいられるって訳じゃあ無い事を、思い知らせてやるよ!」

 そう言って、大柄な女は、剣を抜いた。彼女の持つ剣は、刃渡りも狭いものだったが、カテリーナの前に立ちはだかる体が大きすぎた。この女、ミーレは、カテリーナより2つだけ年上だったが、身長は20センチ近くは高かった。

 多分、『リキテインブルグ』の南の方の出だから、北の移民の血を受け継いでいるカテリーナよりも身長が成長するんだろう。そうカテリーナは思っていた。

 周りにいるソフィアの従者。男もいて女もいたが、その者達は、皆カテリーナよりも背が高いし。

 彼らにとっては、まだ小柄で、150センチ半ばくらいの背しかなければ、育ちの良さそうなカテリーナが、一番、従者として気に入られている、という事が気に入らない。

 だが、カテリーナはとっくにそんな事を知っていたし、実際、何度も絡まれていたのだ。

 だからカテリーナはいつもと同じように、剣を抜こうともしなかった。

「今日はソフィア様が側にいるから、大丈夫だって言うのかい?いい気になるなよ」

 そういって、ミーレは、カテリーナへと剣を振り下ろしてきた。迫力だけはあったが、カテリーナは軽々と彼女の剣を交わしてしまう。

 小柄なカテリーナだったが、その分、動きは速かった。

「おい! お前達も、さっさとやっちまえよ! 一対一じゃあなければ、こいつもどうしようもないって!」

 ミーレは、自分の取り巻きの者達に言い放った。すると、ソフィアのほかの従者達も剣を抜き、カテリーナへと次々に斬りかかってきた。

 カテリーナは、そんな仲間達の剣を、素早くかわす。彼らは、剣を抜いていたが、カテリーナの方はと言うと剣を抜くことも無く、その刃をただかわすだけだ。

 こんな事をして、もしわたしに傷一つでも付けたら、後でソフィア様に何て言い訳するんだろう?

 カテリーナが考えていたのはそんなことだった。刃を向けられても、恐怖は感じない。多分、ぬかるんでいない地面の上でも同じだ。

 生半可な剣の技術。ただ、迫力だけ見せて、振り下ろしてくる刃ぐらいだったら、カテリーナにとっては、今降っている雨の方がよほど厄介な存在だった。

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「こぉおおお、らああああッ!」

 と叫び声があがったかと思うと、ミーレに向って、突然、素早い誰かが、飛び蹴りを食らわせていた。

 カテリーナに向って剣を振り下ろそうとしていた、ミーレの体は、摘んであった木箱の中に突っ込んでいった。

 皆の注目が、飛び蹴りを食らわせた者へと集る。

 適度に日焼けをした体に、胴鎧だけを纏わせている姿。今のカテリーナより少し高いくらいの身の丈と、短い銀髪交じりの黒髪のその姿は、カテリーナの良く知る人物だった。

「あんた達!こんな事をしていてタダで済むと思っているの?ええ?」

 と、若い騎士達に言い放つその女性。耳が上に尖っていて、人間ではないという事がはっきりと分かる。それは手先が器用なドワーフと呼ばれる種族だった。

「ルージェラ…、いいよ別に、わたしは…」

 カテリーナがそう言いかけたが、ルージェラと言われたドワーフの女性は、彼女の言葉を遮っていった。

「大切な、妹同然のあんたが、こんな事をされているのを、黙ってみていられないわよ。あんた達!新人いじめは、最も下劣な行為よ、騎士になろうとしている者として、恥を知りなさい!恥を!」

 ルージェラが激しく言い放つ中、木箱の中から、ゆっくりとミーレがその姿を見せた。

「一体、何事だ!何を騒いでいる!」

 その時、作戦室の方から現れる一人の女騎士。それはソフィアだった。

「あっ…。ソフィア様? あのですねえ…、あなたの従者達が、わたしの大切な義理の妹を…」

 と、ルージェラがソフィアに言いかけたが、カテリーナはそんな二人の間に割り入った。

「いいえ。良いんです。ソフィア様。何も無かったんですよ、何もありません」

 カテリーナは、そのガラスのような青い瞳をソフィアに向け、そのように言った。カテリーナの陶器のような顔は、全く動じることが無い。

 嘘をついているのか、ついていないのかさえ、カテリーナの表情からは伺う事もできない。

「ふん。まあ良いだろう。お前達。いつまでも遊んでいるな。1時間後には、我々の部隊は作戦地の漁村に向かう」

 ソフィアは、その場にいる若き従者達にそう言った。

「ソフィア様…? それって…?」

 ソフィアの従者たちが、ルージェラが、心配になった様子でソフィアに尋ねた。

「何。住民のフリをして囮になる部隊は我々ではない。あくまで我々は本隊に海賊の到着を告げる伝令に過ぎん」

「それで、安心しましたが、無理をなさらないようにして下さい」

 と、ルージェラが言った。彼女が所属している部隊は、本隊であるため、カテリーナ達とは全く異なる行動を取ることになるだろう。

 そんなルージェラの姿を、背の高いソフィアは見下ろし、一言尋ねた。

「お前が心配しているのは、自分の義妹の事か?それとも私達の部隊の事か?」

「どちらも、ですよ…」

 ルージェラは、ソフィアの顔をしっかりと見据えて答えた。

「別部隊の心配などするな。例え我々が全滅しても、お前は本隊の作戦に集中しろ」

 と、ソフィアがルージェラに言い放った言葉は、その場にいる、若き従者達に重々しい響きとなって聞えていた。

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 ソフィア・カノーヴァと、彼女が引き連れた10人ほどの小部隊は、囮になる部隊と別れ、海岸線にある漁村を見下ろす高台へとやって来ていた。

