『舞い踊る季節の中で』 第122話
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真・恋姫無双 二次創作小説 明命√

『 舞い踊る季節の中で 』 -群雄割拠編-

   第百二十二話 〜 霧の苑にて舞いし者は愛を詠む 〜

 

 

(はじめに)

 キャラ崩壊や、セリフ間違いや、設定の違い、誤字脱字があると思いますが、温かい目で読んで下さると助

 かります。

 この話の一刀はチート性能です。 オリキャラがあります。 どうぞよろしくお願いします。

 

北郷一刀:

     姓 :北郷    名 :一刀   字 :なし    真名:なし(敢えて言うなら"一刀")

     武器:鉄扇(二つの鉄扇には、それぞれ"虚空"、"無風"と書かれている) & 普通の扇

       :鋼線(特殊繊維製)と対刃手袋(ただし曹魏との防衛戦で予備の糸を僅かに残して破損)

   習得技術:家事全般、舞踊(裏舞踊含む)、意匠を凝らした服の制作、天使の微笑み(本人は無自覚)

        気配り(乙女心以外)、超鈍感(乙女心に対してのみ)、食医、

        神の手のマッサージ(若い女性は危険です)、メイクアップアーティスト並みの化粧技術、

        

  (今後順次公開)

        

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愛紗(関羽)視点:

 

 初夏と言うのにも拘らず、どう言う訳か濃い朝霧が辺り一帯を被う。

 それでも視界は全く見えないと言う訳では無く、遥か前方に観るのは敵影の作り出す黒い塊。

 私を先頭に後ろに続くのは、徐州から引き連れてきた配下の歩兵僅か千。

 益州に入った時には五千余りいたにも拘わらず。今この戦に挑もうとしているのはたったこれだけ。

 伏討ちでもなく、ましてや何かの策で出払っている訳でもなく。

 私はたった千で益州の交易都市を守護する軍を打ち破ろうとしているのだ。

 数々の戦場を潜り抜け。いかなる苦境であろうとも蓄えた経験と知識でもって、それらを乗り越えてきた老獪な名将黄忠とその軍勢を。

 

 率いる兵の数が少ない事に不安は感じない。

 もともと桃香様と鈴々で始めた最初の戦など二百にも満たない義勇軍だった。

 故に率いる兵が数の少ない事に不満など少しもない。

 ただ、少しだけ寂しいと思うのは肩を並べるべき友である鈴々も星も此処にはいないと言う事。

 朱里も雛里も、月も詠もいない。

 あの人の良い公孫賛さえ此処にはいない。

 ………当然の事ながら桃香様も。

 将と言えるのは私、ただ一人。

 私とたった千の兵士達に、五万人以上の民の命運が掛かっている。

 皆と共に歩んできた我等の夢が掛かっている。

 

「聞けっ兵士達よっ!

 この一戦は、我等のだけの戦ではい。

 この地に住まう民全ての平穏を得るための戦!

 そして我等の理想の国をこの手に作るための戦だっ!

 兵士達よっ!今一度私に力を貸してくれっ!

 その命を我が矛に預けてくれっ!

 ともに夢を掴もうっ!」

「「「「「「 応ぉぉぉぉぉぉっ! 」」」」」」

 

 霧を吹き飛ばさんばかりの力強い兵士達の歓声。

 皆、長旅の疲れが在るのにもかかわらず。そんな様子を欠片も見せない。

 袁紹軍との戦闘での傷が癒えていない者の方が多いと言うのに、夢を直前にした事による溢れんばかりの気力で身体を支えくれてている。

 皆、自分達が勝つ事を信じている。

 ……いや、勝ち取って見せると言う気迫が皆の気勢から感じられる。

 将である私を信じて……。

 桃香様の見せる夢を信じて……。

 自分達の築き上げる未来を信じて……。

 

 ああ、体の奥底から嘗て無い程の力が湧き上がってくる。

 自分でも持て余しそうなほどの力、……だと言うのに頭の中は冷静になって行く。

 ざわついていた心が、まるで湖面のように静かになって行くのが自覚できる。

 冷静に考えれば錯覚と言える感覚。

 だけど私はこの感覚を疑いはしない。

 これは紛れもない力。

 皆の想いと言う名の純然たる力であり私を支えるもの。

 決して折れてはいけない我が矛。

 彼が教えてくれた私の本当の力。

 

 ……戦の前に淫蕩に浸る愚か者と言うのが、非常に腹立たしい所ではあるが、この事だけは素直に心から感謝しよう。

 感謝の言葉と共に脳裏にヘラヘラした顔で久しぶりに顔を見せた彼の顔が浮かぶ。

 そしてその後ろに佇む鴉の濡れ羽のような美しい黒髪の少女の姿も……。

 御使い殿の服の袖の端を指先でそっと掴む周泰殿の姿は、同性の私から見ても可愛らしく、いじらしい姿に映る。

 数日間も姿を見せない原因が女童を出て数年しか経たないような周泰殿に、同意の元とは言え戦を前に不埒な真似を散々するためとは。

 

……イラッ。

 

 何故か蟀谷と頬が引きつり、せっかく落ち着いていた心が、先程とは別の意味で騒ついてしまうのを自覚し、私は慌てて脳裏から余分な事を追い出す努力をする。

 あの女癖がとんでもなく悪いと言う噂の何処かの御使い殿の事を。

 きっとアレはエロの御使いに違いない。そうでなければ、あ、愛人が二人もいるなど考えられない。朱里と雛里は否定したが、これでは袁術と張勳を、に、に、にっ、肉奴隷として飼っていると言う噂の方も怪しいものだ。

 私自身も一時期は口傘ない噂と信じた時期もあったが、彼の行動をみれば否定する材料が出てこなくなってしまう。

 ……いかん、いかんっ、今はそんな事を考えている時ではない。

 

ふぉんっ!!

 

 私は心の中に湧き出る正体不明の不快な気持ちを追い出すつもりで思いっきり矛を前に振る。

 それで終わり。其れっきり余計な感情は無くなり、私は再びかつて無い程の最高の状態へと戻る。

 もうこれより先は一瞬たりとも余計な考えなど入り込む余地のない聖域。

 この矛に、この戦に皆の夢と希望が託されている。

 

「突撃〜〜〜〜っ!!」

 

 声と共に真っ先に駆ける。

 だけど、そんな私の行動に背後の兵士達は一瞬たりとも遅れることなく共に駆けだす。

 一緒なのだ。皆の想いが共に我等と共にある証拠。

 兵士達を置いて行かないように、突出してしまわないように私は速力を調整する。

 大した策などなく方形陣でもっての突撃。

 単純な力の押し合いにしかならない。

 我が力の前に策など不要っ。などと思い上っている訳では無い。

 そんな余裕など我等に一欠片ほどもありはしない。

 此れは我等の意地を見せる戦いなのだ。

 朱里風に言うならば…。

 

『戦には二種類あって、策を弄していい戦いと策を弄してはいけない戦いがあり。

 此れは私達を試しているのだと思います』

 

 だが私風に言わせてもらうのならば、こう言わせてもらおう。

 『民の想いを見せる戦』とな。

 何のつもりかは知らんが黄忠よ。

 我等が想いの丈を知るが良い。

 我が想いを、そして私達の肩に載った民の想いをなっ!

