水精
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耳の中に水が入る音がして、自分の心臓の鼓動だけが聞こえる。

息苦しさは無いが、定期的に鼻腔から空気を吹き出してやると幾分かは楽になる。

揺れる水面を下から見上げると、なんとも幻想的な世界に見えた。

ところどころペンキが剥げ落ちていたが、水色に塗られた

プールの底や壁に陽の光が作り出す、光の反射の揺らめきは神秘的にも思えた。

 

プールの底に座りながら、水中を見わたすのが好きなのだ。

水深1.5mの水底に、ゆったりと水と戯れるのが好きなのだ。

水面ではなく、水中を泳ぐのが好きなのだ。

 

中学に入り水泳部の顧問の教師にしつこく勧誘され、

一度は水泳部に籍をおいてはみたが

すぐにイヤになったのは。

ゴリラのような顧問の女教師のせいだけではない。

なぜ早く泳がなくてはならないのか_?

 

いや、もっとも、水泳部の部員の中で、自分より早く泳げるものはいなかった。

簡単なことだ。たまたま子どもの頃から潜ることを憶えてしまったので。

肺活量が大きいのだ。だから息継ぎの必要が無い。

息継ぎをしなければ、フォームを崩さずに泳ぎきれば。

早くゴールには辿り付けるだろう。

そんなことは、ささいなことだ。

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早く泳いで、なにが楽しい?

ゆったりと水の質感を楽しめるのか?

この幻想的な水中の光の揺らめきを。

水中での奇妙な静寂を。

水圧で喚起される緊張感を。

楽しめないじゃないか。

 

そして、水面にあがっての深い呼吸で満たされる肺。

 

全身の力を抜いて顔を空に向けて肺を空気で満たせば

身体は水に浮く。夏の真っ青な空が目の前にひろがり

ちいさなジャンボ機の機影が、飛行機雲を引っ張りながら

視界の右から左へと移動していく。

あぁ夏空。

 

「お?スティングレイが浮上中だ。」

人形劇に出てくる潜水艦になぞらえて。悪友のマサたちが近づいてきた。

「なあ・・おまえ・・クラスのさぁ慶子って最近おっぱい大きくなったよなぁ?」

どうかな?あんまり興味ないよな

「マジ?絶対さ慶子ってさぁ、ブラジャーしてるよなぁ」

夏休みの登校日の午後のプール開放日。

今日から一週間、プールの開放日がつづく。

「おまえらを不良化させないためだ」と担任の先公には云われた。

ボクらは「生徒」ではなく「管理対象」だった。

 

郊外の住宅地の真ん中の中学校。この辺には、ボクらが楽しめるようなものは

何も無かった。小遣いは300円アップして千円の大台に乗ったが電車代だのバス代

だの交通費は倍になったわけで。実質半減以下。

しかも3ヶ月分の小遣いを貯めてKISSのLPを買ったから、夏休みなのに。

 

此処に来るしかないじゃないか

 

水面にトンボが、交尾しながら降りてきた。

また、大きく息を吸い込むと、腕で水をかき、また水底に身を沈めた。

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再び、水中を自在に泳ぎながら

屈折した光の揺らめきを楽しみながら

ゆれる水面の天井を眺めていた。

ほかの人たちが泳いだあとの航跡が

更に光を屈折させ水泡がきらめいて見える。

 

そんなときに。

幻想的な光の模様が揺らめくプールの壁を。

水色のペンキの塗られたプールの壁の近くを何かが動いた。

小さなものじゃない。人間だ。だって他に何がいるわけじゃないだろ?

しかし、誰もいる気配は無い。

 

潜水泳法は・・基本的には校内では・・ボクだけのはずだ。

 

気のせい?

いや、水の流れを感じる。

だれ?

