別離   11.庭主
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 主従の足取りがどこか重い。

 池と巨木を離れ、この屋敷の正門に向かう、少し広い道に出る。

 その沿道に、趣味と実益を兼ねて、式姫たちが開いた可愛らしい店があちこちに残っている。

 散歩、偵察、武者修行、行商、探検、歌舞音曲の公演、そして妖怪討伐。

 様々な理由でこの庭から旅立つ式姫に、色々な物をこの通りに並んだ店は提供してきた。

 おにぎりや薬を提供していた狗賓や天女や織姫の店が、仲良く隣合っている。

 大陸の変わった食事を提供する斉天大聖の店は、その独特の食材や調理法を再現する為に、随分とお金を使わされた物だが、その苦労に見合う珍味を味わえた。

 

「らあめんが恋しいのう、あの麺の喉越し、深い出汁の効いた汁」

「……左様ですね」

 小烏丸が色々言いたい事を我慢した表情で、相槌を打つ。

 この主、斉天大聖と賭けで勝負し、見事一人でらあめんの特盛り十杯を完食して、彼女を仲間にしたという豪傑伝説を持っている。

 あの大量の麺と汁と猪肉と葱やもやしは、この細い体のどの辺に収まるのだろうか。

 

「大変美味じゃったぞ、点心とやらはまだか?」

 きらきらと輝く目でそう言われた時、斉天大聖は己が完敗した事を悟ったとか……。

 

「京にらあめんの店はあるかのう?」

「食材に料理人、諸々考えると難しいかと」

 戦と妖怪の跳梁で絶えた明国との貿易は、未だその回復の目処も立たない。

「お主の言うとおりじゃの」

 ふぅ、とため息をつく主に、小烏丸は、少しだけ面白がるような視線を向けた。

「こうめ様手ずから打たれては?」

「……わしの料理の腕前くらい、お主、知っておろうが」

「こうめ様ほど、食を愛する方は見たことがございませぬ。なれば、好きこそ物の上手なれ、何事も修行にございます」

 しれっとした顔の小烏丸を忌々しそうに見てから、こうめは僅かに鼻を鳴らして、視線を他の店に向けた。

 

 雪女が氷菓子の店で、夏に涼気を添えた。

 井戸脇では、狛犬が庭で採取した異国の珍しい果物を商っていた。

 

「あの店を見ると、わしは桃が食したくなる……」

「どれも美味でしたけど、私は、あの妙に硬い西瓜が好きでした」

「あれか……どうしてあのような硬さになったのか、訳が判らぬのう」

「案山子様も判らないと仰ってましたね」

 甘み、身の締り、瑞々しさ、全てが絶妙に美味だが、式姫たちですら容易に割る事が出来ない程に外皮の硬い西瓜。

 蜥蜴丸が、良い鍛錬ですと言いながら斬ったそれに、年若い式姫たちが喜んで集まるのも、夏の風物詩だった。

 

「ま、この庭で起きる面妖な事に、いちいち驚いていては、身が持たぬでな」

「ええ、面妖な住人しか居ませんから」

「自分で言うでないわ」

「ふふ」

 微笑する小烏丸の柔らかい笑顔を見て、こうめは目を細めた。

「……おぬしも変わったのう」

「そうですね、ちょっと不真面目な式姫になってしまいました」

 真面目で、あんまり笑わなくて、表情も殆ど変えない、冗談を言う姿なんて想像も付かない。

 かつての小烏丸はそんな式姫だった。

 今も、そんなに感情を表すのは得意ではないけど。

「勘違いするでない、わしは、今のお主が好きじゃぞ」

「ありがとうございます、私も今のこうめ様が好きですよ」

 

 二人で軽口を交し合いながらも、それが、自分達が歩みを進める程に、一歩一歩近づく現実を忘れる為の物だと判っている。

 この通りが果てる場所。

 こうめたちが逃げ込んできた

 多くの幸と災いを等しく、この庭に受け入れてきた。

 

 この庭の門。

 