 

 

 

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「何かの罠か?」

 

 益州攻略の最初の関門である街に辿り着く半日前、此方に駆けつけてきた騎馬から放たれた矢は誰かに当たる事も無く地面に突き刺さった。

 その矢に一枚の紙切れを結び付けて。

 

『千兵の勇猛さ、将の才にて決戦を望む。    漢升』

 

 文脈そのままで言うならば、将と千の兵士でもって決着を付け合おう。と言った所だろう。

 だが客観的に見たら、相手側からこんな話を持ちかける必要のない戦い。

 あの街に集まっている兵士はそうは多くはないが、約七千程いると言う報告が細作から上がっている。

 籠城に徹するならば、そうそうに負ける事の無い程の堅牢な城壁を持つ街。

 伏兵がいる様子も無く、相手の意図が分からずに眉間に皺を寄せて己の中の考えが口に出てしまったのが先程の言葉。其処に朱里と雛里が。

 

「いいえ、優勢である向こうからこの手の罠を仕掛ける意味がありません」

「在るとしたら何らかの事情で損害を出したくないか。力を見せつける事で此方の士気を落とし撤退させるのが目的だと思われます」

「もしくは、此方の力量を測るためって所ね」

 

 そして二人に続くように詠が現状を見極め、敵の意図を推測する。

 三人の軍師が互いの意見を言ったのではなく、互いに分かっていた事を順番に言う事で疑念に駈られる者達を安心させようとする心遣い。

 詠が軍師側として加わった事により、説得力に厚みが一層増した。

 それはいい、問題なのは黄忠だ。 だとしたらいったい何のために?

 

「黄忠さんが何を考えてこんな話を持ち掛けてきたかは推測は出来ますが、此処で幾ら憶測を語っても意味の無い事です。 ですが、この話は受けるべきでしょう」

「同じ条件なら我等が勝つ、などと言う単純な理由ではなさそうだな」

 

 僅かに細くした私の瞳の意味にすぐさま気が付いた朱里が続いて口を開いて出た言葉に、私は確認の意味を込めて更に話の続きを促すが、それを雛里と詠が朱里の言葉に厚みを持たせるように言葉を紡ぐ。

 

「一つは罠があるにしろ無いにしろ、現状の私達の戦力では苦戦をするのは避けられません。

 ならば、敢えて其処に踏み込み。罠なら罠ごと喰い破って見せるべきだと思います」

「まあ黄忠って人は智勇揃った一角の武人らしいし、罠を掛けるならもっと巧くやるでしょうね」

 

 三人の軍師達はその瞳の色を一層深くし、我等将を見回しながらその瞳で言ってくる。

 

『 罠なら罠ごと喰い破れる自信はありますか? 』と。

 

 ふふっ。詠の影響なのかは知らないが、朱里も雛里も強くなった。

 以前は此方や周りの兵達が心置きなく力を振るえるように、多くの言葉と時間を掛けて多くの兵の命を預かる我等を説得してきたと言うのに、それを我等ならやってくれると言う確信を秘めた挑発を混ぜる事によって。 今まで培ってきた信頼と言う名の絆を活かして、武将である我等の心を擽ってくる。

 三人には私に見えないものが見えているのだろう。

 黄忠の策も…。

 思惑や意図も…。

 おそらく思考すらも…。

 そう信じられるだけの実績を朱里と雛里は築いてきた。

 ……詠も短いながらも、それは同じ事。

 先達者として二人を支えようと…。

 この国の軍師として皆を守ろうと…。

 将兵が惑い、不安に駆られる事の無いように即決をして見せる。

 思考が深くとも、即断の苦手な朱里までもが、その身の内に駈られる不安を飲み込んで。

 

「なるほど。なら千の兵を率いる将の役割、私が引き受けよう」

 

 妹分達の成長を見せつけられたのなら、それに応えてみせるのが姉貴分としての役割。

 軍を預かる将としても、この申し出に否はない。

 

「愛紗、勝手に決めるなんてズルいのだっ。 ここは鈴々がやるのだっ」

「まったく。おぬしのそう言う所は変わらぬな。 ここはどのような自体が起ころうとも即応できる私の出番と観るが」

「私より三人の方が向いているのは確かだから、私は遠慮させてもらうよ。 ……って、少しはこっちに目を向ける素振りぐらいしてくれても良い気がするんだが……」

 

 だと言うのに、鈴々と星の割り込んできた不満げな声が、私の意気に水を差してくる。

 確かに逆の立場なら、私も同じ事をしたとは思う。

 なにか白蓮が言っていた気がするが、此処は敢えて聞こえなかったふりをして。

 

「別に勝手と言う訳では無い。この一戦に我等の命運が掛かっている以上、軍部の代表でもある私が出るのが筋と言うべきと判断しただけだ。別に二人が私より武に劣ると言っている訳でも無いし、言うつもりも無い」

「それは当然の事。そんな事を言われた日には此処で矛を交えずには要られ無くなると言うもの。

 私が言っているのは軍部の代表ならば代表らしく、此処で他の者達を安心させるべく構えているべきではないのかと言うておるだけの事」

「突撃力なら鈴々の隊の方が上なのだ。 愛紗は此処で皆を護っているのだ」

 

 くっ、星どころか鈴々にまで、正論で返してくるとは、ああ…もうあの私の後をついて回っていた鈴々はいないのか?

 いかん、そんな事を考えている場合ではない。

 星や鈴々の考えや想いが分かるが、それは私も同じ事。

 他の戦ではともかく、益州攻略に向けての一番槍を譲る訳にはいかない。

 大人げないと思いつつも、そのような些細な事は此の際無視して強引に押し切ろうかと脳裏に浮かんだ時。

 

「はわわっ。鈴々ちゃんにはいざという時のために本陣に待機してもらって、いつでも飛び出せるようにしていただけなければ困ります」

「あわわ。そ、それに一番動きの速い星さんの隊には、相手が伏兵など考えていた場合において、周囲の警戒を兼ねて臨機応変に動いてもらわなければなりません。どちらも御二人が一番適任なんでしゅ」

 

 朱里と雛里が二人を説得する。

 星と鈴々の力が必要なのだと。

 特に鈴々には切り札なのだと、鈴々の自尊心を擽る言葉を紡ぐ。

 そして詠がその背を押す様に…。

 

「本陣と後方に置いてきた民の守護は、白蓮が適任だと思うんだけど引き受けてくれるわよね?」

「ああ、かまわない。 適材適所で良いんじゃねえか」

「じゃあそう言う訳で余りもので悪いけど。愛紗は兵千を引き連れて出撃てちょうだい」

 