 

明るい日差しが底面まで差し込む中

泡立つ気泡の中に見つけた。

「カノジョ」は幻想的な光景の中で微笑んでいた。

思わず・・その美しさに・・見とれている間に

息を吐き出してしまった。

水面まで浮かび上がる。

 

丁度そのときに監視員を務める水泳部の顧問の吹く笛がなり

プールから上がらなければならなかった。休憩時間だ。

悪友たちはプールサイドで、ひっくり返り甲羅干しを始めた。

日に焼けたセメントが水を掛けられて立ち昇る「夏のにほひ」が心地いい。

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「おぅぃ、スティングレイ!」

完全にボクのあだ名にされている。

マサが手を挙げた「こっちだ、こっちだ・・。」

と手を振って呼ぶ。

 

「だからさぁ、いまさぁみんなで話し合っていたんケドさ

慶子のさぁ、着替えするところを覗きにいかないかって、お前も乗るよな?」

さ、どうかな?それよりあの子・・どこの子さ。

「え?」

ほら?あの子さ・・と振り返り、探すんだが、彼女は見つからない。

 

「どこに女子がいるって?」

マサが身を乗り出してきた。

「おい、おまえ、潜りすぎて、おかしくなっちゃったんじゃね?」

でも、たしかに・・いたよ・・

「考えてもみろよ、この夏休みの学校のプール開放日にさ。

集まってくるのは・・もてない野郎ばっかりだぜ。」

 

見わたすと、自分らも含めて、全身日焼けした男子ばかりが十数名。

そこに昼間の練習を中断して、泥だらけの野球部員十数名が入ってきた。

「おぅ、野球部!おまえらちゃんとシャワー浴びてから来いよな!

プールの水が汚れちまうからよォ!」

マサが野球部に声を掛けると

 

「いいよなぁ、最初からプールサイドでひっくり返ってりゃァいいんだからな

いい御身分だな、帰宅部はよ!」

と野球部員からやっかみのような声がかかると、マサが言い返した。

「こちとらリゾート部だぃ!」

すると、プールサイドの少年たちが拍手喝采し笑いが響いた。

 

「畜生め!俺も野球部やめて、リゾート部に入るぞ!」

野球部の部長が、マサに言い返した。

見張り台の上の水泳部の顧問が休憩終了の合図の笛を吹く。

すると、皆立ち上がって、一斉にプールに飛び込む!

“ウェルカム・トゥ・リゾート部!”

あぁ、もてない少年たち_。

 

悪友たちとふざけあうのは楽しい。

だが、ボクは、水の中であった「カノジョ」のことで

頭がいっぱいだった。

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スティングレイというのはイギリスの人形劇に出てくる

カッコいい潜水艦の名前だが、その響きのカッコよさは群を抜いて

よく聞こえたんで、気に入っていたのだが。

 

学校のプールの帰り道に、駄菓子屋に入り浸り

季節限定の青地に赤い字で書かれた“氷”の旗を指差して

「おばちゃん、イチゴ!」

「俺、レモン!」

「メロン!」

と好き勝手に注文した。

 

すると店番の初老のおばちゃんが、「はいよ」と答えながら

冷蔵庫からでかい氷の塊を取り出し、機械に据えつけて。

スイッチを入れると機械が、廻りだす。

シャッ、シャッ、シャッ、シャッ、シャッ

氷の塊は、見る見るうちに雪のように掻き出されていく。

 

「そういえばよ、スティングレイってさ、エイって意味だってよ。」

マサが切り出す。

「エイって、さかなのエイか?!」

「おぅ、アレも随分でかいのが居るらしいよな、四畳半ぐらいの」

「そんなデカイの、居るわけ無いだろ?」

「いや、普通に居るらしいぜ、沖縄とか。テレビでやってた。」

「おぅ、観た観た。なんだっけ・・そうだ、マンタって云ってた!」

 