 雨は先ほどよりも激しく降り続いている。晴れている日ならば、数キロ先にまで視界が開けている『リキテインブルグ』の海岸線だったが、今日はほとんど視界も開けない。

 こんな時に海賊が襲ってきたら、まるで闇の中から飛び出してくる猛獣のように恐ろしい存在となるだろう。

 だが、それは海賊とて同じことのはずだった。

 そんな霧と雨の靄に包まれた高台に、偵察の陣を張り、ソフィア達は従者達を待機させた。

 偵察にはソフィアの従者全員が参加しているわけではなく、本隊に多くの従者を残してきた。海賊の到来を本隊に報告し、その後で合流する予定である。

 だから、漁村を見下ろす高台にいるのは、ソフィアと右腕の従者カテリーナ、そして、左腕の従者であるミーレだった。

 明らかにカテリーナの方が良い装備をしているものの、ミーレは実力が他の従者とは段違いにある。ソフィア配下の精鋭としては申し分なかった。

「何故、このような任務を我々が…? ソフィア様?」

 高台から雨の降り注ぐ漁村を見下ろし、ミーレが言った。

「どういう事だ? 偵察も立派な仕事だ」

「納得できません。あなた程の騎士のお方が、偵察任務だなんて!」

 降り注ぐ雨の中、ミーレの声が響き渡る。

「もう少し声を落とせミーレ。もしかしたらその靄の向こうに海賊共が迫ってきているかもしれない…」

 ソフィアは静かにミーレを制止した。ミーレは、ソフィアの指示には素直に従い、すぐに黙った。

 ミーレはソフィアの側に来て、一緒に漁村を見つめる。ソフィアの更に反対側にはカテリーナが身を伏せ、低い姿勢から漁村を見下ろしている。

「…、私がこの漁村の出身だからだ…。この漁村の事ならば何でも知っている。海賊がどこからくるのか、どこを襲うかも、想像が付く。偵察にはうってつけだろう?」

 姿勢を低くしているソフィアが、ミーレの顔を見上げて言った。

「ええ…、それは承知しておりますが、あなたほどの方が、ただ本隊に連絡をする役だなんて…」

「いいや、本隊に伝令をする役はお前達だ。カテリーナ、ミーレ。お前達が本隊に報告するのだ」

 ソフィアにそう言われると、ミーレはちらりとカテリーナの方を見やった。

 銀髪の少女は、さっきから表情を変えることなく、じっとソフィアの側に待機している。

「こいつと、一緒に、ですか?」

 ミーレは疑わしい目でカテリーナを見やる。彼女の方が年上だったし、体格も相当に違う。

 急ぎの伝令で足手まといになりはしないかと、ミーレは不安になっているようだった。

「不安か?」

 ソフィアがミーレに尋ねた。

「それは、そのカテリーナが、私と違って、体が小さいし、ろくに実戦経験もありませんし、いざという時に何もすることができないのではないか、と…」

 ソフィアの前ではカテリーナの悪口は言えないらしく、ミーレは言葉を噤んだ。

「何故、この私が、カテリーナを私の側においているか、理解できるか?」

 そんなミーレに、ソフィアは尋ねる。

「わたしが、所詮は貧民の出で、そのカテリーナは、元騎士団の団長の娘だから、でしょうか…?」

 ミーレにとっても、気に食わないことではあったはずだ。だが彼女ははっきりと口に出して言った。

「違う。私だって、この漁村の出身で平民だ。身分で従者を選んだりしない事は分かっているだろう?ではなぜか?答えは単純だ」

 ミーレはじっとソフィアの目を見つめた。

「このカテリーナは、お前よりも信頼できるし、何よりも剣の実力で言ったら、お前達よりも数段上だからだ」

 ソフィアがはっきりと言い放った言葉。それはミーレを黙らせては置けなかった。

「そんな!訓練の期間は、ほとんど一緒、いや、私の方が長いくらいなのに…、なぜカテリーナの方を…!」

 彼女はソフィアに感情をぶつけてくる。納得がいかない。何故こんな事をいうのかと、彼女の顔にははっきりと表れていた。

 しかしソフィアは、

「いいや!大事なのは訓練の長さではない。訓練の質なのだ。お前達が、1を理解している間、このカテリーナは10を理解している。それが今までお前たちに教えてきた私にとってははっきりと分かる。

 だから、カテリーナを側に置いている。それに彼女は、人間としても信頼できる。お前のように、影で悪巧みをしていたりしないからな…」

「くっ…」

 ソフィアの言葉に、ミーレは何も答えることは出来ず、ただ苦虫を噛み潰すことしかできなかった。

 正にミーレにとって図星だったから、言い訳のしようが無かったのだ。

 だが、ソフィアは続ける。

「だが、ミーレよ。私も昔はお前のようだった。貴族出身の同世代の者達に嫉妬し、どうやって蹴落としてやろうかとも思っていた。だがな…」

 顔をうつむかせているミーレに、ソフィアは静かに囁きかけた。彼女は肝心な事を言おうとしていたが、その時、

「ソフィア様!」

 カテリーナの声が聞えてきた。

「何だ? どうした?」

 すぐさまソフィアはカテリーナの方に目を向ける。

「あれをご覧下さい。霧の向こうから、海賊船と思われる船が!」

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 カテリーナが海の向こうを指差して声を上げた。ソフィアとミーレも海の向こうを見つめ、海賊船の存在を視認した。

