真・恋姫†無双〜恋と共に〜 #61
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#61

 

 

 

予州―――曹操領北部、梁の出城にて、2つの軍が対峙していた。一方は袁紹率いる10万の軍勢。文醜と顔良率いる歩兵大隊に加え、中局には幽州より兵呑した白馬義従と袁紹軍にもとよりいた騎馬隊が機を窺っている。もう一方は、秋蘭を総大将とした曹操軍の迎撃部隊。部隊とはいえ、その数は籠城するに十分な5万の数を有していた。

 

「………華琳さんはいないようですわね」

「そうみたいだな」

 

攻城側の本陣では、総大将の袁紹と元幽州太守、現冀州領幽州太守の公孫賛が肩を並べている。彼女らの言う通り、梁の城に華琳はいない。秋蘭以下、桂花を軍師として凪、真桜そして流琉を将として籠城の構えを見せていた。

 

「まぁ、こっちはいきなり曹操の領地に踏み入った立場だしな。迎撃と籠城としては十分の数だろう。最低でも3万強、余裕を持って迎え撃つなら5万といったところか」

「白蓮さんの仰る通りですわね。私の放った細作の情報によりますと、華琳さんの軍は総勢8万。時間を考えるとそれ以上は出せないでしょう」

 

袁紹の口から出るのは、南皮にいた頃に得た情報。公孫賛の言を肯定し、袁紹も遠く、その城を見据える。城壁に立つは5本の牙門旗。夏候、荀、楽、李、そして典の姓が力強く彩られている。

 

 

「どうする、麗羽?数の上では少し厳しいが………」

 

理論上の数ではなく、曹操軍の出し得る最大数を想定して発せられた公孫賛の言葉を、ふんと鼻であしらう。

 

「華琳さんの兵は、私の軍の半数以下とはいえ精強です。ここである程度損害を与えないことには、この後の華琳さんとの戦いにおいても苦労しますわ。あの城を落とし、可能であれば夏侯淵以下将軍勢を討ちます」

「………………」

 

かつての学友から出た言葉に、公孫賛はぽかんと口を開く。つい先日戦った時にも、それ以前、反董卓連合でも思った事だが、袁紹は人が変わった。かつての傲慢不遜な姿からは想像もつかないほどに名家としての威厳を持ち、それでいて謙虚さを失っていない―――いや、手に入れている。まだ慣れないよ。心のうちでそう呟く公孫賛だったが、その言葉を否定する事はしない。彼女もまた武人の端くれ。己の意志で降った新しい主の言葉に、異を唱えられようはずもない。

 

「それじゃ、私も配置につくとするよ」

「向こうがこのまま籠城を続ければ、白蓮さんの出番はないでしょうが、敵が撃って出る事も考えられます。その時はそのしょぼくれた指揮を振るうといいですわ」

「………仰せのままに、姫」

 

総大将の腹心が口にする呼称で彼女を呼びながらも、そこに皮肉の色などありはしない。紅い髪を持つ将は、かねてよりの部下と、そして新しき部下の元へと歩を進めた。

 

 

 

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「どういたしますか、桂花様」

 

城壁の上で、平野に布陣された軍を見下ろしながら問うは、凪だった。自陣の倍という数を目にしながらも、その気勢はいささかも削がれてはいない。問われた方は、猫耳フードを被った軍師。彼女は軍師という立場にありながら、珍しく思案し、隣に立つ総大将に問いかける。

 

「秋蘭、貴女はどう思う?」

 

否、思案というよりも確認の響きを多分に孕んだその声音に、問われた秋蘭は理解する。

荀ケはかつて、袁紹の下に籍を置き、彼女の人柄をよく知っている。もし昔のままの袁紹であれば、兵の数に慢心し、そのまま愚かにも城を攻めたてただろう。そのような相手では、大した策も必要ない。門に攻め寄った兵に城壁の上から弓矢を浴びせ、怯んだところで城から撃って出ればよいのだから。

 

「そうだな………」

 

だが、秋蘭もまた理解している。目の前にいる軍勢を率いるのは、かつての愚者ではない。反董卓連合の際に名家の一員としての資質を開花させ、ひたすらに邁進する将の姿を見聞き知っている。

荀ケはこう問うているのだ。いまの袁紹は、華琳の覇道に立ち塞がるに足る存在か、と。

だからこそ、秋蘭は首を横に振る。

 

「危険だな。その数の差は倍。撃って出ればその差からジリ貧となり、その隙を公孫賛率いる騎馬隊に突かれるだろう」

「貴女もそう思うのね」

 

秋蘭の言葉に、荀ケも頷いて見せた。2人の思惑は一致する。これまでとは違う袁紹が覇道に立ち塞がるというのならば、華琳自身がその相手をしなければならない。

 

「とりあえずは、華琳様が到着するまでの時間稼ぎね。幸い真桜の兵器もある事だし、十分に揺さぶる事は出来るでしょう。こちらの攻撃を受けた後居座るもよし。そのまま去るもよし。どちらにしろ、数を減らしてやるわ」

「そうだな。だが、いまの袁紹ならば………」

「えぇ、そうね………凪、真桜に準備はいいか聞いてきてちょうだい」

「はっ!」

 

曖昧に答える秋蘭の言を肯定しつつ、荀ケは凪に真桜の様子を見に行かせる。彼女があれだけ自信を持って自慢していたのだ。いよいよ出番という時に使えなくなってしまっても困る。軍師の命に、凪は駆け足で城壁の階段を降りていった。

 

 

許昌を出た軍勢は、粛々と行軍を続けていた。秋蘭から送られた伝令の兵から伝えられた通り、梁の城へと援軍へと向かう為だ。兵の数は1万5千。残りの1万5千は、許昌の守備へと置いている。軍師に風、将として沙和と一刀が残っている為、この行軍に参加している将は華琳をはじめ、春蘭、霞、季衣、稟、そして劉備軍から参加する趙雲である。

 

「なぁなぁ、趙雲。ウチと勝負せんか?」

 

と、兵たちの足音と馬の蹄のが大地をゆっくりと鳴らす音の中、霞が隣で馬に跨る趙雲にこっそりと声をかけた。

 

「張遼殿、いきなりどうされた?まさか、此処で仕合をすると言うのか?」

 

訝しむように小声で返す青髪の槍使いに、霞はニシシと悪戯猫のような笑顔で首を振る。

 