 そこに、彼は居る。

 別に約束したわけではないが、何となく判る。

 一歩進めるごとに、別離の時が近づく。

 そしてこうめは、まだ答えを出せていない。

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 男は悩んでいた。

 天狗の言葉に手が届かない。

 何が駄目なのだろう。

 俺は、この寄る辺無い子供と、人ではない存在達を助けたいと思った。

 縁も無い子供と人外の存在の為に、この命を危険に晒す。

 ……それも受け入れたつもりだった。

 何が足りないのだろう。

 まだ覚悟が足りていなかったのだろうか。

 

「こうめ様は何故、あなたの言葉をあなたに返したのか?」

 

 何でなんだろうな。

 こいつは、何で……。

 自分の胸にも届かない、小さな少女の頭に目を向ける。

 抱きついてくる、その必死の力が徐々に弱くなってきているのを感じる。

 あんな力を受けていては、こんな少女が長く耐えられる訳も無い。

 だけど、俺もこの重圧に耐えるだけで精一杯。

 こいつを受け止めるどころか、この小さな頭を撫でてやる事も出来ない。

 結局、誰も助けられないんだろうか。

 

「自分から出た言葉なのに、その言葉は確かにあなたの心を揺らした……それは何故か?」 

 

 揺れた、それ自体が俺の弱さではないのか。

 助けてくれるという言葉に乗ってしまうのは……。

 誰か、自分の負担を肩代わりしてくれる存在を求めてしまうのは。

 挙句、こんな少女まで危険に晒す。

 これが、己の弱さで無くて何なんだろうか。

 

「こうめ様っ、お逃げ下さい!」

 

 その時、小烏丸の叫びが聞こえた。

 腰に回されたこうめの腕が、その声にぴくりと反応する。

 男もこわばる首を何とか動かし、声の方向に顔を向けた。

「何だ……こりゃぁ」

 夜闇に、ちらりちらりと赤い光が点る。

 そして、こちらを押し包むような、危険な気配。

 彼女達を追いかけてきた奴らと同じ……それが、こんなに沢山。

「こうめ、逃げろ」

 自分と、天女は駄目かも知れない……だが、少数なら。

 あの小烏丸という少女の剣は、ここに彼女らが逃げてきた時に見せて貰ったが、あれなら、こうめ一人位は連れても、血路を開いて逃げる事も出来るだろう。

「嫌じゃ」

 声が震えている。

 こうめの方が、今自分に迫っている危機がどういう物か、良く判っている。

「子供が死ぬ事はねぇ、お前だけでも生きろと言ってるんだ!」

 男の言葉に、こうめはキッと顔を上げた。

 

「子供じゃとて意地はある。わしは今度こそ大事な人を助けたいのじゃ!」

 

 お主が……教えてくれたのではないか。

 子供だって、出来る事があると……それを探せと。

 どれだけその言葉が、嬉しかったか。

 後は言葉にならなかった。

 また、男の腹に顔を埋めて、こうめは悔しさの余りか、泣き出した。

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 ああ……そっか。

 どうして、俺がこいつを放って置けなかったか、やっと判った。

 俺も昔、同じ悔しさを抱えて、同じ涙を流した。

 

(いつ、この罪が購えるのか……)

 父が、母が、悲しげにそう呟く姿を見て、償いに生きる姿を見て、育ってきた。

 二人とも、背に負ってしまった重荷に潰されるように、早くに死んだ。

 罪とは何か、死に臨む両親に問うても答えは無かった。

 教えてくれ、自分も背負うから。

 そう言う俺の頭を、枯れ木のような手が撫でてくれた。

 それは自分達が引き受けて、あの世に持っていく。

 その想いと優しさは、誰か他の。

 お前の大事な人の為にとっておいて。

 

 その優しさが嬉しかったが、同時に悲しかった。

 今なら両親の気持ちは良く判る……だけど、あの時自分は、この命を縮めてでも、一緒にその重荷を負いたかった。

 その想いが、大人の思慮の前に受け入れて貰えなかった事を、どこかで恨んでしまったのも、また偽り無い真実。

 

 そんな想いを、大人になった自分は忘れていた。

 

 子供だからと、一方的に大人が庇護を与え、導こうとする。

 式姫という術によって生み出された不可思議の存在を、人である自分が、その存在を許容し、受け入れようとする。

 そういう向き合い方をしようとしていた、自分が間違っていた。

 