 海賊船は、一般的に用いられる船でも大型船の部類に入る。『リキテインブルグ』の沿岸を襲い続けている海賊はそれだけ強大な力と勢力を有しているのだ。

 ただ海賊船は一般の船とは違い、黒く巨大な帆を掲げている。まるで自分達の存在を誇示するかのように。

 大雨が降り、荒れる海の中でも、海賊船の存在は圧倒的だった。

「来やがったな!奴らめ!よし…、カテリーナ!さっさと本隊に…」

 と、ミーレはソフィアに言われた言葉も忘れてしまったかのように意気込む。

 しかしそんな彼女を、ソフィアは制止した。

「待て!待て!ミーレ!おかしいとは思わないか?どうもおかしい!」

「何ですか?」

 歩き始めに、足を引っ掛けたかのようにミーレが叫ぶ。

「アンジェリーナの率いる海賊部隊は、確かに黒い帆を持つ大型船が特徴だ。だが、奴らは、たった一隻の船で襲ってきたりはしない。それもアンジェリーナ自らが来るのならば、10の海賊船はやって来るはずだ」

「それはつまりどういう事ですか?」

 と、ミーレが言った時だった。

 一条の矢が彼女の足元に突き刺さる。大雨の音のせいか、霧によって視界が悪くなっているせいか、ミーレはすぐにその矢に気がつかなかったが、すかさずソフィアが、続いてやってきた矢からミーレをかばった。

 ソフィアは、ミーレの体を押し倒すようにしてその場に倒れこむ。

 彼女達が立っていた場所に、何本もの矢が突き刺さってきていた。

「これは、一体…?」

 ミーレがわけも分からない様子でそう言った。

「海賊共だ。私達が気付かない間に、既に上陸していたらしい」

 ソフィアはすぐに立ち上がって剣を抜いていた。

 ソフィア、カテリーナ、ミーレの偵察隊の周りには、すでに10人近くの海賊達が姿を見せていた。雨と、霧の靄の中から現れたのは、ボロ布を纏ったような、人相の悪い男達だったが、ソフィア達はすぐにこの者達が海賊だと直感していた。

 そうに違いない。それ以外にあり得ない。雨と霧の中から現れた海賊は、まるで幽霊であるかのようにも見えていた。豪雨のせいで、足音や気配さえもかき消されてしまったからだ。

「おやおやおや、こんな所で、お嬢さん達が一体何をしているって言うんだ?」

 カテリーナに近付いてきている海賊の一人が、まるで彼女を物色するかのように言った。

 彼女はすでに剣を抜いており、いつでも相手の攻撃に備えられる状態だった。

「見ろよ…、皆、女だぜ…。だが、一人は、ちっと体がでかすぎるし、一人はババアだけどな…、いたぶりがいがあるってもんだ」

 今度は、ソフィア達に近付いてきている海賊が言った。

「な、何だと…!私に向ってぇ!海賊無勢が!」

 ミーレは海賊の暴言にすぐに頭に血が上ってしまい、自らの剣で、相手の中に飛び込んでいってしまった。

「お、おい待て!」

 ソフィアが制止しようとする間も無い。あっという間にミーレは、1人の、自分に向って暴言を吐いてきた海賊を切り捨ててしまった。

 続いて、飛び掛ってきた海賊をも、ミーレは切り捨てる。彼女の持つ剣は、ソフィアの他の従者が持つ剣と同じものだった。だが、ミーレは体格が頑丈だった事もあり、その剣をやすやすと振り回し、海賊達をねじ伏せる。