「んな訳あるか……今回の袁紹との戦、敵さんの数が多いからな」

「確かに、その通りだな」

「ほんでや、そういう時に、何が一番使えるかわかるか?」

「ふむ……伯珪殿の白馬義従を取り込んだとはいえ、袁紹軍は歩兵の比率が高いとうちの軍師殿も言っていたな。なれば、こちらの騎馬隊の出番であろう」

「せや。たぶんなんやけど、今回ウチらの騎馬隊をウチとアンタで分けて率いると思う。ウチと部隊長だけでも出来んことはないが、アンタが手伝う言うてるからな。稟や孟ちゃんの事や。いきなり歩兵を率いらせるよりも、一回きりとはいえ、アンタと一緒に出張った騎馬隊の指示を任すやろな」

 

霞の言葉に、趙雲はなるほどと頷く。

 

「確かに、ほんの少しとはいえ、御遣い殿と風を救出に行く際には某も騎馬隊を指揮しましたからな」

「で、や。稟の作戦もあるやろうけど、もし機会が出来たんなら、どっちが先に本陣を落とすか勝負せぇへんか?」

「よいのか?曹操軍はどこよりも規律に厳しいと聞くが………」

 

問い返す趙雲に、霞は右手を顔の前でぶんぶんと振る。

 

「せやから、機会が出来たら言うてるやん。どや?負けた方は酒を奢るっちゅうことで」

「………なかなか面白そうですな。よろしい。なれば、その勝負を受けると致しましょう」

「流石趙雲やん!春蘭も乗ってくるけど、結局孟ちゃんの指示に従うからな。いっつも勝負が有耶無耶になんねん」

「ふふっ、どうやら張遼殿も某に負けぬほどの戦馬鹿らしい」

「なははっ、言わんといて」

 

前方でこのような密約が交わされていたことなど、後方で策を話し合っていた華琳と稟は知る由もない。

 

 

 

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「なん、ですのっ!?」

 

袁紹の瞳が驚きに見開かれる。いや、彼女だけではない。中局で愛馬に跨る公孫賛、さらには前線で兵を率いる文醜や顔良の瞳も同じ様を呈し、距離が近いだけその驚きは倍加しているだろう。

 

「お前ら、退けぇぇっ!早くさがるんだっ!!」

「さがってください!早くっ!!」

 

将軍の指示が出るまでもなく、兵達は一目散に走り出す。無理もない。彼らを襲うのは吶喊する歩兵でも突撃する騎兵でも、空から降ってくる矢でもないのだ。

 

 

「回転を止めろ!角度良し、飛距離良し………真桜、流琉様!」

「わかったで!ほな、次のやつ撃っときぃ!」

「皆さん、お願いしますっ!」

 

城壁の上から戦場を見渡し、城内の地に立つ真桜と流琉に凪が指示を出す。それを受けた彼女たちは、自身が率いる工作部隊へと声を掛けた。ギチギチと何かが引き絞られる音が止み、次いで、まるで細い暴風が通り過ぎたような音と共に、その真桜会心の兵器―――投石器は回転した。

 

 

「―――っらぁ!」

「ええぇぇぇいっ!!」

 

気合一閃。掛け声と共に袁紹軍の二枚看板が跳び上がって、その膂力のみで弾き落としたのは巨大な岩。人間が投げる飛礫などではない。まさに岩と形容するにふさわしい大きさの物体が、曹操軍の籠る城から飛んでくるのだ。

 

「今です!皆さん、さがってください!」

 

その光景を遠巻きに見ていた袁紹も我を取り戻す。自分のいる本陣まではどうやらあの岩も届かないらしい。ならば兵達をここまで退かせればよい。だが、大軍であるが故の遅緩により、まだ時間がかかる。彼女は考える。何か出来る事はないかと。そして――――――。

 

「伯珪さんに伝令を送りなさい。弓兵を引き連れて城の両側まで突撃。そして城内に矢を降らせなさいと!少しでも攻撃の間隔を長引かせて、兵をさがらせますわ!」

「御意っ!」

 

応え、走り出したのは公孫賛の部下の兵。彼は本陣を抜け出て待機させていた自馬に飛び乗ると馬を走らせ、中局で指示を出す主の下へと向かった。

 

 

「麗羽が………わかった!これより騎馬隊のうち弓兵は城へ吶喊をかける!部隊を2つに分け、城の両側から城内に矢を射かけるぞ!」

 

言うが早いか、彼女は愛馬を走らせた。彼女と部隊長を先頭に馬は走り、戻って来る前線兵を避け、城へと突き進む。

 

「飛んでくる岩の方向は変わらない!なれば、我らにとって避ける事など造作もない事だ!岩よりも城壁からの矢に注意しろ!」

「「「「「応っ!!」」」」」

 

公孫賛の指示に白馬義従は威勢よく返事をし、突き進む。彼女の言葉の通り、騎馬隊へ向けて岩が飛んでくるものの、西涼の騎馬民族や霞率いる騎馬隊に勝るとも劣らない馬術を持つ彼らにとって、それを躱す事などさしたる苦にもならなかった。

 

 

「公孫賛の騎馬隊が前曲に出てきた。全兵士が弓を背負っている………おそらく城内に矢を射って、投石を止めるつもりだろう」

 

敵の策にいち早く気づいたのは、弓将として卓越した眼を持つ秋蘭だった。彼女の言葉の通り、袁紹の指示によって、黒白織り交ざった騎兵は皆矢筒を腰に挿し、弓を背負っている。

 

「投石も馬の脚ならば避けられる、か………凪!騎兵への投石は一旦停止。歩兵に向かって撃つように指示しなさい。この際当たる数が少なくても構わないわ。文醜と顔良を避けるようにして、敵歩兵の両端に向けて撃つように」

「はいっ!」

「秋蘭、貴女の弓部隊で騎馬隊を牽制してちょうだい。いずれは投石器の射程外に出てしまうでしょうけど、それでも数を減らすに越した事はないわ。袁紹への牽制が出来れば十分だし」

「承知した」

 

