「飴が鞭」
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飴が鞭

 

 「あー面倒くさいーだるいー。なんでゲーム機忘れちゃったんだろ」

 物置同然の、事務所北側の窓辺に据え置かれた斑模様の3人掛けソファーの柔らかさを全身で感じながら、双葉杏は普段通りにだらけていた。仰向けのまま手をバタバタと動かし、頭の方向に置かれたエンドテーブルの上にあるペットボトルを取ろうとする。

 「ジュースジュース……うわっ」

 うっかり手から滑らせたペットボトルから零れたジュースが、ソファーの背もたれにかかる。

 「たいへんだーたいへんだーフンフンフーン」

 全くもって大変ではない鼻歌を歌いながら、濡れてしまった部分を、頭に敷いてあった、馴染みのうさぎのぬいぐるみでこすると、再び頭に敷いて枕代わりにする。

 このソファ、本来は応接用として一等上等な単色のものであったのだが、座るな飲み食いするなと言っても詭弁を弄して使い続けた杏の、よだれや汗や飲食物による度重なる冒涜により、人前で使うには憚られる色合いとなり、外部の人を通すこともなく、目に触れることもないこの場所に、寿命となるまで留め置かれる事となった杏専用のものであるため、汚す分には問題ない。

健康被害が出ないようにプロデューサーが定期的に掃除をしていることを、杏は知る由もないが。

 「あーもう寝るのもだるくなってきた……。てか仕事無いなら帰っていいじゃん……」

 働かないことで糧を得るという、禅問答か哲学的命題めいたものを是とする彼女が、なにゆえアイドルの労働の核たるプロダクション内でだらけているかというと、プロデューサーから『寝てていいからここにいろ。これを食べ終えるまでには会議から戻ってくるから』と、小さな袋に入った飴玉を渡されつつ厳命されていたからである。

 

 (プロデューサーの顔を立てる。偉いよねぇ杏は)

 などと独りごちながら体を器用に回転させると、ぬいぐるみに顎を乗せ、周囲に目を向ける。コロコロカチカチと歯に当たる飴玉の音が、怠惰な観察に華を添えていた。

 珍しく事務所は閑散としていた。普段であれば、血まみれになりつつ衣装を抱えて戻ってくるプロデューサーや、殴り込みをかけてきたアイドル達と戦っていたりするプロデューサーがいるものだが、大規模イベントの最中、それも昼も過ぎた頃ということもあり、事務所の中には、イベントから戻って休憩中の数人のプロデューサーと、その間をせわしなく往復して、不埒なドリンクやら団子やらを売り回る千川ちひろの姿くらいしか見えなかった。

 『弁当代』と書かれた財布から金貨を出して、死んだ目でそれらを購入するプロデューサー達を眺めながら、

(うちの貧乏プロデューサーが血迷って買いませんように)と祈りつつ、小さくなった飴をかみ砕く。と同時に、飴袋へと手を伸ばした。

 しかし、指先に飴の感触は伝わってこない。「んー? 」と呟きながら袋を目の前まで引き寄せる。

 「あれ、飴が無い……」

 プロデューサーから渡されていた飴は、既に底を突いてた。袋をゴミ箱付近に放り投げて暫く考える。秒針が半周する程の熟考を終えた後、

 「よし、飴無くなったし帰ろう。義理は果たした」

 もそもそと起き上がり、今日もあらたな汚れにまみれたぬいぐるみの耳を掴んで貴重品を取りにロッカーへと向かった。

 

 (あー予約し忘れてたゲームどうしよう……。帰りに買って帰るか通販を待つか……悩み所だね)

 などと考えながら、通りかかったガラス張りの談話室にふと顔を向け、その室内に目を奪われ立ち止まった。中央にすえられた机が、山盛りのスティックキャンディで埋め尽くされていたのだ。

 (なんだあの量……)

 もっともな意見である。10人程は余裕で使用できるテーブルから、今にも零れ落ちそうになるほど積み上げられたキャンディ。

それに目を奪われていたが、よくよく部屋を見ると、四方の壁面には、びっしりと段ボールが天井まで積み上げられている。談話などできない状況に作り替えられた部屋を見て、流石に興味が引かれた杏は、吸い込まれるように中へと入っていった。

 手近な段ボールの取っ手穴に指を伸ばし、中をのぞき見ると、同じキャンディがぎっしりと入っている。

 部屋そのものが一回り小さくなった事による圧迫感と、キャンディが溢れているという奇妙な状況に気圧されながらも、テーブルの上に置いてあるそれを一つ手に取ってみた。

 見た感じは普通であった。普通に美味しそうであった。散々飴を舐めた杏ではあったが、プロデューサーの渡した飴は、杏の事を考えて甘味料を押さえたタイプのハッカ飴だったので、彼女の舌は普通に甘い飴も食べたくなっていた。