 しかしそんなミーレも、さらに体格の大きな海賊に背後から飛び掛られてしまっては、どうしようもなかった。

 地面に押し倒されたミーレは、海賊の汚らしい顔を間近に迫らせられた。

「安心しろ、殺しはしねえからよ。女なら、売り飛ばせば、金になるからな…。てめーみたいなのが、好みだって言う奴もいるらしくてよォ…」

「てめえ…!」

 と言って、ミーレは相手を振りほどこうとしたが、力では相手の方が上だった。幾ら女として体格が大きくても、相手は更に大きな男だったのだ。

 だが、そんな海賊に向って、剣が振り下ろされる。剣を振り下ろしたのはソフィアで、彼女は、いとも簡単に相手を一突きにしていた。

 一瞬で絶命した大柄な海賊の男を振り払い、ミーレは素早く剣を握って体制を整えた。

「くだらん海賊共の挑発なんぞに乗って…!それじゃあ、こいつらと何も変わらないぞ…!」

ミーレとは背中合わせになりながら、ソフィアは彼女に叱責した。ミーレは、自分の行動を恥じるかのように、

「も、申し訳ありません…」

「ミーレ!剣先が震えている!自分の行動を恥じるなら、後にしろ、後に」

 と言いつつ、ソフィアは、更にやって来た海賊の一人を切り捨てた。

 だが背後から霧に紛れて、迫って来る一人の海賊に彼女は気がついていなかった。

「ソフィア様!後ろ!」

 それにいち早く気がついたのは、ミーレだった。

 ソフィアが背後を振り返る。だが、海賊は彼女に向って飛び掛ってきており、避ける暇も無かった。しかし、

 ソフィア達には、何か、青白い閃光が走ったように見えただろう。青白い光が、海賊の体を打ち、彼はまるで痺れたように体を痙攣させた。

 そして、彼が背後を振り返ると、そこには、一人の小柄な少女が、豪雨に濡れつつ立っていた。

「ひ、酷でえよぉ…、なんで、あんたみたいな、可愛ええ、お嬢ちゃんが、こんな事をすんだよぉ…」

 そう海賊が言った言葉を聞いてか、聞かずか、カテリーナは素早く剣を振り下ろし、その海賊に止めを刺した。

 血が彼女の顔に跳んでその顔を赤く染める。既にカテリーナは、海賊達の返り血を浴びて、装備が真っ赤になっていた。

 彼女の背後には、5人ほどの海賊が倒れている。

 ソフィアとミーレが同数の海賊にてこずっている間に、ほとんど音も立てる事無く、5人の海賊を葬り去ってしまっていた。

「カテリーナ…。お前、まさか、お前がこれをやったのか…?」

 ミーレが信じられないと言った様子でカテリーナに言った。

「はい…」

 カテリーナは落ち着いた声で答えた。いつもと全く変わる事が無い彼女の声。表情さえもぴくりとも動いていないようだった。そんな彼女の表情と相反するかのように、海賊の返り血が彼女の顔に付き、不気味ささえ醸し出している。

 カテリーナのそんな姿を見て、ミーレは思わず唾を飲み込んだ。

 彼女は思う。今まで、この自分の二回りほど小さな体格しかないガキは、どうせただの、お嬢様でしかないと思っていた。

 だが、今見ているこのカテリーナからは、非情さと、残酷さのようなものしか感じられない。

 思わずカテリーナから後ずさりしそうになった。

 しかしそこへ、ソフィアの声が響き渡った。

「お前達。まだ油断するんじゃあない。海賊共は、これだけじゃあないんだ。既に、この付近には無数にやって来ているぞ。霧と雨に紛れて、知らない内に、私達は包囲されてきている!」

 ソフィアは依然として臨戦体制だった。剣を構え、周囲にその警戒を張り巡らせている。

「海賊に包囲されているって、ど、どのくらいですか?」

 慌ててミーレが尋ねた。

「数百…、いや、数千は…、いる!」

「そ、そんな…!」

 ミーレは明らかに動揺していた。辺りが霧に覆われていて、どこに海賊がいるのかも分かりはしない。ソフィアの言う、数千と言う海賊が、本当にここにいるのかどうかさえも分かりはしない。

 だが周囲の霧が、より一層巨大な存在として彼女達に迫ってきていた。

「何だ…? この気配は…? 確かに、海賊共もやって来ている…。しかしそれだけじゃあない。この気配は…、もっと巨大な何かも一緒にやって来ている!」

「巨大な何かって…!」

 ミーレがそのように叫んだときだった。

 さっきの海賊と同じように、霧の中から何かが飛び出してきたのだ。しかしその大きさは、海賊の比ではない。人間の数倍の大きさはあろうかと言う何かが、素早く霧の中から飛び出してきたのだ。

 素早くソフィアがミーレに飛び掛り、彼女の体を押し倒した。

 直後、彼女達の頭上を黒い影が通過していく。それは、巨大な尾だった。

 雨に濡れ、黒光りをしているその尾は、昆虫類に良く見られるような尾だ。しかし、その大きさが、昆虫の比ではない。

 人間の体ほどもあった。

 奇怪な音を立てながら、雨の靄の中から、6本足の不気味な生物が姿を見せる。それは、ソフィア達も今まで見た事が無い生き物だった。

「な、何だ…、これは…?何なんだよ!」

 ミーレが動揺しながら、体を起こす。現れた生物は1体だけではない、何体もその場には奇怪な昆虫が現れてきていた。

「アンジェリーナ様御用達…、《ロスト・フォール》の化け物たちさ…」

 数体の昆虫達に混じり、不気味な声が響き渡る。人の言葉だったが、奇怪な声だった。やがて靄の向こうから、一人の小柄な男が姿を現す。

「何だ…、お前は…。お前も海賊か…!」

 ソフィアがその男に剣を向けた。すかさず斬りかかってやっても良かったが、不気味な目を向ける、巨大な昆虫が尾を突き出してきているせいで、一歩を踏み出すことができない。

「オレ達の故郷である、《ロスト・フォール》は、西域大陸のど真ん中にある。だが、今まで人が街を作ることもできなかったし、国も作れなかった。何故か分かるか?何故だか分かるか?」

 ボロ布を纏ったような姿をしているその男は、ソフィア達のすぐ前に姿を現し、そう呟いた。

 鞭のようなものを手にしているが、ろくな武装をしていない。ソフィア達が攻撃しようとすれば、簡単にしとめることもできる。

「こいつらが、いたからさ…。《ロスト・フォール》に調査だか、開発だかを愚かに行って、帰ってこなかった奴らの話を聞いた事はあるか? 何故帰ってこなかったか、分かるか?」