「こうめ様は何故、あなたの言葉をあなたに返したのか?」

 それは、既に俺の言葉ではなかったから。

「自分から出た言葉なのに、その言葉は確かにあなたの心を揺らした……それは何故か?」

 こうめが、俺の言葉を受け止めて、自分の物にして、そして彼女の思いを乗せて、俺に掛けてくれた、彼女の言葉だったから。

 

 俺に必要だったのは、こうめが俺にしてくれたように向き合うこと。

 彼女達、意思ある一個の存在に、自分という存在が先ずは向き合うこと。

 いきなり主になどなれるものではない、だけどそれを目指して、共に同じ場所に立つ。

 人に出来る事など、それが全てではないか。

 

 そう、心から思えた時。

 男の眼前に世界が拓けた。

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 藪の中から、白兎は空で対峙する二人を凝視していた。

「速すぎるよ、何なのあれ」

 白兎が藪の中で歯がみする。

 白天狗の動きを捉えきれない、まして今は夜。

 迂闊に射れば天狗に当ててしまいそうになる。

 援護したいのに……私。

 また、負けちゃうなんて、大事な友達を見殺しにするなんて……私、そんなの。

 

 ふわり。

 

 優しい風が藪を吹き抜けて、泣きそうになった白兎の髪を撫でるように揺らした。

「……え」

 彼女の周囲の世界が、ほんの少しだけ変わった。

 彼女が身を隠したこの藪が、更に自分の意思で白兎の姿を隠してくれるような。

 包み込んで守ってくれるような、そんな気配。

(不思議、まるで落ち着けって言われてるみたい)

 自分はこの感覚を知っている。

 我知らず、白兎の目から、涙が一筋零れた。

「何で、私」

 この暖かい感覚。

 もう、二度と無いと思っていた。

「ご主人様……なの?」

 

 

「コマよー、生きてっかー?」

 背中合わせに立つ突撃仲間に、悪鬼は声を掛けた。

「狛犬は常に元気ッスよー」

 言葉と裏腹に、その声に荒い息が混じる。

「だよなー、まだまだ死んでる場合じゃねーよなー」

「そッスね、突撃甲斐がありそうな奴が集まってきてるッス」

 棍棒を手にした、雲を突く人影、地を這う無数の巨大な蜘蛛が立てる足音。

 それらをぐるりと見渡す二人の姿は、自他の血に塗れた、凄惨な物だった。

 手にした武器も、狛犬の槍は穂先が既に無く、悪鬼の斧も、既にその刃は鋸の様相を呈しており、二人の限界が近い事を、まざまざと見せる。

 

 だが。

「なー狛犬よー、アタイだけかな? さっきから何か変じゃねーか?」

 もう、感覚が怪しかった斧を握る手に、力が静かに満ちてくる。

「そッスね……何かこう……もう一回うおーって感じがするッス」

 立っているのがやっとだった、萎えそうな足が、誰かに支えられる。

 

「だよなー、よくわかんねーけど」

 負けたくない、悪鬼の想いを誰かが支えてくれている。

 

「なんなんスかねぇ」

 最後まで戦う、狛犬の意思を誰かが後押ししてくれる。

 

 ならば……まだ自分達は戦える。

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「正解」

 そう呟いた、天狗の口が僅かに笑いの形を作る。

 まだ弱々しい、恐る恐るの物だったけど、魂が触れ合った確かな感触があった。

「全く、ぼんくらが主だと、余計な手を焼かされます事」

 口とは裏腹に、天狗の表情が柔らかい。

 私達、式姫が彼を主と認めた。

 彼は、式姫の中に一個の存在を認めた。

 お互い認め合う、本当に必要なのは、たったそれだけ。

 そこから、全てが始まる。

 

 それが、式神の術と式姫の術を分ける、最も大きな違い。

 

 式神を自在に操った高名な術者が、数多召喚した式姫の一人も使役できなかった事があった。

 術の心得も無い無力な少女が、流浪の式姫と共に村を守って戦った事があった。

 選ばれた者だけが使えるといわれる、式姫の術。

 だが、本当はそうではない。

 ただ、虚心に世界と向き合う事が出来る人間が稀有なだけの事。

 