 肩を竦めて、まるで本当に余り物の御菓子を分け与えるような口調と、おどけた仕草で私に視線を向ける。

 

「鈴々の隊は切り札なのだ。愛紗は余りものだけど朱里達が言うのだから仕方ないのだ」

「まぁ、私の力が必要と軍師達に求められるのに比べれば、一番槍などと言う目先の手柄など無粋の極みと言うもの。 この趙雲、快く引き受けさせてもらおう」

「ぐっ…」

 

 鈴々と星の物言いに、分かってはいても奥歯を噛みしめてしまう。

 詠がワザとああいう言い方したのも、二人を納得させるためのもの。

 鈴々と星にしたって、それを理解した上での発言。

 自分達のためだけではなく、自分達に付き従ってくれる部隊の皆のために、皆を納得させるための理由をこじつけるために。

 ……それにしても余り物。

 いや、分かっている。白蓮の言うとおりこれが適材適所の結果で、軍師達三人が私と私の部隊を信じた上での答えだと言う事は。

 ……だか、何故だろう。余り物と言う言葉を使われると、こうも気が沈むのは気のせいなのか?

 そんな私の心を読んだかのように詠が鋭い視線を向けてくる。

 

 ぎろっ!

(ま・さ・か・栄えある一番槍をやりたがっといて、今更文句があるとか言うんじゃないわよね!?)

 

 うっ……。

 いや、しかし。

 

 じろっ!

(しかしは無しっ! 分かったなら、とっとと準備を始めるわよっ! い・い・わ・ねっ!)

 

 

 

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 そんな数刻前のやり取りが一瞬だけ脳裏をよぎるも、意識は戦場に向けたまま霧の向こうに見える敵兵の影の動きと距離に注意を払う。

 見通せぬ霧の中を見渡す限り前方以外に敵影はなく。また他に潜む敵の気配もない。

 息を潜めて伏せ討ちをしている可能性を捨てきれはしないが、今は必要以上考えない事にする。

 大陸屈指の軍師である朱里、雛里、詠がその心配はおそらくないと判断したと言うのもあるが、なにより私の武人としての勘がそう言っている。

 一歩一歩、駆け足で脚を前に進める度に、その考えは確信へと変わる。

 霧のため姿も見えず。

 かつて相見えた事も無く。

 噂でしか知らぬ御仁。

 それでも分かる事がある。

 この濃霧の先の何処からか放たれる鋭い殺気。

 兵どころか、其処らの将と比べても比較にならない程に鮮烈な殺気は、間違いなく敵将である黄忠のもの。

 あきらかに此方の気配を兵を率いる将として捉えた上で絞られた殺気は、まるで必殺一撃の矢のごとく鋭く強烈なモノ。

 ……怖ろしい程までに研ぎ澄まされた殺気。

 ……気を張っていてさえ、気がつけば殺気の代わりに矢が刺さっていてもおかしくないと思えるほど。

 ……だが同時に伝わってくるのは、何処までも武人として真っ直ぐな気配。

 老獪な歴戦の名将と称されるには、あまりにも純粋でまっすぐな気配。

 それがこの先で我等を待ち構えている。

 この濃霧を楯に、弓をつがえて我等を狙っている。

 

 出撃前に北郷殿が言っていた。

 陽が高くなり空気と地面が温まって行くと共に霧が少しずつ晴れて行くと。

 止まない雨が無いように晴れない霧は無いのは当たり前の事。

 だけど其れを智と理でもって皆の前で語ってみせた彼の姿は、まさに天の御遣いと言う名に相応しいと言える。

 そしてその言葉通り陽の光が強まると共に、我等を包んでいた霧は薄まってゆくのが分かる。

 我等の運命と同様に、行く手を阻んでいる霧が晴れようとしているのが分かる。

 それでも霧がまだ晴れた訳では無い。

 待てば晴れるものではない。

 我等の運命を被う霧は、そんなものではない。

 斬り開かねばならないのだ。

 我等の力で。

 皆の想いで。

 

 霧の向こうに僅かに見える影からの緊張感が一層高まる。

 ギリギリまで張りつめられた弓の弦のように、今その緊張が放たれようとするのが分かる。

 弓の名手である黄忠ならいざ知らず。その黄忠が鍛えた兵士であろうとも、一般兵にその緊張の瞬間を漏らさずにいられるわけがない。

 私は黄忠のものらしい殺気に晒されながらも、敵の一般兵のその気配を見逃す事無く先手を打つ。

 

「今だっ!」

バンッ!!

 

 私の合図と共に一斉に音が鳴り響く。

 重く甲高い音が霧の向こうの敵影にまで響き渡る。

 何の事はない。ただ楯と盾を打ち鳴らしたに過ぎない。

 粗末な木の楯を互いに、一斉に打ち鳴らしただけの事。

 千の兵士が互いに協力して打ち鳴らしたそれは、孫呉が袁紹軍に見せた物に比べれば一つに成りきれない無様な音。

 だがそれで十分。

 敵が矢を放とうとする寸前に、一斉に打ち鳴らす事にこそ意味があるのだ。

 霧の中、私の合図の声と共に一斉に鳴り響く音。

 その音の正体と意図に、黄忠ほどの者ならばすぐに気が付くだろう。

 だが、まだ見渡せぬ程の濃さを持つ霧の中では、ほんの一瞬の逡巡が生まれる。

 

「惑わされるな。うてっ!」

 

 霧の向こうから鋭い女の声が聞こえる。

 だが、一瞬とは言え逡巡した緊張感は。

 緩めてしまった弦を張り直すのに僅かなれど時間が必要。

 唯の一般兵ならば尚更の事だろう。

 其れこそが狙い。

 この霧を楯にしていたのは我等も同じ事。

 一瞬の逡巡が生んだ時間が、我等との距離を縮める。

 本来ならば、二射か三射を撃てたであろう時間が一射分縮まる。

 

「来るぞ! 楯構えっ!」

 

 私の張り上げる声と同時に粗末な木の盾を前へと掲げる兵士達。

 急造のその楯は、大きさだけは在るものの本来楯とは言えない程、不向きな材質の木で出来ており所々隙間が在る本当に粗末なもの。

 敵の剣をまともに受け止めれるかどうかすらも怪しいものだが、それでも降り注ぐ敵の矢から己が体を隠すには十分な物。

 空気を引き裂く矢の音を頼りに、仲間の兵士達は矢を防いでゆく。

 水関で城壁の上から放たれ続ける敵の矢を楯で受け続けた経験が、多くの兵士達を敵の矢からその身を護ってくれている。

 その事が降り注ぐ矢を矢で払い落しながらかけていても気配で分かる。

 この程度では我等の歩みを止める事などできぬ。

 そして、この降り注ぐ矢を防ぎ切った先には…。

 

しゅっ!

ぶぉんっ!!