軍師の指示を受け、秋蘭もまた部下に指示を出す。荀ケの言う通り、投石器の主な狙いは2つある。1つはいまの状況のように、多くの敵兵を一度に葬る事。そしてもう1つは、袁紹以下、全ての兵への牽制である。倍の―――華琳が到着したとしてそれでも1.5倍の―――兵力差があるのだ。いかに相手方の将軍が少ないとはいえ、その差は脅威になる。だからこそ、こうして敵に最大限の恐怖を与え、印象づけるのだ。そうする事で兵の突撃を牽制できると同時に、他の策へ目を向ける可能性を減らす事が出来る。

 

「かつての主とはいえ、容赦なんかする筈もないわよ、袁紹………アンタには華琳様の覇道の、最初の礎となってもらうんだから」

 

不敵に微笑む軍師は、戦場を俯瞰する。彼女の指示通り、2基の投石器が放つ岩の軌跡が作り出す角度は、わずかに広がっている。流石の文醜や顔良でも、物理的な距離には対応できないようだ。

必死に逃げ惑いながらも落ち、転がる岩に潰されていく兵たちも、間もなく射程外に出るだろう。両翼の騎馬隊も夏侯淵隊の弓により、その射程外から機を窺っている。

 

緒戦を曹操軍は手に入れた。

 

 

 

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「いやー、やっぱアタイって凄いな!斗詩もそう思うだろ?」

「凄いから胸を揉まないでよー」

 

何とか投石の届かない距離まで兵を退かせた袁紹軍の本陣で騒ぐのは、袁紹の抱える二枚看板、文醜と顔良であった。文醜は大剣1本で岩を弾き飛ばした自分の武を誇りながら親友の胸に手を伸ばし、顔良はそれを必死に押し返している。

 

「まさかあれだけ大きな岩を飛ばしてくるとはな………妖術でも使ってるのか?」

 

そんな2人に苦笑しながら、先の光景を思い出し身震いをするのは公孫賛。自軍の弓兵を使って城内へ矢を射る事は出来なかったものの、袁紹の命令は撤退の支援であり、その任は何とか達成した。それでも僅かながらに―――敵軍師の指示によって―――両翼の兵の損失は出てしまった事は否めない。

 

「歩兵の損害がおよそ1500…数の上では大した事はありませんが………」

 

そして、1人ブツブツと呟くのは総大将である袁紹であった。顔良による被害報告を受け、今後の動きを考える。その様子を受け取ったか、公孫賛はいまだ絡み合う二大将軍を放置して、大将に話しかけた。

 

「何を考えているんだ、麗羽」

「白蓮さんでしたか。決まっていますわ。あの兵器に関してですの」

「やっぱりな。どう対応する?」

「それを考え中に決まっているではありませんか」

「だよなぁ…」

 

そして会話は途切れる。どのような理屈であれほど巨大な岩を飛ばせるのかはわからないが、分からないからといって対策を練らない訳にもいかない。

 

「壊せるに越したことはないけど、城内にあるから手が出せないよな………」

「………………………え?」

 

部下が放った何気ない弱音に、袁紹ははっと顔を上げる。その動きにも気づかないのか、公孫賛は、飛距離はどのくらいか、全方位に飛ばせるのかと一人思考している。

 

「白蓮さん、いま、何と……?」

「へ?……いや、どのくらい飛ぶのかなーって」

「その前ですわ!」

「えと………壊せるに越した事はない?」

「その後!」

「うわわっ!?」

 

何に気づいたのか、袁紹は公孫賛に詰め寄る。よほど大事な事に気づいたのか、顔の距離は30cmにも満たない。

 

「麗羽!近いって!」

「いいから仰いなさい!!」

「わかったから!………えと、城内にあるから…壊せな―――」

「それですわっ!!」

 

そして、公孫賛の言葉に、袁紹は高らかに声を上げる。

 

 

 

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翌日。華琳率いる援軍が梁の城へと到着した。袁紹軍の横撃を案じたが、投石器への警戒があったのか、それはなかった。そして、援軍は城内へと至る。

 

「初の実戦投入ではあったけれど、なかなかどうして、上手く機能したみたいね」

「せやで、大将。ウチがじっくり図面引いて、制作でも指示した傑作やからな。効果も抜群やったで」

「えぇ、その事も桂花からの報告で聞いているわ。袁紹との戦が終わったら褒美をとらせるから、楽しみにしていなさい」

「やたっ!」

 

華琳の言葉に、真桜は嬉しそうに顔を綻ばせる。そんな彼女を横目に、華琳は春蘭を引き連れて城壁の上へと歩を進める。

 

「簡単なものであったけれど、報告は読んだわ、桂花。その後変化はあるかしら?」

「華琳様っ!はい、どうやら袁紹軍が撤退を行なっているようなのですが……」

「撤退?それにしては布陣しているように見えるわ」

 

華琳の登場に満面の笑みを見せた荀ケはすぐに軍師の顔に戻り、現状を報告する。そして華琳もそれを受け、遠くに広がる黄金色の鎧に身を包んだ軍勢を見据える。大地を埋め尽くさんばかりに広がったそれは、およそ5万はいるように見えた。

 

「………少なくない?確か麗羽は10万の軍勢を引き連れていたと思うのだけれど…真桜の兵器がそんなに役に立ったのかしら?」

「いえ、昨日の時点で向こうに与えられた損害はおおよそ1000から2000です。文醜と顔良がうまく投石をいなして………現状についてですが、今朝早くに袁紹軍のその半数が撤退。伏兵の可能性も考えましたが、視界から消えるまではそのまま真っ直ぐに北西へと進みました。細作も放ちましたが、どうやら撤退に間違いはなさそうです」

「何を考えているのかしらね………では、あの5万はどう説明する?」

「………申し訳ありません。ここで決戦をするには我らよりも兵数は劣りますので、それもないかと」

 

袁紹軍を眺めながら会話をする2人の視線の先に、2騎の騎馬が駆けてくるのが目に入る。次第に近づいて来るにつれ、その姿を認められるようになった。1人は巨大な直刀を携え、薄緑色の短髪を風に揺らす女性。そしてもう1人は、太陽の光を反射させて輝く豪奢な金髪を棚引かせた女性だった。

 

「文醜と…麗羽………?」

 

敵軍二大将軍の1人文醜と、総大将その人である。

 

 

数十メートルの距離を置いて、4人の将が対峙していた。片側に立つは、袁紹と文醜。そして城の側に立つのは、華琳と護衛として出てきた春蘭であった。

 

