ずっと一緒に
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 福田が彼女と別れたらしい。

 俺は心底驚いた。福田と伊丹さんの二人は、社内ではほぼ公認の仲だった。ありゃ結婚も秒読みだろうって、部で噂になってたくらいだ。

 言われてみると、最近の福田はおかしかった。仕事中も上の空だし、新人みたいなミスを何度も繰り返した。何より奇妙なのは、あれだけ仲の良かった伊丹さんを、あからさまに避けるようになったことだ。伊丹さんの方は、たまに寂しげな顔をするだけで、特に何も言わなかったが。

 二人とも真面目で仕事熱心、悪い噂もない。その二人が別れる理由なんて、まるで思いつかなかった。同僚もみんな首を傾げてた。

 福田と俺は同期入社で、部では一番仲が良かった。そんなわけで、俺が福田から事情を聞く係に任命されたのは、ほとんど必然だった。

 同僚がカンパしてくれた金を手に、俺は福田を誘って、居酒屋でしこたま飲ませた。軍資金の残りが心配になってきたころ、福田はようやく重い口を開いた。

「お前、幽霊って信じるか?」

「は?」

 思わず聞き返した。福田は生真面目すぎるほど真面目なタイプで、幽霊だの迷信だのといった非科学的なことを口にする男じゃない。

 もちろん、俺も幽霊なんて信じてない。が、この場はあえて調子を合わせた。

「時と場合による。完全否定するわけじゃないけど、見たことないから何とも言えないな」

「そうか。俺は信じてなかった」

 過去形だ。ということは、最近何かあったのか。

「おいおい。まさかお前、伊丹さんが幽霊に取り憑かれてるから別れた、とか言い出すんじゃないだろうな」

 伊丹さんはごく普通の女性だ。ここ数日は元気がないけど、それは福田と別れたせいだろう。それ以前は毎日、普通に出勤して、元気に、楽しそうに働いてた。

 その手の霊的な問題を抱えているようには、とても見えない。

「……」

 福田は何か言いかけて、ためらった。俺は不安になってきた。

「そう、なのか……?」

「いや」奴はかぶりを振った。

「取り憑かれてるなら、まだマシなんだけどさ……。まあ、聞いてくれよ」

 福田は残っていたチューハイを一気に飲み干して、空のグラスをテーブルに置いた。

「先々週の土曜、あいつの家に言ったんだ」

「おう」

「ケーキと花束と、あと指輪持ってった」

「それって、もしかしてプロポーズか? おお、やるじゃんお前!」

 肩を叩いてから、しまった、と思った。二人はもう別れたんだから、当然プロポーズは失敗だったわけだ。

 福田は俺の無礼に気づきもしなかった。

「あいつの家、アパートだけど結構広くてさ。寝室の他にリビングとキッチンがあってさ。まずリビングに通されて、コーヒー出された」

「おう」

「花とケーキ渡したら、あいつ、すげー喜んでくれた。そこまでは良かったんだ」

「ふんふん」

「指輪を見せて、結婚してくれって言った。あいつは喜んでくれたんだけど」

「……ダメだったのか?」

「同棲ならかまわないけど、結婚は無理だって」

「なんだそりゃ。一緒に暮らすのは良くて、籍は入れたくないって? なんか怪しいな」

「だろ? 俺もそう思った」

 福田はチューハイのグラスを手にとってから、それが空だと思い出したらしかった。

 ちょうど通りかかった店員を呼び止めて、福田は水割りを注文した。俺も何か注文しようかと思ったが、軍資金が残り少ないことを考えてやめた。

「俺も納得いかなかったんだ。だから、あいつを説得した」

 割り箸の袋を弄びながら、福田は話を続けた。

「同棲ならかまわないってことは、俺が嫌いじゃないんだろう。だったら、どうして結婚は駄目なんだ。ちゃんと説明してくれ。もし家のことが理由だったら、俺はそんなこと気にしない。俺の親にも文句は言わせない、って」

『家のこと』というのはきっと、伊丹さんのご両親のことだろう。彼女が子供の頃に亡くなったそうだ。

 別に秘密ってわけじゃない。同僚なら誰でも知ってることだ。本人も笑顔で話してた。気にしている様子なんて、全然なかった。

「で、伊丹さんはなんて?」

「『両親のことではあるんだけど、そうじゃなくって』とか言ってた。それも、深刻そうな感じじゃないんだ。諦めてるっていうか、ちょっと苦笑い入った感じの笑顔でさ」

「笑顔……ふうん。ますますわかんねえな」

「彼女が言葉を濁すから、俺は『納得できない』って言ってやった。理由を聞いて納得できるまでは、今日はここを動かないぞ、って」

「おう、言ってやったな」

「そしたら、あいつは話してくれた」

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 ――福田の説明によると、だいたいこんな感じの内容だった。

 伊丹さんの両親は、彼女が五歳の時に事故で亡くなった。当然、幼い彼女にとってはショッキングな出来事だった。親戚に引き取られた後も、彼女は毎日泣きながら過ごしていた。そんなある日、耳元で声がした。

