少女の航跡 短編集12「天国の門」-2
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 カテリーナはロベルト達に与えられた部屋へと戻っており、そこで今だ湧かない実感と言うも

のを感じていた。

 

 自分自身が死んだ。そのように宣告されるのは、いつ死ぬかを宣告される事よりも奇妙なも

のだった。カテリーナは確かに自分が生きていると思っている。しかしながらそれは思いこみに

過ぎず、本当は体が滅び、彼女は死んだのだと言う。

 

 だが、自分の体に自ら触れてみても、死んだと言う感触はそこには無かった。確かに自分自

身の存在はここにあり、そしてカテリーナは生きている。

 

 そしてロベルトは奇妙な事も言っていた。カテリーナは確かに死んだが、滅びたのは肉体で

あり、精神が新たな体を再構築したのだと。

 

 それは一体どのような事であるのか、カテリーナにとっては訳も分からないような言葉を並べ

たてられたかのような気分だった。

 

 迷い、戸惑い、困惑が彼女を包みこむ。もし私が死んでいたとしたならば、今、ここにある自

分は一体何者であるのか。

 

 様々な戸惑いが彼女を覆っていく。このままでは駄目だ。そう思ったカテリーナは、先程、こ

の部屋から持ち出していた剣を再び手に取る事にするのだった。

 

 剣を振るえば、全てを忘れる事ができる。自分が死んでいようと、たとえこの肉体が滅んでい

たとしても、剣を振るうという感触は忘れていない。

 

 その感触さえ思い出せば、カテリーナは自分を思い出す事ができそうだった。

 

 握りしめる柄の感触、そして刃の先にまでずしりと感じる事ができる剣の重み。それはカテリ

ーナから忘れ去られていない感触だった。

 

 そしてこの力を使って、ピュリアーナ女王陛下の下す任務を全うしていく。それをカテリーナは

忘れないつもりでいた。

 

 剣を振るい、思いも何もかもをも断ち切ろうとしていく。その感触は確かに忘れていないでは

ないか。

 

 自分が死んでしまった。そのような事があろうはずがない。もし死んでいたとしたならば、この

確かに感じられる感触は一体何だと言うのだ。

 

 カテリーナは自問自答をしてしまう。いつもならば無心のままに剣を振るう事ができるというの

に、どうしても迷いが生まれるようになってしまった。

 

 カテリーナは部屋の中で剣を振るう。あたかも彼女に与えられたこの部屋の中にあるもの全

てを斬り裂いてしまいそうなように。

 

 だが彼女の剣劇は確かに正確なものであり、切り裂くものは空気だけ、その場にあるものに

は寸分足りとも触れずに剣を振るっていく。

 

 そしてその障害物の中に一つだけ余計なものが突然紛れこんできた。

 

 カテリーナはぎりぎりのところでその刃を止めるのだった。

 

「おっと、これは、少しは加減をしてくれよ」

 

 そのように言って来たのは、カイロスだった。彼は突然、この部屋の中に入ってきており、カ

テリーナの振るう剣の軌道上にいたのだ。

 

「全く、あんたか。私だっていつでも止められるわけじゃあないんだ」

 

 そのように言いつつ、カテリーナは剣を引き戻す。少しカテリーナが剣を止めるのが遅かった

ら、カイロスの体に刃は当たっていただろう。

 

「さっきサトゥルヌス、いや、ロベルトが言っていた言葉だが、あんたにはそれを理解するのが

難しいと思う。だがな…」

 

 カイロスはそう言いかけるのだが、

 

「いや、大体は理解した」

 

 カテリーナは彼の言葉を遮ってそのように言う。

 

「そうとは思えないぜ」

 

 カイロスはそう言ったが、カテリーナは剣を片手に持ったまま彼の方をじっと見つめて答え

る。

 

「私は死んで、肉体だけがこうして生きている。そういう事そのままだろう?」

 

「そんな言葉だけで理解したのか?あんたは?」

 

 カテリーナは剣を鞘の中へと収める。その時に、細い鉄同士がこすれる繊細な音が響き渡っ

た。

 

「いいや、理解していない。言葉だけを受け取っただけ。そして、まだその言葉に対して納得も

していない」

 

 彼女はただそう言った。だが目は迷いも戸惑いも無かっただろう。

 

「そうか、それは良かったかもしれないがな。多分、これからあんたに見せる事は、あんた自身

でも理解する事は困難だと思う」

 

 カイロスのその言葉にカテリーナは顔を上げた。

 

「その理解が困難な事というのは、具体的にどういう事なんだ?」

 

 カテリーナはカイロスに向かってそのように尋ねるが、

 

「理解が困難というのは、その言葉通りのままの事をいったまでだぜ。あんたが、これまでに俺

達の世界で見れてこれた事は、ほんの一端でしかない。実際の計画はもっと大きな所で動い

ているものなんだ」

 

 カイロスのその口調は実に悠々としていて、『リキテインブルグ』の若者が話すかのような口

ぶりだ。しかしながらそこには確かに意味が秘められている。その意味は今のカテリーナであ

っても伺い知る事ができなさそうなものであった。

 

「それで、私が、これ以上一体、何に対して驚かなきゃあいけないんだ? 私はあのゼウスとい

う奴を倒して、その時に死んだ。だがこうして不思議な事に生きている。てんしょうとかいうもの

をされてな」

 

「いいや、てんしょうじゃあなくって、転生。つまり生まれ変わりと言う事を言いたいんだ。あんた

はそれをされたんじゃあなくって、自分でしたっていう事さ」

 

 そのカイロスの言葉にカテリーナは黙る。そのような事、自分が望んでしようとした事なんかじ

ゃあない。何故か知らない内に自分は転生とか言われるものをしてしまっていた。それだけの

事だというのに。

 

「あんたは生まれた時から、他の人間とは明らかに違うという素質を持っていて、それは自分

でも気がついていただろう?」

 

 カイロスのその言葉に、カテリーナは思わず自分の掌を見た。

 

 確かに自分は幼い時から特別な力を有しており、それについてはカテリーナ自身も気がつい

ていた。だからこそ、ピュリアーナ女王の元で騎士として活躍する事ができたのであり、今まで

にどんな強敵でも打倒してくる事が出来たのだ。あのゼウスとて例外ではない。カテリーナは全

ての敵を倒してきた。

 

「もしかして、近く現れると言う、あんた達の仲間が、重要な役割を示すのか?」

 

 カテリーナはカイロスにそのように言うが、

 