「珍しいじゃない、麗羽。貴女のことだから、無駄に大きい櫓にでも乗って登場するかと思っていたわ」

「それもいいと思ったのですが、たまには華琳さんのような平民の様式に合わせるのも悪くないと思いまして」

 

皮肉を言う華琳に対して、袁紹は事も無げに皮肉で返す。かつての高笑いは、そこにはない。

 

「それで、そちらの軍の半分の兵を退かせたようだけれど………何が狙いなのかしら?」

「その事なのですけれど、私たちは一度退かせてもらいますわ。その前に、華琳さんとお話をと思いまして」

「だったらすべての兵を退かせて貴女と護衛だけ残してもよかったのでは?」

「名門袁家の者がたかだか数百の護衛だけで行軍をする訳にもいきませんのよ」

「確かにね」

 

言葉を交わしながら、華琳は相手の後方を窺う。動く気配は、ない。

また袁紹も、華琳に視線を注ぎながらも、視界の端に映る城壁を気にする。華琳の性格を知っているからその心配はないが、兵こそいれど、その背の弓を構える者はない。

 

「それで、話って?」

「私塾での昔話に花を咲かせたいところですが、そのような話はいつでも出来ますわ。それこそ、貴女を降した後にでも」

「言うじゃない。わざわざそんな実現不可能な宣言をする為だけに残ったの?」

「まさか」

 

そこで、袁紹は一度言葉を切ると、ほんの少しその大きな胸を反り、声を張り上げた。華琳と春蘭だけでなく、城壁、そして城内にいるすべての兵に届かせるように。

 

「華琳さん、私と決戦を致しませんこと?」

 

 

 

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「決戦?」

「えぇ。この度は劉備さんを討とうと貴女の領地にまで立ち入ってしまいましたが、このような緊急の状況で雌雄を決しても興が醒めるというものでしょう。ですので、一度ここは退き、新たな地での戦いを提案いたしますわ」

「貴女の軍が退くときに、こちらが追撃を掛けないとでも思っているのかしら?」

「………貴女は覇王を志しているのでしょう?覇道を進まんとする者が、どうして無抵抗の敵の後背を突くというのでしょう」

 

華琳は確かに見る。対峙する袁紹から立ち昇る、自分が持つものと同じ覇気を。そして、華琳の口角はこれでもかと上がり、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「いいわ、麗羽…貴女、最高よ………袁本初!曹孟徳はその戦を受けるものとする!決戦の地は何処か!」

 

ほんの少し呟く。そして、自身も同じ覇気を滲ませ、声高らかにその挑戦を受けた。

 

「元来の私たちの領土、冀州と予州の間――――――官渡など如何でしょう?」

「承知した。それでは、我らは3日の間を空けてこの地を発つものとする」

「わかりましたわ………御機嫌よう、華琳さん」

 

華琳の返答を受けて、袁紹は踵を返す。と、そこにかかる声。

 

「………麗羽」

 

その声を聞くのは、この場にいる4人だけ。

 

「貴女、変わったわね」

「………」

「………………それでこそ、名門袁家よ」

 

その言葉に何を思ったか。しばしの沈黙の後、袁紹は振り返り、口を開いた。

 

「何をお莫迦な事を。私は生まれる前から死んだ後まで名門袁家の人間ですわ………また後ほど。華琳さん」

 

そこにあったのは、かつての傲慢さでも先の覇気でもなく、たったいま彼女が言ったような、名門の人間のみが持ち得る気品を漂わせた袁紹の姿だった。

 

 

「よかったのですか、華琳様?」

 

袁紹と別れ、城内へと戻る道すがら、春蘭が華琳へと問いかける。

 

「貴女は何を聞いていたのかしら、春蘭?この曹孟徳が言葉を翻すとでも?」

「いえ、そのようなつもりは………」

「それに、戦の日が延びただけの話よ」

「………」

 

つまらなそうに言う華琳だったが、幼少の頃より仕えていた春蘭にはわかる。華琳が心の底より溢れ出る歓喜の心を押しとどめているのが。先ほどの問いはただの確認。だからこそ、春蘭はそれ以上何も言わず、華琳の後について城の門をくぐった。

 

 

 

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――――――長沙。

 

城の中央に誂えられた、玉座の間。城の重臣を集めた軍議の時間、軍の大軍師が口を開いた。

 

「袁紹が曹操領に侵攻したとの報告が入った。もとは劉備を追っての事らしいが………理由はわからないが、袁紹軍の追撃部隊は劉備を討つ事無く一時撤退。劉備は進行方向から判断するに、荊州へと向かったらしい。5000と小勢だから、もう到着する頃かもな」

 

開口一番出てきた言葉は、北の地で起きた戦の報告だった。だが、それに笑みを浮かべて反応する将、いや、王がいる。

 

「あら、曹操が劉備軍の通行を許可したの?珍しいわね。何か対価でも貰ったのかしら?」

「さてな、そこまではわからん。だが、他領の軍が自領に侵攻した以上、曹操も軍を動かさざるを得ないだろう。つまり」

 

そこで一度言葉を切り、大軍師は周囲を見渡す。王と宿将は不敵な笑みを、水色の髪をした軍師はのほほんとした笑みを浮かべている。王家の次女とその側近、隠密頭の長刀使いと新人軍師は至極真面目な顔で、その視線を見つめ返す。1人1人視線を送ったところで、大軍師自身も、王と同じ笑みを浮かべる。

 

「我らの動く時が来た」

「いよいよね……いよいよ、我らの悲願を為す時が………」

 

母孫堅の没後、客将として辛酸を舐めてきた。反董卓連合以降、その仮の主の態度が軟化したとはいえ、客将という立場に関しては有耶無耶になったままであった。母が興し、育てた血を奪われてから長らく続いてきた日々が、ようやく終わりを迎えるのだ。雪蓮の想いは誰より強い。その証拠に、彼女の瞳から一筋の雫が流れ落ちる。

 

 

「穏、現在の我が軍と敵軍の兵力差は?」

「うちが5万弱、向こうは7万5千。おおよそ1倍半といったところでしょうかぁ」

「聞いた通りだ。敵は多勢、我が軍は寡勢。だが、それがどうした。父祖の代より、我らはその武によって治めてきた。雪蓮の言を借りるわけではないが、1人あたま2人斬れば釣りがくる」

 