『もう泣かなくていいよ』

『私たちは死んでしまったけれど、私と母さんはいつでも、お前のすぐそばにいる』

『私たちは、ずっとお前と一緒にいる。お前がお嫁に行く日まで、ずっと見守っているからね』

 それは疑いようもなく、伊丹さんの父親の声だった。その声に励まされた伊丹さんは元気を取り戻し、親類の元で新たな生活を始めた。

 声はその後も時々、伊丹さんの耳元に訪れた。父だけでなく、母の声も聞こえた。うっすらと姿が見えることさえあった。二人は伊丹さんとの約束通り、彼女の成長を影から見守った。

 ――なるほど、と俺は思った。それでさっきの『幽霊って云々』とかいう話になるわけだ。

「なんだ、いい話じゃないか」

 俺は素直な感想を口にした。幻聴だか幻覚だか知らないけど、それが幼い伊丹さんの支えになってくれたんなら、それはいいことだろう。

「いい話、か」福田は小さく笑った。自虐的な笑いだった。

「俺も、最初はそう思ったよ」

「違うのか?」

「違うよ。ぜんぜん違う」

 福田の手元で、グラスの氷がからんと鳴った。さっき注文したばかりの水割りが、もう空になっていた。

「問題は『お前がお嫁に行く日まで』ってとこなんだ」

「……ああー」

「な? あいつが独身でいる間、両親はあいつの近くにいる。あいつが結婚した時点で、二人は成仏してどっかへ消えちまう。あいつはそれを嫌がってるんだよ」

「なるほど。納得した」

 俺がうなずいている間に、福田は店員を呼んで水割りのおかわりを頼んだ。目が座っている。かなり酔っているのは明らかだ。明日も仕事があるってのに、大丈夫だろうか。ただし顔は赤くなってなくて、むしろ青白いくらいだった。

「けどさ、それで伊丹さんと別れるのはおかしいだろ」

「ああ?」

「同棲ならかまわないって、伊丹さんも言ってくれたんだろ。今どき事実婚なんて珍しくない。籍さえ入れなきゃいいんだから、それでいいじゃないか。伊丹さんと別れる理由にはならないだろ」

「……違う」

 福田は苛ついたみたいにかぶりを振った。

「お前わかってない。何もわかってないよ」

「? どういう意味だ、それ」

「見たんだよ、俺」

「え?」

「見たんだ、あいつの両親を」

 そこで店員が水割りを持って来て、福田は口を閉ざした。店員からグラスを受け取る福田の手は、あからさまにぶるぶる震えていた。顔は紙みたいに真っ白だった。

「お前が言ったことくらい、俺だってすぐに思いついたよ」

 店員がいなくなるとすぐ、福田は話を続けた。

「俺もそう言ったんだ、あいつに。それならそれでかまわない。籍なんかにこだわらない、お前さえ良ければ一緒に暮らそう、って」

「おう」

「あいつは喜んで泣き出した。ありがとう、幸せになろうね、って、そう言ってくれた」

「……おう」

「そしたら、見えたんだよ。あいつの後ろに」

 水割りをぐいっと一気に半分飲んだ。目の焦点が合ってない。

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 水割りをぐいっと一気に半分飲んだ。目の焦点が合ってない。

「最初は影だけだった。あいつの頭の上あたりに、うっすらと黒い影が見えたんだ。人の顔みたいな形の影が、二つ、並んで」

「……」

 俺は相づちを打つことも忘れていた。ただバカみたいに口をぽかんと開けて、福田の話の続きを待った。

「俺は気のせいかと思って、何度も目をこすった。でも、それは消えなかった。そのうち声まで聞こえてきたんだ。かすれた声でよく聞き取れなかったけど、二人分の声が、とぎれとぎれに『お願い』『お願い』って、そう言ってた」

 そう語る福田の声も、かすれた小声になってきた。福田は水割りのグラスに向かって、独り言みたいに話を続けた。

「呆然としてる俺を見て、あいつも何かおかしいって思ったみたいだ。『どうしたの?』って聞いてきた。俺が答えられないでいたら、あいつ、にっこり笑って『もしかして、あなたにも見えるの?』って、そう言うんだよ。すっごく嬉しそうにさ」

「……」

「あいつはすごく喜んで、『今まで誰に話しても信じてもらえなかったの。私以外で両親の姿が見える人、あなたが初めて』って。『これで本当の家族になれる』って、子供みたいにはしゃいでさ」

「……そうか」

 俺はようやく言葉を絞り出した。

「そうか……納得したよ。伊丹さんがそういう人だとは思わなかった。そうだよな、幽霊が取り憑いてる女じゃ、一緒に暮らすのなんて無理だよ。うん、納得した」

 言っておくが、俺は福田の話をまともに信じたわけじゃない。

 すべてが酔っぱらいの戯言かもしれない。でなきゃ、福田の脳が伊丹さんの身の上話にあてられて作った、幻覚かもしれない。どっちにしろ、俺は幽霊なんて信じる気にはなれなかった。