 

「よく我が矛を躱したな」

「貴女こそ。私の弓をよく避わしながら此処まで来れたものね」

 

 急速に晴れわたってゆく霧の中、紫の髪を揺蕩わせながら此方に狙いを定めた女が此方の言葉に応える。

 装飾がされているものの、明らかに実戦向きな強弓を、その細腕で容易く構えとともに、その表情に浮かべているのは、場違いなほど穏やかな笑み。

 我が矛が届くと言う距離において尚、弓と言う遠距離向けの武器を構えて、そのような真似をする事が出来るなど並みの将には不可能な事。

 この者、噂に違わぬ……いや、それ以上と見た。

 

「私の名は黄忠。貴女の名を聞いておきましょうか」

「劉備元徳が一臣、関雲長。恨みは無いが、我等の夢のために貴女方の国を貰い受けに来たっ」

 

 相手の名乗りに、やはりなと心の中で頷きながら私もその問いかけに応える。

 そして我が言葉に応えるかのように、彼女は私の眉間に向けてその矢を放つ。

 

「ちっ」

 

 心の中で舌打ちしながらもその矢を後ろに飛びすがりながら避わす。

 眉間を狙って見せたのは囮。

 本命の矢は、脚の甲を狙った一矢。

 この近距離で一瞬にして違う個所を狙う早業に驚愕しながらも、更に一息に三射を放ってくる黄忠に向かって私は、今度は後退せずに前に進みながらその矢を纏めて打ち払って行く。

 恐るべき敵の早業。其れを停止した状態ではなく、体を動かしながらやってのける。

 剣や槍と違って、点で攻めてくるその攻撃は躱すのは難しい。

 これ程近距離ならば尚更と言うもの。

 だが…。これぐらいの事ができなくて何の武かっ!

 

ぎっ!

 

 矢を避わしながら一足飛びに近づいた私の振るった矛は、跳び下がるどころか逆に前に進んだ黄忠の強弓の根元で受け止められる。

 矛の柄の部分とは言え、我が一撃を受け止められるほどの強弓と腕を持つのは流石。

 しかも、片手に持った矢をまるで剣のように横に払い。その矢じりで我が腹を狙ってくる辺りは、ただの弓使いにはできない豪胆さ。 いや…これが潜り抜けてきた戦場の数による経験の差……いわゆる老獪さと言うものかもしれない。

 流石の私も、弓使いにはあり得ない今の動きには、本気で冷や汗が流れる。

 一瞬の内で幾つもの攻防が繰り広げられ、僅かなれど再び互いに距離を取る。

 距離を取れば弓の方が有利なれど。この相手に近距離が有利などと言う弓使いを相手にした時の定石は、この相手には通用しない。

 

「噂とは違い。随分と乱暴な戦い方をするのね」

 

 黄忠が紡いだ言葉は、我等の周りで繰り広げられる兵士達の攻防。

 今は我等の兵士達の方が押している。

 幾ら楯で防いでいたとはいえ、何十人かは敵の矢に倒れたにも拘らずにだ。

 その理由はいたって簡単。

 敵の攻撃もまともに受けきれないような貧弱な木の楯。

 敵の矢を躱すだけの戸板とさえ言えるような代物だが、使えない訳では無い。

 その大きさを利用して敵に投げ付ければ、相手の視界を奪い。相手の隙を作る事が出来る。

 その楯を端を持ち、敵に突き込めば敵の姿勢を崩す事が出来る。

 あいにく装備の整った正義軍と違って、義勇軍上がりの我等には碌な装備が無くても、使える物は何でも使う知恵と逞しさがある。

 確かに先手を打たれ、最初に攻撃を受けたのは我等かもしれない。

 だが、流れを掴むためにはああいう乱暴な手も有効と言うもの。

 我等は上品な戦いばかりしてきた訳では無いっ!

 なにより、兵一人一人の気概が違うのだっ!

 

「我等には夢がある。 希望がある。 ならばそれを掴みとるだけの事っ!」

「ふふっ。そう、なら私を倒し掴み取ってみなさい」

「言われるまでもないっ!」

 

 矛を振るう。

 黄忠の矢を交わし、打ち払い。その矛を彼女に叩きつけて行く。

 兵士達には既に指示は与えてある。そして兵士達は私を信じて、自らの夢と希望を信じてその指示を護って戦っている。

 ならば私の仕事は、此処で彼女にこれ以上兵士達に指示を送らせないように足止めする事。そして倒す事だ。

 正直、この相手は強い。

 これ程の接近戦ではなく、黄忠の本来の距離であったならば、此方には勝ち目などなかっただろう。

 あの霧が我等に味方していなければ、もう勝敗はついていたかもしれない。

 それほどまでにこの相手は強い……いや、この強さは強さでは無く経験なのだろう。

 力も、速さも、私の方が上。それでも私に主導権を取らせない戦い方は実に老獪。

 弓でありながら私の距離で打ちあえる相手など、この大陸において、そうそう居りはしないであろう。

 だが……、それももう終わりだ。

 

「もらったっ!」

「なっ! ちぃっ」

 

 矛を持たぬ左手を前に真正面から突っ込む私に、黄忠の咄嗟に放った矢は逸れることなく真っ直ぐと私に突き刺さる。

 その矢が私の肉体を突き破る感触を無視しながらそのまま突き進む。

 黄忠の矢が我が左手の甲に突き刺さったままに彼女の弓を彼女の手ごと掴み取り、右手の矛を真っ直ぐと突き込む。

 

 

 

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紫苑(黄忠)視点:

 

 

 既に霧が晴れ渡ろうとする中、関羽と名乗った少女は、太陽の光を煌めかせた黒髪を靡かせながら、まっすぐな瞳で私を睨みつける。

 私の左手を矢で貫かれた手で掴みながら、その苦痛など少しも気にせずに、私の瞳の奥を覗きこんでくる。

 

「何故、矛を止めたの?」

 

 彼女の矛は私の腹を貫かんと言う所で止められていた。

 私のそんな問いかけに彼女は、その黒い瞳を少しも揺らす事無く。

 

「貴女が止めるのが分かっていましたから、と言っておきましょう」

 

 そう言って、彼女は私の腹に突き付けていた矛を自ら引く。

 それと同時に、私も右手に持った矢を彼女の喉元から離す。

 

「この勝負、痛み分けと言ったところですか」

「いいえ、私の負けよ」

 

 私の言葉に彼女は目を瞑り、そうですかと小さく頷く。

 確かに今のは一見互角の勝負で、勝敗は引き分けに見えたかもしれない。

 だけど攻撃を止めたのは彼女の方が一瞬だけ早かった。

 そしてもしその攻撃が止められなければ、その矛の勢いで私の躰は後ろに流れ、私の攻撃は彼女に掠ったかすらも怪しい。

 

「聞いてもいいかしら、何故私が攻撃を止めると分かったのかしら?」

「老獪と称される貴女の戦い方にしては、あまりにもまっすぐ過ぎたからです。

 理由は知りませんが、貴女が最初から私達を本気で倒す気などなかった。違いますか?