「そうだ、マンタだ!」

すると慇懃で無礼な少年たちの頭に浮かぶのは、

まだ見ぬ憧れの女性器を意味する隠語の響き。

なんか、云ってみたい。

とにかくその言葉を口にしてみたい。

ということもあって。

カキ氷が出来上がる前には。

ボクはスティングレイからマンタに変わっていた。

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シャッ、シャッ、シャッ、シャッ、シャッ

小気味いい音が止まり

おばさんが大きな声で呼ぶ。

「カキ氷できたよ・・誰がどれだかわからなくなっちゃたよ」

色とりどりのシロップのはいった<ソースさし>をテーブルの上に

どさっとおいたんで。

白いカキ氷に色とりどりのシロップをかけて食べる。

 

くぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。

 

まるで脳震盪を起こしたような。頭の芯に激痛を覚え目を閉じる。

痛いけど・・たまらんわねぇ〜。

その瞬間、瞬きをする間に。

激痛と真っ白な頭の中に。「カノジョ」が現れた_。

 

白い光に包まれて、白い顔をした・・

鼻がまっすぐに伸びていて。

黒い瞳。

んんげぇ・・可愛い・・。

「カノジョ」が微笑んだ。

 

その瞬間、徐々に癒えてゆく頭の痛みのなかで

なにか脱力を感じていた。

そのうち、マサが叫んだ。

「おぃ!しっかりしろ!マンタ!」

 

なにかクラッとして・・

倒れてしまったらしい。

「大丈夫か_?」

おばちゃんがティッシュを持ってきた。

「ほら、ハナ血拭いて・・」

えっ?ハナ血だしてるの、ボク・・。

 

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その日はマサが送ってくれた。

風呂入るとき、気がついた。

夢精していたんだな・・と。

風呂で下着を洗って。

 

風呂を出ると、食事。

食事を済まして、自室へ。

深夜ラジオのひととき。

しかし耳に入るはずも無い。

ノートに「カノジョ」の笑顔を思い出して

デッサンをしているだけ。

デッサン?

落書きみたいなものだけど。

 

両親が見栄で買った百科事典など柄にも無く広げてみて。

水の精霊・・?

そのままで見つかったのはドイツの作家フーケの「ウンディーネ」・・

美しき水の精とドイツの中世の騎士との悲恋・・悲恋なのかよ。

フランスの戯曲家ジロドゥの戯曲「オンディーヌ」・・

美しき水の精に愛想をつかしたハンスに呪いをかける・・・

なんだよ・・呪いって!

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ろくなもんじゃないな。

そもそも・・ヨーロッパが何だ!

日本で・・・水の精霊・・・は・・なに?河童?

馬鹿馬鹿しい。

 

「カノジョ」は悲恋の主人公でも

呪いをかけるような女性でも

ましてや・・河童なんかじゃないっ!

百科事典を放り出して。

 

ラジオの天気予報に耳を傾けると。

明日も日中30度まで上がる、と。

 

かあさんがマサからの電話を取りついでくれた。

「ぉう、大丈夫か?」

あぁ。ごめんな、もうなんでもない。大丈夫だ。

「明日も学校のプール行かないか?」

あぁ、そうだな。暑いらしいから。

 

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マサの号令の元、今日も、もてない男子たちが学校のプールに集まってきた。

「さぁ、今日もリゾート部のはじまり、はじまり」

 

「すげ!チン毛生えてんの、おまえ!」

「だからさぁ、クラスのさ、慶子ってさブラジャーつけてるよなぁ」

マサの声は。独特な響きがあるのか、どこにいてもよく聞こえる。

「スター・ウォーズってまだ見てないんだけどさぁ・・」

更衣室でもどこでも他愛の無い話が続くのは、いつものこと。

 

少しの間、悪友たちと水面で戯れたあと

水深1.5mの深みに潜る。

小学校高学年で潜水泳法で25mを越したあとは

難無く50mを越した。25mプールで一往復の距離だが

まだ余裕があった。水面上の教師やクラスの生徒たちの声が

水中にも聞こえた。

 

50mのターンをしてもう一往復狙える。

既に息は吐き出し終わっていたけど、下腹にはまだ

酸素が残っているような気分だった。

やがて残り5mのラインを過ぎ、違う思いが浮かんだ。

このまま100m目指したら・・河童とかいわれかねない_。

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それもいやだな。

その時はそう思い。75mで壁にタッチし浮上した。

まだ余裕はあったのに。

しかし浮上するとそれだけで拍手喝采だった。

担任の教師も驚いていた。

「中学校に入ったら、水泳部だな!」

 

そうもいわれたが。興味もなかったんだ。

この前、人知れず試したら、ボクは100mを越し、

125m程まで潜水泳法で行ける!

