うつろぶね 第十二幕
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 その女性は、戦を厭い、都より落ちのびてきた、貴族の娘だったそうな。

 娘と言っても、陸奥(みちのく)に赴任していた時に出来た、その地で作った妾の子。

 故に……本妻とその子を連れた自分と共に避難させる訳にも行かず、無論都にも置いては置けず。

 都に居た時に、その貴族の世話になっていた先代の住職が、困っている恩人への恩返しにとその娘を預かったそうな。

 そこに、それ以上の意味は無い……筈だった。

 だが、その娘は余りに。

(拙僧では、未だに形容する術を持ちません……今思い出しても、いささか異形で……故に美し過ぎましたな、あれは)

 妖美と言うしかあるまい、王に嫁せば国を、領主に嫁せば城を傾ける類の、狂い咲く花。

 いわゆる女性の美と世上で言われる類の容姿とは異なる、異人の血が混じっていたと噂される母親の血を継ぐ、豊麗で、彫の深い顔をした、透き通るような白い肌の美しい姫であった。

 彼女は驕慢で、その我儘ゆえに更に美と魅力を増す類の娘であった。

(師は……次第に彼女に狂って行きました)

 激烈な修行を認められ、蛭子珠を祀る、この古刹の住職を本山より任されていた程の彼の師。

 壮年の気力と、長年の禁欲生活で磨き上げられた、何れ本山で然るべき場所に上る存在の風格が滲み出ている。

 そんな、当時の彼は仰ぎ見るしかない、そんな師匠が。

(人は、弱いものですな)

 部屋の前を通る時に耳にした、姫の笑い声。

 すれ違う時の顔、そして香り。

 そんな物が、徐々にその心を侵食していった。

 住職は次第に勤行もなおざりになり、寄進された銭に手を付けて、彼女の豪奢な衣食に充てる様になっていった。

 だが、いかに尽くしても、彼女は住職に靡く事は無かったという。

(ねぇお坊さま……これは妾の父上にしてくれているの?それとも……妾自身に?)

 そう蠱惑的に問いかけた姫に、住職は答えることも出来ず生唾を飲んだだけだったと言う。

 その様を見ていた姫は、自身の ー何度目だろうー 男に対する勝利を悟ったのだろう。

(いやや、いやや、妾に懸想するなんて、そんなやらしい坊さんは、うち好かんわぁ)

 ほほほと、蔑むように笑う、その声にこもる、僅かな媚びと挑発が、更に住職の恋情を掻きたてた。

 

 地獄絵図でございますよ。

 

 幾度諌めても、彼女から離れる様に諭しても、彼の師は、もう彼女しか見えてはいなかった。

 寺宝を売り、買い集めた宝物にも、貴種たる彼女の心は靡かなかった。

(妾は、そういう物をなぁ、見飽きてますの)

 もっと珍なる物を、妾に見せて。

 その娘の言葉を聞いていた師の目の色を、未だに覚えている、そう住職は身を震わせた。

 鬼が宿るというのは、あれでございましょうな。

 だが、その目に宿った鬼の意味に、その時の、まだ若かった彼は気が付けなかった。

 普通なら、女に貢いで僧侶が一人破滅する……それだけで済んだかもしれない。

 そう、普通の寺だったら。

(不幸、としか言いようがありませぬ)

 その寺には、彼女も見た事のない程に、珍らかなる物が……有ったのだ。

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「……まさか」

 カクの顔を見て、仙狸は暗い顔で頷いた。

「そう、その寺で一番の宝……蛭子珠を、先代住職はその娘に見せてしもうたそうじゃ」

 

 透明な白。

 そんな矛盾した言葉が浮かぶほどに、それは美しく。

 水晶の中に、銀河の星々が眩(くる)めいているかのように、無限の花園が咲き匂うように、虹色に、濃密な白に、蠱惑的な黒に……それは自在に色を変え。

 目が離せない。

 意識自体をこの真珠に吸い込まれて、自分もまた、この色の乱舞の中に混ざり合い、愛撫されているような。

 そんな、魂の快楽そのもの。

 見ていただけの筈が、知らず、姫はその真珠を厨子から取り出し、着物をはだけ、豊かな胸に掻き抱き、口を寄せ、舌を這わせていた。

 その淫猥な姿すら、何と可憐で美しい事か。

 その痴態に魅入られていた住職が、我に返って彼女に呼びかけた。

(姫よ)

 その声に応えて、彼女は上気した顔を上げた。

 睦みあった後のような、荒い息の間から、彼女は甘い香りと共に、夢見心地で口を開いた。

(……妾にこれを)

(差し上げましょう、姫よ……だが)

(だが?)

