「あるとして」ではなく、「あるからして」。 |
「あるとして」ではなく、「あるからして」。(数学の根本的な考え方の違い)
あるとされるものではなく、あらしめられているもの。
「関係」に本質はない。「人(ひと)因子」の五体に、「人間因子」の思考欲動。
人間因子に、病気因子に、各生物因子に、信仰因子、それぞれが世界を形作る。
唯一神信仰因子によって世界が無条件にあると錯覚する。
しかし、それらは人間が世界を現実的に作った人間因子の結果に過ぎない。
人間因子が人間を動かし、行動させ、言動させる。
関係ではない。人間因子、それで為せない事なら、病気因子、信仰因子が働く。
因子は人間の内部に生まれる。各生物にも因子はあるが、人間的なものは人間の内部に生まれる。
事前に、殺害を予定したなら、殺害因子が人間因子の内部に生まれる。因子を見なければ本質は見えない。
数学の図形などは「関係」に本質を見ている。角度、長さ、四角形の中で何であるか、三角形の中で何であるか、全て、「関係」を見て、「あるからして」を前提にしていない。まず、現実的であるか、を検討すべきなのであるが。
それが何の役に立つのか、まず、因子を見て「なさせている」「あらしめている」ものを見抜く勉強をすべきとは思わないか?
説明 | ||
関係外因説はアリストテレスの考えである。因子内因説は私(滝口)の考えである。 | ||
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アリストテレス 因子内因説 滝口哲学 | ||
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