「始まりの時からだぜ、カテリーナさんよ。全ては始まりの時からずっと続いてきた事なんだ。あ

んたは始まりの時から、重要な役割を示してきたんだ。そして俺達はそれに期待をしているん

だぜ」

 

 カイロスはそう神妙に言う。

 

「そこで明かされる真実を知った後で、あんたが、ピュリアーナ女王様の元に戻るかどうかって

いう事は、あんたの判断次第で俺達の介入できる事じゃあない。だが、本気で全ての物を救い

たいんなら、俺達と一緒に来る選択を勧めておく」

 

 カテリーナはそう言われても、あくまで自分はピュリアーナ女王と共にある。女王の命令には

従い、それ以外は自分には関係の無い事。そのように言いたくなってしまっていた。

 

 だが彼女は言葉を噤む。

 

 まだ、カイロス達が一体何を自分に望んでいるのか、それがカテリーナには掴む事ができて

いないのだ。

 

 カイロス達が、一体自分に何を望んでいるのか。それを理解するまで、そしてその目的を知

るまでは彼女はここを動くわけにはいかなかった。

 

「ああ、そうだ。その俺達の仲間、客人なんだが、客人の前ではきちんと礼儀正しくしてくれよ。

とは言っても、あんたが良く知っている人物なんだけどな」

 

 カテリーナはそう言われて、ますます顔をしかめるばかりだった。一体、この男は自分に何を

言いたくて、そして何を望んでいると言うのだろう。

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 やがて時間は夜になろうとしていた。カテリーナはそれまでずっと部屋の中にこもり、この屋

敷に現れようとしている客人と呼ばれる存在を待っていた。

 

 いったい誰が来ると言うのか。カテリーナは結局その人物の存在を明かされなかったため

に、どのような人物が現れるのか、その見当さえつける事ができない。

 

 それはロベルト達の仲間なのだろう。それだけはカテリーナも知らされていた。ロベルト達

は、あのゼウスとも通じていた。《シレーナ・フォート》を陥落させたあのゼウスの仲間達なのだ

から、いくらでも仲間がいて不思議ではないはずだ。

 

 しかし、ロベルトやカイロス達の言い方が、カテリーナにとってはどうも気になっていた。

 

 まるで謎かけのように、または言いにくたそうに、これから現れる客人の存在をカテリーナに

告げている。それは何故だろうか。

 

 そしてロベルト達はその人物が、カテリーナがよく知る人物であるという事も教えてきていた。

よく知る人物。そのように言われたとしても、カテリーナにとってみれば見当もつかない事だっ

た。

 

 カテリーナはただ自室に籠り、その客人を待ち続けた。ロベルト達がいったい自分に何をさ

せたいのか、それについて見当もつけることができない。だが、その客人さえ現れれば、彼ら

も重い口を開き、カテリーナにすべての真相を明かしてくれるのだという。

 

 客人とはそれほどまでに重要な存在なのか。カテリーナはひたすら待ち続けた。

 

 待つという事は彼女にとっては今まで苦手なことの一つだった。騎士たるもの、忍耐という事

も大切なことだったが、カテリーナにとって、戦いにおける待つという行為は苦手だ。

 

 しかし今はどうだろうか、カテリーナは一刻一刻を刻んでいく時を、ただ待つことができるよう

になっている。じっと待ち、来るべき時に備える。それまでの時も、まるで大切な一歩を踏みし

めるかのように感じていくことができる。

 

 ロベルト達によれば、目覚めた後、カテリーナは今までの自分と、一部の感覚が異なるもの

であるという事に気が付き始めていた。この感覚はいったい何なのであろうか。

 

 新たに自分の中に現れつつある奇妙な感覚。カテリーナはそれを、恐ろしいものとも思わな

かったし、異物感のあるものとしても感じなかった。

 

 ただ受け入れるものとして、新しい自分でそれを感じ取っていたのである。

 

 夜もくれ、かなりの時間、カテリーナは待たされていた。そろそろ夕時だと思い、カテリーナは

与えられた自分の部屋を出て、屋敷の中の階段を下り、朝食もそこで食べた広間へと向かっ

た。

 

 どうやらすでに、ロベルト達も食事の準備を始めていたらしく、夕食の用意が始まっている所

だった。

 

「部屋に籠ってばかりでどうしたね?せっかくの夕食の準備が始まっているぞ。もっとその顔を

我らに見せたまえ」

 

 広間に入るなり、そのように言ってきたのはハデスだった。あたかもこの場所を仕切っている

かのような物言いで、カテリーナに対しても、どこか上から見下ろしてくるような言葉で言ってく

るのは変わらない。

 

 だがカテリーナは構わず、自分に与えられた、朝食の時と同じ席につきつつ言った。

 

「客人というのは、まだ現れないのか?」

 

 カテリーナは広間を見渡すが、そこには朝食の時と同じ人物たちがいるばかりだった。それ

が夕食となっただけで何も変わらない。

 

「理由があってな、客人の方もここに来るのが遅れている」

 

 そのように言ってきたのはロベルトだった。

 

「理由とは?」

 

 カテリーナはそう言いつつ、すでにテーブルの上に並んでいたグラスから水を飲む。

 

 だが、カテリーナの周りにいる者達はお互いに顔を見合わせているだけで、彼女へと答えよ

うとはしない。

 

「私は、すべてを明かしてくれると聞いたからこそ、ここにやってきて、あんた達と話をしている

んだ。いい加減包み隠さずにしっかりと話をしてくれ。さもなければ出て行ってしまうぞ」

 

 と、彼女は言う。自分には待っている者達がいるのだ。そして、必要としている者達がいるの

だ。こんなところでいつまでも、何も話さない連中達と一緒にいるわけにもいかない。

 

「少し落ち着きたまえ、カテリーナ。我々に対して無礼だぞ」

 

 そのようにハデスは言いかけるのだが、そこにロベルトが割り入った。

 

「まあ、そろそろ良いだろう。彼女にもいずれは全てを知ってもらわなければならないのだ。話

をしている途中からでも彼はやってくるはずだ」

 

 ロベルトはそう言って、この場を抑える。

 

「それでは、話をしてくれ」

 

「待ちたまえ、前菜が並ぶ。食事をしながらにしてくれ」

 

 ハデスがそう言うと、目深くフードを被った者が、朝食の時と同じように食事を持ってきた。各

人の皿の上に盛られているのは、朝食の時と同じ、『リキテインブルグ』式の朝食のものであっ

た。

 