いつになく、冥琳の言葉も荒い。彼女もまた、雪蓮に次ぐ想いを抱いている。その想いを引き継ぎ、雪蓮が言葉を発す。

 

「祭、思春、兵の準備は?」

「応、いつでも行けるぞ、策殿」

「はっ!水軍も準備は出来ております」

 

問われた将は、是と頷く。

 

「明命、貴女には先行して向こうの軍の様子を調べてきてもらうわ。報告は聞いているけど、それでも最新のものを手にしたい」

「わかりました!」

 

隠密頭は、元気よく返事をする。

 

「亞莎、貴女には遊撃隊として動いて貰うつもりよ。冥琳に師事して得た智も、武官として磨いた腕も存分に振るってもらうから」

「はいっ!」

 

武官上がりの新人軍師は、いつものように袖で顔を隠す事無く応じる。

 

「蓮華!冥琳、穏と共に本陣を率いなさい。先陣は私と祭が切る。貴女の手でこの長い戦いに終止符を打つのよ」

「………はいっ!」

 

王族の少女は、姉から送られた視線をまっすぐと見つめ返して頷いた。

全員の返事を聞き、孫家の王は玉座から立ち上がり、宣言する。

 

「これより、袁術を討つっ!」

 

 

 

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――――――南陽。

 

城のとある一室。黄金色の髪の毛を窓から差し込む陽射しを受けて、キラキラと輝かせた少女が何やら読み物をしている。

 

「むむむ……だいたい孫子は言い回しが難し過ぎなのじゃ!大体なんじゃ、この『小敵の堅なるは、大敵の擒なり』とは?………おぉっ、わかったぞ。小さい蜂は数が多くて守りも堅いが、大きい蜂ならば慢心して数も少ないじゃろうし、蜂蜜も手に入れやすいということじゃな!」

 

どうやら少女の敵は諸侯や彼らに仕える武将ではなく、蜂蜜を守る蜂の事らしい。

 

「全然違いますよ、お嬢様」

 

と、そこにかかる声。袁術軍大将軍である張勲だった。

 

「七乃かや!妾は勉強を頑張っておるぞ?今日は蜂蜜の日じゃし、蜂蜜水を持て」

「あぁん、自分のお馬鹿加減を棚に上げて蜂蜜を所望するなんて可愛過ぎます!ちょっと待っててくださいね?」

「妾は良い子じゃから、ちゃんと待つぞえ?」

「はーい」

 

間違いをまったく訂正しない辺り、張勲の性格も歪んでいると言えるだろう。主の命令に嬉々として器や蜂蜜壺を準備する彼女であった。

 

 

「それで、どうしたんじゃ?妾の勉強の時間はもう少し続くはずじゃったのに」

 

蜂蜜水を飲んで満足したのか、部下の膝の上で後頭部に柔らかさと温もりを感じながら、袁術は部下の顔を見上げる。

 

「それがですね、ちょぉっと大変な事になっちゃったんですよ」

「何かあったのか?」

 

茶器に残った水滴を舐めながら無邪気に問う少女に、ニコニコ顔で張勲は告げる。

 

「それがですねぇ、孫策さんが軍を出してこの城に向かって来ちゃってるんですよ」

 

自領の一大事を。

 

「なんじゃ、そんな事か…………」

 

些事を、と斬り捨てる少女に、張勲の瞳が驚きに見開かれる。

 

「あんまり驚いてないですねぇ…」

「言っても客将じゃからな、伯符の奴は。文台が亡くなってからその地位も引き継いでおるし、奴は漢の侯でもある。勅には反しておらんしの」

「美羽様……」

 

少女は出陣の準備を命じた。

 

 

 

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十日後。広大な平野に2つの軍が対峙する。南に布陣するは雪蓮率いる孫呉の軍。北に陣を敷くは、袁術率いる袁家の軍。双方その最大戦力を以って、戦場へと臨んでいた。

総勢10万を超す2つの軍の中央から、それぞれ2頭の馬が走り出る。一騎は赤紫の戦装束に身を包んだ将を乗せ、もう一騎はクリーム色の下布に橙色の上衣を纏った小柄な少女とその後ろに蒼い髪を携える女性を乗せている。

それぞれ真っ直ぐに距離を縮め、ある程度の距離を残したところで馬を止めた。

 

「久しぶりね、袁術ちゃん」

 

先に口を開いたのは雪蓮だった。その口調は戦場に似つかわしくない程に穏やかである。しかし、それを受けても袁術の表情は変わらない。雪蓮も少女が言葉を発するまで待つようだ。最初の一言を口にしてからは、じっと少女の伏し目がちな瞳を見つめた。

 

「………のぅ、伯符」

 

しばしの沈黙の後、袁術は顔を上げて声を出した。これまた戦場とは思えないほどにゆったりと落ち着いている。

 

「ひとつだけ、聞かせてもらってもよいか?」

「………なぁに?」

 

互いに声音は小さい。この場の3人の耳にしか届かないほどに。

 

「本当に…戦わねばならぬのか?」

「何を今さら。こうして互いに軍を率いて対峙しているのに、何を迷っているの?」

 

しかし袁術はその問いに答えず、ぽつぽつと語り始める。

 

「主とて、妾の愚者っぷりは知っておろう」

「………」

「以前―――勅の出る前に『天の御遣い』が妾の城にやって来た。その頃は妾も勉学に励み、七乃と一緒に街へ視察に出たりもして、自分の愚かさ加減を理解させられたからの」

「確かに…反董卓連合以降は、袁術ちゃんも善政に励んでいるとは聞いていたわ。それよりどうしたのかしら?まさか武に生きてきた孫家の人間相手に、諭そうとでもいうつもり?」

「ふんっ、そのような考えなど持っておらぬわ。ただ……主はこの戦で………………妾を殺すのであろう?」

「……………」

 

少女の口から零れるのは、悔恨の念と、ほんの少しの諦観。初めて目にするその姿に、雪蓮は言葉を返せない。

 

「部下の言葉に―――もちろん七乃ではないぞ?―――踊らされて文台の死後、妾は主らの領地を奪い取った。そして仲謀たち妹と主を引き離し、いいように使っておった。その恨みのほどは、妾には計り知れん。じゃから、今しかないのじゃ」

 

言葉を切り、袁術は行動を起こす。

 