 もっとも我等も最初から貴女を討つ気などありませんでした」

 

 そう……、やっぱりね。

 

「旗を降ろしなさいっ! この戦、我等の負けです。

 皆、よく戦ってくれました。武器を降ろし、今を生き残ることを考えなさい」

 

 私の声に、そして関羽の声に兵士達は互いにその武器を降ろしはじめる。

 後の事を信頼ある部下に任せ、私は敗軍の将として彼女に武器を預け、彼女の後について行く。

 本当の戦いはこれから。

 事と次第によっては、もう二度と璃々の顔を見る事が叶わないかもしれない。

 それでも、私はこの街と土地に住まう者達を守護する領主として赴かなければいけない。

 彼女が主と慕う、劉備玄徳の元へ。

 

 

 

「……あ、あなたが劉備玄徳?」

「はい。わざわざ足を運んで頂いて申し訳ありません」

 

 そして関羽に連れられて足を運んだ先で待っていたのは、私が想像していた人物とは全く違う人物。

 物腰が柔らかなれど、その立ち振る舞いからして、しっかりと教育を受けた者と分かるものの先日会った彼とは違い、どう見てもごく普通の少女に見えてしまう。

 それでも気になるのは、やわからな桃色の髪を揺蕩わせたその下にある満面な笑み。

 蔑むでも、乞うのでもなく、勝利者の余裕でもなく、ただ優しい笑顔を浮かべていた。

 此処から遠いとは言え、霧の晴れた今ではつい先ほど戦場となった場所が見えているのにも拘らず、劉備と名乗った少女は微笑みを揺蕩える。

 あそこで何が在ったのか、どれだけの人間が死んだのかを知っていて尚その笑みを揺蕩えているのだ。

 言い返るのならば、全てを飲み込んで彼女は笑みを浮かべてみせている。

 仲間が戻って来た事に喜んで…。

 被害を抑えれた事に喜んで…。

 そして、死んだ者達の悲しみを知った上で機会を得れた事を喜んで…。

 未来へと繋ぐ綱を掴み取れた事に喜んで…。

 その事を皆に伝えるために、敢えて笑みを浮かばせてみせているのだと分かる。

 悲しみの色と重責を背負う覚悟を秘めたその瞳を見れば、彼女が噂通り優しく仁徳のある王だと言う事が分かる。

 ……でも、問題はその覚悟の深さ。

 唯の優しいだけの王ならばもう必要ない。

 

「何故私達の国を求めるのです。国を無くした王よ。

 貴女が貴女の民を想う様に、我等の王もそう思っているとは考えないのですか?」

 

 敗軍の将とは思えない私の言葉に、彼女はその笑みを少しだけ崩す。

 そして一瞬だけ辛そうな瞳を見せるものの、私を真っ直ぐ見て彼女は彼女の想いを私に聞かせる。

 劉璋様が民想いの王だと言う事を知っていて尚、我等の国を求めたのだと。

 自分達のやっている事は蛮族と変わらないかもしれないと。

 力無い王から民を救う事は出来るのだと。

 自分勝手な思い上がりだと非難を受け入れた上で、この地に住まう民に笑顔を取り戻して見せるのだと。

 彼女は語るのは民のための国づくり。

 まるで夢の中の物語のように甘い物語。

 ……でも、民の暮らしを、民の願いと政の狭間に生きてきた私にとっては、無理と言わざる得ない夢物語。

 

 それでも、思ってしまう。

 そして感じてしまう。

 先程の戦で感じた関羽の強い想いは、一緒に戦っていた兵士達からも感じた事。

 幾ら、慣れない乱暴な戦い方をされたとはいえ、私の兵士達がああも簡単に押されるものではない。

 違いが出てしまったのは其処。

 私達の兵士達は、生き延びなければならない。今の生活でも守りたい。と言う必死さ。

 だけど彼女達の兵士は、なにががなんでも夢を掴みとるんだと言う気迫が籠っていた。

 共に必死なのは同じ。だけど守りに入ってしまった心は、攻勢に出ている心には勝てないと言うでしょうね。

 劉備玄徳と言う人物を評するならば、その事だけでも十二分に分かる。

 王自身が民に信頼され、その夢と共に歩む人間がこれだけいるのだ。

 疑いようがない。

 彼女は全てを知った上で…。

 此れから成す事を知った上で…。

 その足元に骸の山が横たわるを知った上で…。

 己がの民も、その地に住まう民も必ず笑みを浮かばせてみせる覚悟で、益州に攻め込んできたのだと。

 ……その上で、私に劉璋様を裏切れと言ってきている。

 思った通り腹黒い人物。 …でも、こういう真っ直ぐな腹黒さは嫌いではないわ。

 むしろ人の上に経つ者としては必要なもの。

 

「分かりました。その言葉に嘘偽りがない限り、玄徳公の軍門に下りましょう。 ただし一つだけ約束してくださるかしら」

 

 そして彼女は私の願いを聞き入れると約束する。

 劉璋様の命を獲らないと言う約束を。

 将来を考えれば飲み込んではならない約束を、彼女は禍の胤になりうると知っていて尚、承知の上で飲み込んだ。

 民が私を不要と言うならば、仕方なき事だと。

 

 ふふっ。確かに彼女は彼の言うとおり面白い人物ね。

 なにより夢を見させてくれる。

 なら、夢を現実にするのが周りの者の務め。

 劉備が彼では無かった事が、少しだけ残念といえば残念かしら。

 彼が劉備なら、いろんな意味で仕え甲斐がありそうだったもの。

 

 

 

-6ページ-

愛紗(関羽)視点:

 

 

 黄忠が服の中に隠し持っていた短剣を、自ら地面へと投げ捨て桃香様へ臣下の礼を取った時、私はやはりなと思いつつも、それでも事が巧く運び過ぎている気がすると疑念に思う。

 やがて互いの真名を交換し終えた所に、どこかで高みの見物をしていた北郷殿と周泰殿がその姿を現す。

 

「上手く行ったようだね桃香。 とりあえずおめでとうと言わせてもらうよ」

「はい、ありがとうございます」

 

 我等の支援者でもある彼からしたら、事の成り行きを知る権利はあるのは当然だが、今はまだその時ではないと言う事ぐらい分からないのかと文句を言おうと思った時、ふと彼と目が合ってしまう。

 

「愛紗。手は大丈夫か?」

「ふんっ、骨も筋も避けて貫通させたのだ。これぐらいのこと大事ない」

「相手の力量を信じれたからこそと言えるんだろうけど、あまり無茶は駄目だよ。 それに女の娘が進んで傷を作るもんじゃないよ」

 

 まるで黄忠の腕を見てきたかのように言う彼は、懐から何か包みを出すなり、何を考えたのかいきなり私の手を取る。

 

「ほ、北郷殿いきなり何をっ!」

「動かないで」

 