 男がそう言ったのが合図だったのだろうか、ソフィア達の背後にいる昆虫の一体が、突然尾を突き出して襲い掛かってきた。

「ソフィア様!」

 カテリーナの声が響き渡り、彼女の持つ剣が一閃する。すると、ソフィアに接近してきていた昆虫の尾が、両断された。

 巨大な昆虫の、奇声にも似た叫び声が上がった。人の体ほどもある巨大な尾が、音を立てながら地面へと落下する。

「カテリーナ!ミーレ!お前達はさっさとこの事を本隊に伝えろ!」

 昆虫の奇声の中から、ソフィアの声が上がる。

「そ、そんな…、ソフィア様を、こんな所に一人にしては、行けません…!」

 と、ミーレは言ったのだが、

「お前は、そんなに甘い奴だったか? ミーレ。私がこいつらを引き付けている内に、さっさと、カテリーナと行けと言ったんだ。だからさっさと、行け」

 と、ソフィアが言った時、まるで彼女とカテリーナ、ミーレの間を引き裂くかのようにして、昆虫が一体飛び込んできた。

 まるで鎌のような前足を振りかざしてくる昆虫に、ソフィアは身構え、それを剣で受けた。

 金属同士が激しく衝突する音が響き渡り、ソフィアの体が押し倒されそうになってしまう。

「あ、ああ…! ソフィア様!」

 ミーレが、普段人前に表す事も無いような、まるで母と引き離されようとする娘のような声と表情を出した。

「いいから、さっさと行け!」

 ソフィアの声が雨音に混じって響き渡った。

 直後、ミーレは誰かに腕を引っ張られ、無理矢理その場から連れ去られようとしていた。彼女の腕を引っ張り、その場から連れ出したのは、カテリーナだった。

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「カテリーナッ!てめえッ!」

 ミーレの声が、雨音よりも激しく響き渡った。だが、カテリーナは彼女の言葉など聞いていないかのように、ただ腕を引っ張り、その場から連れ去っていた。

 カテリーナは、一点の揺らぎもなく、ただ前方を見つめ、駆けていく。

「離せ!ソフィア様のところに戻るんだ」

 ソフィアがそう叫んでも、カテリーナは手を離そうとはしなかった。ミーレの体の方が、カテリーナより遥かに大柄だったが、何と言う力で引っ張ってくるのだろう。

 ミーレにとっては不思議だった。どこから、自分をこんな力で掴み、こんな細い腕で引っ張っていくことができる力が沸いてくるというのだ?

 だが、ミーレは踏みとどまった。こんな子供みたいな体しか持っていない奴に、無理矢理連れて行かれるなど、彼女の誇りが許さない。

「てめぇ!カテリーナ!」

 ミーレは無理矢理腕を振りほどき、カテリーナから離れようとする。しかし、そんな彼女の肩を再びカテリーナが掴む。

「離せ!ソフィア様の元に…!」

「そんな事をして、ソフィア様が喜ぶと思うのですか?」

 ミーレの姿を見上げ、雨に濡れた銀髪の中の表情は少しも動くことは無い。

「何だと…!」

「あなたが戻ったからといって、ソフィア様は、我々の任務が失敗したと、お嘆かれになるだけです。私達の任務はあくまで、海賊の到来を本隊に告げることであって、ソフィア様と共に海賊と戦うことではありません」

 カテリーナは一切言葉を濁すこともなく、表情さえも変えずにそのように言った。

「て、てめえ、それでもずっとソフィア様の側にいた奴か?3年もソフィア様と一緒にいるんだぞ…!」

 ミーレは、自分の中にふつふつと沸き起こってくる怒りを感じていた。

 この、人形みたいに表情の無いガキは、まるで母のように育ててくれたソフィアを、冒涜している。

「3年もお側にお仕えしたからこそ、分かることです。ソフィア様は、自分を犠牲になさって、私達を行かせたのです。もし私達が本隊にこの事を伝えなければ、作戦は失敗に終わるでしょう」

 だがミーレは、無理矢理カテリーナの手を振り払おうとして、全く聞く耳を持たなかった。

「作戦なんか、知った事かよ…! ソフィア様…!」

 ミーレはソフィアの名前を連呼するだけだ。ソフィアが海賊達に襲われている場所からは、もう1km以上も離れてしまっていて、雨にも紛れ、全く姿も状況も分からない。

「駄目です。あなたも一緒に行かないと…!ソフィア様はお一人で…!」

 そんな中へと飛び込んでいこうとしているミーレを、カテリーナは押さえこもうとするのだが。

「てめえだけ行っていろ!ガキが口出しをしているんじゃあねえ!」

 そして、ついにミーレは、カテリーナの手を振り払ってしまった。急いでソフィアの元へと戻ろうとするミーレだったが、カテリーナが背後から叫ぶ。

「行きたくても、行けないんですよ!私達も、すでに海賊に囲まれてきているんですから!」

「何だと…!」

 思わずミーレも足を止めた。周囲を見回すが、雨と霧と靄のせいで、ほんの10メートルほどしか視界が開けていない。どこから誰かが迫ってきていたとしても、足音さえ聞えてこない雨音だった。

「どっからも、誰も迫ってきていないじゃないか…」

 と、言ったミーレだったが、視界の中に現れてきた、黒い影に、思わず後ずさった。

「前言撤回だ…、こいつらめ…」

 霧と靄のカーテンの向こうから、巨大な昆虫が姿を見せた。奇怪な鳴き声を発しながら、その背には、小柄なボロ布を纏ったようなものを背負い、ゆっくりとミーレの方に近付いてくる。

