夜摩天料理始末 28
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「その、毒を調合した彼ですが、名前と、貴方の所に仕官した経緯は?」

「む、むむ、奴が来た経緯なぞ憶えておらぬな、だが名前は……名前、はて、そういえば」

 何であったかな。

 そう首をひねる領主を見ながら、夜摩天は内心で納得しつつも、ため息をついた。

 術で周囲を誑かし、側近に収まる程度は、あれほどの力を持つ陰陽師なら容易い事だろう。

 これ以上領主を尋問しても、真新しい何かは出てくるまい。

 そして、そろそろ引き伸ばしも限界。

 夜摩天は決断を迫られていた。

 これ以上、いかなる理由が有ろうと、冥府の法廷を一人の人間の為の審理に費やすのは、無理だ。

 選べる道は、ある程度絞られている。

 一つは、彼の請願を聞き入れず、彼に対して最初に自身が下した判断に従い、天界送りを宣する。

 一つは、彼の請願を容れ、彼を蘇生させる。 

 前者は、ある意味、一番波風の立たない方法ではある。

 彼を謀殺した連中は一安心するだろうし、彼も天人に転生してしまえば、前世の記憶を失うので、不満の抱きようも無い。

 冥府を巻き込んでいるだろう陰謀を調査するのは、彼を天界に送った後でも良いのだ。

 

 正直、ここまで厄介では無いにしても、こういった正しくは無いが、間違いでも無いだろうと思える選択は、夜摩天の職務の中では幾らも発生する。

 誰も何も言わない所か、恐らく気が付きもすまい。

 ここまで悩むだけ無駄な苦労、そう言ってしまえばそれだけの話。

 だが、夜摩天は、そこに逃げたくは無かった。

 軽微な話ならば、処理の速さを優先するのもありだろうが、命を全うし、冥府の法廷に立った魂に対しては、せめて自分だけでも誠実に向き合い、その魂の次の行先を定めてやらねばなるまい。

 小さな積み重ねかも知れないが、それを重ねる事が……少しでも、世界を良い方に向かわせる筈。

 それこそが、おそらく冥府の裁判長たる存在の、最大の仕事の筈だから。

 

 今回もそう。

 夜摩天としては、後者を選択したい。

 ただ、その判断をするためには、客観的な証拠が足りないのだ。

 人同士の抗争の果ての謀殺ならば、いかなる理不尽な悲劇であろうと、それは、人界という世界の中での死という結果として扱わねばならない。

 彼を慣例を曲げて人界に送り返すためには、彼の死が、大妖怪の画策した、冥府を巻き込んだ陰謀による犠牲者であると証明する必要が有る。

 冥府の不正に起因する犠牲者ならば、その原状復帰の希望を容れる程度の事は出来る。

 まして、彼の肉体はまだ現世で生きている。

 この男を、人界に帰してやりたい。

 そう……したいのに。 

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「夜摩天殿、そろそろ調べも尽くされたと思う、彼の重要性は判っているつもりだが、裁きを願う他の亡者をこれ以上待たせてまで一人の裁きに時を費やすのは余りに不公正だ、それは冥府の為にもなるまい」

 そんな夜摩天の内心を見透かしたように、宋帝から声が掛かる。

 前のような嫌味と異なり、今度のそれは、十王全員の苛立ちの代弁となって、夜摩天を急かす。

「まして地獄に行くとなれば兎も角、彼は天界行きと夜摩天殿が判断した男だ、人界に戻りたいなどという気の迷いを払うべく、さっさと行先を宣してやるのが、当人の為でもあろうよ」

 その言葉に賛同するように、幾人かが首肯する。

 

「儂が修羅界で、貴様は天界行きか……何の差が有ったか知らぬが、結構な事じゃな」

 領主の嫌味とも嫉みともつかない言葉に、男は軽く肩を竦めた。

「アンタに言うと、また怒るかも知れんがね、俺は蘇りたいだけで、天界なんぞ行きたくもねぇんだよ」

 ふむ、と呟いて、領主は今度は怒らずに、男の顔をしげしげと眺めてから首を振った。

「どしたい、怒らねぇのか?」

「儂が怒っても仕方ない奴だと判ったんじゃよ、つくづくと、お前は変わった男じゃな」

 最前の、彼の憎しみの気配とは少し違う。

 目の前の男は、自分には理解できない存在であることを、何となく受け入れられた、そんな気配。

「……生きてる間に、あんたがそう思ってくれりゃ助かったんだがな」

「無茶を言うな、武を以て領土を切り取った者は、いつ自分が同じ目に遭うか、日々怯えて暮さねばならぬ。それが嫌なら、次の他人の領土を切り取る事に血道を上げて、儂を脅かす相手を打倒し、部下共の目は、新たな獲物に向け続けるしかない、その繰り返し……」