「伯符よ、すまなんだ」

「なっ―――」

 

地に降りはしない。頭は下げない。それでも、袁術は謝罪の言葉を口にした。

 

「まさか……貴女の口からそんな言葉が出るとはね」

「戦が終わってしまえば、そんな機会もなくなってしまうからの」

「貴女が戦わずに降伏してくれれば、誰も傷つかずに済むんだけど?」

 

少女の行動に雪蓮は驚きを隠せないでいたが、そこに少女の誠意を感じ取ったのだろう。降伏を勧告する。だがしかし、袁術は首を振った。

 

「それではそちらの兵も納得がいかぬであろう。それに………約束があるのじゃ」

「約束?」

「妾が勝手にそう思っておるだけじゃがの」

 

少女は否定の言葉を口にし、思い出す。

 

『お前達に、隊長として最後の命を下す。己を高め、友を信じ、その命を賭してこの街を守れ!家族を、友を、愛する者を守る為に剣を握れっ!!………………私が帰ってくる、その時までな』

 

それは、かつての部下の最後の言葉。彼女は言った。必ず帰ってくると。ならば自分は、彼女が帰る街を守らなければならない。兵は誓った。敬愛する隊長の言葉に、友を、街を守る事を。自分は主として、それを尊重する義務がある。明確な約の言葉は口にしていない。それでも、少女は誓った。

そして、訣別の言葉を口にする。

 

 

 

-10ページ-

 

 

 

「孫伯符よ!かつて孫文台の死後、そなたらの領地を守る為に手を貸した、妾への恩を忘れるとは何事か!」

 

可愛らしい細い声を、精一杯に張り上げる。その声に、瞳に少女の決意を感じ取ったのだろう。雪蓮もまた、その舌戦を受けた。

 

「何を言うか!火事場泥棒の如く我らが領地に押し入り、我が妹たちを軟禁していた者への恩など感じる筈もない!」

「客将とはいえ、部下の尻拭いも主の務め。なれば、我が軍を以ってその謀反を鎮めてくれる!」

「これは謀反ではない!あるべきものを、あるべき姿に戻すための戦い。我らが父祖の代より受け継いできた地を、あるべき場所に戻すための戦いだ!」

「ならばよかろう。妾の全勢力にて、そなたらを落としてみせようぞ!」

 

そして、袁術と雪蓮は同時に馬首を翻し、自陣へと戻っていく。

 

「………お見事な口上でしたよ、お嬢様」

 

馬上で、背後から張勲の声がかけられる。

 

「うむ。七乃や」

「はい」

「妾と共に、散ってくれ…」

「当り前です。お嬢様の行くところが、私の行くところなんですから」

 

張勲の主への愛は、ある種偏執的なものとも言えるほどだ。だが、それゆえに彼女は主のすべてを理解しているつもりでいる。だからこそ、彼女はその言葉を否定しない。通常ならば何をしてでも―――それこそすべての兵を犠牲にしてでも少女の命を優先するだろう。しかし先の言葉を聞き、その心に触れ、彼女はその優先事項をほんの少しだけ変える。

 

 

 

-11ページ-

 

 

 

「口上まで間があったが、何やら世間話でもしておったのか、策殿?」

 

舌戦から戻ってきた雪蓮に、宿将は問いかける。

 

「ちょっと、ね。それより、祭、作戦を変更するわ」

「む?」

「そこの貴方、公瑾と仲謀を呼んできてもらえるかしら?」

「はっ!」

 

首を傾げる祭には応えず、雪蓮は近くにいた兵を伝令に出す。時間をおかず、冥琳と孫権が駆け寄ってきた。

 

 

冥琳と孫権に新しい策を伝え、下がらせると、雪蓮は兵に向き直り、南海覇王を高く掲げる。

 

「聞けっ、孫呉の兵よ!これより我らは独立の為の第一歩を踏み出す!苦汁を舐めてきた日々に終わりを告げろ!………突撃ぃっ!!」

「「「「「――――――――――――」」」」」

 

雪蓮の檄に兵達は武具を構え、走り出す。先陣を切るのはもちろん孫武の象徴である雪蓮自身、そして祭だ。

 

「敵の数は倍とまではいかん!2人斬れば事足りる。黄蓋隊!貴様らに一人十殺を命じる!!」

「「「「「応っ!!」」」」」

 

将軍の言葉と同時に、兵達は迫りくる袁術軍の兵に斬りかかった。

 

 

「やっぱりそう来ますよねぇ」

 

戦場を俯瞰しながら苦笑するのは、袁術軍の大将軍。彼女は溜息を吐きながらも指示を出す。

 

「前曲及び、両翼に伝令を放ってください。将軍を相手にする必要はありません。楯隊で囲み、動きを封じるだけで十分です。また、一般兵が相手であっても1対1ではあたらないようにと。2人に3人であたるようにと」

「「「御意っ!」」」

 

命じられた伝令兵は走り出す。将軍を倒さずして、どのように戦を勝利に導くのだろうか。そのような疑問は持たない。主の側近であり、主同様に道化のような振る舞いの姿は記憶にあたらしい。それでも、有能な将の少なさ故に、たった1人で城を、軍を維持してきた大将軍の言葉だ。袁術の愚者のほどに霞んではいるが、彼らはその有能さを知っている。

 

 

 

-12ページ-

 

 

 

半刻ほど斬り結んだだろうか。将の差から想定される戦局を覆すかのように、袁術軍の前線は奮闘していた。

 

「どうしてなかなか…こうやって儂らを抑えてくるとはなっ!」

 

言葉尻とは裏腹に楽しそうな声で得物を振るうのは祭。先陣を切り、最前線でいる為か、今や弓ではなく腰の剣を抜いている。

 

「そりゃ、張勲はたった1人であれだけの大軍を回していたんだからね。それだけの頭を持っているって事。それにしても鬱陶しいことこの上ないわ」

 

その声に応えるのは、祭同様に最前線に立つ孫家の王。南海覇王を振るうも、袁家の資金をふんだんに費やした大量の楯に阻まれては、その威力は本来のそれを発揮できていないようだ。あるいは―――。

 

「祭、一度下がるわよ!」

「応よ!全隊、退けぇっ!!」

 

大将の言葉に呼応し、兵達はそれぞれ対峙していた敵兵を剣や楯で弾き飛ばすと、まっすぐと後方へさがる。

 