 また、彼らと食事を共にするのか。カテリーナはそう思う。自分はすでに、この者達と共同生

活を始めてしまったのか?彼女は仕方なく目の前に並べられた食事に手を付け始めるのだっ

た。

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「大抵の事はすでにゼウスから聞いているだろう?君はこの文明を終わらせるために生まれ

た存在なのだという事を」

 

 食事も前菜から主菜へと変わってきたころには、ロベルトの話す話もその段階にまでやって

きていた。

 

 ゼウスとの戦いは、カテリーナにとっては遠い昔に起きた出来事であるかのようなことだが、

彼らによれば、まだほんの一月前の出来事であったという。それから今まで、さして時間は経

っていないのだ。

 

「その話ならば確かに聞いた。未だに信じるつもりはないけどね」

 

 今更そんな話を聞かされたとしても、カテリーナにとっては動じることではなかった。

 

「そして、君の誕生が、意図的なものであったという事も、すでに聞かされていただろう?」

 

 ハデスが口を挟むかのように言ってくる。そんな事もゼウスは言っていた。カテリーナという存

在は、アンジェロ達が望んで作り上げた存在だという事を。

 

 あの戦いの時、カテリーナはそれを認めるつもりはなかった。だが時間を経てきて、だんだん

とそれが実感として感じられるものとなってきている。

 

「それで、意図的に誕生させるって、あんた達は、一体、私をどうしたんだ?」

 

 と、カテリーナが尋ねると、

 

「正確に言うと、君自身に対しては、道を示したに過ぎない。だが、特別な存在として誕生させ

るからには、その両親に対して干渉をしなければならない。そうする事で、特別な力を持つ子

供を産ませることができる」

 

 と、ロベルト。

 

「あんた達の言葉でいえば、エルフと人間の子供は、半分はエルフの血を持ち、その力を使う

こともできる存在として生まれてくるだろう。馬の交配だってしたりするだろう。そういう事を、意

図的に操作したっていう事さ。俺たちはもう大昔から、そうした技術を使ってきている」

 

 カイロスがそこに説明を入れるのだった。

 

「私のお母さん。シェルリーナに何かをしたのか?」

 

 カテリーナは若干攻撃的な口調になってそのように言った。しかし、

 

「何かをしなかったと言ったら、それは嘘になるだろう。だが、我々は確かに君の母親に対して

干渉をした。そして、特別な力を持つ、それこそ、ゼウスや我々の使いようによっては、世界を

破滅させることもできるような存在が生まれるという事になる」

 

「干渉とは具体的にどういう事をしたんだ?」

 

 カテリーナはそう尋ねるが、

 

「その話は、我々の客人がここに来ることによって、全てを理解することができるだろう。その

客人ならば、君が抱いている疑問に対して全て、答えることができるし、君が何故、こうして生

まれ変わることができたのかについても、説明をすることができる」

 

 ロベルト達の説明はそこから先へと進まない。一体、自分が何者なのかという事もわからな

いままに、カテリーナはただ待たされるしかなかった。

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 ロベルト達が待っているという客人は、結局のところ、彼らの夕食が終わっても現れなかっ

た。

 

 カテリーナ達は広間にいながら、その客人を待ち続ける。

 

 一体、何者がやってくるというのだろう、そして、その人物は本当にカテリーナに対して答えを

見せてくれるのだろうか。彼女には分からない事ばかりだった。

 

「嵐がやってくるな」

 

 ロベルトがカテリーナと共に、窓から屋敷の外を見つめてそのように言った。確かに炉ベルト

の言うとおり、屋敷の窓は音を立て始めており、外では強い風が吹いてきていることがわか

る。

 

「その人物が到着するのが、遅くなるかな」

 

 天を見上げるようにしてカテリーナは尋ねた。何しろ彼女にとっては、早くアンジェロの者達か

ら、事の真相を明かしてほしい。

 

「いいや、彼は嵐など慣れている。彼が遅れているのには、他に理由があるのさ」

 

 ロベルトはそう言った。そして、カテリーナを、アンジェロの者達がついている円卓のテーブル

の方へと誘った。

 

「やれやれ、またこの場所で待て、か」

 

「しかし話は進めたはずだ。君が何故、誕生したのかという事については、すでに話をした」

 

 円卓のテーブルにつくなり言葉を発したカテリーナに対し、それを制止するかのようにロベル

トが言う。

 

「あんた達は、まだ誰かと戦っているのか?あのゼウスという者が滅びた事によって、戦いは

終わったんじゃあないのか?」

 

 カテリーナはロベルトら、アンジェロの者達の表情を伺ってそのように尋ねる。彼らが持って

いる緊張感のようなものは、とても戦いが終わった者達とは思えないものだった。

 

「ゼウスを倒せば全てが終わりなのではない。戦争が終われば全てが終わりではないという事

は、お前達の世界とて同じことだろう。今は、いわゆる戦後処理の真っ最中というわけだ」

 

 ハデスは変わらぬ悠々とした口調でカテリーナに向かって言うのだが、

 

「その戦後処理のために私の力が必要と言うのか?」

 

 カテリーナも、そろそろハデスの口調には嫌気が差してきておりそのように、攻撃的な口調で

尋ねていた。

 

「戦後処理は言いすぎだが、ゼウスの奴は色々と置き土産をしていってくれたんだぜ。それが

ちょいと厄介なものでな…」

 

 カイロスはそのように言いかける。その時、屋敷の入口の方から扉が開かれる物音が聞こえ

てきた。同時に、すでに激しい雨風となっている外気の音も聞こえてくる。

 

 その物音に、円卓にいる者達は一斉に反応するのだった。

 

「やれやれ、ようやくご到着のようだ。時間を守れる奴はこの世にいないのか?」

 

 ハデスが皮肉を込めた言いぐさでそう言うのだった。

 

 アンジェロ達が招き入れた何者かは、ゆっくりと足を踏みしめながら、この広間へとやってこ

ようとしているようだった。

 

 誰がこの場に現れるのか、カテリーナは恐怖はしていなかったが、そこには深い興味があっ

た。一体、どんな存在が現れるのか。

 

 だが、広間の扉を開けてその人物が現れた時、カテリーナはさすがに驚かされた。まずは見

間違いなのではないのかと思ってしまう。

 

 しかしその人物は確かにそこにいたのだ。

 

「やあ、皆よ。遅れてすまない。そしてカテリーナ、久しぶりだな。再び元気な姿を見ることがで

きてうれしいよ」

 

 そう言ってきたその人物。間違いない、カテリーナ達の広間に現れたのは、カテリーナの父だ

った。

 