 静かな声で、だけど普段からは考えられないくらい有無を言わさない声色の含んだ優しい声で、彼は私の掌の治療を始める。

 見た事も無い程小さな針を器用に扱い。まるで絹糸のような細い糸で傷口を縫い終えると、何やら軟膏をその上から塗り包帯を巻いて行く。

 その間痛みはほとんど感じない。むしろ温かな何かに包まれたような感じを左手から感じる。

 そうしてまるで何かの御呪いなのか『早く治りますように』と包帯の上に己が額をそっと当てて呟く。

 その後は私はただひたすら固まっていた。

 何故かは知らぬが顔が熱くなり、意味を成さぬ言葉を発していた気がするが、その声すらも普段の私からしたら考えられぬほどか細く。北郷殿は何故か首を傾げ、私の顔を心配そうに覗きこんで来ようとした所で、我に返り咄嗟に北郷殿を突き飛ばそうとした所を、周泰殿が彼の襟首を掴んで乱暴に引きずり下げてくれる。

 その事に何故か少しだけ残念な気持ちになるが、それ以上に安堵の息を吐き。

 

「す、すまない」

「いえ、此方こそ一刀さんが御迷惑をおかけしました」

「え? 何で? 俺が悪いの? イィィーーーーーっ! 痛い痛いっ。明命脚を踏んでる。 踏んでるってばっ!」

「当然ですっ!」

 

 そんな二人のやり取りに、先程の緊張した空気はあっという間ぬ霧散し、皆それぞれ苦笑成り、笑みなりを浮かべていた。

 そして明命殿に解放された北郷殿が、まだ痛む足を解している所に黄忠…いや、紫苑が彼に近づくなり。

 

「先日は娘の命を助けていただき有難うございます」

「いや、こっちの都合で助けただけだから礼を言われるまでもないよ」

「これで彼方の思惑とおりと言う所ですか?」

「買い被りだよ。俺はそんなに大それたことは出来やしない。 あの時言ったように余計な横槍が入らないようにしたかっただけ。 後は桃香達の力さ」

「ふふふふっ、なら、そう言う事にしておきましょう。 天の御遣い様」

「俺、名乗ったっけ?」

「いいえ。ただの推測ですが。どうやら当たりだったようですね」

「ああ、カマをかけられたってわけね。 …流石」

 

 そうして彼女は北郷殿の正体を暴いた種を教えてくれる。

 此処から遠くにいる民の中にいる劉備軍とは違う装備の軍団が混じっている事を…。

 その軍団が孫呉の兵装らしきの装備を身に着けている事を…。

 とてもそんな区別がつくような距離とは思えぬが、弓使いの彼女には見えていたのだろう。

 そして今孫呉の中で我等に同行しそうな、もの好きな人物はそう多くは無いと…。

 

 我等が孫呉と手を組んでいる事が知られてしまったのは、この際仕方なき事。

 北郷殿の正体が知られた事など、我等にとって何ら問題ではない。

 問題があるとしたら…。

 

「何故、彼方の事を紫苑が知っているのか説明してもらいましょうか、北郷殿っ」

 

 手の治療をしてくれた事には感謝しよう。

 だがそれとこれとは話が別。

 今度は誤魔化されたりはしないとばかりに、北郷殿を睨みつける私に…。

 

「はわわ、愛紗さん落ち着いてください」

 

 朱里が慌てて割って入り、私に北郷殿と周泰殿が何人かの部下を連れて、紫苑の取り巻く状況と成都に住まう善からぬ者達の監視の目と魔の手から切り離すための工作をしていたと。紫苑とはその際に顔を合わせたのではないかと推測を話してくれる。

 そして、我々の今の立場で、彼等の行動を必要以上に縛る訳にはいかないと言う事を。

 なにより、今の所彼等の行動は信頼に足ると。

 

「そう言う事よ。

 まぁどうやらこっちが思っていた以上に、成都に住む連中が馬鹿だったようね。そうでしょ?」

 

 詠の言葉に、苦笑を浮かべる紫苑は何が在ったかを話してくれる。

 信頼していた乳母や側近の何人かが、この国の王である劉璋の政敵の息の掛かった者だった事を…。

 そして益州を治める劉璋がその者達の手によって傀儡の王と化してしまっている事を…。

 劉表が如何に民を想っていようとも既に民心は離れ。今のままでは今後戦火に巻き込まれ、今以上に民の生活は追いやられるでと判断した事を…。

 北郷殿に娘を助けられた一件は、その事をよく考えるいい機会であった事を…。

 そして北郷殿が今ここに来た理由は、まだ残っていた彼の者達の手の者が街から離れる所を捕縛した事と黄忠が敗れ、此方に付いた事を一日でも送らせるために、周泰殿の隊の者が今も動いている事を知らせる為。

 

「つまり朱里達は北郷殿が此処数日顔を出さなかった理由を、知っていて知らないふりをしていたと。

 そして、其れを私や桃香様には知らせなかったとそう言う訳だな」

「はわわ、しょ、しょれは、確証が在ったわけではありませんし…」

「あのね愛紗。言っとくけど私達だって知らなかったわよ。 ただきっとそんな所だろうなと目星を付けただけ。 そんな憶測の話をあんな時期に話せる訳ないじゃない。 いらない誤解や不信感をあおるだけと判断しただけよ」

「うっ、しかしだな詠よ。もし北郷殿達が敵の手に捉われて我等の作戦が・」

「漏れ出たりしないわよ。 それくらい信じなさいよ」

 

 詠の真っ直ぐな言葉と瞳に…。

 朱里と雛里の信じていましたと言わんばかりの瞳に…、私はそれ以上の言葉を失いつつも、私が掴んだ北郷殿が此処数日いない理由は何だったのかと聞くと。

 

「はぁ? 愛紗あんた、そんな馬鹿馬鹿しい色惚け話の言い訳を信じたの?

 いや、確かに二股も四股も六股も掛けるような奴だから、それくらいしそうだけど。普通は信じないわよ」

 

 いや、しかし……あの護衛の兵士は確かに、

 

「やれやれ愛紗よ。逆に聞くが幾らなんでも軍部の責任者が二人そろって、戦を前に淫蕩に耽る旅に行くと思うか? 大方、其れらしく作った憶測話を信じたのだろう。 まったく実直で頭が固いのも構わぬが、そんなのだから色惚け話に騙されたりするのだ。少しくらい色惚けするくらいに頭を柔らかくしたらどうだ?」

 

 うっ、確かにあの時、噂ではと念を押された気が…。

 

「うにゅ? 愛紗の頭の中は色惚けなのか?」

「ちがうっ!誰が色惚けだっ!」

「うひゃっ、愛紗が突然怒ったのだ」

 

 意味も分からず笑い声を上げる鈴々を怒鳴りつけてしまう。

 見れば、鈴々だけではなく、桃香様や白蓮も此方を可哀相な子を見る目で申し訳なさそうに見ている。

 うっ、つまり、あんなとんでもない噂話を信じて、悶々と北郷殿に怒りを貯め込んでいたのは私だけと言う訳か?