 

「七乃や、前曲が退いておるぞ。どうする?」

「あらら、思ったよりも早かったですねぇ」

 

袁術の言葉に、自軍左翼を眺めていた張遼はそちらを向く。そして、立てた人差し指を頬に当てて何やら思案すると、口を開いた。

 

「いまが機ですね。前線に伝令です。楯隊を前面に出し、追撃をしてください。剣を振るう必要はありません。ただ、圧すようにと」

「はっ!」

 

新たに伝令を走らせると、張勲は再び戦場を眺める。しばしの後、前線で動きがあった。指示通りに隊を入れ替えたようである。そして隊を整列させると、そのまま勢いを強めた。

 

「上手く前後に伸びましたね。周瑜さんでしたらそろそろ………」

 

自軍の様子を見ながら、張勲は口の中で呟く。その声は、同じように戦場を眺める少女には届かない。

 

 

 

-13ページ-

 

 

 

そして、その様子は孫策軍本陣の冥琳たちにも見てとれた。

 

「冥琳様ぁ、敵中央が追撃をかけてます。上手く囲い込んだようですねぇ」

「あぁ」

 

穏の言葉の通り、袁術軍は囲まれていた。雪蓮の指示により下がったのは前線中央のみ。左右翼は動いていない。圧されているようでその実、袁術軍は鶴翼へと形を変えた孫策軍の奥へと誘導される。

 

「―――穏、銅鑼を鳴らせ!亞莎に指示を出し、伸びきった敵中央を横撃させろ」

「はぁい」

 

戦場であるにも関わらず、いつもの如くのほほんとした声音で穏は指示を出す。すぐに銅鑼が鳴らされ、右翼が動いた。

 

 

遠く本陣から鳴る銅鑼の音に、舞うように長い袖を振るい、音もなく敵兵を撃っていた亞莎はその視線を中央へと向けた。

 

「冥琳様の読み通りに………はぁっ!」

 

その様子を確認しながらも、亞莎は袖を振るう。袖により出来た死角から飛ばされた暗器が、自分を囲むように並べられた楯の隙間から敵兵を討つ。

 

「呂蒙隊、いまが機です!転進、敵中局を横撃しますっ!」

 

そして、周囲で武を振るっている部下に命令を飛ばす。威勢のよい返事を聞くと、亞莎は言葉の通りに走り出した。その後に続くのは、孫武の兵。張勲の指示なのか、それを追うように指示を出す部隊長はいなかった。

 

 

戦場とは離れた地で馬を駆けさせる2人の武将と数百の騎馬。先頭を駆けるのは、孫権と明命であった。

 

「間もなく思春殿との合流地点です!」

「わかった!………間もなく甘将軍と合流する。本番はその後だが、気を抜くなっ!」

「「「「「応っ!」」」」」

 

孫権は檄を飛ばし、さらに馬を加速させる。その長い桃色の髪を風に棚引かせ、それを御旗のように、騎馬隊は速度を上げた。

 

 

 

-14ページ-

 

 

 

しばし馬を走らせ、孫権たちが甘寧と合流したのは大河の岸。ちょうど袁術軍を挟んで孫策軍本陣の真反対に位置する。

 

「れ、蓮華様!?」

 

水軍を率いた単独行動を命じられていた甘寧は、そこにいる筈のない主の姿に驚愕を露わにする。

 

「思春、行軍は滞りないか?」

「え……は、はっ!全兵すでに出立の準備は整っております!」

 

その様子を気にする事無く問う孫権に、甘寧は片膝をつき肯定する。

 

「ならばよい。作戦が変更になった」

「変更、ですか?」

「えぇ。詳細は道中で話す。これより行動を開始する」

 

言うが早いか、孫権は甘寧の背後に整然と隊列を組む兵に向かって檄を飛ばす。

 

「これより我らは袁術軍の後背を突く!我らの手で、この長い戦いに終止符を打つぞ!」

「「「「「応っ!」」」」」

 

水軍の威勢のよい返事に満足気に頷くと、孫権は馬首を翻した。

 

 

突如横腹を突かれた袁術軍は、混乱に陥る。強襲に騎兵がいない為、被害はそこまで大きくはなかったが、それでも隊列の多くを瓦解させるには十分だった。

 

「七乃っ!向こうの右翼が動いて、中央がやられたぞ!?」

「あれは……あぁ、連合の後に新しく入ったという呂蒙さんですねぇ。どうしましょう?」

 

慌てた様子の主に笑顔で問いかける。

 

「どうしましょう?ではないわっ!この隙に伯符たちが戻ってくるかもしれぬ!」

「あー、それも考えられますけど………」

「どうしたのじゃ?」

 

言葉を濁す部下に、袁術は可愛らしく首を傾げる。その姿に抱きしめたい衝動を抑えながら、張勲は後ろを向いて指差した。

 

「もう遅いみたいですねぇ」

 

袁術が張勲の指差した方角に目を遣ると同時に、兵の怒号が彼女の耳を打った。

 

 

 

-15ページ-

 

 

 

「どうする、張勲?」

 

問うは、桃色の髪を携えた将。彼女はへっぴり腰で剣を構える敵の大将軍に問いかける。その背後に立つ、曲刀を腰に挿した将は動くつもりはないらしい。ただじっと、周囲に気を配り、主に攻撃がこないよう見張っている。さらにその向こう側では、長い黒髪を振り回し、本陣を守る親衛隊を相手に立ち回る将。

 

「いくら私に姉様程の武がないとはいえ、お前に負けるほどではないぞ?」

「そりゃそうですよ。孫権さんと違って、私は武の鍛錬もしてないんですから」

 

頬を膨らまして応えるのは、袁術軍の大将軍。

 

「では、どうする?」

「それを私に聞きますか?私は将軍ですけど、大将ではありませんよ」

 

そう言って剣を片手に持ち直した張勲は、腰にしがみついて震える少女の頭を撫でる。その言も至極当然である。戦の結果を決めるのは、軍の大将なのだ。勝利であろうと敗北であろうと。

 

「………そうだったな。袁術よ」

「な、なんじゃっ」

 

そして孫権も、その言葉の先を変えた。

 

「張勲の言う通り、結果を決めるのはお前だ。負けを認めれば、お前の首を獲る必要もなくなる。私個人としては、さっさと首を獲ってしまいたいがな」

「なんじゃと?」

 