ことがわかった。

いいんだ、そんなこと人に云うなよ。

 

涼し気な水中でたゆたうように、きらめく光の揺らめきを見ながら

水底に沈んでいた。静寂の中で。

 

“いつもひとりなんだね。”

 

あ?水中で声がした。一瞬、驚いて、振り向くが・・。

水中には誰もいない。と、そのとき、背後から細長い腕が伸びて

肩を叩く・・・。

驚いて、振り返ると。

 

腹の底から体内に溜まった酸素という酸素、

空気という空気を全部吐き出して

泡が水中の流れを乱した。ボクは水面に向かって浮かび上がる。

水面にたどり着くと、大きく口を開けて肺に空気を満たした。

 

余りに勢い良く浮かび上がったため、

水面では水飛沫が飛び散っていた。

静かな水面に波がたち、悪友たちが、一斉にこちらを見ている。

「どうした?大丈夫か?」

マサがでかい声を出したが・・

あぁ、なんでもない。大丈夫だ。

 

いや・・本当は大丈夫じゃない。

水中で女の子の声がした。ハッキリと。

いる筈のない、女の子の。

幽霊_?まさか、いまは真昼間だぜ。

そう思うと、確かめたくなった。

深く息をすると、再び水底に潜ってみた。

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すると、水中でカスミのかかる丁度分かれ目のあたりの距離から

白い・・そして・・半透明なんだろうか・・泳いでくるものがいて

近づいてくる、そしてボクの目の前に・・「カノジョ」は現れた。

 

“ごめんなさい。驚かしてしまって。“

 

注水した内耳の中に直接聞こえ得るような、クリアーな女の子の声。

“考えれば・・会話できるわ・・”

 

“キミは・・「幽霊」なの?“

 

“いいえ、私は水の精霊_。

いつも、あなたを見ていた。

どうしていつもひとりなの?“

 

“この静けさと、冷えた感じが好きなんだ。

キミは・・水の精霊・・って言ったけど・・

人間・・じゃないの?

ボクを殺したりしないよね?“

 

「カノジョ」は微笑を浮かべた。

 

“なぜ?・・殺したりなんかするわけないじゃない。

いつも、あなたを見ていた。

でも、本当は、水の精霊は、人間と話をしてはいけないの。

でも、どうしても。お話したかったから。

だから・・ふたりだけの秘密。“

 

“え・・・わかったよ。

うん、ふたりだけの秘密だね。

誰にも言わないよ。“

 

愛らしく、白くしなやかな手足を使って

水の中をまるで流れに乗るようにスムーズに自在に泳いでいく

「カノジョ」と水中のデートを愉しむが。

呼吸の深さでは自信があったが・・所詮は人間。

叶うはずもなく、息を使い果たしてしまい、水面に浮かび上がる。

 

息を吸い込むと、それまで水中で気にならなかった肉体的な疲れが

どっと押し寄せる。呼吸は荒くなり、咽てしまった。

バランスを崩し、溺れるような格好になり、プールサイドに辿りつくと

荒い呼吸のまま、水に浸かっていたが。

 

監視員の水泳部の顧問の女教師に怒られた。

「あんまりへんなことしてんじゃねーぞ!」

ハ〜イ。

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それから数日というもの、ボクは他のことに何も手に付かないほど