 ふっと、領主は憑き物が落ちたような顔で笑った。

「お前は、儂のそんな生き方を愚かだとほざいたような物さ」

 何処かで、自分も愚かだと思っていた生き方。

 その痛い所を突かれれば、反発するのも当然じゃろうがよ。

「……そっか」

 この時、男にも領主の気持ちが何となく理解できた。

 片や暗殺された男と、その報いを受けて、彼に協力する式姫、天羽々斬に斬殺された男。

「お主はな、自分の事を少しは知る事じゃ。他者からは果報の塊だと思われている事を……な」

「……全くな、肝に銘じておくよ」

「儂もお主のような男が居る事を、少し心しておくか、次が修羅界では、役に立ちそうも無いがな」

 そう言って、二人はお互い、少しほろ苦い笑みを交わした。

 

「さて、夜摩天殿、そろそろ判決を」

「……そうですね」

(羅刹……間に合いませんでしたか)

 口に出されてしまった以上、夜摩天としても答えを出す必要が有る。

 宋帝含め、十王の求めは当然の事。

 彼が人界に戻りたいと言うのを、残して来た者達への未練や情という、気の迷いと断じ、その蒙を払う。

 それもまた、冥王の仕事と言えばそうなのだ。

 そんな事は判っている。

 だが、夜摩天にはどうしても、彼の言葉が安っぽい執着や現世に残して来た者達への未練だけだとは思えなかった。

 天界に行く、その意味を知ってなお、人界で何かを成し遂げたいと。

 その強い意思を……私はそんな上から見下ろしたような感覚で断じたくはなかった。

 だけど。

 

 ごめんなさい。

 

 堅い男の顔を見やる。

 俺は承服しかねる。

 そう雄弁に語るその目に……夜摩天はこの職に就いて初めて、その眼光を受け止めかねて、その浄眼を反らした。

「では、判決を申し渡す」

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 かやのひめ達の矢に対応しかねて、藻は速度を上げて、屋敷から少し離れた位置に飛び、森の中に身を伏せた。

 この金毛の美しい体は、月明かりを弾いて、上空に在る彼女の姿を格好の的としている。

 弱まっているとは言え、あの屋敷の結界の護りを盾に、あのような強弓の相手をするのは面倒が過ぎる。

 やはり、あの屋敷の結界は破る必要が有る。

 その為にも、あの男の魂を、さっさと始末せねば……。

 冥府に便りは出した。

 奴も、此度の件で、あの男を始末する事が、お互い重ねて来た陰謀の総仕上げとなる事は、事前に言い含めてある。

 更に催促すれば、何らか動いてはくれる筈だ。

 それまで、身を潜め時間を稼ぐ。

 その藻の顔に、突如突風が吹き付けた。

 森の中ではありえない程に、砂礫を含んだ、強い風。

「何やァ、これはぁ!」

 さしもの彼女も目を開けて居られず、思わず目を閉じて、風から顔を背けた。

「休憩には早い、という事ですわ」

「喰らいやがれっ!」

「突撃ッスーーーー!」

 強い風に対抗して踏みしめた、藻の前脚と胸に衝撃が走った。

 天狗の巻き起こした風に乗って走り寄った、悪鬼と狛犬の繰り出した攻撃。

 鋭い斧が前脚に食い込み、胸を槍の鋭い穂先が抉る。

 致命の一撃では無かったが、たまらずぎゃあと叫んで、藻は逃げるように森の中を奥に飛んだ。

 何故じゃ、何故式姫どもが屋敷の外に。

 奴ら、まさか……。

「流石に鞍馬さんの読みは的確ですねぇ」

「全くですわね、本人は戦場の采配は本領では無いと謙遜してますけど」

 私を包囲するように、既にあの屋敷の周囲に展開しておると言うのか?!

 

「寄る年波か知らんけど、この程度でスタコラ逃げんな!化け狐野郎!」

「うおー、追撃ッスーーーーー!」

「深追いは駄目よ、狛犬ちゃん、悪鬼ちゃん!」

 天女の鋭い制止に、駆けだそうとした狛犬と悪鬼の脚が止まった。

「ぐ……そうだった」

「ううう、追っかけたいッス……がるるッス」

「駄目よ、正面切って戦うには、あの妖狐はやはり強すぎるわ」

 こうして不意打ちを重ねて、相手を疲弊させるのが鞍馬の計画の眼目。

 奴は、式姫達は結界の堅固な守りを盾に屋敷に籠城すると考えるだろう。

 ならば、こちらはその裏を掻く。

 

 暴れたりない様子の二人の傍らに並んで、天狗は藻の逃げた森の奥に目を向けた。

「あちらには狗賓さん達が網を張っていますわ、でも、恐らくまだ……」

「ええ、私たちの出番はあると思うわ、ね、行きましょ、悪鬼ちゃん、狛犬ちゃん」

「わーったよ、コマよー、次行くぜー」

「そッスね、次の戦場に突撃ッス!」

 小走りに駆けだす二人の背を見送って、天狗と天女は堅い顔を見交わした。

「出来れば、次の出番なんて無い方が良いんですけどね」

「……そうね」

 そう……こんなのは、良くも悪くもまだ序の口。

 あいつは、そんなに甘い相手では無い。

「行きましょうか」

 

説明
鞍馬さんが軍師というと、やはりジャーンジャーンジャーン、げぇっ関羽的な奴をやりたくなるわけですよ……
そして、久々の基本種さん達、やっぱり書きやすい……

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