 そう首を傾ける、その動きではだけた肩にぱらりと掛かる乱れ髪の、こちらを見上げる顔の、吐息の全てが、彼の脳を痺れさせる。

 なれど、これを差し上げては、自分もこの寺に居る事は叶いませぬ。

(一緒に逃げて下され)

 姫に差し上げた財貨を売れば、二人で生きていく事も叶いましょう。

(良いわ……)

 靄がかかったような目で、彼女は頷き、囁いた。

 目の前の男など見ずに。

 ただ、その原初の力を封じた真珠に向かって。

(妾と添い遂げましょう)

 愛しい愛しい……あなたと共に。

 

「じゃがな……その姫は約束を違えたそうじゃ」

 姫はその夜の裡に、蛭子珠と、在るだけの金品を手に、寺を逃げ出したそうな。

 それに気が付いた住職は彼女を追った。

 女人の、しかも自ら歩く事など少なかった貴人の足と、修業に鍛えられた壮年の男の足では、相手にもならぬ。

 揺れる松明を追い、駆け出したその顔は。

(……鬼そのものでございましたよ)

 裸足で、褌一つの姿で、駆け出した先代の速かった事。

 後を追おうとしたが、もうその背中は闇の中に消えていたという。

(あれはもう、半ば怪しのモノに、成りかかっていたのでしょうな)

 それでも、微かに見える松明を追って、彼、現在の住職もまた走った。

(正直に申しますとな、後を追わねば良かったと、今でもそう思うてしまいます)

 追いついた……追いついてしまった彼が目にした物。

 時折、悪夢の中で思い出す。

 地に落ちた松明がバチバチと音を立てておどろに炎を上げる。

 その火灯りの中に、地獄のような光景が浮かぶ。

 狂ったように泣き喚く姫を抱きすくめ、その髪に喰らいついた師、それでも尚、蛭子珠を納めた箱を抱きすくめて離さない姫。

 彼の呼びかけに、こちらを向いた師の顔の……なんと醜悪で、そして深い悲しみに満ちていた事か。

「お主は……こうなるでないぞ」

 そう呟いて、住職は姫を抱き。

(あれ、あそこの見晴らしの良い崖がございましょう)

 夕暮れの中、住職が仙狸に指さしたのは、海に突き出した、広い崖。

 奇しくも、カクと洟垂れが、昼餉を取った、あの場所。

(あそこから、師は姫と秘仏……蛭子珠を抱えて)

 

「身を投げた」

「……なんてこったい」

 げんなりした顔で、カクが頭を振る。

 あの、洟垂れと一緒に昼餉を取った、あの風光明媚な場所にそんな過去が有ったとは。

「そういえば、あの崖、エビスの社が建ってたっけ」

「うむ、二人を弔いたいが、大っぴらには弔えない、故にご住職は、あそこに大漁祈願を口実に恵比寿の社を建てたそうじゃ」

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 最終的に、二人の死は秘された。

 蛭子珠は失われ、住職は姫に懸想し無理心中した。

 死体は上がっていない。

 そう、知る限りを、住職の師に当たる人に書き送った彼の元に、数日後、本山より指示が届いた。

 姫は病死、住職は本山に呼ばれた体にして、暫し後に旅先で客死(かくし)した故、弔いは本山で出した。

 高弟である彼は、そのまま寺院を継承すべし。

 この事一切、他言無用。

(後で知った事ですが、本山にも、戦乱の影響が迫っている折でしてな……)

 人を送る余力も無い、まして蛭子珠を失っただの、醜行の果てに住職が仏徒にあるまじき死を遂げたなどという話になると、彼が属していた派閥にも影響が出る。

 故に、取り敢えず、無かった事にしようと。

 そういう事になったそうな。

 