 何故、彼がこんなところにいるのか、カテリーナはまずそこから疑った。何かの間違いではな

いのか、戦乱にも、アンジェロ族という存在にも、全く無関係であったはずの彼が、何故こんな

ところにいるのか。

 

 カテリーナは思わず立ち上がって彼の目の前に立ってしまった。それだけ動揺しているの

だ。

 

「父さん。何故、こんな所へ。父さんは一体?」

 

 疑問、それだけがカテリーナを支配する。しかしながら、目の前には久しぶりに再会を喜ぶ父

そのものの姿があった。

 

「ふん、クロノスよ。遅れてきたのだから、さっさと席につきたまえ、皆、お前の到着を待ってい

たのだからな」

 

 ハデスが促す。すると、クロノスは被っていた帽子を脱ぎだすのだった。

 

「おい、お前達」

 

 カテリーナは思わず戸惑っている、口調もどことなく乱暴になっている事がわかる。

 

「これは、一体、どういう事なんだ?」

 

 それこそが今のカテリーナの感情のすべてを表しているものだった。そう、何がどういう事な

のか、それが分からないのだ。

 

「まあカテリーナ。まずは席に座りたまえ。それから説明を始めれば、君ならば理解することが

できるはずだ」

 

 父はそのように言ってくる。だが、カテリーナは珍しく狼狽していた。まさか、自分がこんなに

狼狽してしまうなんて。

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 与えられた水を飲んだ事によって、カテリーナは何とか自分を落ち着けることができるように

なってきた。

 

 だが、落ち着きと共にその後にやってきたものは疑問だった。何故、自分の父がこのような

場所にいるのか、カテリーナにはそれを理解する事ができなかった。

 

 彼も、自分と同じように、アンジェロ族に目をつけられた存在なのか、だからこそ、こうして呼

び出されたのか。だが、ロベルトは、ここにやってくる客人は彼らの同志だと言っていた。

 

 何故、アンジェロの者達は、自分の父を同志などと言うのだろうか。

 

「ハデス。カテリーナにはどこまで話をしたんだ?」

 

 カテリーナの父、クロノスはそのようにハデスへと尋ねた。しかもその口ぶりと言ったら、昔か

ら知りあっている者同士のような雰囲気である。ますます疑惑が大きくなっていく。

 

「彼女がすでに生まれた時から、我らに組するためにあった存在であるという事。そして、我ら

が、彼女の母親に影響を及ぼしたというところまでさ」

 

 ハデスの方も、クロノスに対して、長年知り合っているかのような口ぶりで答えるのだった。

 

「そうか」

 

 普段あまりカテリーナと共にいなかった父は、ため息でも混じるかのような声でそのように言

うのだった。

 

「では、カテリーナ。わたしは君に明かさないとならない。その事で、君は父であるわたしの事を

幻滅するかもしれない。しかしそれでも、これからの為に、きちんと話をしておかなければなら

ないんだ」

 

 クロノスはそのようにカテリーナの方に向き直って話し始めた。

 

「それは、一体、どういう事」

 

 いつものような自信もなく、カテリーナはまるでこれからクロノスから発せられる言葉が恐ろし

いものであるかのように尋ねるのだった。

 

 そしてクロノスは口を開いた。

 

「わたしは確かに君の父親だ。しかしながら、わたしはアンジェロ族なんだ。ただの人間ではな

い」

 

 と、クロノスははっきりとした口調で言うのだった。

 

「つまり、それは?」

 

 再び恐る恐るといった様子でカテリーナは尋ねる。

 

「つまりカテリーナ。君はただの純粋な人間ではないんだ。君が特別な力を使え、普通の人間

よりも遥かに強大な力を持っているのも、君がもともとただの人間ではないため、そのように、

我々が、生まれる前の君自身を操作した事によるんだ」

 

 クロノスの言っている言葉は、カテリーナの耳に入ってきて、それはしっかりと刻まれる。だ

が、それをうまく理解する事がカテリーナには理解する事ができない。

 

「つまりだ、カテリーナ。私が君の父親である理由は、君に対して特別な力を持たせるため、そ

のためにわたしは君のお母さんに近づいたんだ。そして君のお母さんをわたしと引き合わせる

ためのきっかけも作った。それで、君は誕生した」

 

 クロノスとカテリーナの親子に向けて、その場にいる者たちの視線が集中する。

 

 カテリーナは何呼吸も答えるまでを置いた。そしてようやく口を開く。

 

「それはつまり、私の母さんがあなたと出会ったのは、仕組まれていたという事」

 

 そのカテリーナの声にクロノスは頷く。

 

「その通り。そういう事になる」

 

「そして、私を産ませるために、あなたは私の父親となったと」

 

 カテリーナのその言葉には軽蔑も何もない、ただ静かな声でそのように答えるのだった。

 

「カテリーナ。現実を受け入れる事は難しいが、君は確かにそのようにして誕生させられた存

在だ。だが、わたしは、ゼウスのように君を道具のように思っていた事はない。実の娘として大

切に育ててきた。そして今も大切に思っている」

 

 クロノス、カテリーナの父はそのようにカテリーナへと言ってくる。だが彼の言ってくる言葉を

そのまま受け止めることが、彼女にとっては困難だった。

 

 あらゆる事が、カテリーナの想像を超えていた。彼女自身、恐ろしいまでの存在に出くわした

ことも、そして神にも似た強大な存在とも対峙してきたというのに。自分の父から明かされたこ

とは、とても受け入れがたい事だった。

 

「私は生まれた時から、ここにいる者達に使われるために生まれてきた。そう考えていいことに

なるのか?」

 

 カテリーナはその言葉を、父に対してではなく、この場にいる者達に向かって言うのだった。

 

「ああ、その通りだとも。だが、お前は、自分がこの世のどんな事よりも大切な事のために使わ

れる事が、どのような事か考えた事はあるのか?」

 

 ハデスが口を挟んできた。

 

「いいや、自分が望んだ意志の事以外については考えた事はない」

 

 そのようにカテリーナはハデスの方を見ることなく答えるのだった。

 

「お前の意志など超越した世界に物事はあるのだよ、カテリーナ。お前はその大きな歯車の中

にいるのだ。それに気が付いたらどうだ?」

 

 ハデスがさらに言って来るが、カテリーナはそれを無視した。

 

「つまり父さんは、私のような存在を産ませるために、わざと母さんと出会ったと、そう考えてい

いのか?つまり母さんも、私をも利用して、父親になったと」

 

「そのことに関しては、今、ここで君にも申し訳なく思っているが…」

 

 クロノスはそのように言いかけてくるが、

 