 勝手に、周泰殿の未成熟な体に北郷殿がやりたい放題している姿を想像してしまった私だけだと。

 ……うわぁぁぁぁっ!

 あっ、あっ、穴が在ったら入りたいっ……。

 私は顔を羞恥心で顔を真っ赤にして、私にとんでもない出鱈目を吹き込んだであろう兵士……確か朱然とか言う名の女兵士が居るであろう場所を睨みつけるも、そんな事をしても意味の無い事。

 そもそもあんな噂を私に信じ込ませる北郷殿が悪い。

 そう思い。例え理不尽であろうともこの怒りを北郷殿にぶつけようと思って彼の姿を探したのだが…。

 

「……いったい何を地面に突っ伏しているのですか?」

 

 見れば地面に頭から突っ込んでぴくぴくと身体を震わせている北郷殿の情けない姿に、毒気が抜かれてしまう。

 そんな私の問いかけに北郷殿は地面に突っ伏したまま。

 

「……いったい誰がそんなとんでもない嘘を?

 ……と言うか、俺ってまだそんな風に思われてたの?

 そもそも四股六股って……まるで色狂いみたいじゃないか」

「違うのですか?」

「………もういいです。 ……くすんっ」

 

 何故か北郷殿はそのまま静かに身体を震わせながら、シクシクと地面を濡らす。

 そんな彼の姿に流石に罪悪感を覚えた私は。

 

「いや、確かに私もいくら何でもと思う所は在りましたが、その……なんというか、北郷殿ならそれもありなのかと思う雰囲気があるというか、…その…」

「……愛紗よ。それはどう聞いても、止めを刺しているようにしか聞こえぬが」

「ぐっ」

 

 星の的確な意見に言葉を詰まらせながらも、本気で落ち込み始めた北郷殿を何とか元気付けようと、未だ地面に突っ伏す彼を助け起こす。

 私に体を起こされ、うっすらと涙を浮かべる彼は、いつも以上に情けないものの。

 こう何というか、信じてやらねばと言う気持ちがどこからか湧き上がってくる。

 そうだな。彼は確かに周泰殿の朱里の姉である諸葛瑾と二股をかけてるかもしれない。

 それでも自分達の敵であった袁術と張勳を守るために、不名誉な噂を黙って飲み込んできた。

 家族を守るためだと。

 なら、その心根を知っている者達からは信じてもらいたいと思うのは当然の事。

 彼は傷ついたのだ。

 ……私の言動に。

 ……彼を信じきれなかった私が、此処まで傷つけてしまったのだ。

 ならば私が信じてやらねば。

 私が率先して噂から守ってやらねば。

 

「北郷殿、すまなかった。 私が馬鹿だった。

 彼方を信じよう。 彼方が噂のような人物ではないと信じる事を此処に誓おう」

「ありがとう。 うん。やっぱり愛紗は優しい人だね」

 

 私の言葉に、彼は嬉しそうに微笑む。

 その目の端にはまだ涙が残るものの、私の言葉に嬉しそうに微笑む。

 まるで暖かな日差しのような微笑みを。

 

とくん。

 

 彼の涙ぐむ顔が笑みに変わった時、温かい何かが心の奥底で脈打つ。

 いったいこれは何だ?

 そう疑問に思った時。

 

どがっ!

「ぐべっ!」

 

 まるで蛙を踏み潰したような奇声を上げながら、北郷殿が再び地面へと突っ伏す。

 その原因である詠は、彼の背中を思いっきり蹴っ飛ばした脚を更にそのまま北郷殿の頭部に振り下ろす。

 

「も゛っ」

 

 またもや奇声を上げる北郷殿はそのまま、動かなくなるがどうやら気絶しただけのようだ。

 突然の成り行きについて行けなかった私は我に返り。

 

「詠っ。いったい何をするっ!

 幾ら何でもこのような事を北郷殿にして孫呉とて黙っては・」

「だ・ま・り・な・さ・い!」

 

 詠に文句を言うが、なんというか妙な緑色の霞を湧き上がらせている詠の異様な気迫の前に、私は何も言えなくなる。

 いったいなんだ、この気迫は?

 殺気とも闘気とも違う。むろん覇気や王気などとは似て似つかない禍々しき気配。

 訳の分からないその気迫と寒気の前に私は思わず口を噤んでしまう。

 

「此れは全部愛紗のためにやった事よ。

 い〜いっ。あれくらいで此奴に気を赦しちゃ駄目っ。

 ああやって、女に油断させるのが此奴の手なんだから」

「えっ? はっ?」

「分かったなら返事っ!」

「あ、ああ、分かった気を付けよう」

「其れと、今回の事で孫呉は何も言ってこないわよ。 そうでしょ」

「はい、今回は一刀さんの自業自得ですっ」

 

 そうして詠が向けた視線の先には、未だ気絶したままの北郷殿をやや乱暴に担ぎ上げた明命殿が、用件はすんだとばかりに立ち去って行く。

 その横顔はかなり不機嫌な感じだったが、それは我等に向けられたものではなく、その肩に担ぎ上げられた北郷殿に向いている事からして、私が心配したような事態にはならないと安堵の息を吐きつつも、いったいさっきのは何だったのだろうかと頭を傾げる。

 …よくは分からんが、とりあえず私もそれなりに反省せねば。

 それと、北郷殿には此れからも注意を払う事にしておこう。

 それが身体を張って私に忠告してくれた詠へのせめてもの応え方と思うから…。

 

「ん……」

「どうした愛紗よ、難しい顔をして」

 

 それでも、何か悶々としたものが胸に残る私に、星が面白げな表情を浮かべて声を掛けてくる。

 

「……うむ。 なんというか、何かを逃したような気がしてな。 いや、何かすらもよく分からんのだがな」

 

 そんな私に星は、珍しくきょとんとした顔で呆けて見せるが、次の瞬間には腹を抱えて笑いだす。

 あまりと言えばあまりにも無礼な態度に、私は何が面白いものかと怒りをぶつけるが。

 星はそんな私の怒りの声などまるで気にせずどころか、目に涙を浮かべながら笑う。

 

「くっくっく、いや、許せっ、くっくっくっ」

 

 いや、それでも一応必死に笑いを止めようとしている所を見ると、本人には悪気はないのだろう。

 だが悪気が無くとも、こうも人の事で笑われては悪気があるのとさして変わらぬ。

 そんな星の態度に益々頭に血が上る私に、星が其れでも必死に笑い声を止めながら。

 

「くっくっくっ、なに、お主があまりにも可愛いから、つ、つい笑ってしまったのだ。

 この趙子龍の槍に掛けて、くっくっ、お、お主を馬鹿にしている訳では無い。 だ、駄目だ。我慢できん。ぷははははっはっ」

「くっ、このっ」

 