寝ても覚めても「カノジョ」の虜になり。

「カノジョ」の白く透き通るような長い腕・・

実際、透き通っているように見えたし・・

ストレートで水の流れに靡くしなやかで黒い髪・・

いや、なんといっても・・清楚とはこういうものなのか・・

いや、女性とは・・こういうものなのか・・

 

欠かさず毎日、プールの開放日に参加した。

 

プールでは毎日、水底で「カノジョ」との出会いを愉しみ

「カノジョ」たちの存在と、「カノジョ」たちと人間との係わりあい方や

実は・・互いに孤独な存在であることを・・話したりしているうちに。

孤独?あぁ、孤独かもしれない。

兄弟もいないし。

家に帰れば・・夕飯食べて部屋に入れば・・ひとりぼっちだ。

 

「カノジョ」たちも・・呼ばれもしなければ家族・・兄弟姉妹とも

一堂に会すことはないらしい。土地によって・・「カノジョ」たちに

国の概念は無いらしいんだけど・・親戚関係はいるらしいが・・

ほとんど会うことも無い

え?・・男・・はいない・・系統?

 

なんていろいろ話しているうちに。

なんだか・・深い話になっちゃったけど・・まだまだ・・

もっと、もっと、もっと・・知りたいんだ・・キミのこと

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そのうちに・・自分で気がついた。

それが「初恋」であることに

って、なんか照れくさいじゃない。

なんかさ。「カノジョ」も・・いい感じだしさ・・

けど・・どうすりゃぁ・・いいんだ・・。

ある日のプールの帰り道、例によってかき氷を食いながら。

マサの奴が切り出した。

 

「なぁ、おまえ、いつも水中でひとりでいるけど、楽しい?」

楽しいよ。実に楽しい。

「わかんねーよなぁ、最近、俺らとも遊ばないじゃん。」

ごめん・・悪かった。

「いやぁ・・いいけどさ。」

 

コイツなら・・なんか・・アドヴァイス・・してくれないかな_?

 

なぁ。・・おまえさぁ、好きな娘ができたら・・どうする?

「え?どうする・・って?」

ほら・・見た目とかスゴク良くてさ。ボクなんかと違って。

聡明で。美人で。可愛くて。スタイルよくて・・

「なんだよ、おまえ・・恋しちゃったの?」

 

「何処の誰?」

え?

「いいじゃないかッ!?教えろよ!」

まぁあ、まぁあ。

で、要するに・・高嶺の花なんだよ・・そのコが。

 

「マンタ・・おまえ、いいかげんにしろよ!」

ボクは真面目だ。

「余計なこと考えないで、告白してしまえよ。」

え・・でもさぁ

「ウジウジしやがって!

告白してこい!当たって砕け散れ!」

 

「オレのように・・。」

マサは、らしくもなく、肩をすぼめた。

「オレの夏は終わったんだ。」

どうしたんだ・・マサ?

「慶子に告白して、振られた。」

マサは・・力なく言った。

「だから、お前の夏も終わってしまえ!

このかき氷のように、お前のひと夏の恋も砕け散れ!」

 

悪友たちの笑い声が、遅い夕暮れの街に響いたが

やがてツクツクボウシの鳴き声にかき消された。

 

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狂おしいまでのこの思いは。

眼を瞑れば「カノジョ」の微笑みを思い出し

眼を開ければ、やはり「カノジョ」のことを考えた。

 

だが。

「カノジョ」は人間ではない。水の精霊。

所詮はかなわぬ恋なのだ。

せめて最後の日まで。添遂げたい。

添遂げる_?

え?死別するわけじゃないんだけど。

別れの日は・・当然、夏休み最後のプール開放日・・8月31日じゃないか。

 

だがしかし。

天気予報。

“今日は西日本から北日本にかけての広い地域で

接近する台風16号の影響のため各地で強い雨が降る予報が出ています。“

 

ボクは降りしきる雨の中、学校に向かった。

職員室で新学期の準備を行なうゴリラのような

水泳部顧問の女教師に必死になって頼んだ。

どうしても・・今日、泳ぎたいんですよ!