「私は、父さんに謝罪を求めているわけじゃあない」

 

 カテリーナはきっぱりとそのように言って遮った。

 

「そうか。だが幾ら、これからの計画の為に、君のお母さんに近づき、夫婦になったとは言って

も、君たちの事は本当に大切に思っている。本物の親子だと思っている事は確かな事なんだ」

 

 カテリーナは父の眼を見る。そこからうかがえるものは、真意だった。父、クロノスは決してカ

テリーナ達に嘘をついているわけではない。

 

 父は確かに真実を話してきている。父親と最後にあったのはそれほど遠くない昔だが、あれ

はカテリーナがゼウスと戦うよりも前の出来事だった。だからカテリーナにとってはとてつもなく

昔の出来事であるかのように思えてしまう。

 

 父は自分とは違って、何も変わっていないようだった。

 

 カテリーナはその場で立ち上がって、この場にいる者達に向かって言った。

 

「今、私の父さんは、これからの計画の為に私が必要だと言った。つまり、あんた達は、私がゼ

ウスとの戦いで勝利をし、こうして再び転生というものをする事を、あらかじめ知っていたという

事なのか?」

 

 円卓の周りに集まっている者たちの中から、ロベルトが答えた。

 

「それだけが、ゼウスに対抗する事ができる唯一の手段だった」

 

 ロベルトがその言葉を発すると、ハデスなどは彼から目線を外してしまう。まるで、彼が言っ

てはならない言葉を発したかのようだ。

 

「あんた達は、あのゼウスと仲間ではないのか?そして、この世界を破壊しようとしているので

はないのか?」

 

 カテリーナが問う。

 

「いいや、仲間ではあい。あのゼウスのやり方はいくら何でも急進的過ぎた。自分が望まぬ世

界になってしまったら、世界を浄化しようなどと言う考え方は、我々にはついていけないものだ

った。

 

 だが、君が身をもって体感したように、あのゼウスの力は圧倒的なものだ。果たして我々が

どのようにして太刀打ちする事ができるだろうか。

 

 そこで我々は考えた。ゼウスが望んでいる者に、彼に対抗するだけの力を持たせるという手

段だ。カテリーナ。君はゼウスにとって想定外の存在となって彼を打ち倒したというわけなのだ

が、それはゼウスにも知りえないものだったのだ」

 

 ロベルトの説明にカテリーナはまだ納得がいかないという様子だった。

 

「そして、これからとは?ゼウスを倒した事によって、あんた達の目的は果たされたんじゃあな

いのか?私は、何故まだここにいなければならない」

 

「お前の父親から、出生の秘密を聞かされたという、お前にとって有益な意味があったろう」

 

 ハデスがまた口を挟んできたが、それを抑えるかのようにロベルトが言う。

 

「我々にとって、もはや敵となってしまったゼウスだが、ゼウスだけが、急進的な考えをしていた

わけではない。もしかしたら、ゼウスよりももっと恐ろしい存在になるかもしれない者がいるの

だ」

 

 ロベルトの言葉に、カテリーナは再び席についた。

 

「その存在とは?」

 

 カテリーナはそのまま尋ねる。するとロベルトは説明を始めた。

 

「我々アンジェロが、こうして文明の流浪の民となった元凶ともいえる存在だ。その気になれ

ば、あの存在にこの世のすべてを支配する事ができるようになっても不思議ではないだろう。

何せ、今は、最も大切な存在を君に奪われてしまったことから、精神的にも非常に不安定な状

況にある。とても危険だ」

 

 ロベルトはその存在をほのめかす。具体的な名前を明かさない。だがカテリーナには見当が

つく。

 

「あれが、そこまで危険な存在なのか?」

 

 すると今度は、父、クロノスが言ってきた。

 

「ゼウスは強大な力を有していた。それは破壊の力であり、彼は力によってこの世界を収めよ

うとしていた。しかしながら、今、脅威となっているものは破壊の力とはまた異なるものだ。それ

は精神に訴えかけてくるものだ。

 

 心というものは非常に無防備なものであって、そこに付け込まれると、無防備な状態をさらし

てしまう事になる。見たくないものが、最も見えるようになり、そして最も驚異的な存在となって

しまう」

 

 その時、カテリーナは外の嵐のさらに向こうから、何かが聞こえてきたような気がした。それ

は獣の遠吠えのようにも聞こえるものだったが、遠吠えにしてはあまりにも大きな音であり、そ

れは窓を揺るがしているように見えた。

 

「今の音は何だ?」

 

 カテリーナがそのように尋ねる。すると、周りにいる者達はお互いに顔を見合わせた。

 

「聞こえたのか?」

 

 ロベルトがそう言ってきた。

 

「何を確認する事がある?あんなにはっきりと聞こえた音を」

 

 カテリーナはそう言ってまたしても立ち上がって、窓の方へと向かうのだった。

 

 窓は揺れてきしむ。それは外からやってきている嵐のせいだけではなかった。獣の遠吠えを

何倍も大きくしたかのようなものが聞こえてきて、それが窓を激しく揺り動かしているのだ。

 

「これは?この森には怪物でもいるのか?」

 

 同じく窓枠の方にやってきたロベルトにカテリーナは尋ねる。

 

「怪物か?カテリーナ。君はそんなに怪物が怖いのか?」

 

 と言ってきたのは、父のクロノスの方だった。何故、今、そんな事を言って来るのか、カテリー

ナは、自分がけなされているかのような気持ちにさせられる。

 

「父さん。何を言っているんだ。だんだんと、その怪物か何かがこちらに近づいてきているよう

に聞こえる」

 

 カテリーナがそう言うと、アンジェロの者達は皆が、お互いに頷き合う。

 

「やれやれ。どうやら、心につけこまれているようだ」

 

「いいや、そんな事よりも、問題はあいつが、カテリーナの居所を突き止めたっていう事だな」

 

「私の結界も、通用しないという事か?」

 

「ゼウスの時も、見つかっただろ」

 

 口々に言い合っている、ハデスとカイロス。

 

 そうしている間にも屋敷の床は揺れ、何か巨大なものが迫ってきているようだった。カテリー

ナはその激しい揺れに揺さぶられてしまうが、倒れてしまわないように窓枠につかまった。

 

 しかし、アンジェロの者達は、全く動じていない様子だ。さらにハデス達など、悠々と食後の水

を飲んでいるではないか。

 

「やれやれ、こんな事など、所詮は子供だましでしかないというものを」

 

 そう言いながら、まるで窓の外で起きている事など興味がないという様子で、ハデスは水を飲

んでいた。

 