 そんな世の中で、主と認めるに足る存在に、この生の内に二度巡り会えた。

 何とこの身の幸いなるか。

 

「死ね、負け犬!」

 最早、黒い影にしか見えない白天狗の攻撃に、天狗は冷めた目を向けた。

「負け犬相手に、きゃんきゃん良く吼えますわね」

 自分は強いと確認する為だけに、どれだけ他者を貶め、その血を求めるのか。

「醜悪な……」

 痛む翼に力を込める。

 まだ、もう少しだけ頑張って。

 更に一打ちして、その華奢な体を空に舞わせる。

 自分の持てる力のありったけで、強く、速く、鋭く、迷い無くただ一点を貫く。

 成程、これがあれか。

「突撃ッスー……ですわ」

 くすっと笑って、天狗は更に翼に力を込めた。

 

「な……貴様!」

 白天狗の突進に対して、天狗が想像を超える速度で、真っ直ぐにこちらに飛来する。

 はったりか。

 回避も防御も無理なら、こうして正面からぶつかる構えを見せる事で、白天狗の側を退かせる方に賭ける……成程、悪くない考えではある。

 白天狗はその浅知恵を嘲るように冷笑を浮かべて、更に速度を上げた。

 だが相手の速度も更に上がる。

 こちらを真っ直ぐに見据える静かな瞳には、回避の意思は欠片も浮かばない。

 

 相討ち。

 

 その言葉が白天狗の脳裏をよぎった。

 両者がこのままの勢いで激突すれば、自分の身も……。

 この高度では、命が無事であろうと、翼に損傷を受ければ、どの道、地に墜ちて死ぬのみ。

 なまじ賢しい頭が、様々な碌でもない未来を紡ぎ出す。

 狼狽した白天狗が、破局から逃げようとする本能のままに、思わず身を捻った。

 だが遅い。

 彼女は微塵の躊躇いも無く、全く勢いを緩めることなく突っ込んで来た。

「貴様、馬鹿かっ!」

「何を今更」

 

 絶叫と共に無数に散った羽根が、夜空を覆った。

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 こうめを守ろうと奔走し、妖魅と切り結ぶ小烏丸を光が包む。

「これは……」

 世界が一変した。

 天を貫くように、光の柱が立ち、大樹を囲むように太極図が描かれた。

 池の水が、仄かに光を帯びて、大樹を中心にして渦を巻きだす。

 余りの力に、池を越えて進入していた妖怪達が、耐えられずに消し飛んだ。

 妖怪を滅ぼしたその力は、だが、小烏丸には寧ろ心地良い。

 力が満ちて行く。

「この光は……」

 覚えて居る……いや、忘れる筈も無い。

 高ぶる感情に、僅かに声が震える。

 自分がこの世界に姿を取った時に見た光と同じ。

 世界の諸力が、強い意思の力に呼応して形を取る、奇跡の瞬間。

 

「式姫が……降臨する」

説明
式姫の庭、二次創作小説の11話になります。
今回のタイトルはちょっと困りましたが、式姫の庭の主人公を表す、掲示板で一番通りの言い名前を借用しました。
あまり一般的な用語ではありませんが、ご容赦下さい。

第一話:http://www.tinami.com/view/825086
第二話:http://www.tinami.com/view/825162
第三話:http://www.tinami.com/view/825332
第四話:http://www.tinami.com/view/825534
第五話:http://www.tinami.com/view/826057
第六話:http://www.tinami.com/view/827798
第七話:http://www.tinami.com/view/829899
第八話:http://www.tinami.com/view/833619
第九話:http://www.tinami.com/view/835116
第十話:http://www.tinami.com/view/836096
第十一話:http://www.tinami.com/view/837188
第十二話:http://www.tinami.com/view/838496
第十三話:http://www.tinami.com/view/842895
第十四話:http://www.tinami.com/view/885241
第十五話:http://www.tinami.com/view/885804
第十六話:http://www.tinami.com/view/890426
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式姫 式姫の庭 こうめ 小烏丸 天女 天狗 悪鬼 狛犬 別離 

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