 星が其処まで言う以上、本当に私を馬鹿にしている訳では無いと分かるのだが面白くないのは事実。だがここでこれ以上星を責めては、星の槍を穢す事に他ならない。

 私は星にそのまま笑い死ねばいい。と心の中で怨嗟の声を放って放っておく事にして紫苑に声を掛ける。

 此処で訳の分からぬ感情の正体に気に掛ける暇も無ければ、人を馬鹿にしていないと述べながらも人を馬鹿にしたような笑い声を上げ続ける星に付き合う暇もない。

 幾ら北郷殿達が情報の工作をしてもらっているとはいえ。それに甘える訳にはいかぬ。

 もう次の戦は始まっているのだから。

 

 …だが、せめてその前に死者を弔う事だけはしたい。

 互いの腹を見るための戦で、その命を落としてしまった兵士達を…。

 彼等の死と想いを無駄にしないと、その墓前で誓うために…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

-7ページ-

あとがき みたいなもの

 

 

 こんにちは、うたまるです。

 第百二十二話 〜 霧の苑にて舞いし者は愛を詠む 〜 を此処にお送りしました。

 

 はぁ………、やっと入試が終わりました。

 まだ結果は出てはいませんが、一応私の戦争は一端終止符を打つ事が出来ました。

 とりあえず。次回の更新は此処まで期間を開ける気はないので心待ちにしていただけたらと思います。

 それにしても、幾ら前回の一刀君の株を下げて桃香の株を上げるためとはいえ、そろそろ刺したくなってきたなぁ(w 幾ら無自覚とは言え、明命と翡翠はよく耐えてるよね……。耐えていないかもしれませんが(ぉw

 心の中で詠の行動に声援を送ったのはきっと私だけではないでしょう(w

 とりあえず恋姫らしくほのぼのと面白おかしく益州攻略の火蓋が切られましたが、本当の戦いはこれからになります。

 この外史では、今の所翠も蒲公英も敵側ですしね♪

 

 桔梗&焔耶戦はどうなるのか?

 詠のあの思わせぶりな言動はどうなったのか?

 そして詠と明命と朱然で一刀のフラグを叩き潰せるのか?

 こうご期待っ!

 え?最後のは違うって?

 そんな細かい事気にしちゃ駄〜目♪

 

では、頑張って書きますので、どうか最期までお付き合いの程、お願いいたします。

説明
『真・恋姫無双』明命√の二次創作のSSです。

 ついに始まる益州攻略。
 だけどその輝かしい戦場には、あの顔ぶれはいない。
 いったい彼女達に何が在ったのか?

拙い文ですが、面白いと思ってくれた方、一言でもコメントをいただけたら僥倖です。
※登場人物の口調が可笑しい所が在る事を御了承ください。
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コメント
おつかれさまです、フラグ微妙な回避したww(RevolutionT1115)
久々の更新お疲れ様です、俺も試験頑張りますのでお互いに頑張りましょうww(帽子屋)
更新お疲れ様です。まるで魚が水の中を泳ぐように、鳥が空を飛ぶように、人が呼吸をするように今後も一刀はナチュラルにフラグを立て続けていくように思えます。頑張れ詠!w(Sirius)
詠はフラグクラッシャーの称号を得たw 2p「袁術と長勲」→「袁術と張勲」、4p「一臣、閑雲長」→「一臣、関雲長」、5p「閑雲長と名乗った」→「関雲長と名乗った」、「貴女の戦いに方」→「貴女の戦い方」、「元徳公の軍門に」→「玄徳公の軍門に」、「使え甲斐が」→「仕え甲斐が」、6p「長勲を守るために」→「張勲を守るために」では?(量産型第一次強化式骸骨)
もののけ犬様、それは将の性格によるものだと思います。 元来将を討ち取った時に声を上げるのは、自分の武勇を響き渡らせるためと言うのもありますが、敵兵士達に対して「お前等の指導者は倒した、抵抗しても犬死だからとっとと降伏しな」という意味合いのものだと思います。  降伏を認めるも認めないもある戦国の時代ですし、恋姫達は高潔な人物として造らていますからその辺りは仕方ない事だと思います。(うたまる)
駆逐艦様、自覚が無いだけに性質が悪いですもんね(w 原作で華琳が一刀の事を天然の極悪人と言ってましたが、全くその通りだと思います。(うたまる)
jonmanjirouhyouryuki様、ぶっちゃけ原作の一刀ならば、それぐらいでフラグを潰せていたなら、萌将伝が成り立たなくなりますよね(w(うたまる)
恋姫関連で時々思う、将同士での決着で周りの兵士も戦闘やめるなら最初から将だけで戦争したら?ってツッコんでしまうW意味無いような気がしてならない(ギミック・パペット ヒトヤ・ドッグ)
フラグブレイク要員が足りない気がしないでもない(駆逐艦)
patishin様、 詠達が一生懸命フラグをへし折ってもへし折っても、無自覚にフラグを立てまくる一刀の姿が脳裏に浮かぶのは私だけでしょうか?(ぉw(うたまる)
summon様、ええ、もうフラグを蹴り倒した挙句に踏み潰しましたからねぇ(w  明命もこの時ばかりは詠に称賛の声を心の中で送ったのでしょうね(w(うたまる)
アルヤ様、一級フラグ破壊士の称号は在るのでしょうか? と言うか一刀相手に有効なのかな?(w(うたまる)
アルヤ様、御指摘ありがとうございます。さっそく修正いたしました。(うたまる)
詠「フラグはへし折ってやったわ!?」(patishin)
ヒトヤ犬様、御指摘ありがとうございます。 愛紗が逃したものの意味に気がついた時、それはきっと彼女が女として成長した証でしょうね。 ……一刀のいない蜀にそんな日が訪れるのかどうか不明ですが(w(うたまる)
mokiti様、この場に翡翠がいたら………まず間違いなくあの二人の影が登場した事でしょうね(w(うたまる)
しゅう様、そう言っていただきありがとうございます。 拙い分ですが、此れからも応援の程よろしくお願いいたします。(うたまる)
丈二様、楽しんでいただけたならうれしく思います。やはり恋姫ですので、シリアス一辺倒はらしくないですよね(w(うたまる)
詠は見事に愛紗のフラグブレイクをしましたね。お疲れ様です。(summon)
流石は一刀。一級フラグ建築士資格所得者。(アルヤ)
訂正です 最終ページ中ほど 何故、紫苑が彼方の事を→貴方のことを 最後の方 張子龍の槍に掛けて→趙子龍 4p全体にわたって 黄蓋→黄忠(アルヤ)
朱理はあわわではなくはわわですよ〜 愛紗が逃がしたのはフラグか?(ギミック・パペット ヒトヤ・ドッグ)
やはり一刀はフラグをばらまくのですね。・・・翡翠がその場にいたらどうなっていたことやら・・・。(mokiti1976-2010)
久しぶりに読みました。やっぱり面白いです。継続は力なりです。完結目指して、自分のペースで書き進めてください。期待しています。(しゅう)
だ〜くっそ、腹抱えて笑っちまったwwww 愛紗は固いなぁ、一刀は天然だなぁ、どいつもこいつも馬鹿ばっかwwwww(峠崎丈二)
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