 だが確かに彼らの体も揺れているし、ハデスが飲んでいる水もこぼれ出している。

 

「これが、子供だましだと」

 

 あまりに外で起きている事が無関心であるために、カテリーナは思わずそう言っていた。する

と、クロノスは彼女に近づいてきて言った。

 

「カテリーナ。敵、もはや敵と呼んでよいのかもしれないが、その存在は君の心の中に付け込

んできている。だから君には見えてしまうんだ」

 

「見えてしまう?父さん。一体、何の事を言っているんだ?」

 

 カテリーナは父に向かって問う。だが父は真剣にカテリーナの眼に向かって言ってきた。

 

「人に対しては心を開くことも大事と母さんに教えられたこともあるだろうが、これから大切にな

ってくるのは、その調節だ。分かるか?カテリーナ。水門が水を調整するかのように、心を開い

て、そして閉じる事が大切になってくる」

 

 クロノスの言ってきたその言葉。だが、カテリーナはその真意を理解することはできなかっ

た。

 

 やがて、咆哮は屋敷へと接近してきて、巨大な音を立てながら迫ってきた。

 

 そして、広間の窓を突き破って、巨大な怪物が姿を現したのである。

-6ページ-

 広間の窓を突き破ってそこに現れた怪物は、カテリーナが今までに見た事もなければ、話に

聞いたこともないような姿をした怪物だった。

 

 その体躯は、狼などというものではない。人間の体格を優に数倍は上回るほどの大きさをし

た怪物だった。紫色の燃えるような体毛を持っており、目は赤色に輝く一つ目だった。

 

 カテリーナは目の前に現れた怪物に身構えていた。

 

「この森には、こんな怪物も放っているのか」

 

 彼女はそのように言って、アンジェロの者達の反応を伺う。だが彼らは、何事もなかったかの

ように広間にいるだけだった。

 

「おい!こんな怪物が広間に入ってきたんだ。何とかしたらどうだ!」

 

 カテリーナは言い放った。怪物が中に入ってきた時に窓が割れ、そのガラスで手を切ったら

しい。血が流れるのを感じた。

 

 怪物は広間に広がるようなうなり声を上げ、それは耳をもつんざくほどのものだった。

 

 だが、アンジェロの者達は誰一人として、警戒をする様子も見せない。あたかも怪物がここに

は実在しないかのように、平静を装っているだけだった。

 

「怪物。怪物なんて、一体、どこにいるのかしらね?」

 

 そのように言ったのは、アフロディーテだった。広間にあるテーブルの半分が怪物によって踏

みつけられ、そのテーブルがひっくり返っているというのに、彼女は何事もないかのように、お

茶を飲んでいる有様だった。

 

「この巨大な狼のような怪物が、お前達には見えないのか」

 

 カテリーナはそのように言い放った。するとクロノスは言って来る。

 

「カテリーナ。君には、狼のような巨大な怪物がいるように見えているのか?」

 

「いるように?一体、何を言っているんだ、父さんは」

 

 訳も分からなかった。父は一体、何を言おうとしているのだろう。ここまではっきりと目の前に

実在しているものが、まるで彼らには見えていないかのようだった。

 

 その時、巨大な怪物は、その大きな腕を振り上げて、それをカテリーナの方へと振り下ろして

こようとしていた。

 

 カテリーナは両腕を使ってその大きな腕を防御した。だが、凄まじい力だった。今まで立ち向

かってきた敵達の中でも、この巨大な狼は凄まじい力を持っている。

 

 カテリーナの体は吹き飛ばされて、そのまま壁へと当たった。

 

 そんなカテリーナの姿を見て、ハデスは笑っているようだった。

 

「何が可笑しい!」

 

 思わずカテリーナはそのように言うのだった。彼も、皆も、何事も無かったかのように、その

場にいるだけだ。

 

 そんな中、父クロノスだけは、壁にまで向かって吹き飛ばされたカテリーナに手を差し伸べて

きた。

 

「父さん。気を付けるんだ。その怪物、並大抵の力じゃあない」

 

 カテリーナは父に警戒を促しながら身を起こすのだった。しかしながらクロノスは怪物の方は

一切見ようとせず、ただカテリーナの瞳を見て言って来る。

 

「まだ、君が小さいとき、こんな事があったなカテリーナ。君は2歳年上の近所の女の子が狼に

襲われていた時、ただその前に立ちはだかって、怪物と素手で戦ってそれを退けた。あの時

は、傷だらけになった君を心配したものだよ。

 

 だが、そのころから君には、身を張ってでも誰かを助けたいという意志があったんだな」

 

「こんな時に、一体、何を言っているんだ。父さんは」

 

 カテリーナはそのように言うのだが、クロノスはそのまま話を続けた。

 

「その時、君は怖いと思ったのか、カテリーナ?小さなころから君は、一切表情を変えない子だ

ったが、その時に戦った狼を怖いと思っていたのか?」

 

 父の問いかけにカテリーナは戸惑ってしまう。何故、彼は今、こんな話をするのだろう。

 

「怖いと思ったか、なんて分からない。ただ、その時の事はよく覚えている。ただそれだけ」

 

「そうか…。では昔の出来事が君に見せているんだな」

 

 父、クロノスはそのように言って来るが、カテリーナには何の事か分からない。

 

 それどころか怪物は、またしてもカテリーナの方に迫ってきた。

 

「父さん。危ないだろう。離れるんだ」

 

 そのようにカテリーナが言うと、父はその身をゆっくりと引いていく。しかしながら、怪物は父

の事など全く構わないといった様子で、カテリーナの方へと迫ってくる。何故、自分の方だけ狙

って来るのか。

 

「カテリーナ。これはお前の敵だ。我々の敵じゃあない。そもそも私達には君がどのようなもの

を見ているのか、という事さえ我々には理解できない」

 

 カテリーナはゆっくりと立ち上がりながら、父に向かって言った。

 

「父さん達が何を言っているのか、私には分からない」

 

 怪物は再びカテリーナの方に向かって飛びかかってこようとしてきていた。

 

「そもそも、狙われているのは彼女なんだから、私達は関係ないのではなくて?」

 

「ふむ。我々は全く干渉されていないのではないか?」

 

 アフロディーテとハデスがそのように言った。まるで自分達は関係ないといった様子である。

 

「お前達!」

 

 だが目の前の敵に立ち向かうのは自分しかいなかった。怪物はその鋭い爪で絨毯をえぐり

ながら、カテリーナの方へと迫ってきた。

 