 しかも現れたのは一体だけではない。さっきと同じように、5体ほどの昆虫がその場に現れていた。

 カテリーナ達の進むべき方も閉ざされ、彼女達は完全に囲まれてしまった。

「こいつら、海賊なのか…、海賊がこんな奴らを従えているのかよ…」

 小柄なカテリーナの体と背中合わせになりながら、ミーレはそう呟いた。

「あなたもさっき聞いていたでしょう?何か、取引をしたんだって…」

「ど、どうするんだよ…、こんな奴ら…」

 ミーレは声を震わせながら言った。見たことも無いような怪物に囲まれ、戦おうという意志さえも沸いてこない。

 だが、相手は容赦が無かった。巨大な昆虫達のうち1匹が、ミーレに向って、前足についている巨大な鎌を振り下ろしてきていたのだ。

しかしその、巨大な昆虫が振り下ろしてきた鎌を、カテリーナが剣で受け止めた。ミーレはどうする事もできずに、ただ彼女の背後にいるしかない。

「私が、ここで食い止めますから、あなたは行って…!」

 カテリーナが叫んだ。

「何だと、て、てめえ…、あたしだってなあ…!」

 と、ミーレが言いかけた瞬間、カテリーナは、昆虫の鎌を押し返し、続いて、その昆虫の体を両断した。

 二つに割れた昆虫の体がその場に崩れ落ちる。一体どのようにやったのか。カテリーナが持っている剣など、ミーレ達が持っている、軽くて短い剣と同じだというのに。

「いいから、さっさと行って」

 カテリーナが背後を振り向いてそのように言ってきた。

 その時のカテリーナの表情を見て、ミーレは、思わず後ずさる。さっき、海賊達を切り捨てた時の表情と同じ顔だった。

 昆虫達が、ミーレの行く先に立ち塞がる。しかし、すかさずカテリーナが、そんな昆虫達の前足を切り落としてしまい、そこに大きな隙ができた。

「これじゃあ、全く、立場が逆じゃあないかよ!」

 あんなに小さなガキにあの場を任せ、自分は本隊に報告するだけでしかないのかと思うと、ミーレは自分が情けなくて仕方が無かった。

-8ページ-

「伝令!伝令です!」

 ソフィア達が、海賊の襲撃を受けた地点から10kmほど離れた、砦の作戦室に、突然声が響き渡った。

「何だ!何だ!突然入って来るな!」

 表にいた見張りの兵士に引き止められそうになりながらも、声を上げた主は、扉を開き、作戦本部へとやって来る。

 中にいた、高位の騎士達も、何事かと彼女の方を見やった。

 作戦室に、全身ずぶ濡れになりながら、軽装備の女兵士が現れた。まだ年端も行かぬ娘だったが、体は大柄で、大人の男の兵士に匹敵する。

「海賊上陸地点の漁村が襲撃。私達、ソフィア隊は塵じりになってしまい…、今、正にここのときにも、海賊が、この本隊に襲撃して来ようとしています…!」

「何だ?突然、何をいっているのか分からないぞ!整理して話せ…」

 苛立ったように、入り口付近にいた騎士がその女兵士に言った。

「待て…!今、海賊と言ったのか?お前はソフィア隊の一人だな?海賊が、今ここにやって来ていると言うのだな?」

 と、立ち上がって、その兵士の前にまでやって来たのは、一人の女将軍だった。

「はい…」

「ソフィア達は、無事でいるのか?」

「いえ、海賊達に襲撃されており、我々は散り散りになってしまい…」

 女兵士が顔を上げることなくそう言った。彼女は、全身泥まみれになっており、どうやらここまで、何度も転びながら必死に走ってきたようだ。

「お前だけ、ここに来れたのか…?」

「は、はい…」

「よし、良くやったぞ」

 女兵士は顔を上げて、自分を見下ろしてくる女将軍を見やった。彼女は自分が何故そのような言葉をかけられたのか、分からない様子だった。

「クラリス!」

 と、その女将軍は名を呼び、その場にはすぐに、若い女騎士が駆けつけた。

「はい!」

 若い女騎士だったが、美しい銀色を輝かせる鎧を着けており、髪は植物の持つような緑色、更に、白い肌が印象を残す。耳が尖っており、明らかにその姿は人のものではない。

彼女はエルフだった。

「全隊に伝えろ! 当初の作戦を変更。ここに押し寄せてくる海賊共を迎え撃つ。とな…」

「はい、承知つかまつりました!」

 クラリスと呼ばれた女騎士は、そのようにはっきりと答えると、すぐにその場を去って行動を開始した。

「あ、あの…、私は…?」

 女将軍の目の前で跪いている、若い女兵士が尋ねた。

「お前、お前は、従軍している上官の命令に従え…」

 すると、女兵士は騎士の顔を見上げた。

「私の上官は、ソフィア様です。ですが、ソフィアはここにはいらっしゃりません…」

「…、ソフィアは、私の下の立場にいる。だからお前は私が命令することになるな…」

 少し考えた後で、その女騎士は結論を出した。

「お前は本隊に合流しろ。ソフィア隊は、たった今から、この私が直接指揮を執る!」

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 皮肉にも、ソフィア隊は、『リキテインブルグ』の中でも、相当な影響力を持つ、フィオーレ騎士団の団長である、によって指揮されることになった。

 これは、一介の従者でしかなかった、ソフィア・カノーヴァの従者達にとっては名誉なことである事に違いは無かった。

 だが、ミーレにとってはそんな事は今はどうでもよかった。ソフィアがどうなってしまったのか。

 さっきのあの女将軍の言い振りでは、おそらくもうソフィア様は、死んだものとして扱われている。

 それに、あのガキはどうしてしまったのだ。あいつも、たった一人であの化け物のような昆虫共を全て相手に出来るとは思えない。

 多分、今頃…。

「さっきのあの娘の話では、おそらく、ビーストテイマーと呼ばれる亜人を、アンジェリーナ達は従わせているのだろうと思われます。彼らは、ロスト・フォールの森の奥地にいると言われており…」

