あと五分!
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 愛が目を覚ますと、すぐそばにトリケラトプスがいた。硬そうなウロコに覆われた巨体が、平原の草をちまちま食べている。空を見上げれば、雲一つない、爽やかなチョコレート色。

 どうやら起きるには早すぎたようだ。愛は再び目をつむった。トリケラトプスの足音に、地面が微かに震えている。

 

 もう一度目を覚ますと、目の前に艶やかな木の床が広がっていた。視界の端に淡い色の布がある。布をたどって首を回すと、突然「いとおかし!」という叫び声がして、愛は飛び上がりそうになった。よく見れば、寝殿造りの部屋の中、十二単を着た長い髪の女性が、カルベーのポテトチップスを食べながら熱心に筆を走らせていた。ポテトチップスを一枚食べるごとに、「いとおかし!」と叫んでいる。

 愛は目を閉じた。まぶたの向こうでは、女性が「いとおかし! いとおかし!」と叫び続けている。

 元の世界までは、まだまだ遠いようだ。あと一時間は寝なければならないだろう。

 

 三次元に無数のパラレルワールドが存在していて、愛たちがいる世界もその一つであることは、彼女たちの世界ではもう常識になっている。そして夜から朝にかけて、それらのパラレルワールドが、ベルトコンベアーのように一定方向にズレていくのも常識だ。そのため愛たちは、夜眠ることで、様々な世界に移動してしまう。

 違う世界に来てしまったら、睡眠の長さによって、移動距離を調節する。睡眠時間が短ければ、近い世界、つまりよく似た世界に移動できる。愛たちの元いた世界は、朝方に一度だけ巡ってくるので、その時間にきっちり起きなければならない。元の世界が巡ってくる時間は毎日変わる上、一度通り過ぎた世界は、一日経たないともう一度行くことはできない。元の世界で起きられなかった場合、その世界でその人は一日中いないことになる。会社や学校では欠席扱いになるので注意が必要だ。

 

 もう一度目を覚ますと、愛は見覚えのある自分の部屋にいた。しかし油断はできない。一見そこが馴染み深い自分の部屋のようでも、そこが愛の元いた世界だとは限らないのだ。

 部屋の中だけでは判別がつかない時、愛は窓の外を見るようにしている。空は水色、景色は住宅街。特に変わったところは、いや待て。道路に裸のチンパンジーが行き交っている。あるチンパンジーはランドセルに黄色い帽子、またあるチンパンジーは食パンをくわえて器用にチャリに乗っていた。

 惜しい。しかし、愛たちの世界はもう近いはずだ。

 覚醒しない頭をもう一度枕にうずめる。いつもより寝覚めが悪いなとぼんやり考えて、愛は昨日夜更かししたことを思い出した。昨日の次の日、つまり今日は、学校で英単語テストがあって、愛は昨日の夜になるまでそのことを忘れていたのだった。

 寝坊しないよう気を付けないと。そう心に決めて、愛は枕元にあった目覚まし時計を五分後にセットした。

 

 どれくらい経っただろう。ふいに愛の意識は眠りの海から浮上し、ぱちと目を開けた。目覚ましの音は聞こえない。愛は慌てて飛び起きた。

 しまった、寝坊した!

 振り返って目覚まし時計を見れば、先ほど眠りについてから二十分が経っていた。目覚ましでセットした時間より、十五分遅く起きたことになる。

 しかし辺りを見渡すと、愛がいたのは、やはり見慣れた自分の部屋だった。ドアの色形、壁紙の模様、机の上に散らかった教科書ノート。どれをとっても、昨日自分がいた部屋に変わりはなかった。

 愛は窓の外に目を向けた。空は水色。UFOは飛んでいない。広がる住宅街は見慣れた景色と全く同じものだ。道路にチンパンジーは見当たらない。

「寝過ごして……ない?」

 窓ガラスにへばりつき、外を隅々まで確認した後、愛は呟いた。世界を寝過ごしていない。ということは、学校を休まずに済む!

「やったあー!」

 愛は喜びのあまりぴょーんと飛び上がった。その勢いで足裏に炎が吹き出し、愛は天井を突き破って空へ飛び出した。

 愛が目覚めた世界は、人類が人型ロボットになった世界だった。

 

 

 その日愛は、元いた世界の学校で欠席扱いされた。

 

 

 

説明
眠ることでパラレルワールドを移動してしまう話。
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掌編 SF パラレルワールド 

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