 カテリーナは素早く自分の体を飛び上がらせ、突進してくる怪物を避け、それをそのまま壁へ

と激突させた。

 

「少しは理解できたか?」

 

 クロノスはそのように言って来るが、

 

「何も理解できていない。何故、あんた達はこの怪物をどうでも良い存在のように思っているん

だ?」

 

 カテリーナはそう言ったが、

 

「恐れを感じるものを見る必要はない」

 

 そのように答えたのはロベルトだった。

 

「つまり、それはどういう事だ。あんた達は、怖がりたくないから、あの怪物を無視しているとそ

ういう事か」

 

「頭が冴えているな。その通りだ」

 

 答えてきたのは、カイロスだった。

 

「しかし、あの怪物はここに実在しているんだぞ!」

 

 このアンジェロを名乗る者達はそこまで勝手なのか。だが、見たくなくても屋敷の中にあのよ

うな巨大な怪物が入ってきてしまっていて、無視だけで済むわけがない。

 

「本当に、そうかな、カテリーナ」

 

「はあ、何を言っているんだ?」

 

 クロノスはそう言って、カテリーナの肩に手を乗せてきた。

 

「君は、そこにいるんだろう、怪物の存在を見てしまっている。だが、もしそれが鏡に映ったよう

な虚像であったらどうだ?」

 

 怪物はうなり声を上げ、こちらへと再び突進して来ようとしていた。カテリーナにはそれが現

実のものとしてしか見ることができないでいる。

 

「虚像?窓は壊され、絨毯は引っかかれ、私は怪我をしているのに。この血を見て父さんには

虚像と言えるのか」

 

 カテリーナは父の方に向けて、自分が受けた傷跡を見せる。傷口からは確かに血が流れて

きている。

 

「カテリーナ。これから迫ってくる危機を乗り越えるためには、真実と虚像を見分ける、心の調

節ができるようにならなければならない」

 

「心の調節とは?」

 

 尋ねるカテリーナ。

 

「あの怪物は?そこにいるのは真実なのか?窓は本当に破壊されたのか?そして、君は、本

当に傷を負っているのか?」

 

 クロノスはそう言って来る。だがそんな事を言われても、確かに窓は壊れており、嵐は外から

吹き込んできている。自分は血を流すほどのけがをしているし、何より目の前には狼を巨大に

したかのような怪物がいるのだ。それが虚像と言われても、彼女には理解する事ができないで

いた。

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「駄目だ。父さん。そんな事を言われても私は理解できない」

 

 そう言ってカテリーナは迫りくる怪物から身を守った。今度は攻勢にも出る。手のひらに集中

させようとする力。以前のようにする事ができるだろうか。

 

 彼女は自分の手のひらに、雷の力を集中させる。この力があったからこそ、皆に頼りにされ

る存在となってきたのだ。

 

 それは今でも可能だった。カテリーナは手のひらに雷の力を集中させる。その力は以前にも

まして大きなものとなり、また扱いやすいかのような姿をしているように思えた。

 

 この力ならば、この怪物を打ち倒すのに、十分な力を出すことができるだろう。

 

 そう確信し、カテリーナはその怪物に向かって、雷の力をこめた拳を振り下ろした。拳からは

激しい雷光が解き放たれ、激しい音とともに周囲に衝撃をも生み出す。

 

 その凄まじさによって、流石にアンジェロ達も思わず身構えざるを得なかった。

 

 怪物は咆哮を上げ、カテリーナの拳の衝撃に呑まれ、そして、押しつぶされていく。

 

 激しい衝撃を伴う攻撃をした後、流石にカテリーナも息切れをしていた。だが、彼女の今の一

撃は、巨大な怪物を黒焦げにするのには十分であったらしい。

 

 カテリーナは自分を落ち着かせ、着地して立っていた。

 

 だが、まだ怪物は倒れていなかった。怪物はゆっくりとその身を持ち上げ、再びカテリーナの

方へと迫ってこようとしていた。

 

「おのれ」

 

 今の一撃で完全に倒すことができたと思っていたのに。思っていたよりもずっとしぶとい怪物

のようだ。

 

 再びカテリーナは、その怪物に対して身構えた。

 

「やれやれだ。どうやら、まだ、あんたが理解をするには時間がかかるようだな」

 

 そのように言ってきたのは、カイロスだった。彼は何やら小脇に大型の大砲のような兵器を

構え、カテリーナの元へとやってきた。

 

「どういうつもりだ?」

 

 そのようにカテリーナは問うが、彼はカテリーナと共に怪物の前で対峙をした。

 

「何。あんたが、苦戦しているようなんでな。俺も、あんたと同じ脅威に立ち向かうために、わざ

と心を開いてやろうっていうわけさ」

 

 カイロスはそう言うなり、怪物に向かってその兵器を向けた。機械音が響き、カテリーナが見

たこともないその兵器は動き出す。

 

「なるほど。こりゃあ、並大抵のものじゃあないな。確かに、初心者のあんたが、これは虚像だ

と言われても信じようがあるわけがないな」

 

「あんたは、これを見ることができているのか?」

 

 怪物とは一定の距離を保ちながら、カテリーナは尋ねた。

 

「ああ、今はな。あんたのために、わざと俺も心を開いてやったんだぜ。だが、あんまり開きたく

はないと思ってもいるわけだ」

 

 怪物は迫ってくる。するとカイロスは、手に持っている兵器の、刃がついている部分を怪物の

方へと向けた。その刃で相手をけん制する事ができるらしい。

 

 怪物が振り下ろしてきた爪を、刃によって受けとめたカイロスは、再び身をひるがえさせ、今

度は大筒が取り付けられた方を怪物の方へと向けて、その大筒を発射するのだった。

 

 大きな衝撃と共に大筒は発射されて、怪物の体へと直撃する。その衝撃は、カテリーナが放

った雷光と同等ほどの威力があるように思えた。

 

 怪物は身を怯ませる。だが、まだカテリーナ達に向かって襲いかかってこようとしている。並

大抵のしぶとさではなかった。これが狼相手だったら、百頭以上は倒す事ができたというもの

を。

 

「こいつぁ。こいつぁ」

 

 そう言いながら、カイロスは、素早くその大型兵器を引き離し、怪物から身を離した。

 

「俺の大筒をまともに食らって、こうして生きている怪物なんざあ、驚きだぜ。あんた、一体、普

段、どんな事を想像しているんだ?」

 

 カテリーナに向かって、カイロスは問いかけてくる。だが、カテリーナはそんな事を言われても

どうしようも無いものだ。

 