 物々しい様相で、騎士達が海賊の襲撃に備えている中、場違いにも思えるほど透き通った女の声が聞えてきた。

 その声の主である女は、さっきミーレの前に姿を現した、あのエルフだった。

「おい、お前。さっき、沢山、昆虫の怪物が出てきた、と言っていたが、具体的な数はどれほどだった?」

 そして、あの女騎士も一緒にそこへと姿を現した。

 作戦本部の側で顔をうつむかせているミーレに、背後から尋ねてきていた。

 彼女はゆっくりと振り向き、相手とは目線を合わせず、うろたえたような口調で答えた。

「5,6…、いや10はいたかと、何かと霧が深いせいで、数ははっきりとしません…」

「はっきりしていないのか? やれやれ、どうなる事やら…」

 そう言って熟練の女騎士は、忙しそうに駆けていった。

 残ったクラリスというエルフの女騎士は、顔をうつむかせているミーレを見つめて尋ねて来る。

「あなたは、ソフィア隊なのね…? 名前は?」

 エルフの女騎士がミーレを振り向いて尋ねてきた。ミーレは18歳だったが、このエルフの騎士はミーレとそれほど歳が変わらないように見えた。

 だがエルフは人間の数倍の寿命があるというから、本当にミーレとそれほど歳が違わないのかどうかは分からない。

 もしかしたら、熟練の騎士であるかもしれないのだ。

「ミーレです」

 雨に打たれながらまるで身を打ちひしがれているかのような彼女を見て、このエルフはどう思ったのだろうか?

「そう。ミーレね…。ミーレ、あなたのソフィア隊に、カテリーナと言う子がいたと思うんだけれども…」

エルフの口からカテリーナの名が出て、ミーレははっとした。

「カテリーナは、ソフィア様と一緒に…」

 ミーレは相手とは目線を合わせずにそう言ったが、エルフの表情が変わったことは彼女にも良く分かった。

「カテリーナは、ソフィア様を、助け、私をこの場へと行かせるために…」

「そう…、分かったわ…。聞きたいことって、それだけよ。あなたは、本隊に合流して…」

 と、それだけ言って、クラリスは先ほどの女騎士の後を追おうとした。だが、ミーレは、彼女を呼びとめ、

「あ、あの…、ソフィア様達は…、どうなるんですか…? このままだと」

 とそこで初めて彼女と目線を合わせてそのように尋ねる。

「死ぬわね…。ほぼ間違いなく…。残念だけど…」

 エルフの女騎士の放った言葉は、ミーレの心に深く残った。だが、それを彼女自身もはっきりと自覚していた。

「あの、あと一つ…。カテリーナとあなたは、一体、どのような…?」

 エルフは振り返って、ただ一言、ミーレに言ってきた。

「血の繋がりは無いけれど、彼女は私の妹よ。だから聞いたの」

 それだけ言い残すと、エルフの女騎士は駆けて行ってしまった。

 残されたミーレは、このままどうして良いか分からず、ただ立ち尽くしているしかなかった。

 

 

 倒しても倒してもキリが無い。ソフィアは、海賊達がけしかけてくる、巨大な昆虫を相手に苦戦を強いられていた。

 雨が激しく彼女の元へと降り注いできて、さらに霧が目の前の視界を不良にする。昆虫達が振り下ろしてくる鎌の姿も、すでに虚ろなものになっていた。

 剣を握る腕も、相当に重いものとなっていた。負傷、疲労、そして、自分ひとりしかこの場にいないのだという、絶望的な状況が、ソフィアを追い詰めていたのだ。

 ソフィアは剣を翻して、一体の昆虫の鎌を切断した。

 この昆虫達は、背中に乗った、奇妙な姿の亜人種によって操られているものの、鎌のようになっている前脚以外は、さした攻撃手段を持っていないようだ。

 しいて言うならば、口元も鎌のようになっていて、そちらで噛み付かれたらひとたまりも無いだろう。

 しかし、最も恐ろしいのは鎌だった。

 いつしか、身に纏う鎧が重々しいものとなっていた。ソフィアは偵察の任をかってでたから、重装騎兵のような重い甲冑を着けては来なかったものの、それでも重い。しかも、先ほど砕かれた肩当てを見るからして、この昆虫の鎌の前では、重い甲冑もあまり役には立たないようである。