「しかし仙狸さんも、良くまぁ、そんな事に気が付いたね」

「寺の日記を読ませてもろうてな」

 客死したという先代の日記の終わり近くに生じた不自然な欠落と、その直前に記されていた、貴族の姫君を離れに御預かりする事になったという記述。

 そこから、今の住職が引き継いだ日記に記された、姫の死と、師が本山に旅立ったと記した一文。

「世話になった貴族から預かった姫じゃと言うに、その弔いを行った記述も碌になし、揚句、服喪もそこそこに、本山に赴くというのは、どこか不自然では無いかな?」

 この辺りで何か有ったと思うたのじゃよ。

「そうなんだ、でもお姫さんの記述自体削っちゃえば、仙狸さんに疑われる事も無かったのにね」

「何せ、田舎は狭い……姫の来訪自体は、この辺りでかなりの噂にもなったそうじゃでな、完全に消してはその方が不自然だったんじゃろうよ」

 何でもそうじゃが、隠蔽も改竄も、完璧には出来ぬ物じゃよ。

 後はなんというかまぁ、虚喝(きょかつ はったりの事)を駆使して、ご住職に喋って貰っただけで、褒められた物では。

 いや……。

「わっちが喋らせたと言うより、ずっと、ご住職自身が、誰かに聞いて欲しかったのじゃろうよ……心の中の重荷という奴は、表に出せば多少は軽くなるでな」

「そっか……そんな物かもね」

 とはいえ、こうして説明して貰えば理解は出来るが、良くもまぁ、仙狸は膨大な記述の中から、この短期間でそんな記述の矛盾を拾い上げた物だ。

 今の主の、軍略や政略を支えるのは鞍馬だが、細かい人間関係や、周辺との利害調整に関しては仙狸が相談役を務めているという話が、ここ数日の彼女を見ていると、すとんと腑に落ちる。

 

「まぁ、ここまでは単なる醜聞じゃ……色狂いした坊主とて、良い話ではないがありふれた物じゃ」

 そうだった。

 仙狸の話はまだ終わっていない、カクは居ずまいを正した。

 その話が、今の事態にどう繋がるのか。

 それが、まだ。

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「ここから先は、わっちの推測じゃ」

 その心算で聞いてくれ。

 声も無く頷くカクに、仙狸は平板に言葉を続けた。

 

 身を投げた二人を、蜃が飲み込み、その身に取り込んだ。

「蜃が?」

「うむ、奴にしてみれば単なる縄張り内に落ちて来た食事でしか無かったじゃろうがな……だが、元は大地となる為に生まれた蛭子の力を、幻の街、海市を作る貝が取り込んでしまった、そして」

「……その蜃が作り出す海市は、実体を伴い、この世に出現するようになった、って事」

 然り、そう仙狸は頷いた。

「この説が正しければ、他の説明もある程度は付く、陸を生み出すほどの力を持つ蜃が、未だ龍になれぬのは、急激に外から得た力に、元の体が付いていけぬからこそよ、そして一夜の裡に、生まれて消える海市の謎も」

 そして。

「漁師を誘った、謎の美女と、胸に抱いた小箱の話にも、多少の説明が付く」

「……そのお姫さんが生きてるって事?」

「判らぬな、だが、浜に現れる、豊麗で赤毛だと言う容姿は、和尚の言葉とも符合する。だが人なれば既に老婆も良い所の筈、人としては死しておると考えるが良かろうよ」

「確かにね」

「それが死霊か、妖しきモノに成り果てておるのか、蜃が参考にして作りし紛い物かは知らぬが、用だけははっきりしておる、その女子の姿は、人を誘う疑似餌じゃ」

 獲物を誘う、偽りの形。

 

 また、偽りか。

 

 仙狸の言葉に、カクは内心で吐き捨てた。

 ここには、どれ程の幻と偽りが集まっているというのか。

 そして今またここに、変面という偽りを操る式姫が加わるとは、皮肉な話だが。

 この幻の帳を全て取り払った先にある、本当の事とは……一体何なのか。

 

「だが、疑問も残る」

「……え?」

「一体誰が」

 キッと仙狸が顔を上げ、前方を指さした。

「あの海市で物を商っていたのか?」 

 仙狸の指さす方に、大地が見えた。

 ほの白く光る白い砂、風よけの林、その奥に光る、橙色の……人の灯り。

「実体を備えた幻じゃないの?」

「そうも思うたのじゃが、蜃の目的からすれば、宝を放り出して置けば事足りるでな……なぜわざわざ商いの真似事などという凝った事をしたのやら」

 何か、何かわっちが見逃している物があるような……そんな気がする。

「まぁ良い、それは今より確かめてくれる……カクよ、油断するでないぞ」

 槍を手にした仙狸の隣で、カクもまた、耳から取り出した小さな棍にふっと息を吹きかけて、元の大きさに戻して、その手に握った。

「合点だい」

説明
式姫プロジェクトの二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/953925

くコ:彡 転遊記開始しましたねー、何にせよ、式姫が続いてくれると嬉しいです。
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タグ
カク 仙狸 式姫 

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