「あんたはこう言いたいのか?私が、想像しているものが、現実になっていると、そう言いたい

のか?」

 

「合ってはいるが、まだ間違ってもいる。カテリーナ。君が想像しているものが、目の前に現れ

ているのは確かだが、それはやはりまだ想像のままだ。現実に現れているのではない。君は、

自分の心が見せている虚像と戦っているんだ」

 

 クロノスは、カテリーナに忠告のようにそのように言ってきた。今まで、父と会話をした時間

は、母と会話していた時間よりもはるかに少ないカテリーナだったが、父のその忠告は、確か

な親からの言葉だった。

 

「一体誰がこんな事を」

 

 カテリーナがそういう中で、目の前の怪物は身を起こそうとしている。その狼に似た巨大な体

躯を支える、極太の足がしっかりとした姿勢に怪物を戻そうとする。

 

 だが、今のカイロスの大筒による攻撃は、この怪物に大きな負傷を与えたらしく、その体勢を

うまく立て直せないでいる。

 

「今は、目の前の敵に集中しろよ。この怪物は、お前が強いと思えば思う程厄介な存在にな

る。まあ、あんたが創り出している虚像なんだから、相当な強敵になるだろうぜ」

 

 カイロスは大筒を構えたまま、厄介なものを扱うかのようにそう言ってきた。

 

 自分が虚像を作り出す。それはカテリーナにとっては、初めて聞く言葉だったし、理解しようと

したことも無い。

 

 目の前の存在が、実は存在していない。カテリーナ自身がそれを生み出しているのだという

事を理解する事は困難だった。

 

 だが彼女は、今度は両手に雷の力を集中させ始める。その雷は一気に彼女の両手に集まっ

てきた。

 

 今まではこの力を、大剣を媒介として使っていたカテリーナだったが、今では、それを両手で

使うしかない。だが、その力は今までにも増して強まっている気がした。

 

 この力は、魔法使いが魔法を使うように、ただの力任せでは駄目だ。いかにそれを集中して

利用する事ができるか、そして操る事ができるかにかかっている。

 

 カテリーナの両手が、大きな光に包まれるほどになる。それは周囲を明るく照らしあげ、さら

に嵐でも起こっているかのように、大広間の中を吹き荒れた。

 

「やれやれ。本気になる必要などないというものを」

 

 そう言ったのはハデスだった。どうやら部屋の中にいるアンジェロの者達は、カテリーナの力

が放っている衝撃は感じているらしい。彼らの髪や衣服が舞い上がってきている。

 

 カテリーナには、ハデスの言葉など聞こえてはいなかった。彼女の両手に膨れ上がる力は一

定の調子を保っている。

 

 この力の使い方は、カテリーナにとって初めてになる使い方だった。だから彼女はそれを慎

重に練り上げていく。あたかも、剣を作る職人がじっくりと、熱い鉄を形にして作り上げていくか

のような感覚だ。

 

 カテリーナは集中していた目を開き、怪物と正面から対峙した。

 

「父さんの言っている事は、私にはまだ分からない。だが分かっている事は一つ。今は目の前

の敵を倒すという事だけだ」

 

 そう言ってカテリーナは構えの姿勢に入り、ようやく体勢を立て直した怪物に向かっていっ

た。

 

「やれやれ。これは相当なものになるぞ」

 

 クロノスのその言葉の直後、カテリーナの攻撃が、怪物へと炸裂した。巨大な怪物をさらに覆

い尽くしてしまうかのような雷光の輝き。

 

 そして衝撃も凄まじかった。雷光と共に爆発が起こったかのような衝撃が大広間に吹き荒

れ、天井や壁、そして床に大きな亀裂を入れた。

 

 爆発はなかなか収まらず、幾度も炸裂していく。怪物の咆哮が響き渡って、さらに凄絶なもの

とする。

 

 煙さえも上がっていた。もうもうと立ち上がる煙の中で、カテリーナは衝撃の炸裂した中心に

いた。

 

 今のカテリーナの一撃を食らって、いかなる怪物も平気でいられるはずがないだろう。事実、

怪物の姿は跡形も無かった。不思議なくらいに、全くそこにはなかった。

 

 その衝撃の中、吹き飛ばされたカイロスは、その身を起こしつつ言った。

 

「全く、やってくれるぜ」

 

 今のカテリーナの放った衝撃は、部屋にいた誰しもが感じたらしい。だが、怪物はどこにいる

のか。カテリーナの目の前に立ちはだかっていたはずの怪物は、その残骸さえも残していなか

った。

 

「これで、いいんだろう?」

 

 カテリーナはそのように言うが、今の衝撃から逃れていたクロノスがやって来る。

 

「いいや、正直言ってよくない」

 

 彼はそのように言うのだった。一体、何が良くなかったというのか、カテリーナには理解できな

かった。

 

「やはり、気質が抜けてないな。そのような野蛮なやり方で、いつまでも切り抜けられると思うな

よ」

 

 そう言ったのはハデスだ。

 

「悪いけれども、父さん達の言っている事が、私にはまだ理解できない。だからこうするしかな

かった。以前までのやり方でな」

 

 以前までのやり方、カテリーナはそのように自分で言って、その言葉に疑問を持った。何故、

以前までなのか。まるで、このように力技で押し切ることを、これ以上しないかのような言い方

だった。

 

「まずは、理解する事だ。理解が一番の解決になる。そのやり方を、そして、今、この世界に襲

いかかってきている危機について、君に説明しよう、カテリーナ」

 

 ロベルトはそのようにカテリーナに言って来る。だが、その口調は、今まで彼が発してきた言

葉と変わらぬものだった。

 

 カテリーナはやれやれと言った思いだった。ロベルトがこんな口調を発するからには、大体話

してくる事は想像できる。

 

 しかし、今は状況が違う。今までに見たことの無い怪物に襲われ、そして今、カテリーナはこ

こで客人として扱われている。

 

 今までとは少し違う話を聞くことができるだろう。まあ、それも信用する事ができないものでは

あるが。

 

 心の中ではそう思いつつも、カテリーナは言葉を発した。

 

「ああ、それでは、きちんと説明してもらう事にするよ。今まで、あんた達が散々はぐらかしてき

た分、全てを説明してもらおう」

 

 カテリーナは堂々たる声でそのように言う。

 

 そして、アンジェロ達の説明が始まるのだった。

 

 

 

少女の航跡 第4章 「変貌」へ→

説明
生きていたカテリーナ。しかしながら、彼女はアンジェロ族を名乗る者たちから、真実を明かされます。そして彼女が歩んでいく道とは―?
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