 すでに3体。3体の昆虫を切り捨てたソフィアだったが、更に数体の昆虫。そして海賊達が迫ってきていた。

 いつしかソフィアは、自分の出生地である、漁村を見下ろす崖に追い詰められてきており、背後に崖がある姿勢で戦っていた。

 この場にソフィアしかいない事を、しめたものとでも思っているのか、にやけた海賊達が、彼女を取り囲んできていた。

 崖に追い詰められ、必死の形相となっているソフィアを、まるであざ笑っているかのようである。

 ソフィアは、傷だらけの姿になっても尚、その剣を海賊達へと向けた。

「さあ! どうした! 来るなら来い! 次にやられるのは一体誰だ!」

 という彼女の声も、彼らには、ただ、追い詰められている事をより深く印象づかせただけに過ぎないのだろうか? 笑い声さえも上がる始末だった。

 飛び掛ってきた海賊の一人は、ソフィアは剣でなぎ倒し、そのまま崖から突き落とした。

 だが、海賊達は次々と迫ってこようとしている。崖を背にしている状態では後退する事もできない。ただただ、迫りくる海賊達を、正面から切り捨てていかなければならない。

 数人程度の海賊無勢であったら、ソフィアも十分に相手をして行くことができるだろう。だが、海賊達は無数に溢れ出してきていたのだ。

 とっくに覚悟は決めていたが、改めて追い詰められた自分を感じると、ソフィアは今までのように冷静にふるまう事はできなさそうだった。

 こんな所で、海賊無勢にやられるくらいだったら、いっその事、この崖から。

 そうソフィアが思いかけた時だった。

「ソフィア様!」

 聞きなれた声が、海賊達の絶叫の中から響き渡って来た。

 同時に、ソフィアを取り囲んでいる海賊達の何人かの悲鳴が上がり、誰かがこちらに向って駆けてきている。

 雨と霧と靄のせいですぐには分からなかったが、ソフィアの近くにまでやって来たその姿はカテリーナだった。

 ほっと安心しようと、一瞬思ったソフィアだったが、それは間違いだ。

 カテリーナがこの場に来ることなど間違っている。何故なら彼女は、伝令係なのだから。

「カテリーナ!お前!さっさと行けと言っただろう!私の事を構うな!戻れ…!」

 ソフィアは叫ぶ。だが、カテリーナは剣を振り上げ、自分に迫って来た海賊を切り捨てた。

 そのカテリーナの動きは、いつしかソフィアよりも洗練されたものとなっており、海賊のしとめ方も、より確実に息の根を止めていた。

「カテリーナ!貴様!」

 ソフィアの言う事など、まるで聞いていないかのように、海賊達を切り捨て始めたカテリーナに、ソフィアは背後から声を上げる。

「伝令はどうした!さっさと本隊に告げなければ、この海賊共が、本部を奇襲するだけだぞ!」

「伝令ならばミーレが向いました!私はソフィア様をお守りするため…」

 すかさずカテリーナが言ってきた。だが、この場にカテリーナが戻ってくるべきではない。

「そんなものは無用だ!馬鹿」

 ソフィアはカテリーナと背中合わせになりながらそのように言い放つ。カテリーナがどのように思ったのかは分からないが、ソフィアはとっととカテリーナをこの場から追い出したかった。

 こんな死地で、将来有望な彼女を死なせるつもりは、ソフィアには無かった。

 カテリーナが切り倒した向こうから、更なる海賊達が迫って来る。

 ソフィアには分かっていた。この海賊達はただ略奪をするために乗り込んできたのではない。

 我々、騎士達に全面戦争を仕掛けてきているのだと。だから、ソフィア達も逃さない。徹底的に始末するつもりだ。

 カテリーナが戻った事で、ソフィアにとって生きる望みは少しは見えてきただろうか。

 だが変わらず漁村を見下ろす崖ぎりぎりで戦っていたし、海賊達は斬っても斬っても、霧の向こうから湧き出てくる。

 そろそろソフィアも限界だった。傷と集中力の疲弊が、極度に彼女の体力を奪っている。

 だから、自分だけではなく、カテリーナも守らなければならないという意識が、ソフィアを更に追い詰めていた。

 ソフィアは、カテリーナも庇いつつ戦っていくつもりだった。だが、彼女が少し背中を離した途端、それを狙っていたかのように、霧の中から黒い影が迫った。

「カテリーナッ!後ろだッ!」

 ソフィアは叫んだが、カテリーナが背後を振り返るのは一瞬、遅かった。霧と靄で隠れていた中から、まるで昆虫が獲物を狙うかのように、一体の昆虫がカテリーナに向けて鎌を振り下ろしてきていたのだ。

 カテリーナはそれを剣で受けようとしたが、一瞬遅い。鎌と彼女の剣は火花を散らせたが、完全に鎌を抑え切ることは出来ず、カテリーナの胸に振り下ろされていた。

 巨大な昆虫の鎌は彼女が身に纏っている、革の鎧だけでは防ぐことが出来ず、カテリーナの胸を貫き通すのは容易だった。

「しまったッ!」

 ソフィアは、思わず声を上げ、カテリーナの元へと駆ける。カテリーナを鎌で貫いた昆虫は、ソフィアの方を振り向いたが、

「邪魔だ! そこをどけッ!」

 ソフィアは声を上げ、その昆虫の鎌を切り落とした。更に、背中に乗っている昆虫を操る小柄な亜人種の息の根も止めると、更に昆虫の頭部に向って剣を付きおろして止めをさす。

「カテリーナ! カテリーナ!」

 ソフィアはカテリーナの体を抱え上げた。鎌が貫通した胸からは、すでに鎌が引き抜かれてしまって、とめどなく血が溢れている。

「カテリーナ! おい! しっかりと…」

 だが、ソフィアの腕の中のカテリーナは、体を痙攣させて、口から血を吐くだけで呼びかけには答えられない。

 彼女がどうなってしまったのか、ソフィアが理解するには少し時間が掛かった。

 こんな事をしていられないのは、ソフィアにも分かっていた。

 ここは戦場であって、カテリーナは、ただの従者にしか過ぎない。

 だからいつ死ぬようなことがあっても、それは当然なのだ。

 生き残ったものが、暗黙のうちにその意志を引き継いで、より価値のある任務を達成へと導いていかなければならない。

 それは、ソフィアにも分かっていた。

 だが、彼女が胸の内に感じる、その意識は何なのか。

 ソフィアが今までに感じたことの無いものである事は、確かだった。

説明
少女の航跡の過去のエピソード。大海賊軍団の討伐に駆り出されたカテリーナ達。まだ若いカテリーナが海賊との大決戦に挑みます。
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