 (これだけあるし一個ぐらい貰ってもいいかも)

 恐らくはなにかのキャンペーンで使うものだろう。こういうものは基本的に余裕がでるように余剰分を多めに用意してあると言うことを、プロデューサーの言動から理解していた。プロデューサーが勿体ぶって差し出す食べ物は基本的にそれだからである。

 「うーむ、勤務時間は終わったんだけどなぁ、プロデューサーに悪いし残業するか。うひひ……」

 と小芝居を入れつつ袋を開けようとしたその時、背後から声が響いた。

 「待った待った杏ちゃん! それ食べちゃ駄目だってさー」

 「うひっ!? 」

 恐る恐る振り向く杏を、青い瞳が部屋の入り口から見つめていた。

 「なになに杏ちゃんキャンディ食べたいのーっ?」

 「……」

 バツの悪そうな杏にお構いなく、青い瞳の少女、大槻唯がブロンドの髪をなびかせて入ってきた。

 「これ美味しそうだもんねー」

 棒を回転させてキャンディを回す唯を見つめつつ、どうしたものかと考えあぐねていた。杏はガンガン攻めてくるタイプに苦手意識がある。特に目の前にいる唯は、喋るのがやたら好きで闊達なタイプである。

 (うう……どうしよう)

 ここは逃げるのが得策かと、この場を切り抜ける言い訳を考えつつ、部屋を出るためにキャンディを元の場所に戻す。その時、横から部屋にあるのとは別の色のスティックキャンディが差し出された。

 「じゃじゃーん! プレゼントフォーユー! 」

 「え……いいの? 」

 「もちろんだじぇ。まだポケットにもロッカーにもあるし」

 杏がキャンディを受け取ると、ポケットから更にキャンディを取り出し「ね? 」と、笑いかけた。

 (いいやつかもしれない……)

 キャンディで人の善悪の判断などされても堪ったものではないが、半端にキャンディ欲が出てしまった杏にとっては、重要極まりない要素となっていた。

 「折角だし話しない? 面白い話あるんだけどっ!」

 「う……いいよ」

 キャンディを貰った手前と、プロデューサーに黙って帰ろうとした極僅かな負い目から、杏は渋々ながらも承諾しつつ、唯が嬉しそうに運んで来た椅子に腰掛けた。

 

 二人並びあってキャンディをなめつつ、とりとめない話をする。とは言っても、唯が喋るだけ喋り、杏が相づちを繰り返すと言った風ではあったが。

 杏は、(なんか変なことになっちゃったなぁ)と考えつつも、会話の切れたタイミングで唯に尋ねてみた。

 「これってなんなの? 」

 目の前のキャンディの山を指す。唯は、「やっぱ気になるよねー」などと笑いつつ答えた。

 「なんかさー、ちひろさんが使いたいことがあるからって持ってきたんだよねこれ」

 「なにそれこわい」

 「まーたPちゃんに売るんじゃないのー? 」

 笑う唯とは対照的に、杏は得も言われぬ不安に襲われた。そして秒針が一目盛り動くほどの熟慮の末に決心した。

 捨てよう。そうしないと悲劇が起きて取り返しが付かないことになる。

小さな体に闘志が宿った。これはあってはいけないものだ。その一念が怠惰な精神に鞭を打ち、杏の体を駆り立てる。

 「早く処分しよう! 」

 「ええ!? 」

 キャンディを振りかざし熱い視線を送ってくる杏に、唯は何事かと慌てる。

 「とりあえずゴミ袋取ってくる! 段ボール下ろしておいて! 」

 今まで見たことのない早さで飛び出す杏に、夢でも見ているのかとしばし固まってたが、まあとりあえず一つ位下ろしておくかと段ボールに向かおうとしたその時、ゆっくりと後ずさりしながら杏が戻ってきた。 

 「……? ゴミ袋の場所が分からなかったー? 」

 唯の声に、小さく悲鳴を上げると、飛び跳ねるように談話室の奥の隅へと向かう。そして隅の段ボールに頭をぶつけたことなどお構いなしに、角にグイグイ体を押しつけながら、ぬいぐるみを盾のように構えて小さくなってしまった。