「雨降ってるだろうが!」

ボクはいつも水の中です!

「監視員がいなけりゃならんだろうが!」

ボクは絶対、溺れません!

「ダメだ!ダメだ!そんなに泳ぎたきゃ、水泳部に入れよ!」

水泳部に入ったら、今日、泳げますか?

来年も、再来年も、水泳部で、時間を競う泳ぎ方をすれば

今日泳げますか?

 

「もうコケが生え始めてるぞ」

それでも、今日泳がなくてはならないんです!

「いったいナニがあるのか?!」

云えませんが、今日を逃したら、ボクは水泳部にはいらないし

あなたを恨む。

一生ね。

 

「好きにしろ!」

プールのカギを投げてよこしたんで

受け取ると、ありがとうございました・・の声もそこそこに

プールへ走って向かった。

 

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台風の連れてきた雨雲がプールの上を多い、大粒の雨が降っていた。

ボクは準備体操をこなすと。駄菓子屋で買ったゴーグルを付けてみた。

そして藻がはえかけたプールの水に飛び込み、そのまま水底にむかった。

 

いつもと違う、暗く淀んだ水底の様子に驚きながら

「カノジョ」を探した。

「カノジョ」は寂しげな表情で現れた。

 

ありがとう・・来てくれないと思っていたのに。

 

なにがナンでもくるさ。

今日で今年は・・プールが閉まってしまうんだ。

「カノジョ」はとても寂しそうな表情を浮かべたが。

此処はもうすぐ、水も抜かれてしまう。

そしたら・・キミはどこかにいってしまうの?

 

私は水の精霊だから。

水のあるところにはいつも現れる。

だから出来れば綺麗な水のところで思い起こしてくれれば

きっと、また会えると思うの。

 

“キミといっしょにいたい。”

 

“ごめんなさい。それはできない。

昔、酷いことがあって、私たちとあなたたちとは

一緒になれないことがわかってしまったの。

それはお互いにとても不幸になるから。

一緒にはなれない。だけど。私もあなたと一緒にいたい。

できるだけ・・長い時間を・・すごしたい。“

 

“それはボクも・・。

来年は・・また・・会えるよね

ここで・・会えるよね。“

 

「カノジョ」は頷いてくれた。

 

台風の目に入ったのか、雲の合間から強い陽射しが洩れて

プールの底まで照らした。水色のペンキがはげ始めていたが

幻想的な光のカーテンの揺らめきが戻った。

今日はゴーグルしてるから、はっきり見える。

 

ゆらめく光の模様の中で「カノジョ」とキスをした。

来年の「プール開き」まで暫しの間、お別れ。

 

来年、また会えるよね・・。

「カノジョ」はコクリと頷くと、

微笑を残して水中の流れになって揺らめく光の中に消えた。

説明
「レディ・イン・ザ・ウォーター」
M・ナイト・シャマラン監督作品というのが肌に合わなくて。
いや私の見方が偏っているからなんだけど。どんどん肌に合わなく
なっていって、この作品は映画館に行かなかったな。
「サイン」とか「ヴィレッジ」とかは最終防衛ラインを
大きく割り込んだ作品で。多分、ヤツの映画を箱で見ることはもうないだろうな、と。

人間慣れないことはしてはいけない。
と本当に思い知らされた。

今回、恥も外聞も無く。照れも照れ隠しも無く。
いい歳こいたオッサンが、初恋についての物語を書いてみたんだ。
_笑うなよ。
ところがだ。初恋を成就した経験も無いんで、
悲恋ものになるのかと思いつつ。
でもさ。成就するようなのは初恋じゃないよな、とか。

でも“夏の恋”の物語を書きたいんだ。
思い切りファンタスティックで、思い切りハッピーな。
いいのか?こんな終わり方で!?

2012年1月「レディ・イン・ザ・ウォーター」より改題
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レディ・イン・ザ・ウォーター ひと夏の恋 初恋 怪奇 昭和 

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