袁術は訝しむように視線を送る。

 

「どんな心変わりがあったかはわからないが、姉様自身がお前を討たずに捕らえろと方針を変えた。なれば、私はそれに従うまでだ」

「伯符が………」

 

少女は理解する。と同時に、その瞳に涙を浮かべる。

 

「妾は…死ななくても、よいのか?」

「袁術……?」

「妾は、ずっと考えておった。街を見て、自分が何をしてきたか…民と触れ合い、笑顔を向けられ、街を守る事がどれだけ尊い事なのか………そして、その為に伯符たちがどれだけの想いを持っていたのか………」

 

そして、両眼から涙を零した。

 

「妾は酷い事をしてきた。民にも…主らにも………妾が討たれ、結果、伯符たちの気が晴れ、南陽の民もよい方向に進むのなら、それもよいと考えておった………」

「袁術…」

「妾に…それを償う機会を、これからも与えてくれるのか?」

「………貴女がただ一度その言葉を口にすれば、それが出来るわ」

 

次第に孫権の瞳から敵意が抜け落ち、呼称と、彼女自身の口調も変わっている。

 

「そうか…七乃や」

「はい、なんですか、お嬢様?」

 

少女の表情とは裏腹に、張勲は笑顔で応える。

 

「妾の…袁の旗を、降ろすのじゃ………」

 

広大な大地に、勝ち鬨が轟いた。

 

 

 

-16ページ-

 

 

 

あとがき

 

 

という訳で、#61でした。

今回はずっと袁家のターン!

公孫賛戦の時に麗羽様がかっこよかったので、美羽たんにも頑張って貰いました。

そして主人公もヒロインも登場しない始末。

まぁ、楽しんで頂けたなら幸いです。

 

話は変わりますが、前回の稟ちゃん外伝が小説のランキングにかすっててワロタwww

これから秋も深まってくるし、何か思いついたらまた上げます。

風ちゃんに春秋も思いついたら上げます。

恋ちゃんの外伝はいくつか書きかけて、あまりに盛り上がりがないからやめといた。

 

それではまた次回、お会いしましょう。

 

バイバイ。

 

 

 

説明
という訳で、本編第61話。
前回か前々回、本編は日曜に上げるとか言ったけど、思ったより捗ったのでうp。

今回はずっと〇〇のターン!

ではどぞ。
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コメント
美羽・・・泣いたぜその覚悟!妾と共に散ってくれとかマジで泣きそう!!(心は永遠の中学二年生)
美羽たん。。。。(qisheng)
>>M.N.F.様 ただいまです。そりゃちまちまとフラグ立ててきましたからw(一郎太)
>>Masatora様 こういうシーンを書いてる時は、いつも「あざとすぎかなぁ」とか思うんですが、同時にその言葉に「よっしゃ」とか思ってる自分もいますw(一郎太)
ただいまおかえり(^_^)ノ みんな劇的に変わり過ぎw(M.N.F.)
袁術の「それではそちらの兵も納得がいかぬであろう。それに………約束があるのじゃ」にホロっときた。(Masatora)
>>こるどいぬ えっ?(一郎太)
>>ブンロクZX様 どっちが勝つにしろ、個人的に白蓮さんに頑張って欲しいものですwww(一郎太)
・・・え?名前?・・・・(運営の犬)
>>こるど犬 あれ、名前が元に戻ってる?(一郎太)
>>readman様 かっこよく書きすぎたかもw(一郎太)
>>jonmajirouhyouryuki様 いやいや、負けた白蓮さんもなかなか活躍してるし、美羽もどっかで何かやってくれるかもしれませんぜ(一郎太)
>>アルヤ様 まぁ、その名家も片方は負けたんですけどねw(一郎太)
>>ひとや犬 後半がなければ素直に礼を言うところなのに(一郎太)
>>アロンアルファ様 ただ美羽の声で舌戦はどうしても想像がつかなかった。書いてるくせにwww(一郎太)
え・・・何・・・この子・・・ホントに美羽・・・なのか・・・(運営の犬)
袁家カッコ良いなあ。(readman )
駄名家いえないなぁ(アルヤ)
「真・恋姫無双アンソロジー第七巻」と検索すれば表紙が見れるよ♪可愛く恋をペロペロ味見している俺を見てくれぃ!!(ギミック・パペット ヒトヤ・ドッグ)
美羽も麗羽もカッコいいです!(アロンアルファ)
>>また名前が変わっている犬 アンソロジーは買ってないからわかんないぜ!相変わらずのキモさに安心した(一郎太)
>>骸骨様 このまま10年くらいたって勝負をしたら勝っていたでしょうね(一郎太)
今月の恋姫アンソロジー七巻は恋と俺が表紙を飾っていたね、俺こんなに可愛く描かれていいんだろうかW恋に抱っこされペロペロと、フヒヒW(ギミック・パペット ヒトヤ・ドッグ)
>>yosi様 この美羽たんなら妹にしたい。(一郎太)
>>朱槍様 チート仕様なのは一刀君だけではなかったみたいですね。今さらだが色々いじり過ぎたかもしれないorz(一郎太)
>>shirou様 『感』というより明らかにわざとと思って描いてました。そこは雪蓮の性格をそれなりに知っていたからではないでしょうかね。まぁ、細かいところは次回に書く予定なので、しばしお待ちいただければ。(一郎太)
>>Joker様 作者は美羽も好きだから、頑張って欲しかったのですよ(一郎太)
>>博多のお塩様 子どもだから、色々と気づいてからの変化も大きかったのではないかと(一郎太)
>>氷屋様 まだ幼いからですかねー(一郎太)
成長したね、美羽(´;ω;`)(量産型第一次強化式骸骨)
覚醒美羽様素敵(yosi)
俺の知ってる美羽と違うΣ(゚д゚;)(朱槍)
うーんわざと負けた感があるのは否めないなぁ。少女に約束を守る矜持よりも生かすためにしたのかもしれんがある種の裏切りだよね。(shirou)
もう、この外史に“駄名家”という言葉は存在しないんだな…。麗羽も良かったけど、美羽の成長に感涙、です。(孔明)
美羽はびっくりするくらい成長したな(博多のお塩)
美羽のけなげなところに涙した(´;ω;`)(氷屋)
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