 一連の行動に、呆気にとられながらも唯が尋ねる。

 「どうしたーっ? なんかあったのーっ? 」

 「杏はここにいない! と、いうことにして欲しい……」

 「いやそりゃ無理っしょ」

 「無理を承知でお願いします! 」

 そんな無茶なと視線を廊下に向けると、唯の眼前には、ちひろが立っていた。思わず短い悲鳴を上げる。

 「唯ちゃん。杏ちゃん、この部屋の中に居ますよね? 」

 「えー、と。いないよ……です」

 「唯ちゃん、嘘は駄目ですよ」

 唯を見つめるちひろの口は何時も通りの笑顔であったが、目は笑っていなかった。思わず音を立てて唾を飲み込む。

 「杏さん、私が来た理由分かりますよね? 」

 ちひろの良く通るが、異様なほどに抑揚のない声が、部屋の奥へと流れる。が、返答はなかった。

 「双葉杏さん、分かりますよね? と、聞いているんですが? 」

 一歩踏み出たちひろの足音が、カーペット張りの床とは思えないほどに響く。

 「双葉あ──」

 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい! っていうか決してちひろさんが考えているようなそういうあれではなくこんな風にしてたら誰かに食べられちゃうんじゃないかと杏は心配した次第であくまで善意です! 」

 部屋の奥からマシンガンのような謝罪と弁解じみた欺瞞が発せられた。その時の杏は、ぬいぐるみの頭を押さえつけて土下座のポーズを取らせていたが、ちひろの位置からはテーブルが邪魔して見えないことに、テンパっている彼女には分かっていなかった。

 「処分、って言葉が聞こえたような……? これ、私の私物なんですが? 」

 「しょ、しょ……あ、将軍! 将軍って言ったのをちひろさんが聞き間違えたんです! 」

 (それは苦しいだろう……)と、唯は考えたものの、口に出すとこちらにちひろの矛先が向きそうなので黙っていた。

 「唯ちゃん、本当ですか? 」

 油断していた喉元に矛先が突きつけられた。しかも杏よりも距離が近い分、怖い。ここは乗るしかない、唯は必死に思考を巡らす。

 「あー、う……ん。将軍……そう! 将軍ごっこしようって話になったんです! 」

 (それは苦しいだろう……)と、テーブルの下から見える二人の足を見つめながら、杏は、流れ出る冷や汗と脂汗をぬいぐるみに吸わせていた。

 「……将軍ごっこってなんですか? 杏さん? 」

 ((最悪だ……))

 杏と唯は、四方の壁がごりごり迫ってくる感覚に襲われ始めた。

 

 その時、大きなあいさつが事務所の入り口から響いてきた。

 唯は、天使が来たんだと神に感謝した。杏は、悪魔が増えたとぬいぐるみを握り潰した。

 軽やかなステップが次第に談話室へと近づく。そして正体を顕した天使は入り口の上部に頭を擦るほどの勢いで飛び込んできて、言葉を発した。

 「にょわー! 談話室がすごいことになってりゅ☆ あれどしたの唯ちゃんにちひろちゃんに……うきゅー!すごいキャンディ☆……あれー杏ちゃんなにやってるのー? 」

 「にょわー! にょわー! にょわーきらりーん! いやー杏ちゃんにキャンディあげて一緒に将軍ごっこするところだったんだよね!!! ですよねちひろさん! 」

 異常な興奮状態の唯を暫く見つめていたちひろは、ふぅと溜息を付いてから、いつもの表情へと戻った。

 「……ええ。でも遊ぶなら談話室の外で遊んでくださいよ。あ、それからきらりちゃん、このキャンディは食べちゃ駄目ですよ」

 「モチ外で遊びまーすっ! 」

 「おっけーい、ちひろちゃーん☆」

 声もトーンに戻り、部屋を後にするちひろを横目に、きらりに一方的な賛辞とハイタッチを繰り返す唯の横で、疑問符をたっぷり頭上にデコレートしたきらりが、首をかしげていた。

 「んー? しょーぐんごっこってよく分からないけど、せっかくだしーきらりも杏ちゃんにハピハピキャンディあげゆー☆ 」

 キラキラした効果音が響いてきそうな程にファンシーなきらりのカバンから、ファンシーな塊が引き出される。

 手間の掛かった飾りが付けてある割合高そうなキャンディではあるが、恐怖がピークに達していた杏には、もはやそれが何か理解できていなかった。

 奇っ怪な雄叫びを上げて近づくきらり。安堵の表情を浮かべて天井を仰ぐ唯。双眸から変な光を放ちつつ、部屋の外から杏を見つめるちひろ。

 (変な事考えずに早く帰れば良かったんだ……畜生なんでこんなことに)

 

 涙目の杏には、世の全てが酷くゆっくりに見えた。

 

説明
原作:アイドルマスターシンデレラガールズ
登場人物:双葉杏、大槻唯、千川ちひろ、諸星きらり
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タグ
アイドルマスターシンデレラガールズ

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