 一人でそんなことを考えていたら、福田にぐいっと腕をつかまれた。

「何だよ?」

「お前、まだわかってないよ」

「え?」

「話はまだ途中なんだよ」

 福田は俺を睨みつけた。目が血走っていて、作り物みたいだ。

「あいつがあんまり喜ぶから、俺もだんだん落ち着いてきてさ」

 俺の腕をつかんだまま、福田はまた話し始めた。手は興奮で震えてたけど、声はしっかりしていた。

「幽霊だって思ったら不気味だけど、あいつの両親だろ。それに、あいつがこんなに喜んでるだろ。危険なものじゃないって思ったら、だんだん平気になってきてさ」

「お、おう」

「それで俺、立ち上がって挨拶したんだよ。幽霊に」

「……おう」

「お嬢さんとは仲良くさせてもらっています、今後も交際を認めてください、一緒に暮らすのを許してください――とか、そんなようなことを言った」

「……」

 こいつ頭おかしい、と俺は思った。幻覚を見ていかれちまったのか、それとも酔ってるせいなのか。

「両親の霊は、相変わらず何か言おうとしてた。『お願いします……』とは聞こえてたけど、その他の声もだんだんはっきり聞こえてきた。『結婚』って言ってるみたいだった」

 話の内容とは逆に、福田の声はだんだんかすれてきた。

「で、思ったんだよ。ご両親はきっと、俺があいつと結婚したがってるのがわかってるんだって。結婚したら、娘とお別れすることになる。それが心配なんだ、って」

 福田は顔を下に向けて、まるでテーブルに話しかけてるみたいだった。俺は福田の声を聞き取るために、身を乗り出さなきゃならなかった。

「俺はご両親を安心させようとした。説明しようとしたんだ、無理に結婚しようとは思ってない、お嬢さんさんと一緒にいられるだけで幸せだから、って」

「……で?」

「俺がそう言おうとした時、見えたんだ。顔が、はっきりと」

「……」

「腐ってた」

 福田はぶるっと体を震わせた。

「俺が影だと思ってたの、それ、真っ黒に腐った顔の肉なんだよ。真っ黒で、頬とか額とかがぬめぬめ光っててさ。目はただの黒い穴で、鼻もなかった。耳なんか、顔の横で腐った肉がぶらぶらぶら下がってるだけなんだ」

 福田の声は、今はもう囁きに近い。居酒屋の騒々しさの中で、なぜか俺にはその声がはっきりと聞こえた。

「その時になって、ようやく二人の声がはっきり聞き取れた」

「……」

「二人はこう言ってたんだ、『お願いします、娘と結婚してやって下さい』『我々を解放してください』『どうかお願いします、我々を自由に……』『お願いします』『お願いします』って」

 何かを思い出したのか、福田の丸まった背中にぶるるっと震えが走った。

「あいつにも、その声は聞こえてたと思う。聞こえてたはずなんだ」

「……」

「なのに、あいつは笑ってた。『もう、やだなあ。二人とも冗談ばっかり。私、結婚なんてしないよ』って、笑いながらそう言うんだよ」

「……」

「それから、あいつは俺に向かって言った。『これからはみんな一緒だね。ずっと一緒に、みんなで幸せに暮らせるね』って、にっこり笑いながら」

 福田はとうとうテーブルに突っ伏してしまった。額をテーブルにくっつけて、それでも語り続けた。

「そこで俺はアパートを逃げ出して、それっきりあいつとは話してない。携帯も着信拒否にしたし、会社でも顔を合わせないようにしてる」

 テーブルに小さな水たまりができていた。ちょうど、福田の顔の下あたりに。福田は泣いていたらしかった。いつの間にか。

「俺、頭おかしいのかな……」

 俺は何も言えなかった。

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 翌朝、出勤した俺は同僚から質問攻めにされた。

 これには本当に参った。だって、福田の話をそのまま答えるわけにはいかないから。質問攻めの中にはいなかったけど、同じ部署には伊丹さんもいるんだ。

 結局、「聞いてみたけど話してくれなかった」と答えるしかなかった。俺は同僚たちから失望され、役立たず呼ばわりされて、さらに軍資金を回収されるというさんざんな目にあった。

 福田は遅刻した。ただの二日酔いかと思ったが、福田は午後になっても、その翌日になっても姿を見せなかった。結局、それきり一度も出社しないまま、福田は退職してしまった。

 伊丹さんは今も同じ職場にいる。福田のことは一週間ほどで吹っ切れたらしく、同僚と笑顔で会話するようになった。それ以後は今までと変わらず、普通に仕事している。相変わらず元気で明るく、毎日が楽しそうだ。

 

説明
「彼女が結婚してくれない理由は、幽霊の両親だった。俺はそれでもかまわなかった。けど……」同僚が語る破局のいきさつ。それは酔っぱらいのたわごとなのか、妄想の産物なのか、それとも――。
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ホラー 短編  幽霊 居酒屋 

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